四国吉野川支流の祖谷川は剣山(1955m)に源を発し、約50km流れて吉野川に合流する。この剣山を頭として両手で祖谷川を抱えるように山脈が連なっている。その中には1,600m以上のピークが10個以上あり、それぞれに登山対象となっている。
私はこの地方の村に育ち、大阪へ出た後も帰郷の際はしばしばこの山系の山々に登っていたので大半の山には登ったことがあるが、いつの頃からか一度全てを繋いで縦走してみたいと思うようになった。全行程約80kmであるから、距離、高度とも大峰奥駆と似た山行と思われる。
この七月で68歳となる私にはこの山行をやる時間はあまり残されていない。ということでこのゴールデンウィークに決行することにした。
4/29(金) 大歩危駅に正午に降り立ち、祖谷久保行きのバスに乗り込む。かずら橋を過ぎ、寒峰登山口の下瀬に着いたのは1時。ここから寒峰山腹の栗枝渡部落へ歩いていると、軽トラックの老人に拾われ少し時間の節約が出来た。
狭い道路に乗用車が止まっている。老人は嬉しそうに、「市長さんの車だ」という。三好市の市長はこの集落の出身とのこと。ここで下車して、弟が三好市民なのでちょっと挨拶をする。幸い弟のことはよく知っているとのことで少し立ち話をして、歩き出す。
2時、登山口の住吉神社。ここから尾根を目指して登り始めるが、林道、杣道が多くてどれが正しい登山道かよく解らない。今日は快晴で暑い。尾根筋に出ても何度か杣道に迷い込み、ちょっとしたヤブ漕ぎをする。1518mのピークの捲き道で咲き残りの福寿草に出会う。ビックリするほど大輪だ。もう三四十年も前だろうか、小島部落から中津山からの稜線に上り、稜線伝いに寒峰に登り、このピークから藪を漕いで西へ尾根を下ったときのことを思い出す。あの時はブッシュのなかでタラの芽をドッサリ採ったから、やはり今の時期だったのだろう。
5時、ひっそりとした寒峰山頂に立つ。これから目指す縦走路がほとんど見える。祖谷川源流に剣山と次郎笈が双子のように並び、祖谷川をはさんだ向う側には三嶺から天狗塚に連なる稜線が対峙している。
今からでは、落合峠まで行くのは無理だろう。以前の記憶では小島川源流はなだらかで稜線からちょっと下れば流れにたどり着けたはずだ。適当なところでツエルトを張ることにする。
少し手前過ぎるところで尾根をはずれて下ったので大分下まで降るハメになったが、下生えがないので楽なものだ。水の流れ出しの近くの台地にツエルトを張る。ちょうど6時だ。今回は2、3人用のツエルトを持ってきたのでゆったりとしている。木々の間に沈んでゆく夕陽が美しい。
4/30(土) 5時出発。残雪のついた斜面を登って稜線に出る。今日も晴れているが、稜線は強風が吹いていて、体がよろけるほどだ。縦走路も踏み跡はしっかりしているのだが、もう何年も刈り払いがされていないようで笹の生い茂ったところでは下がよく見えず、石や根っこにつまずいて歩きづらい。
前烏帽子の手前で登山者と出会う。落合峠から寒峰を往復するとのこと。
落禿から落合峠に着いたのは8時過ぎ。ちょっと時間がかかりすぎている。寄る年波を実感させられる。気は若くとも体力は確実に低下してきている。まあ、こうやって何日かの縦走が出来るだけでも有難いと思うべきか。
落合峠はかつて西日本随一と称されるススキが原だった。初めてここを訪れた昭和40年ごろにはまだその片鱗が窺われ、峠周辺はススキの枯野であったが、十数年後にはもうすっかり笹原に変貌していた。昔、ススキは茅葺き屋根の材料として使われ、多分ススキが原は保存の手が加えられていたのだろう。それが放棄されたときから徐々に変化が始まったのだろうか?
強風の中、矢筈山に登る。山頂には一人笹原にうずくまるようにして昼飯を食べている登山者がいるだけである。風があまりに強いので早々に黒笠山への縦走路に入る。
縦走路はケモノ道に毛が生えた程度で、尾根伝いではあるがルートファインディングに時間がかかる。所々に岩稜があり、大峰奥駈道を歩いている雰囲気である。距離は僅かであるが、4時間かかってようやく黒笠山(1703m)に着く。白井からの登山道は刈り払いがされており、これと合流すると楽になる。最後の岩を鎖に縋ってよじ登ると頂上。見晴らしは絶好である。
黒笠山から小島峠への道はガイドマップでは難路と書かれているが、奇麗に刈り払いがされていて、歩きやすくまた迷うところもない。これから小島峠までは無理なので、適当なところでビバークしなければならない。それに小雨も降り出してきた。地図を見ると1542mのピークを下ったあたりに谷筋が尾根に近づいているのでこのあたりだろう。尾根が拡がっている所で、谷を覗いてみるとちょっと下に水の流れ出しが見える。ラッキー、ここにツエルトを張る。
風雨が強くなってきたので、ツエルトの中で炊事をするが、結露がひどくて水滴がポタポタ落ちてくる。寝具はシュラフカバーとThermolite reactorというこれで8℃暖かいというインナーシート。爆睡。
5/01(日) 目が覚めると、5時。寝過ごした。片方のポールにしたストックが倒れたのか、ツエルトは半分つぶれている。
6時、出発。幸い風は止み、雨も小降りになっている。
8時、旧小島峠。20分程下ると、舗装道路に出る。ここには屋根付の休憩所や、地蔵さんのお籠もり堂がある。今回の山行は日程が2、3時間ずれている。新大阪を6時の新幹線に乗り、大歩危で初発のバスに乗っていれば、落合峠の避難小屋、小島峠と2泊ともツエルトを張らずに済んだのだが。
峠から2キロほどは、尾根伝いに山道もあるようだが稜線に沿った林道を歩く。林道の終点から尾根に這い上がり地形図の破線道を辿る。小島峠から塔丸まではガイドマップに登山道が書かれていないので、破線がない塔丸への直登がちょっと心配である。
破線道が終わり、塔丸への直登にかかる。下生えのない樹林帯の中の登りで歩きやすい。100mほど登ったところで広葉樹林の広い台地に出る。残念ながらまだ全く緑が見られないが、新緑や紅葉の頃にここにテントを張ってノンビリすれば素晴らしいだろう。さらに100m、針葉樹の中を登り、最後の100mは笹の中を登る。笹といっても、膝ぐらいの丈でその中をケモノ道らしい笹の薄いところを辿れば難なく塔丸の稜線に出る。
塔丸山頂まで行くかどうか躊躇するが、もう二度と来ることはないだろうと頂上までピストンする。塔丸は今回の縦走路に取り囲まれているヘソのような場所で正面に剣、次郎笈が見える展望の山である。あとは夫婦池で国道に出、見ノ越の民宿泊。
5/02(月) 5時出発。今日は今回の山行で最もポピュラーな部分、剣−三嶺縦走である。快晴、暑くなりそう。剣山頂、次郎笈のピークを踏んでなだらかな山稜を三嶺への道を辿る。白髪山分岐から見ると三嶺山腹には鹿の食害を防ぐフェンスが沢山見える。道端で休憩している若者と話をすると、ボランティアでフェンスを張りに登って来ているとのこと。こういうボランティアは大体高知県の人のようだ。
大学一年の夏、高校の同級生二人と初めて登った山が剣−三嶺縦走だった。当時はまだ見ノ越までの道路は出来てなく、穴吹から剣神社、一の越経由で登った。受験生のへなちょこな体では山頂まで行けず一の森で一泊し、次の日も三嶺へたどり着けず白髪避難小屋泊ったのだった。
三嶺直下の急登を終えると、頂上。避難小屋、3時。同宿は11人。そのうち3人は外国人だ。聞くと三嶺は秘境の山として外人さんの間では結構有名になっているらしい。水場までの下りが疲れた体にこたえる。
5/03(月) 女房殿の許しを得ているのは明日まで。明日は大阪に帰らねばならない。あわよくば梶が森まで行ければと思っていたがとても無理。第一、土佐矢筈山から西へ続く稜線に道があるかどうか判然としない。ネットで検索しても情報は皆無である。そんなわけで今回の縦走も土佐矢筈までだろうから、あまり急ぐ必要もない。今日の泊まりは矢筈峠あたりにしよう。
7時前、出発。今にも雨が来そうな空模様である。ミヤマクマザサとコメツツジの中の道を天狗峠に向かう。コメツツジは今は全くの枯れ木の状態だ。昨年8月に見た可愛い姿を思い出しながら歩く。お亀岩の避難小屋を見下ろす。軒下で登山者が2人朝飯を食べているだけでひっそりとしている。天狗峠。ここは昔、躄(いざり)峠といっていたのだが、いつの間にか名前が変わっている。正面の天狗塚は去年登ったので今回はパスする。
峠から綱附森への道はロープのついた急降下の道を辿る。途中で若い女性の登山者とすれ違う。光石から登ってきたとのことで、軽快に通り過ぎていった。下りきると広いなだらかな稜線が綱附森まで続いている。ノンビリと歩いてゆく。綱附森の最後の登りで道は笹ブッシュの中に消え、ケモノ道と錯綜している。少しの間、ブッシュと格闘していると、ポッカリと頂上三角点の刈り払われた空間に出る。
ここで大休止。昼飯を食べたり、薄日の中、寝ころんで少しまどろんだり。単独行だと、先へ先へと気が急いてあまりノンビリする時間がないのだが。
あとは、矢筈峠まで2時間少々なだらかな下り道だ。途中、アブラチャンの黄色い花や、タムシバの白い花が咲いていた。新緑はこの辺りの高度でもまだ始まったばかりだ。峠の近くで、赤土のむき出た斜面から水が流れ出し登山道の左右の谷に落ちて行っている。右は祖谷川、左は物部川へと行き分れだ。
3時、矢筈峠。シトシトと雨が降り出した。駐車場の脇の草地にあわててツエルトを張る。トイレの屋根の下も考えたがちょっと臭い。ツエルトのすぐ脇に枯れかけた花束が3つ置いてある。これはなんだろうな? 夕方、時々バイクや車の通行がある。一人で山を歩いていると、こういう他人が一番薄気味悪い。
5/04(火) 5時前出発。雨は止んで青空が見えている。土佐矢筈の登りは400m足らず。一時間半ほどで頂上。西方、遙か彼方に梶が森が見える。あそこまでは道がはっきりしていても二日はかかりそうだ。物部川には雲海が拡がっている。
小檜曽山から県境に沿って京柱峠までのはっきりとした道が出来ている。これを辿るのはあまりに愛想がないので、笹越への道をとることにする。こちらの方が道は大分細いが。
1,500mから1,400mへの下りの幅の広い尾根、人の背を越える笹のブッシュの中で踏み跡を見失う。どちらへ下ればよいのやら、笹が覆いかぶさっているのでバックは不可能である。笹を掻き分け懸命に踏み跡を探す。こんなところで迷っていては今日中に大阪へ帰れるかどうか。幸いGPSに山道の破線が標示されているので、それを頼りに踏み跡を探す。あった。身をかがめて踏み跡を辿ると、やがて笹越。ここから物部川の明賀への道はよさそうだがこちらへ下っては大阪までの道が長い。大豊町柚木へ下る。林道へ出て、トコトコと下っていると軽トラックに拾われ、集落まで。ここで次の軽トラックに乗り継いでR439のバス停まで送ってもらう。ほんと田舎の人は親切だ。ここから無料の町民バスで土讃線
今回の縦走は若いときの想い出もあり、変化に富んだ山道で久しぶりの面白い山旅でした。
GOOGLE MAP