山西省・西安の旅

 昨年、家内は娘と敦煌・西安のツアーに参加した。小生は休みが取れず参加できなかった。なかなか面白かったようだ。
 今年その続きの旅があるので、家内は参加したいというが娘は休暇が取れないようだ。小生に一緒に参加しようと言うが、見ると東大寺が主催する「聖地五台山と賢首大師1300年御遠忌記念巡拝」というツアーである。賢首大師なんて聞いたことがない、なんか抹香臭いなー。そもそも小生は東大寺とは何の関係もないし、仏教徒ですらない。内容を見ると雲崗石窟、五台山、平遥古城と山西省の世界遺産を三つも廻る。これを逃すとちょっと行くのが難しい場所だ。幸い休暇も何とかなる。参加しよう。
 
8月23日(木)
 参加者18名、一部の方は東大寺で旅行安全の祈願を済ませて来たとのことである。中には東大寺塔頭の住職(団長格)のほか数名の東大寺関係者が含まれている。添乗員はなかなかイケメンのEさんである。一行に首に掛ける袈裟、般若心経が配られる。そういえば数珠を持参するように案内書に書かれていたが、我が家は神道であるから持っていない。
 関空発でまず上海。上海では6時間待ちで大同には暗くなってから到着。大同市内のホテル泊。
 ガイドのO女史の話では、山西省は石炭の湖と呼ばれるほどで炭鉱が多く豊かな省だとのこと。山西省の北端に近い大同市は山西省第二の市で炭鉱が多いらしい。GPSを見ると、このあたりの標高は1000mぐらいである。

8月24日(金)
 朝食後、ホテルからすぐ近くの上下華厳寺に参拝する。遼代(907〜1125)の創建でなかなか壮大な寺院だが、現在僧侶は居らず政府管理の文化財となっている。建物も古い木造は一部であとはコンクリート製のようだ。上華厳寺の大雄宝殿(本堂)で一同般若心経を唱える。これは旅の終わりまで行く先々の寺で必ず行われ、仏教徒ではない小生にはちょっとしんどい時間となり時々はエスケープさせてもらった。
 寺の周囲の広大な敷地に清代風の建築群が新しく作られつつあり、ここにレストランや土産物屋を入れて一大観光地を作る目論見のようだ。
 次いで郊外の雲崗石窟に向かう。敦煌莫高窟、洛陽龍門石窟と並んで中国三大石窟に数えられ、世界遺産となっている。もろい砂岩の高さ数十メートルの岩壁に延々と石窟が掘られ、中に仏像が彫られている。ここは文句なしに素晴らしい。第5窟、第6窟、 などの石仏は見事であるが、長年の風雪に崩壊してお顔もさだかでない像も多い。残念なことに第9窟から第13窟までの美しい色彩の残っている五華洞とよばれる石窟は修復中で見られなかった。

 華厳寺  華厳寺外の新しい街  雲崗石窟(1)
     
 雲崗石窟(2) 拡大写真へ  雲崗石窟(3)  雲崗石窟(4) 拡大写真へ
     
 雲崗石窟(5)  雲崗石窟(6) 拡大写真へ  雲崗石窟(7)


 大同市内に戻り、昼食。中国ツアーの例に漏れず、昼食のボリュームは夕食と同じでありとても食べきれない。山盛りの白飯などはちょっと山が崩れる程度である。残飯はどうなるのだろう。大同の市街は黄土高原のまっただ中にあり絶えず黄砂に見舞われているのだろう、とても埃っぽい。
 午後、高速道路を南下して懸空寺に向かう。黄土高原と言えば半分砂漠のような土地と思っていたが、トウモロコシ畑が遙か彼方まで広がって豊かな農村地帯の風景である。このあたり年間雨量400mmらしいが、その程度でもこんなに農作物が豊かなのだ。
 遙か彼方に山岳地帯が見えてきて、バスはそちらに向かって走ってゆく。高速道路を下りると、恒山景勝区とある。恒山って確か五嶽の一つではなかったかな。ガイドさんに確かめると、五岳の一つ、北岳だとのこと。初めての五岳、感無量である。登ってみたいが、上にあるのは道教の寺院ばかりで、このツアーでは関係ない。
 やがて、正面に高さ数百メートルはあろうかという茶褐色の巨大な岩壁が迫ってくる。その岩壁に、ちょうど額に入った絵のように平面的にお寺がへばり付いている。なるほど懸空寺の名前がぴったりの光景だ。写真で見た山陰の三徳山投入堂に似ているが、もっと迫力がある。寺があるのは岩壁の下の方だ。もう一段上にあったら更に壮観なのに、と思うのは欲張りか。        
 狭い階段を上って、寺院内を一周する。眼下の景色も絶景である。
 懸空寺から西に走って、応県というところにある木塔を見る。950年前に建てられた67mの木造の塔で、世界最大とのことである。以前は上まで登れたらしいが、今は2階まで、それも今回は工事中でダメ。
 午後もだいぶ遅くなって、これから今日の宿泊地、五台山へ向かう。五台山麓まで一山、峠を越える。片側一車線の山道を、石炭を山積みした巨大なトラックの行列が続く。北京へ石炭を運んでいるのだろう。のろのろとあえぎながら登るトラックを我らがバスは隙を見つけては次々と追い抜いてゆく。大渋滞のトラックの行列と別れ、すっかり暮れた山道を五台山へと登ってゆき2400mの峠を越え、下ってゆくと五台山の街に到着する。名ばかりの五つ星ホテルに投宿、遅い夕食を摂る。

     
 懸空寺周辺の山容 拡大写真へ  懸空寺 拡大写真へ  懸空寺
     
 懸空寺  北岳・恒山 拡大写真へ  黄土高原の田園風景 拡大写真へ
     
 木塔  峠越えの石炭運搬車 拡大写真へ  五台山への道中


 山西省は有名な汾酒が作られているところだ。「飲まなくちゃ」と一瓶注文する。飲んでみると、昔の記憶にあるほどのこくと香がない。ラベルを見ると43度、以前は確か50度を超えていた。だいぶ薄めてあるのだ。中国も豊かになって有名な酒は高価となり、我々の口に入る程度の白酒は質のよくないものなのかもしれない。茅台酒などは今はとても我々の口には入らない。
      
8月25日(土)
 今日は一日五台山の寺回りをする。五台山と言えば、文殊菩薩の聖地として昔から有名なところで、今も50を越える寺院があり多くの僧侶が聖山を護っている。若いとき読んだ(今は全く覚えていないが)円仁の「入唐求法巡礼行記」は五台山へ修行に来たときの大旅行記である。
 五つの3000mを越える峰々で囲まれた山域は大阪府よりも大きいそうな。五台山の中央にあたる黛螺頂にリフトで登ると、周りは今まで見てきた山西省の風景とは異なり深い緑に覆われている。遙かに見える中台、北台の山頂には寺院だろうか建物が見える。眼下の谷沿いには多くの寺と街が集まっている。中央に五台山のシンボルとも言うべき白亜の塔が聳えている。ここで標高はーーーmであり、草むらにはマツムシソウや吾亦紅などの高山植物が咲いている。
 あとは街に下りて、五つ六つ、寺参りである。まあどこの寺も似たような物である。ここは北京からバスで5時間ほど、週末とあってひどい混雑である。若者たちが線香を捧げて熱心にお祈りしている。坊さん、尼さんも沢山いる。共産主義とは無縁の世界に見える。ラマ教の坊さんだろうか、五体投地でお参りしている。赤黒く日焼けしているのを見ると、遠くから旅してきたのかな?

     
 中台(だったかな?)山頂を望む 拡大写真へ  黛螺頂より街を見下ろす 拡大写真へ 黛螺頂のラマ教寺院 
     
 吾亦紅 拡大写真へ  野菊と吾亦紅 拡大写真へ  碧山寺の宿坊
     
 菩薩頂の人混み  菩薩頂から下る階段  寺の屋根瓦 拡大写真へ
     
 寺の屋根瓦 拡大写真へ  灯籠の獅子  五体投地の巡礼僧


8月26日(日)
 今日は平遥までの長い移動となる。ホテルを早朝に出発する。
 五台山を下った片田舎にある仏光寺に立ち寄る。五台山内にある寺とは異なり、俗塵から離れたひっそりとした佇まいの寺である。僧侶はいなくて政府管理になっているが、唐代に再建され千年以上経った木造のお堂(東大殿)、中の壁画、仏像は素晴らしい。庭に植えられたなんと言うことのない花々さえ、奥ゆかしさが感じられる。

     
 仏光寺東大殿 拡大写真へ  東大殿の天井  東大殿前の花壇 拡大写真へ


 高速道路を南下して昼前に山西省の省都・太原に到着する。ここは春秋時代の大国・晋の都であり、晋祠、博物館などの見どころもあるが、我々はひたすら寺参りである。崇善寺(西国札所の寺の雰囲気)、双塔寺とそそくさと参り、更に南下する。高速道路を外れ、山中に入り玄中寺へ向かう。道路脇では車を止めて、長さ5センチぐらいある大きな棗を売っている。これも山西省の名物のようだ。

     
 車窓風景 拡大写真へ  車窓風景 拡大写真へ  崇善寺
     
 双塔寺 拡大写真へ  玄中寺  ナツメを売る


 玄中寺は浄土宗発祥の地で、日本の浄土宗信者のお参りも多いようだ。
 薄暮くなって、平遥到着。ホテルに入る前に郊外にある鎮国寺に参る。平遥古城とともに世界遺産になっているところで、素晴らしいところだ。夕暮れで人影もなく空にはただカササギが飛んでいるのみである。
 本当は撮影禁止だろうが、ガイドは誰もいないからフラッシュを焚かないならOKと言う。最近のカメラは感度が素晴らしく上がっていて、ほの暗い中でも十分綺麗に撮影できる。夕陽が美しい。

       
 鎮国寺 拡大写真へ  本尊  仁王像 拡大写真へ  カササギ



8月27日(月)
 今日は平遥古城を見物する。これがこの旅で唯一の仏さんと関係ない観光だ。完璧に残っている城壁に登ると城内の古い姿を残した町並みの屋根が美しい。県衙(市役所)、銀行(平遥は清時代、銀行発祥の地)などを見学する。あとは一時間ほど町中をぶらぶらする。本当は一日掛けてゆっくりしたい町なのだが。

     
 平遥城門 拡大写真へ  県衙(市役所)  市楼
     
 市楼寄りの眺め 拡大写真へ  街の商店街 拡大写真へ  街の商店街 拡大写真へ
     
 銀行内部の展示  街の土産物店街の商店街 拡大写真へ 切り紙の飾り 


 郊外にあるもう一つの世界遺産の寺、双林寺に行く。ここも宋代以降の素晴らしい彩色塑像の仏像が並ぶ寺だ。
 太原まで引き返し、空路西安へ。夕方、市内の五つ星ホテル、豪華美居人民大廈へ。これは正真正銘の五つ星だ。ソビエトの協力で作られたとか、バスタブなども巨大で日本人なら二人並んで入れる。

       
 双林寺 双林寺 拡大写真へ  仁王像  観音像 拡大写真へ


8月28日(火)
 今日は東大寺管長率いるグループと合流して40人の大グループとなり、西安郊外の寺を巡拝する。今年は華厳宗第三祖・賢首大師没後1300年とかで、このツアーが計画されたらしい。この大師の弟子で新羅の僧・審祥によって日本に華厳宗が伝えられたので、特にご縁が深く感じられるようだ。
 添乗さんはトイレ問題で頭が痛そう。なにせ30人近い女性群なので、小さなトイレだとトイレ休憩に1時間以上かかりそうだ。
 今日訪ねる寺はみんな西安の南にある。まず草堂寺。ここはクチャの僧侶・クマラジューが仏典の翻訳をされたところとして有名だそうな。
 次いで至相寺。南方に連なる山脈に向かってすすむ。これが秦嶺山脈の連なりの終南山だ。唐の詩人・王維の別荘があったし、唐代貴族の墓地があった。終南山が見られるとはちょっと感激する。小型乗用車に分乗して、終南山の山間に入ってゆく。華厳宗発祥の寺は廃絶し、最近になってこの寺が再建されたらしい。現在は禅宗の寺で、若い僧が住職の下で修行していた。
 興教寺。ここには玄奘三蔵の仏舎利塔がある。法相宗発祥の寺らしい。「蒼穹の昴」にも登場する康有為の書になる題額がある。気迫のこもった立派な書だ。
 華厳寺。岡の中腹にある寺まで赤土の山道を10分ほど登る。昨年来たときは雨上がりのぬかるみで大変だったらしいが、今年はよく乾いていて歩きやすい。華厳宗初祖、第四祖の塔がある。寺は一時廃絶していたようだが、近年再建され若い住職が守ってるようである。

     
 草堂寺 鳩摩羅什の舎利塔 拡大写真へ 車窓からの終南山 拡大写真へ  至相寺 勉強中の僧侶 
     
 興教寺  興教寺 玄奘三蔵の塔  華厳寺 拡大写真へ


 ホテルレストランでのツアー最後の夕食。今までの料理は何だったんだと思わせる豪華な夕食である。ワインも飲み放題。最後に盛り上げて旅に印象をよくしようとは、ツアー会社も考えている。

8月29日(水)
 西安城外の小雁塔がツアー最後の見学地である。ここはもと大薦福寺といって、この旅のメインテーマである賢首大師が住していた寺で、長安における華厳の聖地で会ったらしい。現在は公園となって塔が残るのみである。公園内では市民のグループが太極拳やらボールを使った体操やらで賑やかである。
 空港までの途中、黄河第一の支流・渭水を渡る。王維の詩にある渭城はこの川の畔にあったのだろうな。

     
 小雁塔  朝の体操  渭水を渡る


 飛行機は秦嶺山脈の端っこを越えて上海へ向かう。目を皿のようにして眼下の山並みを眺める。パンダが見えるわけはないが。

 これでおしまい。今回の旅は山西省の世界遺産が三つも見られるというのに惹かれて参加したが、歩くところはほとんど無く、自然の景観もあまり印象深いところはなかった。ひたすら仏臭い旅でした。