紀伊半島迷走サイクリング −紀伊半島も寒かった−
例年、春の彼岸の頃は残雪期の山に入り2、3日テント泊をするのであるが、今年は北の方は天候が悪く吹雪で何も見えない恐れがあった。
じゃあ今年は紀伊半島サイクリングだ。ネットでいろいろ調べていると、大台町の宮川上流から尾鷲に抜ける水呑峠が通れるらしい。廃道になっていると聞いていたのだが何時からか開通しているらしい。ではこれを通ろう。それと西の方では以前から気になっていた将軍川林道を通りたい。間はどうする。尾鷲から熊野の間は昔通ったリアス式海岸を再び走ろう。瀞峡も走ってみたいな。それから古座川支流・小川の名勝・滝ノ拝も見てみたい。というわけでクニャクニャしているが自然とコースが決まった。
3/22 近鉄榛原駅まで輪行。ここから南下して菟田野に入り宇多水分神社で旅の無事を祈る。近くに印傳の店がある。印傳は甲州が本場かと思っていたがここのは奈良印傳というらしい。財布など心惹かれる品があったがなかなかの値段と旅の途中と云うことでまた改めて来よう。
R166を辿り新木津トンネルを抜けると前方に高見山が聳えている。前登志夫の歌碑「朴の花 たかだかと咲く まひるまを みなかみにさびし 高見の山は」の下で自転車を停め眺めを楽しむ。
次は高見峠越えだ。当然、旧峠越えだと登り出すと、残念通行止め。内心ホッとしながらトンネルに入る。無理をすれば押し通ることは出来るかも知れないが、まだ旅のはじめ。先を急ごう。
走り慣れた櫛田川沿いの道を快調に下る。飯高町宮本でR422に入る。もう、午後2時だ。路傍のスーパーで今夜の食料と酒を買う。
宇多水分神社 | 前登志夫の歌碑 | 高見山 |
高見峠旧峠の通行止め | 春たけなわ サンシュユかな? | 櫛田川 |
小さな峠を越えると宮川流域の栗谷川に入る。太陽寺というなにやら由緒ありげな寺に立ち寄る。長閑な田舎の景色である。宮川本流に出て上流に向かう。R422は仙千代ヶ峰に分断されているため、県道53に入りしばらく進むと宮川ダムが見えてくる。この先、水呑峠は通行止めとの標識が出ている。ここまで登ってきてそれはないでしょう。自転車は大丈夫と高をくくって進む。ダム湖畔の大杉集落はほとんど無人のようでひっそりとしている。もう5時だ。もう少し進んでテントを張ろう。
大杉谷登山口への新大杉橋を過ぎてしばらく進むと建物が見えてきた。テントを張るに丁度いい広場がある。キャンプ禁止の標識が出ているが、それはオートキャンプのような盛大な宴会をやるキャンプのこと。ひっそりと一人用のテントを張るのは大目に見てもらおう。建物は林業の作業小屋で倒壊寸前だ。
静かな一夜。夜中に雨の音。
櫛田川から宮川へ 海谷トンネル | 峠の不動さん | 大陽寺 |
宮川 | 宮川ダム | 大杉部落 |
大杉部落の桜草 | テントサイト | 倒壊寸前の小屋 |
3/23 6時半出発。ウウ、寒。あんまり防寒具を持ってきてない。手袋も指先のないやつだ。綺麗な舗装路を300mほど登ると水呑峠のトンネルに着く。標高650m。途中大した工事場所はなく、車でも問題なく通れる。峠は雪がチラホラ舞っている。ここからは600mの大下りだ。指先が痺れる。県道53は船津でR43に突き当たる。国道沿いのコンビニでにぎりめしとスープの朝食、人心地がつく。
R43も高速道路が出来て交通量が減っているようで、快調に走れる。尾鷲トンネルを抜けると尾鷲の町だ。尾鷲から九鬼までは海側の山道を越えよう。県道778というらしい。2二十数年前サイクリングを始めた頃、初めての長距離サイクリングでここをヒイヒイいいながらここを越えた。今でもはっきり覚えている。350mの登りは相変わらず苦しい。下れば、九鬼の集落。戦国時代、九鬼水軍の本拠地だ。九鬼神社の社叢をちょっと見て、R311を熊野まで辿る。三木里から賀田、曽根から先は以前通ったときは道がなく自転車を担いで山道を甫母町まで峠越えをしたが、今は立派なトンネルが抜けている。後は淡々と国道を辿って夕方熊野市街に入る。
今日は旨い寿司でも食べたいな。ビジネスホテルに入る。
水呑峠への道 | 水呑峠 | 県道の標識 |
尾鷲神社のクスの木 | 尾鷲港 | 県道778を行く |
県道778の眺め | 九鬼集落 | 九鬼神社 |
熊野灘 | 新鹿海岸 | 熊野市の海岸 |
3/24 6時出発。井戸川を遡る県道34を北山川七色ダムを目指す。峠の新大峪トンネルまで400mの登りである。ここもトンネルの手前で通行止めだ。朝早いので誰もいないが、かなり厳重な柵がしてある。ヨイショと柵を動かして通らせてもらう。新しいトンネルの上に旧道があるようだ。通ってみたいが今回は先を急ぐ。坂を下ると七色ダムに出る。この辺りは那智の黒石の産地とのこと。ここからはR169を取り北山川沿いに下る。坦々とした道、眼下の北山川の清流、気持ちよく走る。この辺り、五十年前、まだ車道のない頃に歩いたことは「山の思い出−初めての単独行」に書いた。また、小松の下、筏下りの終点から新宮まではカヤックで下ったことも懐かしい思い出だ。
県道34の通行止め | 神上部落 | 那智黒の石碑 |
七色ダム | ダム下流 | 奧瀞の流れ |
北山川 | 百夜月の一軒家 | 熊野川との合流点近し |
ジェット船の終点、田戸への道を分けると道路の改修工事が進む国道の横、旧道をアップダウンを繰り返しながら下ってゆく。対岸に道路のない一軒家の地、百夜月を見るともうすぐ北山川は十津川と合流する。少し熊野川を下ると志古のジェット船乗り場だ。丁度12時。ここで昼食を取り、今夜の食料と酒を仕入れる。ここから先は全くの山中で店はないだろう。
志古からちょっと下った日足で県道44をとり熊野川支流の赤木川、更にその支流小口川へと入ってゆく。途中鎌塚から道は小口川から離れ山中へとは行ってゆく。この辺り、小口川は清閑瀞と呼ばれる渓谷を形成し道は作れないようだ。押して登りたいような急登だ。思い出した。以前、那智からこの道を反対に走ったことがあった。その時、ここは登りには使いたくないと思ったのだった。
山を越えると小口川源流の瀧本へと下る。郵便配達のバイクとすれ違う。この山奥まで配達とは本当にご苦労さんだ。瀧本は小口川源流の平坦地に開けた集落で、まさに桃源郷といった風情だが今は限界集落で人の住んでいるのは十戸もない様子である。
瀧本からは約350mのよく整備された道を登り、宝泉岳を越えて古座川支流小川の流域に入る。道はとたんに悪くなり、舗装は剥がれ水たまりの中を走る。鬱蒼とした杉林なかの陰気な道だ。しかし、山腹を縫う道は上り下りの少ない平坦な道だ。篭という集落で県道43に入り杉の葉と小石の悪路を小川へと下ってゆく。道は下るにつれてよくなり、最奥の集落、田川に着く。午後6時、小学校跡がある。キャンプ最適地だ。
瀧本集落 | 篭集落 | 小川への道 |
3/25 昨夜は冷え込んだ。テントの水滴が凍っている。
小川沿いのなだらかな道を9km程下ると滝ノ拝だ。基本的には加古川の闘龍灘とか片品川の吹割の滝などとよく似た光景だが、これはこれで一見の価値はある。
20km下って、古座川本流に入る。上流に少し走ると一枚岩の奇観だ。ここは何度見ても圧倒される。この辺りは昨年秋、R371縦走(カヤック・サイクリング・その他:紀伊半島縦断 −国道371号線サイクリング−)で走った区間だ。七川貯水池でR371から県道38、添野川沿いの林道を上って古座川水系から日置川水系の将軍川へと越える。この将軍川林道もライダー、サイクリストなどの林道マニアによく知られた道だ。将軍川とは由緒ありげな名前だが、伝説では何とか将軍という豪族がこの地に住んでいたというらしいがあまり信憑性はないだろう。峠辺りは路面状態もあまりよくないが下るにつれて走りよくなる。
路傍の将軍神社を過ぎやがて最奥の集落、竹垣内に出る。ここも常住の住民はいなくて、週末に町から通って農作物を作っている人がいるのみとのことだ。垣内という廃村を過ぎると林道は将軍川から離れて山の中腹、上露(こうづい)集落へと上がってゆく。
上露近くで道は突然二車線の高規格林道となる。1kmのトンネルを含む2km程の長さだ。トンネルを抜けるとまた元の状態に林道となり、急坂となる。一登りすると市鹿野集落から日置川本流に出る。
後は一目散に日置川に沿って走り、JR紀伊日置駅に到着して今回のサイクリングを終えた。
田川集落 | 田川の六地蔵 | 小川の流れ | |
滝ノ拝 | 滝ノ拝 | 添野川の集落 | |
将軍川への峠 | 将軍川 | 将軍神社 | |
竹垣内 | 上露集落 | 日置川の流れ |