ドルドーニュ河畔の美しき村々への旅

 

ーフランス 中世の村と美食の旅ー

 

 

2007.10.1910.30

 

 

 

 

 

1019() 晴 気温17

 秋の好天に恵まれ「ドルドーニュ河畔の美しき村々とコンク・カルカソンヌへの旅」が始まる。

 関空で添乗員の姫野さんと対面する。エレガントな白いブラウス姿で長身(171cm)のしっかりとした女性だ。

 所要時間約12時間でパリ、シャルル・ド・ゴール空港ターミナル2C到着。1150発→1640着(日本とは-7時間差あり)。AF7788に乗り継ぎ、1840パリ発→1945トゥールーズ着。

 すでに秋の日は暮れ、迎えのバスに乗り2020出発してポンヌフ近くでバスを降りる。夜の闇の中に壁面のガス灯の明かりが路面を照らしている。細い石畳が重なり路の左右から週末の街のさんざめきが聞こえ、雑多な匂いの漂っている中、石畳を進む。まるでゴッホの「Le Cafe la Nait(夜のカフェ)」の様だ。夜目にも旧い街路が続き、スーツケースのコマの音が響く。

 本日、ラグビーのワールドカップ3位決定戦(フランス対アルゼンチン)の為、キャピトル広場に入る道が通行止めとのことで約10分間ホテルまでスーツケースを押しながら歩くハメとなった。ホテル・クラウンプラザの入り口に着いたとたん歓声とラ・マルセイエーズの歌声が沸き起こる。観戦が盛り上がっている様子。

 3階の部屋に落ち着き、窓のカーテンを開けると広場の巨大スクリーンの一部が眺められ、群衆が動きまわっているのが見える。

 

 

1020日(土)晴 18

 昨日の疲れもなく、早く目覚める。ホテルの朝食はビュッフェ式で各自好きなだけ取りわける。一応美味。ロケーションから言えば4つ星ぐらいかしら。

 ガイドブックによるとトゥールーズは人口40万で、そのうち学生が7万人を超え、5つの大学を擁する大学の町でもある。ちなみにフランスはすべて国立大学とのことである。ここではどちらかといえば文系よりも理系が重んじられ、エアバス、コンコルドなど航空宇宙産業の都市としても有名である。

 中世の時代、パステルと呼ばれる染料の取引で商人は富を蓄えたらしい。パステルとは植物染料で、近代の化学染料が出現するまで盛んに用いられたということは日本や中国で使われた藍と似たものであろうか。よく聖母マリアの着衣にブルーが多く見られるのはこの染料を用いたものであろうか。日本でも中国を経て飛鳥時代に伝えられた藍はJapanese Indigoとして用いられ藍長者が存在したのとよく符合し大変面白く思える。

 食後、すぐ近くのキャピトル広場へカメラを持って散歩に出る。8時頃でも早朝という感じである。町一番の場所柄、早くから朝市のテントが立ち、種々の食材や雑貨が広げられ興味を引く。今日は土曜日なので忙しく賑やかになりそうだ。

 

 

 キャピトル広場の朝市

 

 キャピトルは立派な旧い市庁舎で、レンガとピンクの大理石の柱が美しい調和を見せる18世紀を代表する都市建築であり、「バラ色の街」と言われる由縁だ。ガロンヌ川の川底の砂土からレンガを焼いて建築資材としているそうだ。

 

 

 

 キャピトル

 ロマネスク風ティンパナム

 サン・セルナン聖堂

 

 午前中、巡礼路(サンチャゴ・デ・コンポステーラ)のサン・セルナン聖堂Basilique de St Serninを見学する。12世紀に巡礼者宿泊用に建てられた聖堂で八角形の煉瓦造りの鐘楼が印象深い、町のシンボル的建築で、正面のティンパナムも中世ロマネスク風をよく残している。

 続いて最初のドミニコ会修道院であるジャコバン修道院Le Jacobinsも見学する。1216年、聖ドミニク自身が建造を始め、これがトゥールーズ大学の基礎となった。この教会堂はゴシック様式のレンガ造りで堂内には22本のヤシの木様のアーチ形天井があり、これと尖塔のない鐘楼が特徴的。神の光とも云われる陽の光が美しく堂内を照らしている。どちらも中世の人々の底力と信仰の強さ、豊かさを思わせる。

 オーギュスタン美術館も一通り見学する。聖母子の彫刻があり、珍しくマリア様は視線を外して幼子キリストを抱いている。これは将来おこるキリストの生涯を予見して正視できず愁いに沈んでいるとの説明に、なるほど世の母親の不安と憂愁をよく表していると感じ入った。

 町中でランチの後午後もやはり巡礼路のモアサックMoissacへ。

 ガイドブックによると、モアサックという村はシャスラという甘いブドウを栽培している。この村はベネディクト派の修道士が7世紀に設立したサン・ピエール修道院が見ものだが、アラブ人、ノルマン人、ハンガリー人によって次々と荒らされた。1047年、修道院はクリュニューの集金力のある財団と結びつき、12世紀にはフランス南西部屈指の修道院となっていた。

 

 モアサック修道院入口

 ティンパナム側面の彫刻


 教会の外観は二つの時代の様式を取り入れている。一つは石で作られたロマネスク様式で正面のティンパナムの彫刻群が見事だ。もう一つはレンガで造られたゴシック様式である。回廊や中庭のロマネスクの柱頭なども見学。11世紀に造られた回廊には白・ピンク・緑・灰色の大理石で造られた円柱が並び、柱頭には花や獣、旧約・新約の両聖書からとった場面の彫刻が施されている。

 傍らの土産物店も見る。ワインにしない甲州ブドウのようなものもあり食すると甘い。ブドウの刺繍入りの大型タオルを14ユーロで買う。

 1810、キャピトル広場でバスを降り、ホテルに帰る。

 夕食は朝食と同じ地下レストランに一同集まる。。

 Menu Smoked Salmon Platter Cive Cream

    Roasted Piece of Beef Pan-fried Ratatouil

    Chokolate Brownies with Light Custard Cream

    chive(チャイブ):えぞねぎ アサツキに似たゆり科の野菜

ビーフはぱさぱさした赤身でジューシーさに欠け、不評であった。硬くもあり私も1/3程残す。

 

1021日(日) 晴 016

 今朝の出発は815分。 

 薄明るい中、ホテル前よりバスに乗り込む。数人の町の若者が入口の左右に並んで盛んにお辞儀をしながらはやし立ててくれた。彼らなりの日本人へのからかいであろう。町の活気を感じる。なにせ人口の1/4近くが学生なのだから。

 1時間半、バスは北へ、カオールCahorsの町へとひた走る。

 カオールはBC50年頃、ローマ人によって町が作られ、13世紀頃にはロット川の水上交通を利用した交易や造幣などで潤い、商人の町として知られる。また、「黒いワイン」と呼ばれる深紅のカオールワインで有名。

 10時近く、到着するや市場近くの公衆トイレに駆け込む。えっ!ここは本当にフランス? まるで中国の田舎にでも来たかと思うようなトイレだった。旅では手早く用を足すことも大切。

 石畳のせいか足下からジンジンと冷えてくる。

 屋外には花市があり、菊の花が多いのは111日「死者の祭り」(ラ・トゥサン)と呼ばれる万聖節で、お墓参りをする慣わしがあるとのこと。何か日本のお盆の習慣に似ているようだ。

 二つのドームを持つサン・テティエンヌ大聖堂を見学し、旧市街の古い町並みを見て、バスでヴァラント橋へ行く。ロット川にかかる7つのアーチの橋は14世紀のもので美しい。

 橋の中程で、新生児を抱いた男の人に遇う。若いフランスのパパだ。写真を撮らせてもらう。不意に二、三人の東洋人がにこやかに加わってきた。初老の男性が日本語を話すので、国際結婚した日本人家族かと思ったが、彼は上海出身の中国人で娘さんが赤ちゃんのママとのこと。再びなごやかに写真を撮らせていただく。秋の一日、橋の渡り初めか、はたまたお宮参りの風情で心なごむ思いがした。風もなく陽射しも暖かな絶好の秋日和である。

 橋のたもとの店でカオールワインを二種試飲し、フォアグラも二種試食して、鴨の肝の方の小さな缶詰を4個、19.50ユーロで買う。                

 

 

 

 サン・テティエンヌ大聖堂

 ヴァラント橋

 

    

 メインストリート沿いのブラッスリー・ル・パレでランチを済ませ。バスでサン・シール・ラポピーSaint CirqLapopieへ向かう。(ラポピーとは女性の胸のことらしい)

 ロット川沿いに上流の断崖の村へとバスは上手に操られながら急坂を登ってゆく。高速道路への分岐点で運転手のパトリックは「こちらへ行けばパリだよ。日本人はパリやニースが好きなはずだが・・・ 何でこんな山の中ばかり行くの?」と独りごちながらハンドルを握っていた。窓外ではハラハラと黄金色の無数の木の葉が渓流にゆっくりと降り注ぎ、キラキラと秋の陽に輝く。空気もどこまでも済みきって素晴らしいフランス日和だ。この

光景が見たかったのだ。納得して、満足、満足。 およそ一時間の乗車で80mの切り立った崖の村に着く。1316世紀に立てられた木造の家や石造りの家々を小さな坂道が結んでいる。1930年代に歴史文化財指定になったということは当初から保存に力を入れていたということだろう。城砦のあった展望台から一望し、フリータイムをそぞろ歩く。


 さらに一時間半北上し、アルズー渓谷の絶壁に張り付いた村、ロカマドールRocamadourへ。ロカマドールは人口638人だが、年間の観光客・巡礼者の数は100万人とも言われている。

   


 ホテルはBeau Site の新館で3階の室は若い女性好みのフレンチダブルベッド。バスルームも小気味よく熱いお湯がたっぷり。

 夕食はホテル・レストランにて野菜のキッシュ、白身魚(エンドウが美味)、クルミのケーキなど。どちらかといえばカジュアルタイプ。

 食後、部屋からベランダに出ると眼前に北斗七星が驚くほど大きく、今にも落ちてきそうである。他の星々も降るようで、またたきもしない。きっと空気が澄み、周囲の荒涼とした風景のなせるわざであろう。 id="_x0000_s1029" type="#_x0000_t75" alt="" style='position:absolute; margin-left:422.25pt;margin-top:0;width:180.75pt;height:135.75pt;z-index:3; mso-wrap-distance-left:0;mso-wrap-distance-right:0;mso-position-horizontal:right; mso-position-horizontal-relative:text;mso-position-vertical-relative:line' o:allowoverlap="f">

 降る星の下、ロマンティックな部屋で眠る。きっと良い夢を見るだろう。                               

1022日(月) 310

 朝、外気は冷たいが上天気だ。 

 ウールのパンタロン、カシミアのセーター、フリースの上着、毛糸の帽子などの防寒対策をして集合する。最低気温が3℃という出発直前の情報はこのことかと思い当たる。

 バスは町一番の高所の駐車場へと上がる。

 1166年、ミイラ化した遺体が発見され、初期キリスト教徒で隠遁者の聖アマドォールだと言われ、岩窟のアマドォールということでロックアマドォールの地名が生じたとのことで、有名な巡礼地となった。

 

 
 十字架の道程標を上から下へと辿ってサン・ミシェル礼拝堂の前で12世紀のフレスコ画を見上げる。建物と岩窟のくぼみのためか彩色はよく保存されている。おそらくフランスで現存する最も旧いフレスコ画であろう。受胎したマリアを従妹のエリザベスが祝福している図で、若い女性の素朴な想いがよく伝わってくる。古今東西変わらぬ想いである。しばらく待つとようやくノートルダム礼拝堂も解錠となり、短い時間ながら崇拝の対象、黒い聖母子像の祭壇を見学。霊験あらたかという黒いマリア様は案外小さな木造でまるで日本の仏像の様である。船乗りの海難のお守りとして、こんな山深いところではあるが、深い信仰を集めていたそうだ。  

 続いて同じく岩窟にへばりつくように、12世紀後半に建てられたサン・ソヴール・バジリカ聖堂も見学する。建物の裏側はむき出しの岩肌だ。

 バスの待つ道まで急いで216段の石の階段を下る。中世の巡礼者はここをひざまづいて懺悔しながら上ったとのこと。

 バスは次なるカレナック村に向かう。人口317人の花の街を歩いてサン・ピエール教会を見学後、美しいゼラニウムの花々で飾られたホステル・リーフェネロンでランチとなる。 野菜スープ(暖かく胃袋に納まる)、仔牛のロースト、カオールの赤ワイン、木苺とバニラのアイスクリーム。

 食後、ボリューという村にも立ち寄るが、月曜日は町全体が休みらしく死んだように静かで人気もなく日本の正月のようだ。午前中のロカマドゥールで解錠の遅かったのも休日のせい?

 一時間のバス乗車後、赤い村コロンジュ・ラ・ルージュ Collonges-la-Gouge 訪問。独特の臙脂がかった赤の砂岩の壁の家並みが続く。トゥルーズのピンク系よりも深紅に近い色だ。そぞろ歩きしながら、ススキの穂の茂みとルージュの家をカメラに納める。足下に、あらめずらしい時計草が一輪、これもパチリと撮す。




 

 


 さらに一時間半のドライブにて、城壁に囲まれた黄金色の街サルラ Salrat-la-Canedaに着く。もう6時半で暗い。

 夕食は徒歩で旧市街にあるレストラン、ラ・クールヴリンへ。小さいながらお客も多くよくはやっている様子だ。美しい料理にカメラを向ける。

 

 

 白アスパラとトマトのサラダ

 鴨肉(胸肉)にソースはベリー系で甘酸っぱさが食欲をそそる

 山羊のチーズ、赤ワイン、クルミ入りチョコレートケーキなど

 
 歩いてホテル・ド・セルヴスに帰る。ここでは二泊の予定。

 

 





10
23日(火) 晴

 今日も快晴で暖かい。フランス日和が続くなんてなんと幸運なのだろう。

 昨夜のレストランあたりの旧城壁内の様子はおもしろそうだ。

 サルラの人口は約1万人で百年戦争の間フランス国王に忠誠を尽くした見返りとして特権的な地位を与えられて繁栄した。アンドレ・マルローの肝いりで1962年に法律で保護される最初の町となった。

 今日は、ドルドーニュ渓谷の川沿いの村々を訪ねる。

 夜間に気温が急冷したせいか、川面全体から靄が立ち昇り、行く手も周囲の風景もうすぎぬを掛けたようで、その中に両岸の樹木が浮かびあがり、まるでコローの絵の様。前方の靄の中にベイナック城が立ち現れる。岡鹿之助の絵のようだ。

 バスを降りて歩き始めると足下からしんしんと冷え上がる。坂道に沿って石造りの家々の間を散歩する。

 船着き場から平底の屋根なし舟に乗りベイナック・ラ・ロックの川下りを楽しむ。流れも穏やかで岸の岩にへばりつくような家並みも美しく、一時間もあっという間でありました。

 城塞都市ドンムへ向かう。

 ドンムは石灰岩の高台に立つ町で、中心部には教会と、百年戦争や16世紀の宗教改革の折、住民達が隠れていた鍾乳洞があり自然の要害となっている。おもちゃのような白い汽車(プチ・トラン)で町中をゆっくり一巡する。

 ランチは有名レストラン「エスプラナーデ L'Esplanade」にて。とても眺望のいいロケーションで眼下にドルドーニュ河が湾曲しているさまが見下ろせる。インテリアもクラシックで洗練されている。壁紙は紺色で、テーブルクロスは黄色。また、黄色と紺色に統一された食器も美しい。逆光ながらせっせと写真を撮る。

Menu シャンピニオンのスープ

   鴨のフォアグラの前菜(さすがペリゴール地方の珍味佳肴、甘めの白ワインまたは   スパークリングワインがよく合う)

   白身魚にブドウを鴨の薄切り肉でロールしたものを3本挿したメイン)

   デザート(苺のムース、数種のチョコレートとベリー類)

ランチとしては超豪華で申し分なし。十分に満腹で食後のコーヒーもお茶も不要。

 

 


午後は本日のハイライト、ラスコーUへ。

 4時10分前には入口に着く。英語のフランス人ガイドがやはりアンドレ・マルローを引き合いに出して解説する。ラスコーのオリジナル(迷い犬を探していた少年たちによって偶然発見された)は保護され、代わりに本物と5mm以内の誤差で復元されたラスコーUを案内してくれた。

 地下の暗闇の中に浮かぶ原始の芸術あるいは宗教儀礼に感嘆する。絵画と彫刻を兼ね備えている。昔の灯りの様にランタンを振り動かすことにより、作品の躍動感が踊り出る。ヘラジカ、バイソン、馬などが主役で人間は殆ど描かれていない。黒い線は木炭、色付けにはカオリンや赤鉄鉱、マンガンなどの鉱物が用いられている。学生時代、フランスに留学していた教授の講義で、ラスコーオリジナルのスライドを見せていただいたことを思い出す。貴重な写真だったと今になってわかる。

 本日の予定を終え一時間ほどでサルラのホテルへ帰る。

 夕食はやはり旧市街のレストラン、ル・トゥルニーで。結局ホテルでは朝食のみということだったが、この方が旧市街を歩いて食事できていい方法である。

夕食のメニュー  セップ茸のオムレツ

            ヒレステーキとポテト

            希望者に山羊のチーズ

            アイスクリーム(ピスタチオ入り)

オムレツがフワフワで美味。キノコが変わっているので名前を聞くと、S夫人が「接吻茸」と憶えるといいわと教えてくれた。彼女は中学から聖心会に入っている敬虔なカトリックのクリスチャンだそうで、ご主人とは幼なじみだそうです。

 とにかく、よく食べていろんなものを見て満足な一日でした。

 

 

1024日(水) 晴

 朝4時頃目覚める。今日も晴天。

 朝食をバンケットルームですませる。パン数種、ヨーグルト、卵、コーヒー他。

 旧市街へ繰り出す。街全体は中世やルネサンス期、17世紀のファサードが集中し、古くて黄土色の石造りの市役所付近も格好の市場となっている。水・土が市の日で、やはり土曜市の方が賑わうらしい。中世の賑わいが連綿と現在まで伝わっているかのような雰囲気であり、衣服を変えれば中世の街角へタイムスリップした気がする。名産物といえばフォアグラ、クルミ、トリュフなど。猪の剥製を飾った猪肉製品専門の店もあり珍しかった。

 

 

 

 町のシンボルのアヒル

 裕福な商人の家

 

 

    

 石畳からジンジンと冷えてくる。長いコートと手袋が助かる。これにブーツを履けば完全となろう。秋とはいえ冷えて寒いのである。

 5ユーロで案内本を買う。仏語は読めないが、せめて写真だけでもと。

 バスで1時間半走ってフィジャックの町へ。

 町のレストラン La Flambee でランチ。

     ペリゴール地方のサラダ(鶏の砂肝入り)

     鴨のコンフィ(半身はあろうと思える骨付き)

     ロゼワイン

     アイスクリーム

 この町はロゼッタ石を解読したシャンポリオンの生まれた町で、大きな拡大模型が地面に埋め込まれており、観光客が踏みしめて見学している。エジプト文字のカルトゥーシェも刻まれていた。

 バスでいよいよコンク村に向かう。途上、村を見晴らす  View Point で下車し眼下に絶景を望む。9世紀ごろ、こんな山深い村の道を辿っていた巡礼者の姿を思い浮かべる。

 


 運転手のパトリックも今夜でフリーとなり明日一日は公休日だそうだ。5日間みっちり働いたと言うことで、フランスでは当然の待遇だそうだ。彼は高卒で英語は話さないが、若い頃タヒチで兵役に就いていたことがあるそうだ。独身のためか、若く見えるが40歳を越えているそうだ。タヒチを思い出し、beach! beach! と連発している。きっと、タヒチに格別の想いがあるのだろう。

 着いたホテル、サント・フォアは山小屋風のホテルというか、はたまた昔の旅籠というべきか。坂道に面して入った待合室はB1であった。教会にも近く家族経営でこぢんまりとしている。息子さんと思われる10代らしい男性がスーツケースを運び入れてくれた。夕食はホテルのレセプションルームで7時からとのこと。ブラウスにカメオをつけて、少し盛装して降りてゆく。

 メニュー  栗のムースを使ったアミューズメント

        サーモンと白身魚のマリネー(薄造りが2色の花びらのようで繊細な美しさ
        細いレモン皮のみじん切りがたっぷりとかかり、薄味で程よく締められ、すし種にもなりそうなくらい美味であった。)

        メインはラム

        デザートも素晴らしく、季節のフレッシュフルーツたっぷり(マンゴーも)のせたサブレ・ケーキ

写真に撮らず残念、残念。

 夕食後とっぷり暮れた中、4人の女性で教会まで散歩。

    芦屋からTさん(S18生れ、よくフランス語を勉強されている)

    名古屋からIさん(S22生れ、ご主人からの還暦祝。パリでも滞在予定。)

    堺からKさん(S24生れ、一番若くて世界各地を一人旅。お見合い結婚のご主人は旅はしないが、相性はいいとのこと)

    私(S20生)

 月明かりの下、正面のティンパナムを見上げていると神父様らしい人が一団の人を前に静かな口調で説明していらっしゃった。見上げると心が吸い寄せられるほど美しく、中世の彩色が月光の中でうっすらと残っているのが判る。立ち去ろうとしたところ、パイプオルガンの演奏を聴いて欲しいと身振りで勧められたので、堂内へ入って聴く。もう10時近くになり疲れ、睡魔におそわれそうになったので途中で失礼する。ガチャリと鍵を開けるのには少々勇気がいりましたがなんといっても眠い。

 旅の初め、細々としていた月も日ごとに太って今宵ははや十三夜か満月かという風情。日本では秋の栗名月というのかしら。

 

1025日(木) 晴後 時雨

 旅も半ばを過ぎた。今朝のモーニングコールが少し遅くなり、姫野さんも慌てたそうだ。私も鳴るまで気がつかなかった。少しずつ現地時間に慣らされているようだ。

 午前中はサント・フォア教会見学。昨夜月明かりの中で見学したものの、朝日の中で見るティンパナムは保存が良く(12世紀のもの)何とも見事だ。こんなにも朝と夜では印象が異なるものかと思う。祭壇に2ユーロで灯明を上げる(昨夜は失礼しましたので)。

 続いて宝物館のサント・フォア像を見学する。12才で殉教した少女フォアの聖遺物としてよく保存され、中世の宝石の数々がゴロンとした感じではめ込まれている。革命の時もうまく隠して破壊を免れたとのことである。山深い地形が幸いしたのかもしれない。キリスト教徒にとって聖遺物は大層重要なものであるらしい。いわゆる三位一体(父と子と聖霊)の聖霊とは聖遺物を指すらしい。聖フォアがいかなる事で殉教されたかは存じませぬが、いとめでたき方におわします。なにせ聖フォアの遺骨は10年がかりでコンクの修道士がライバル修道院より盗み出したもので、多くの巡礼者を引きつける至宝となったのですから。

 

 

 

 教会のティンパナム

 ティンパナムの一部

 宝物館


 人口80人(その内子供が15人)の静かな村だが、観光客は絶えず、日本人グループにも出会った。

 ランチは村の2つ星ホテルのレストラン、オーベルジュ・サン・ジャックで。多分パトリックはここに泊まって一日のんびりbeach気分を楽しんでいるのだろう。

 
Menu
    野菜サラダ(レタスと野菜テリーヌ)

      キャベツを巻き込んだ魚

      アプリコットパイ

      ビールも試飲する    

 宝物館見学の折、聖書の情景を織り込んだ古びたタピストリーを見学中、クリスチャンのS夫人に説明してもらった、マグダラのマリアが長い髪でイエスの足に香油を塗っている場面で、E老婦人が「イエスさんの足って臭かったんですかねえ。」と真面目な顔で言うので一同唖然としておかしみがこみ上げてきた。彼女の風貌も言い方も漫才の「やすし」を思い出させるものがある。

 雨が少し降ってきたところで、付近を散歩する。小さな村なので小一時間あれば充分だ。秋の時雨。山間はハゼの木が紅葉して彩りを添えている。

 

 

    教会近くの石鹸屋の看板

 

 夕食は昨夜同様にたっぷり2時間近く楽しむ。張り切ってカメラを持参し、撮っては食し、撮っては食す。

 Menu  アミューズ

       野菜のスープ

       ビーフの赤ワイン煮込みを野菜のフラン

       チョコレートケーキ

 

 

 

 

 

 

 

 

1026日(金) 晴

 朝8時出発。チップを置き忘れたが、まあいいだろう。ここだけ堪忍してもらおう。(いいサービス受けたのにね。)

 こんな山の中なのに食事はどこよりも繊細で美味しいし、お風呂も機能的で、洗濯物もスチームでカラリと乾いた。下水道や電気配線など、目に見えないものの設備が完璧なのは不思議なくらいで、町中には電柱の一本もない。遺跡保存と日常生活がうまく共存している。

 忘れ得ぬ好印象を胸にコンクに別れ、バスは走り出す。パトリックは休み明けで元気いっぱい。タルン峡谷を縫いながら、雨の中をひた走る。

 トイレ休憩は町のスーパーマーケット。食料一般はもちろん、本、文房具、雑貨、医療と品揃えもよく、センスよく商品を配置している。PAIN(製菓とパン)の本を買う。いい気分転換となった

 ゆっくり時間を取りつつ絶景(中国の黄山にも似た水墨画風景)を見ながらいつしかアルビAlbi到着。人口5万人の活気のある町で、赤という以上に真っ赤に焼けた色をした町である。巨大な赤レンガ造りの大聖堂は礼拝の場と云うよりは要塞を思わせとても威圧感がある。昼時でもあり、バスに揺られるだけでも結構お腹が空くもので、急いで見学してから大聖堂近くのレストランでランチ。

  サラダ前菜

     白身魚

     リンゴのタルト

     振る舞いの赤ワイン、コーヒーなど

 すぐ近くのロートレック美術館へ。「マルセル」のデッサン画もあった。建物はとても古びて歩くとミシミシ鳴る箇所もある。アルビ出身のロートレックはトゥルーズ伯爵といわれる名家の出身だが、生まれつき不幸な身体で早世した(36才)。ご母堂の嘆きはいかばかりか。

 バスはアルビからカルカソンヌへ。

 今回、カルカソンヌのホテルは城壁外の ド・メイン・ドーリアックLe Domaine d'Auriacで連泊となった。10年前の春には城壁内で泊まったことを思い出す。

 レセプションルームでの食前酒とアミューズでまずは旅の終わりを祝福した後、広いホテルレストランに移って豪華な夕食となった。

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで来るとスペイン系と思われる人をよく見かける。そういえば、ホテルのレセプションの女主人と見られる人も黒髪で黒目がギョロリとしていた。親しみやすく人なつっ

こい感じだ。スペイン国境との近さを感じる。

 国境に近いが為に中世の人はこのカルカソンヌように城壁を二重に築き異民族や異教徒の侵入を阻もうとしたのだろう。

 

 

1027日(土)

 午前中シテ(城壁)内のコンタル城内、ナゼール教会を見学。週末のせいか人が多く、以前泊まったダム・カルカスはどこだったかわからずじまい。3時の集合時間が来て、ホテルに帰る。

 夕食は自由となったので、8時からビストロをS夫妻と予約する。

 姫野さんより、エア・フランスのストライキを聞く。明日は早いのでどうなることか。まあなんとかなるでしょう。 

 ビストロで、つき出し、カスレ(この地方の郷土料理)、水、チップ他で15ユーロ払う。明日の日曜日から冬時間となるので時計を1時間遅らせる。部屋で熱い緑茶と和菓子を食べ、窓を開けてみると正面にオリオン座の三つ星、右方に満月が大きく輝いていて、しばし見とれる。窓側は林になっているので、室内であられもない姿でいても気にならず、貴婦人になった気がする。                          

 この部屋の宿帳を見ると2人泊で340ユーロとのこと。動物が泊まれば+15ユーロとのこと。いい室(スイートなので広く、居間、ツインベッド室など)ではあるが、いい値段ではある。広すぎてバスルームとトイレが一番遠く離れている。でも、トイレは玄関ドアの近くで便利だ。バスルームのドアのガラス部分は内側に白のレース地の布がはめ込まれ、とてもおしゃれ。タンスの前面部も一部ガラスでポプリの花びらが透けて美しい。

 ストライキが気がかりなまま眠る。明日は730の出発だ。

 

 

1028日(日)

 昨日と同じ朝食(美味しい生のオレンジジュース、クロワッサン、フレンチトースト、コーヒー、ヨーグルト)を終え、定刻通り出発。バスの窓から紅く色づいたブドウ畑の向うに昇る朝日を眺め、遠ざかる城砦の景色を眺める。

 940 トゥルーズ空港着。やはりストライキ決行中。10年前の春は、ボルドー経由のTGVでパリのモンパルナス駅に着いた。今回はTGVもとれず、30日(火)のパリ−関空の予約を確保したものの、パリまでの足がないのだ。

 又、バスに戻り、ステーションホテルのMercureで足止めされることとなった。おかきを渡してサヨナラしたはずのパトリックが再び現れ、ホテルまでスーツケースを運び込んでくれ、本当にサヨナラとなって手の甲にキスをしてくれて別れた。お世話様でした。Merci Auvoire !

 駅で買ったパンと飲み物でランチをすませ、室でくつろぐ。窓からはプラットホームの屋根が見下ろされ、列車に乗るには絶好のロケーションである。もう見物することもなく、お風呂にでも浸るしかない。ぼんやりと夕方まで過ごす。

 夕食は645より駅近くのレストランを予約してくれた。徒歩2分のところ。

   テリーヌの前菜とラタトゥイユ

   お米のお子様風ランチ(小さなグリーンピースも混じった久しぶりのお米)

   チョコレートケーキ(ふわふわして美味)とミニコーヒー

 家庭的で作り手の良心を感じる食事でホッとする。

 

 

1029日(月) 晴、曇り、雨(パリ)

 650 ロビー集合。重いスーツケースをホテル玄関→駅→プラットホームまで転がしたり階段を引っ張り上げたりしながら辿り着く。

 車両二つに別れて乗り込む。

 以前のTGVとは異なる路線なのでどんな風景が見られるかしらと楽しみで多少ワクワクする。真っ直ぐ北上して、リモージュを経由するらしい。   

 朝一番のパリ行き急行の車内はほぼ満席である。カオールから長身、白髪、碧眼の老紳士が乗り込み、通路を挟んで隣の席に長い脚を折り曲げて行儀よく座った。

 車窓からは、かのヴァラント橋が通り過ぎてゆくのがよく見えた。

 ややあって、老紳士が私に話しかけてきた。「少しお話ししてもよいか?」英語であった。「A littele bit !」と答える。彼は77才でカナダ(太平洋に近い)から来て、一人でジュネーブ、ル・ピュイ、カオール(3泊)の順でサン・チャゴ巡礼路を辿っている途中で、20以上の旅にもかかわらず信じられないくらい軽装で、荷物も5kgだと網棚を指さした。「77才だって。日本では喜寿というaniversaryだよ」と答えた。これからパリよりユーロスターでロンドンに向かうそうだ。しかも奇遇なことに47才の息子が大阪大学でliteratureの教職に就いているので大阪、神戸はよく知っているとのこと。周囲の兵庫県の二、三の人たちも引き込んで、阪神大震災の話から、タコ焼きから、すし、刺身まで日本の食べ物の話でひとしきり盛り上がった。

 車内での6時間余りもあっという間で、パリ、オーストリッツ駅に着いた。パリは雨だった。ホテル差し回しのバスで雨のセーヌ左岸を走ってデファンス地区のメルキュール・ホテルに到着。

 デファンス地区はパリでも場末だとS夫人が言う。彼女は40年前頃(昭和43年)友人夫妻とパリに来たことがあり、この時一人で地下鉄にも乗ったとのこと。

 パリの空の下、もうどこでもいい、明日の帰国に間に合えばいいのだ。場末とはいえ交通の便はよく、地下鉄の駅まで近く雨にも濡れず。三つ目の駅で降りるとオペラ座(ガルニエ宮)、ラファイエット百貨店の最寄り駅であった。3時間のフリータイムがありオルセー美術館も視野に入ったが、月曜は休館だろうと断念した。シャンゼリゼを歩くのもこの雨の中では気がすすまず、タクシーも見つかりそうにない。結局、百貨店で夕食までの時間を過ごす。

 再びオペラ座に集合して中華料理店へ。残念ながら日本料理店は予約できなかったとのこと。日本の新米をおかずなしでもいいから食べたいなあと思う。

 11ユーロ+ビール2ユーロで社員食堂のランチセットの様なものを注文、白米(古米)ともやし、麻婆豆腐があるだけでも有難い。

 S夫妻は二人だけで夜のエッフェル塔見物に行ってきたとのこと。鉄骨にイルミネーションが灯れば、ドレスを纏っているようでとてもエレガントだったとのこと。「お二人で地下鉄、怖くなかったですか?」「スリが怖いので財布を真ん中に二人で抱き合ったまま乗っていました。」と夫人。「バカヤロウとつぶやきながらね」とご主人。お二人は今年目出度く金婚式を迎えられたとのことです。固く抱き合って車中の恋人を装いつつ防犯対策を講じられたのでした。「ばかやろう」は80才近い日本男子のテレであろう。

 いよいよ今夜が最後の泊まりとなった。

 

 

1030日(火) 晴

 モーニングコールは730

 クーポン券で朝食は手早くすませる。集合は925のはずだが、10時にやっとバスが来て、空港F52より機上へ。 

 快晴である。こんな日なら半日でもパリで過ごしたいものだが、いかんせん帰国あるのみで3時間前には出国手続き。陰険で意地悪のカタマリのような男が私の手荷物を隈なく探る。

 大変嬉しいことにエコノミーのはずが全員ビジネスシートとなった。素直に喜ぶ。二泊余分と帰路ビジネスシートのおまけがつきエア・フランスのストライキも結果的には粋な計らいとなった。

 搭乗まで2時間近く買物したりラウンジを覗いたり。もう、無事日本に着くのを祈るのみ。

 座席は窓側で眺望もよい。広さは窓二つ分で充分な広さ。1時間後、ライチジュースで生き返った思い。続いてシャンパンも。客室乗務員も大変愛想よく、100120%のスマイルだ。きっとストライキの回答が満足するほどよかったのだろう。私もストライキのおかげでよい思いをさせていただきましたよ。

 食事も美味しく頂きました。しかも追い風とのことで10時間余で関空に着きました。

 総じてお天気にも恵まれ快適な旅でございました。