湖北武奈ヶ岳 (2008.2.1617)

先行者のスキートレース

武奈ヶ岳の登り

武奈ヶ岳頂上

熊川から若狭路

吹雪の赤岩山

石田川を見下ろす

三十三間山(左)と三重ヶ岳(右)

  例年行っているスノーシューを履いての山行き、今年はどこへ行こうか。仕事の都合上、二泊三日以上は無理であるからあまり大したところへは行けないし、低山とはいえ一応雪山であるから、停滞の可能性も視野に入れてあまり無理のないコースということで、湖北から若狭に抜けるコース、湖北武奈ヶ岳、三重ヶ岳を縦走して余裕があれば三十三間山まで行こうと考えた。これだと最高でも標高950mだし、地図で見る限り尾根は広くてなだらかで雪崩の心配はまず無い。
 2月2日(土)出発の予定で準備万端整えていたところ、前々日田舎から電話で母親が転倒して大腿骨を骨折し入院したとの知らせ。じゃあ、来週でも見舞いに行こうと考えていると、女房殿が怒り出した。「お母さんが入院したというのに、知らん顔で山へ行こうというの?」ごもっとも。そんな親不孝をすると罰が当たって遭難するかも知れん。というわけでその週末は見舞いに帰省。仕切り直しで、2週後の2月16日に出発することにした。毎日天気予報を睨んでいたが、どうも天候はもう一つのようだ。しかしそうそう延期ばかりしていると雪が解けてしまうので、決行する。今回は屋根裏にころがっていた子供のソリをザックの背中に付けてゆくことにする。
 近江今津から小浜行きにバスに乗り、登山口の角川に着いたのは10時前。小雨が降っている。装備を整えて、部落の上から登山道に入る。この辺りで積雪は30cmぐらいである。スキーでの先行者がいる。早速、スノーシューを履いて登り出す。登るにつれて雨は雪に変わる。どうもスノーシューでの登山はスピードが上がらない。傾斜の緩やかなところではザックをひっくり返して背中のソリで引っ張る。スピードは大して変わらないが、だいぶ楽に歩ける。ダラダラとした尾根を3時間ほど登って、赤岩山の下で昼食。ここで下ってきたスキー登山のカップルと出会う。武奈ヶ岳の頂上は寒くて、早々に下山してきたとのこと。山スキーは颯爽としてかっこいいなー。しかしこの歳ではもう始められない。 赤岩山を越え、武奈ヶ岳への広いなだらかな尾根の登りになると、急に風が強くなる。身を切られるような冷たい吹雪であるが、雪はよく締まって歩きやすい。3時頂上着。頂上は広い雪原となっていて、どこが三角点かよく解らない。吹雪で展望も全くきかない。
 天候によっては明日退却するかも知れないので、ここから先に進むと退却が苦しくなる可能性がある。東側に下り、風が少しは避けられる窪みにテントを張ることにする。スノーシューを脱ぎ、テントを張りかけると強風にテントを谷の方へ飛ばされる。幸い30mほど先の木に引っ掛かった。さらに先まで飛ばされると絶望的なので、慌てて腰まではいる雪の中を転びまろびつ追いかける。
 夕食後、携帯電話の感度良好なので家に電話する。家内は天気予報で日本海側は大雪で、雪崩の危険があると聞いて大変心配して、明日帰ってこいという。私も明日の状態が少々不安であったので生返事をする。爆睡。
 朝、明るくなってから起き出す。テントは30cm程積雪で埋まっている。風は相変わらず強い。朝食を食べていると、家内から電話。昨夜は心配でよく寝られなかったらしい。「えっ、そんなに心配してくれているの?」「まだ、もう少し働いてもらわないと困るから。夕飯用意しているから、帰ってきなさい。」もうこれは命令である。天候は回復する予感があるが、やむを得ない。携帯電話が山の上でも通じるようになっては、女房の手の平から逃れられない。
 下りだして、一時間ほどすると日が差して青空が見える。しまった、行けたのに。
 12時前、もう角川の部落が見えだした頃、4人のパーティが登ってきた。この時間に、この地点では精々赤岩山までか。
 来年、再挑戦しよう。