最果ての大地 −パタゴニア− (1) 氷河国立公園編(アルゼンチン)
昨年正月、同僚がパタゴニアへ3週間の予定で出かけた。パタゴニアとは南アメリカ南端でチリとアルゼンチンにまたがった地方でほとんど無人に近い土地であるが、アルゼンチンの氷河国立公園、チリのパイネ国立公園、南端の島ティエラ・デル。フエゴ島など美しい自然が一杯の所である。残念、先を越された。十年以上前からフィッツ・ロイやパイネの写真に魅せられて何時かは行こうと心に誓っていたところだ。よーし、それなら小生は一ヶ月だと何とか休みを取って出かけることにした。
1/16 深夜、トルコ航空にて関空を出発。イスタンブール経由でアルゼンチン、ブエノスアイレスに1/17夜10時到着。
空港の両替所で500ドルをアルゼンチンペソに換えるが、これが大失敗。アルゼンチンペソとドルの公式交換レートは1ドル=8.7ペソだが、実際市内でのレートは1ドル=10ペソで行われている。最後の滞在地、ウシュアイアでは12ペソだった。だいぶ損をした。その後の経験で、どこでもドルが使えないところはなかったので、最小限のペソを持つだけであとはドルで持っているのが最も賢いやり方だったのだ。
とにかく、その夜は日本からインターネットで予約しておいた空港近くのホテルで一泊する。
1/18 朝、エル・カラファテまでアルゼンチン航空で飛ぶ。約3時間。途中、雲が多くて心配したが、カラファテが近づくとすっかり晴れ渡りモレノ氷河やフィッツ・ロイ山系が機窓からくっきりと見える。
機上からの眺め(モレノ氷河) | 機上からの眺め(フィッツ・ロイ山群) | 機上からの眺め(カラファテ市街) |
とりあえずバスで市の中心部に向かう。大通りは観光の町らしく、レストランや土産物売り場が並んでいる。今日の宿をと、有名な日本人経営の「藤旅館」に電話してみるが一杯とのことで、近くのインフォメーション(公共のものではなく、ツアーなどの予約を扱うもの。そこのお兄さんには、その後いろいろ金にならない親切を受けることになる)で、近くのホステルを教えてもらう。とりあえず2泊宿泊することにする(一泊200ペソだから2000円ぐらいか)。部屋は四人部屋で2段ベッドが2つ置いてある。トイレとシャワーがついているが、何となく薄汚い。安いには安いが、どうも年寄り向きではない。
カラファテ市街 | カラファテ市街 |
まずはキャンピングストーブ用のガスボンベを探すが、なかなか見つからない。町外れの店でやっと見つけた。1個110ペソと日本の3倍くらいの値段か(これは、登山基地のエル・チャルテンの方が買いやすかったようである)。
先ほどのインフォメーションで明日のモレノ氷河行きのバスのチケットを買う。ガイド付きのツアーは一杯で、単なる往復のバスのチケットになったが、どうせ言葉はあまり分からないのだから大した違いはあるまい。
今日の仕事はこれでおしまい。夕食も摂らずに早々に寝込む。
1/19 快晴。8時のバスでモレノ氷河に向かう。途中、国立公園入り口で入場料を払い、2時間ぐらいで到着する。カラファテ近くは樹木のない砂漠のような乾燥地帯だが、氷河に近づくに従って樹林帯となる。
やがて氷河が見えてくる。雄大である。アルゼンチン湖に流れ込む氷河の先端は高さ60m位あるらしい。末端の巾は5km。丘の上のバス停から上中下段の展望台への金属の遊歩道が延々と繋がっていて、なかなかよくできている。帰りのバスは4時半と6時間以上あるが、いつ崩壊が起きるかと4時間ぐらい見ているとさすがに飽きてくる。日射しが暖かくベンチに腰掛けて少しうとうとする。時々起こる崩壊も雄大である。山の上の残雪の形も子犬やクジャクの様な形が現れていて面白い。
カラファテに帰って、インフォメーションで明日のエル・チャルテン行きのバスのチケットを買う。
夕食はホステルの中のレストラン。外からも客が来ていてなかなか人気があるようだ。ラムのパタゴニア風煮込みと赤ワイン一本。十分旨くすっかり酔っ払って熟睡する。
1/20 朝、10分ほど歩いてバスステーションに向かう。バスは8:10発だ。十分間に合っていたのだが、腕時計の設定がアルゼンチンから1時間遅れの他の国にずれてしまっていたのに気がつかず、ノンビリしていて乗り遅れてしまった。何とか次の1時のバスに変更してもらう。
時間つぶしのため、町の公園からアルゼンチン湖畔の野鳥保護区まで散歩する。ここが意外と素晴らしかった。池塘にはいろいろな花が咲き、フラミンゴや鴨類、ハヤブサ?などの野鳥が見られた。
1時のバスは比較的空いていて、空席もあった。だから変更がきいたのだろうが。
エル・チャルテンまでは3時間。途中はほとんど無人の乾燥地帯で樹木は見当たらない。途中、グアヤコの群れを見かける。アルゼンチン湖から北のビエドマ湖畔を走り、遙かにフィッツ・ロイ山群が見えるようになるとやがてエル・チャルテンだ。町の入り口の国立公園事務所で登山時の注意を聞いてから町に入る。
ちなみに山名のフィッツ・ロイとはチャールズ・ダーウィンを乗せて航海したイギリス軍艦ビーグル号の船長の名前だ。パタゴニア地方では傑出した航海者として尊敬を受けているようだ。
町はカラファテよりはずっと小さくて、観光客相手の町だ。スーパーとパン屋で少し食料を仕入れて登山口に向かう。
5時、登山口を出発してカプリ湖畔のキャンプ場へ向かう。日没は9時過ぎ、10時頃までは明るいので十分余裕はある。400m程の登りで2時間ぐらいで小さな山の湖の畔のキャンプ場に着く。今日は小学生ぐらいのグループがテントを張っていて大賑わいである。何とかスペースを見つけて、今回の旅行のために新調したテラ・ノバの軽量テントを張る。580gとペットボトル一本分の重量で、世界最軽量と云うことでギネスブックに登録されているらしい。しかし、身長160cm少々の小生にさえちょっと窮屈に感じられる。これまで持っていたダンロップのテントは丁度この倍ぐらいの重量だから、テラ・ノバのテントにペットボトル一本余分に積んでいると考えれば大したことはない気がする。この買い物は無駄だったように思えてきた。
飲料水は湖の水。レンジャーの説明では国立公園内の水はすべて飲料になるので、絶対に汚染させないようにとの注意があった。
夕食を済ませ、正面に聳えるフィッツ・ロイの日没を撮ろうとカメラを構える。9時半、日没。山はあまり赤く染まらない。
カプリ小湖 | テラ・ノバのテント | 湖畔からのフィッツ・ロイ(拡大写真) |
深夜、小便に起きると、満天の星である。北の方にオリオンが判別できるだけであとの星座は判らない。
1/21 昨夜は暖かく、熟睡できた。6時過ぎ、日の出。フィッツ・ロイが赤く染まる。
朝陽に染まるフィッツ・ロイ(拡大写真) |
ブラブラとフィッツ・ロイの展望を楽しみながらPoincenotキャンプ場に向かう。大勢の軽装のハイカーに追い抜かれる。エル・チャルテンからの日帰りのハイカーたちだろう。みんな足が速い。日本人なら決して山登りなどしないだろうというような肥満体の人たちもどんどん上ってくる。キャンプ場手前の湿原から見るフィッツ・ロイ山群の眺めが最高だ。ここで朝日に染まるフィッツ・ロイを撮るべきだった。
湿原からのフィッツ・ロイ(拡大写真) |
樹林帯の中の広いキャンプ場にザックをデポして、軽装でロス・トレス小湖へ登る。大勢登ってゆく。道は日本の登山道の様にゴロゴロした石の急登である。4〜500mの登りだ。コースタイムは1hrとあるが、なかなかそんなものでは登れない。小生にはこちらのコースタイムは1.5倍は見ておかないとダメだ。小湖に辿り着くと正面にフィッツ・ロイが圧倒するかのごとく聳え立つ。カメラに収まりきらない。
このフィッツ・ロイの裏側は地図を見ると南パタゴニア雪原というアルゼンチン・チリ両国にまたがる広大な雪原が広がっているようだ。フィッツ・ロイ山群を一周するコースもあるようだが、素人の単独行者が行けるところではなさそうだ。でもちょっと覗いてみたいような。
キャンプ場まで下山する。デポしてあったザックは無事である。一寸心配であったが、一安心。
ここから湖沼の傍を南下して、もう一つの見所であるセロ・トーレ(塔の山)に向かう。この道は平坦であるが細く、ブッシュが覆い被さっているところもあり、通行者が少なく静かである。日本の夏山を歩いているように暑いが、風はひんやりと涼しい。この辺り南緯50度ぐらいだから、樺太の真ん中ぐらいの緯度に当たる。それにしては暑い。木陰で休みながらノンビリと歩く。向かいの山の崩落によると思われるせき止め湖が美しい。
峠から少し下ると、セロ・トーレの氷河を水源としてエル・チャルテンへと流れるフィッツ・ロイ川のほとりに出、エル・チャルテンからトーレ小湖へのトレッキング道と合流する。ここも人気のコースらしくハイカーが多い。
フィッツ・ロイ川を1時間ほど遡るとトーレ小湖の下にあるDe Acostiniというキャンプ場に着く。ここが今日の泊まり場だ。一見松林かと思える広々としたレンガ(南極ブナ:ブナの一種)の林のなか、20張程のテントが張られている。水は乳白色の川から汲む。
夕食は日本から持ってきたアルファ米とフリーズドライのカレーである。
1/22 5時半に起きてトーレ小湖のモレーンに上り、日の出を待つ。正面の3つの岩峰が印象的だ。やがて岩峰が真っ赤に染まる。
朝飯前の散歩で小湖の岸の尾根を展望台まで往復する。大きなキツネが一匹、小生の前を先導するように歩いて行く。展望台からはグランデ氷河が見渡せるがなんと言うこともない光景である。
帰りに小湖からの流れ口に出ると、一本のロープが渡してある。これを伝って対岸に渡るようだ。落ちたら急流に流されて命はなさそうだ。
朝食を食べて、ノンビリして11時エル・チャルテンに向けて出発する。大勢の日帰りトレッカーと行き違う。坦々とした道を辿ること3時間、町に帰ってきた。
そのままカラファテまで帰ろうかとも思ったが、体を洗いたくてホテルで一泊することにする。インフォメーションで紹介してもらったが、愛想の悪いホテルだ。
1/23 午前中、一時間ほどかけて国立公園事務所の裏山の展望台に上る。快晴でここも素晴らしい展望だ。
展望台よりのフィッツ・ロイ山群(拡大写真) | エル・チャルテン市街 |
1時のバスでカラファテに帰る。
例のインフォメーションの兄ちゃんに紹介してもらって、ホテルに入る。代金650ペソは高くはないがクレジットカードが使えない。今朝、エル・チャルテンのATMで出した1000ペソの半分以上が飛んでしまった。クレジットカードはMC、VISA、AMEXと持ってきたが、MCしか受け付けてくれない。それも1日1000ペソが限度だ。ドルもたくさんは持ってこなかったので、このままでは最後まで持つかどうか心配になってきた。
バスステーションへプエルト・ナターレスへのバスの切符を買いに行く。プエルト・ナターレスまでのバスは現在一社しか運行していなくて、1日一便のみである。明日はもう満席で、やむなく明後日のバスとなった。バス代は480ペソだが、情けないことにペソが足りない。やむなくなけなしのドルで支払う($45)。
夕食は少し贅沢にと、先日散歩の途中で見かけた四つ星ホテルのレストランに入る。さすがに豪華なレストランだ。周りはみんなちゃんとした服装で、登山ズボンにサンダル履きは不似合いだ。パタゴニア風ラムの丸焼きと野菜のグリルをオーダーする。大きな炉でラムが数匹丸焼きにされていて、そこから切り取って皿に盛ってくれる。一人前1キロ近くあったのではなかろうか。半分しか食べられなかったが、とても柔らかくて美味だった。野菜のグリルもそれだけで満腹になりそうなぐらいあって、これも旨かった。ワインは赤をグラスで頼んだが、日本の3倍ぐらいは入っていた。全部で300ペソ(大体3000円ぐらい)で、街のレストランで食べるのと大して変わらない。
ラム肉のグリル |
1/24 9時半、チェックアウト。安宿で朝飯も付いていない。さて、今日は何もすることはない。現金を出そうとするが、今日は四つあるATMのどこも不成功だ。週末のせいかな? 他のバックパッカーもみんな困っている様子だ。
金もなしでは、いよいよ何も出来ない。街をブラブラして、1日を過ごす。
ホテルは飛び込みで昨日レストランを使った Posada Los Alamos にチェックインする。
安宿に泊まったり、最上級ホテルに泊まったり、変な旅になった。
ロビーのパソコンで日本のホームページにアクセスするとちゃんと日本語で出てくる。へー、パソコンの進歩は凄いものだ。Booking.comで明日のプエルト・ナターレスのホテルを予約する。
ロビーでゆっくりしていると、隣に座った男が、「あんた、映画俳優だろう」と言う。ビックリして見返すと、「何年か前、空手キッズという映画に出ているのを見た」。アー、あのミヤギさんと間違われているのだ。そう言えば、先日フィッツ・ロイの山中で小学生ぐらいの男の子に一緒に並んで写真を撮られ、大変感激した様子だったのを思い出した。その時は東洋の爺さんと一緒に写真を撮って何が嬉しいのだろうと思ったが、今その理由が判った。
夕食は街に出て、ハーフサイズのビーフステーキを食べる。ハーフと云っても300gは優にある。赤身だがジューシーでとても旨い。
1/25 さすが四つ星ホテルの朝食。豪華である。昼飯を抜いても好いようにと果物までたっぷりと食べる。
8:30のバスでプエルト・ナターレスへ向かう。日本の新婚さんも乗っている。坦々とした、ステップというのだろうか、半砂漠の草原を走ってゆく。GPSを見ていると、高いところでは高度は700m位まで上がっているようだ。グアヤコやダチョウに似た大型の鳥(Chaique)も見かける。
Turbioという炭鉱の町で国境を越えてチリに入る。出国と入国手続きでだいぶ時間を取られる。4時頃、プエルト・ナターレスに到着。
海岸沿いにある今日のホテルまで歩く。カラファテよりもだいぶ小さな町だ。途中、ATMで恐る恐るトライしてみると、50,000チリペソ(1万円ぐらい)引き出せた。とりあえず安心。
宿で紹介してもらって、シーフードレストランへ。メニューにあるChuppeなるものを、何か判らぬままにオーダーする。カニのすり身のたっぷりと入ったグラタンだった。大変美味だった。白ワインも旨い。
バスの車窓より | Chaique | プエルト・ナターレス市街 |