インド・シッキム カンチェンジュンガ展望の旅

 例年、3月終わりから4月初めにかけて、長期休暇が取れる時期がやってきた。昨年はアイルランドサイクリングをやったが今年はどこへゆこうか? 今年は家内と一緒でないと機嫌を損ねるだろうな? ベトナムやイタリアで適当なのがあったがどうも希望者が少ないようで催行されそうにない。
 山では上記「カンチェンジュンガ展望の旅」が見つかったが、一昨年行った「アンナプルナ・ダウラギリ展望の旅」よりは大分きつそうである。到達標高も4,300mと1,000mも高い。「これはどう?」 「ダメ、自信ない。」 「じゃあ、どうするの?」 「あなた、行きたいのなら、一人で行ったら。」と、いうことで一人で参加することとなった。

4/3 成田に集合したのは男性5名、女性6名の合計11名である。少し若そうな夫婦(といっても50代?)を除くと、他は65〜70歳とほぼ同年代の個人参加のようである。ニューデリーまで約9時間のフライト。空港から大して離れていないところの、あまり上等ではなさそうなホテルに投宿する。

4/4 今日はダージリンに向かうが、麓のバグドグラまでのフライト第一便が昼過ぎとのことでゆっくりする。約1,500km、2時間弱の飛行で田舎の空港バグドグラに到着する。ここから3台の四駆SUVに分乗して、90km先のダージリンまで山道を標高差1,700mほど駆け上がる。田舎町といえどインドの喧噪は酷い。交通ルールはあってもないようで、人混み、対向車の隙を縫うように突っ込んでゆく。郊外に抜けるとヘアピンカーブの狭い道を一気に駆け上がって高度を稼ぎ、あとは山腹を縫って一路ダージリンに向かう。道路沿いには結構集落が多い。正にダージリン街道という感じだ。道路に沿って線路が走っている。これが世界遺産となっているダージリン・ヒマラヤ鉄道だ。晴れてはいるのだが、雨期前のこの時期だからなのか、モヤか砂塵か煙っていて遠くまで見晴らせない。やがて、落日。車は暗くなった街道をダージリンへと急ぐ。
 やがてダージリンの灯が見えてきた。人口10万ほどの町らしい。
 街中の狭い道を抜けて、急な坂を登るとホテルである。

     
ダージリンへと急坂を登ってゆく  ダージリン・ヒマラヤ鉄道の駅   線路
     
 日没 路傍の茶を売る店   ダージリン夜景


4/5 今日は1日ダージリン観光である。
 朝3時起きで十数キロ離れた郊外の岡、タイガーヒルに向かう。車が岡に着くとすでに数百人の人で展望台はギッシリである。インド人もご来迎に興味があるんだ。何とか欄干にカメラを乗せて日の出を待つ。やがて日の出。日の出自体はどこで見てもたいした違いはない。北の方に霞の中、うっすらと白い山影が浮かび上がる。カンチェンジュンガ山群だ。ここはカンチェンジュンガが展望できる場所として有名なのだ。ポストモンスーンの澄み切った空気の頃なら素晴らしいだろうな。

     
 タイガーヒル山頂 日の出  カンチェンジュンガ山群 


 朝食後はまずダージリンティーの茶園見学。エッ、ここ下るの? 急な路地裏の小道をくねくねと下ると茶園に出る。町から一番近い茶園のようだ。谷の下の方にはずっと茶畑が連なっている。十数名の女性がファーストフラッシュ(一番摘み)の茶葉を手で摘んでいる。一日の手間賃は100ルピー(200円)とのこと。ダージリンの茶の木はイギリス人が中国から移したものとのことだが、日本のものより葉っぱが大きいような気がする。工場見学。工場といってもバラックの中に熱風乾燥の大きな扇風機が数台あるだけだ。茶葉を摘んで、乾燥と発酵の過程を経て製品になるまでたった24時間とのこと。
 次いで動物園と登山学校。時間がないので動物園では目玉の雪豹、レッサーパンダなどのほ乳類だけを見る。登山学校はエベレスト初登頂を成し遂げ一躍有名になったテンジン・ノルゲがこの地に移り住んで開いたもので、展示館で古い登山用具などを見学する。

     
 ダージリンの町 茶摘み風景  茶摘みの女性 
     
 ユキヒョウ レッサーパンダ  テンジン・ノルゲ 


 昼食後はダージリン・ヒマラヤ鉄道(トイ・トレイン)に乗る。駅に行くと汽車は一時間遅れるとのことで、それまで町のバザールを散歩する。通りに並ぶ小さな店はほとんどが食料や日用品を売る店である。観光客といってもバックパッカー程度であるから、土産物ではあまり商売にはならないだろう。
 駅に戻ると、おもちゃのような蒸気機関車に引っ張られた列車が入ってきた。この鉄道は線路幅60センチほどの狭軌で、ダージリンと山の下の町を結んで、お茶や避暑の客を運ぶために作られた90kmほどの鉄道である。今はダージリンからグームまで片道8kmほどの間を往復するだけの観光列車と化していて、あとの部分は廃線となっているようである。街道に沿ってバラックのような民家の間を時速10キロほどでガタゴトと走る。煤煙がひどい。景色がいいわけでもなく、まあ、乗ったというだけのものである。帰りは車で帰る。下の町からあの急坂をスイッチバックとループを繰り返しながら7、8時間掛けて乗り通したのなら値打ちはあっただろうが、今は走っているのを写真に撮るだけで十分だ。

     
 バザール  八百屋  魚屋
     
 ダージリン駅  途中の公園で休憩  グーム駅


 最後に町でダージリン・ティーを試飲して、土産の茶を買って今日の予定は終了。
 ダージリンは結構有名な町なので観光客が一杯集まっているところと思っていたが、訪れるのはバックパッカー程度の客である。観光バスが入ってこられないような今のインフラ状態では客は呼べない。

4/6 今日はカンチェンジュンガ展望の登山口であるヨクサムまでの移動日である。トヨタの四駆4台に分乗して出発する。
 トイ・トレインの下車駅、グームで街道と別れ、タイガーヒルの山腹を東へと走る。車の通行量はグッと減って、路面はよくないが新緑の中の快適なドライブとなる。
 タイガーヒルの谷にはタンクを積んだトラックが小さな流れから水を汲んでいる。ダージリンに売りに行くらしい。一杯1,000ルピー(2,000円)ぐらいらしい。
 やがて、道は急降下して川筋にでる。ダージリンの標高2,000mから、この辺りで標高は300mまで下っている。橋を渡ると西ベンガル州とシッキム州の境である。シッキム州は以前はシッキム王国として独立していたが、近年インドが併合したため紛争がおこったりしたためか、ここで入境の許可が必要なようだ。パスポートにスタンプが押される。

     
路傍風景 (杉の植林とダルシン) 路傍風景 (茶畑)  路傍風景 (狭い道を行く我らがキャラバン) 
     
 路傍風景 (子供たち) 路傍風景 (露店)   シッキム州に入る


 少しティースタ川をさかのぼり、支流に入り渓谷沿いに上流へと進んで行く。川沿いから見上げるような山の中腹まで田畑が開かれており、民家が点在している。小生の故郷、四国の祖谷地方に似ている。やがて、道はヘアピンカーブを繰り返しながら山腹を駆け上がる。
 ペマヤンツェ僧院。シッキムの重要なチベット仏教寺院とのこと。60名ほどの僧侶が修行している。三層の本堂の中を見学する。三階にある大きな木造の立体曼荼羅がこの寺の目玉でこれを見るために参詣者が訪れるらしい。庭から昔の王国の宮殿跡が望める。すぐ近くのペリンの町(標高2,000m)で昼食。この町には先ほどの寺院参詣者のためにかホテルがどんどん建築中である。
 道はまた降下して渓谷沿いに走ること2時間半で目的地のヨクサムに到着した。標高1,785mで、シッキム王国の最初の都がおかれたところであるが、今は小さな村落で当時の面影は何も残っていないようである。数百メートル下の渓谷に突き出した小さな尾根の平坦な場所に開かれた、ほんとに山奥のドンズマリの平家の落ち武者部落のような土地である。まあ、ここだったら攻めてくる敵はいないだろう。今はカンチェンジュンガ国立公園の入り口の村として、トレッカーが集まっている。

     
 山腹の集落 ペマヤンツェ僧院 シッキム王国宮殿遺跡 
     
 ヨクサムのチョルテン ヨクサムの集落  ラマ教寺院 



4/7 今日からいよいよトレッキングの始まりである。山で使う寝具、衣料などをダッフルバッグに詰めて運搬隊に託し、自らは小さいザックに手回り品をいれて出発する。一行はツアーリーダー、参加者11名、シェルパ2名、チーフコック、コック手伝い・キッチンボーイ5名、ポーター(疲労した参加者の荷物を持ってくれる)2名、ゾッキョ(ヤクと雌牛の掛け合わせ)使い5名、馬使い2名、ゾッキョ15頭、馬5頭である。
 国立公園入り口でパスポートにスタンプを押してもらい公園に入る。ここからはラトン・チュの渓谷を遙か下に眺めながら急峻な山腹に付けられた道を延々と辿って行く。ネパールのエベレスト街道のような住民の生活道路ではなく、トレッキングの為の山道だからそれほど広くはないが、荷物を積んだ牛馬が行きかうだけの広さはあり、歩くのには困難はない。周りは亜熱帯雨林で木々が鬱蒼と茂っている。ネパール・ヒマラヤは古くから人が住み樹木が切り尽くされたが、この辺りは人口密度が低く手つかずの自然林と思われる。
 昼食は先行した馬隊がテーブルをセットして、暖かいものを調理して出してくれる。十分に時間を掛けてゆっくり食事を楽しむ。

     
ホテルを出発   ヨクサムの公園 村の通り 
     
イケメンのゾッキョ  木挽き   カンチェンジュンガ国立公園事務所
     
トレッキングの一行   眼下の渓谷 満開のシャクナゲ 
     
 吊り橋 荷駄隊  昼食準備のキッチンボーイ 


 昼食後、しばらく歩くといよいよ尾根の登りとなる。2,200mから2,900mまでの直登である。シェルパの「ビスターレ、ビスターレ(ゆっくり、ゆっくり)」の声に従って、一歩一歩樹林帯の中の道を登って行く。大きなシャクナゲの木が深紅の花を一杯に着けている。遙か樹上に真っ白な木蓮の花も開いている。木の幹には美しい着生蘭、プリムラのピンクの花が岩陰に咲いている。これらの花々は一昨年歩いたネパール西部と基本的には同じもののように見える。
 やっと、今日のテントサイト、ツォカに到着する。もうすでに我々のテントが張られており、お茶のもてなしが迎えてくれる。見上げると雪を頂いたパンディム、テンジン・カンの連峰が聳えている。ツォカは以前は数戸の農家が牧畜を営んで居住していたが、国立公園となった時に政府の指導で離村してヨクサムに下りたそうだ。今はラマ教の寺と数戸の建物が残っていて、一部はトレッカーの宿泊ロッジとなっている。

     
 最後の橋を越えて尾根の登りとなる  着生蘭をつけた木 着生蘭 
     
プリムラ   シャクナゲ シャクナゲ 
     
 バッキム近く バッキム近く  バッキムのロッジ 
     
 シャクナゲ 白いシャクナゲ   木蓮


 テントは個人参加の小生には昔風の6人用屋根型テント一棟が与えられる。
 隣のテントの数人に話しかけられる。カルカッタから来た若者たちだ。こちらは日本から来た70歳台のグループだというと驚いていた。

4/8 キャンプサイトを出発すると、シャクナゲの花の下、急な坂を登りだす。今日は4,050mのゾングリまで登る。シャクナゲも深紅の花のほか、ピンク、白(まだ蕾)が現れる。五月になると黄色の花も咲くそうだ。
 この辺りには幹に苔をつけた巨木が林立して、雨林帯の様相を呈している。サイクローンもこの辺りまではやってこないのだろうか、見上げるように成長している。シルバー・ファー・ツリー(モミの木?)と呼ぶとのこと。葉裏が銀色に光るのだろう。幽邃な雰囲気の中を歩いて行く。
 ビスタ−レ、ビスタ−レ。深呼吸をしながら一歩一歩ゆっくりと登る。
 4,000m近くになると樹林帯を抜け、尾根筋のなだらかな道となる。風が何かよい香りを運んでくる。お香の材料となる灌木が生えているとのこと。一時間ほどでゾングリに着く。ゾングリには数戸の建物があり、小さいながら売店もある。一戸はロッジになっているようである。

     
 朝のパンディム(左端)とテンジン・カン  ゾッキョ  出発前のテントサイト
     
 ツォカを見下ろす  シャクナゲの下を進む(拡大写真へ) ピンクのシャクナゲ 
     
 繚乱(拡大写真へ)  樹林帯を進む  シルバー・ファー・ツリー(拡大写真へ)
     
(拡大写真へ)  樹林帯を抜ける  ゾングリの売店 


 我々のテントサイトはさらに30分も歩いた高原の上にあり、素晴らしい場所である。小さな岡の上には数個のチョルテン(仏塔)が建っており、その上にパンディム、テンジン・カンが白く聳えている。今は使われていない石造りの放牧小屋が風情を添えている。

     
 放牧小屋  キャンプサイト(拡大写真へ)  パンディム(拡大写真へ)


 夕方になり濃霧が立ちこめてくるが、シェルパは明日は100%晴れると保証してくれる。
 夜、5回も小便に起きる。ツアーリーダーの高山病を避けるために水分を1日最低2リットルは摂れとの指導でどうも水分を取り過ぎたようだ。空を見上げると満天の星だ。

4/9 3時半に起き出して、キャンプサイト近くの岡に登る。小山だが1時間ほどもかかって、頂上に到着する。ここで日の出を待つ。幸い無風で寒くはない。
 やがて、北の方の峰々に日が当たり、白く輝き出す。次いで、東の稜線に糸のように細い三日月が上がり、続いて太陽が昇ってくる。東、北、西と半円状に峰々が浮かび上がってくる。
 北方正面、カブルーの稜線越えに聳えているのがカンチェンジュンガ(8,598m)だ。この山見たさにここまで登ってきたのだ。更に2、3日かけて北に進みGocha峠(5,000m)まで登れば素晴らしい姿が眼前に広がるのだろうが、ここからではまだ20kmも先だ。それと季節柄、大気が清澄でない。少し霞がかかっている。
 カンチェンジュンガを隠すように左に聳えているのが前衛のカブルー(7,300m)、ラトン。更に西の方にはコクタンからインド・ネパール国境の山々。逆に東にはパンディム、テンジン・カンが連なっている。怪峰、ジャヌーはカブルーに遮られてここからは見えない。この素晴らしい大展望を心ゆくまで楽しむ。

   
月の出  カブルー、カンチェンジュンガ(拡大写真へ)  カンチェンジュンガ(拡大写真へ) 
     
日の出を待つ  日の出  西方、ネパール国境の山々 
     
カブルー (拡大写真へ) コクタン(拡大写真へ)  眼下のキャンプサイト 
 
 


 朝食後、テントサイトから北にあるゾングリ峠(4,300m)まで散歩する。なだらかな登りだが、息が切れ、動悸が激しくなる。深呼吸を続けながら、一歩一歩登ってゆく。谷間に一羽の綺麗な色彩のキジのような鳥が滑空して茂みに消えた。続いて少し地味な色の同型の鳥が続いて滑空していった。数年前、エベレスト街道のナムチェバザール近くで見たネパールの国鳥、ダフェ(帝王キジ)のつがいだ。今回もカメラが間に合わなかった。残念。
 息絶え絶えに峠に到着する。峠の向こうにカブルー山群が聳え立つ。深いギャップを挟んで、左にはコクタン。見とれている内に雲が上がってきて、真っ白になる。

     
 ゾングリ峠への登り ゾングリ峠  右からカブルー、ラトン、コクタン (拡大写真へ)
     
 ラトンの氷壁(拡大写真へ)  峠から下る 小さなリンドウ 


 午後はテントサイトも霧に包まれて、少しテントを離れると迷子になりそうだ。一同、お茶を飲みながらの憩いの半日。

4/10 今日から下山だ。来たときとは少しコースを変えて、昨日登った岡を捲いて降ってゆく。とちゅう、山々と最後の別れ。カンチェンジュンガは雲の中だ。
 もう高度にも慣れ、のんびりと降れる。途中、タイの若者グループや、何組かのヨーロッパ人とすれ違う。みんな若い。日本人もあれぐらいの年齢でゆっくり長いバカンスがとれればよいのだが。
 登りで泊まったツォカに午後早く到着する。
 少し散歩をしていると、雷が鳴り出し、雹が降ってきた。直径5ミリぐらいか。あわててテントにもぐり込むが、雹はテントを破るかと思われるぐらい激しく打ち付ける。そのうち、いくつかのテントで雨漏りがし出したようで、傍にあるロッジに避難するように指示が出る。今晩は男女に分かれて山小屋で寝る。激しい雨は夜まで続いた。

     
 草原の朝食 下山開始  のんびりと下る 
     
 チョルテン(拡大写真へ)  カンチェンジュンガは雲の中(拡大写真へ)  パンディムとGocha峠へ登る谷(拡大写真へ)
 
山に別れを告げる 
     
 半野生化したヤク  霧の中のシャクナゲ(拡大写真へ) またまたシャクナゲ (拡大写真へ)
     
 天候が悪化(拡大写真へ)  ツォカの到着 雹が降ってきた 



4/11 一夜明ければ、快晴である。
 しかし、まわりの花々は雹に打たれて無残なことになっている。特に高木の木蓮は雹を防ぐ葉が出ていないので、ダメージが酷いようだ。
 帰りの道は来たときと同じなので、書かない。ただ、ヨクサムまで淡々と歩くのみである。
 ヨクサムでホテルに残しておいた荷物を積んで、SUVで今日の泊まりのペリンに向かう。これも来た道を帰るだけであるが、結構長い。
 ペリンのホテルでシャワーを浴びて汗を流す。
 ここの夕食でトンバ(雑穀の発酵させたものを湯で抽出するアルコール飲料)が出た。一昨年のアンナプルナ・ダウラギリのツアーでゴレパニで飲んで以来である。皆さん口に合わないとほとんど飲まなかったが、小生はそれほど違和感なく全部飲んだ。まあ、大して旨いと感じるほどのものではなく、また酔えるほどアルコール度も高くはないが。シェルパに聴くと彼らもほとんど飲まないとのこと。まあ、お祭りの儀式で飲むぐらいらしい。

4/12 今日はでデリーまで帰る。
 シッキム・西ベンガル州境までは来た道を引き返す。長い悪路であるが書くことはない。 州境を越えると、ダージリンの方へは向かわず、ティースタ川に沿って下流へと下ってゆく。シッキム州への出入のメインロードのようで大型のトラックの通行が多い。また工事中の区間も多く、大変な渋滞である。
 ティースタ川はガンジスの支流の支流ぐらいになるのだろうが、乾期の今でさえ日本人の感覚からいうと大河である。山峡を流れて、やがて平原に出る。この辺りの広大な樹林帯はマハナンダ自然保護区というらしく、ゾウやジャガーなどもいるとのこと。ちょっと森の中を散歩してみたが、もちろんコブラもいるのだろうな。ネットでサーチしてみると、2006年に村人5人を殺したゾウがここに放されたとの記事が見つかった。
 やがて、シリグリの町の混沌とした交通を通り抜けてやっとバグドグラの空港に到着した。

     
 砂塵を被っての走行 山間を流れるティースタ川   路傍のサル
 
平原に出たティースタ川 (マナハンダ自然保護区)
     
 ティースタ川  マナハンダ自然保護区 シリグリの町 


 次の日の半日デリー観光もあるが、今回の旅行記はここまでにしよう。