東北地方サイクリング (山形県鶴岡−福島県白河) 2008
以前、山形県鶴岡から六十里街道を越えて寒河江へ、国道13号線を北上して田沢湖までと、その次の年だったか、田沢湖から国道341号線を北上し十和田湖、弘前、十三湖を経由して竜飛崎に到った。それで今度は南の方へ繋ごうと考えた。
10/11(土)
昼頃、新大阪駅に行き、ひょっとして「日本海」の寝台が取れないかと尋ねるが、三連休の初日とあって当然満席。やむを得ず東京、新潟経由で鶴岡に向かう。2時、新大阪を出発して、鶴岡に着いたのは11時20分。えらく時間がかかった。今更宿を探すのも億劫なので、駅前の公園でベンチ泊。こんな田舎町ではまさか親爺狩りも出まい。当今は山の中よりも町中のほうが怖い。
今回の自転車はダートの登りを考え、MTB並のギア比にした古いGiosクロスバイクを持参した。
10/12(日)
6時出発。朝食は昨夜買っておいた駅弁。道は112号線と分かれ、大鳥川に沿って旧朝日村に入って行く。早朝の田舎道に車の行き来はほとんどない。曇り空だがまあ雨の心配はないだろう。
朝日大泉小学校の看板はタキタロウだ。タキタロウはこの川の上流、大鳥池に棲むという伝説の巨大魚だ。岩魚の巨大化したものだろうが、2mぐらいになると言われている。近くの家の軒にしめ縄のようなものがガラスの箱に飾られている。何か神事に使われたもののようだ。道ばたにトチの実が干してある。
大荒沢ダムを越え、大鳥池への道を分けると寿岡の集落に入る。ここは昔、大泉鉱山で栄えたところだ。選鉱所跡がある。ナメコが山のように積んである。天然物のようだ。
道はいよいよ以前「朝日スーパー林道」と呼ばれ、ライダーやサイクリストにはよく知られたダートに入る。今は県道鶴岡村上線という。ここは標高370m、県境の峠まで10km、400mの登りである。少し行くと慰霊碑がある。ここは大正7年1月、鉱山の宿舎が雪崩に巻き込まれ百五十余名の犠牲者を出したところだ。熊谷達也の「邂逅の森」にも出てくる話だ。
山盛りのナメコ | 大泉鉱山選鉱所跡 | 雪崩遭難慰霊碑 |
ダートに車輪を取られながらもノロノロと進む。キノコ取りか地元の車の通行が多い。11時、峠に到着する。空は晴れてきたが、残念ながらこの辺り紅葉の盛りにはまだ早い。遙かに見えるのは朝日連峰の伊東岳(1771m)だろうか。しばらく行くとゴールドパーク鳴海。数台の車が止まっている。管理人に聞くと、ここは戦国時代佐渡を超える金山だったとのこと。見学には時間がかかりそうなので、パスして先へ進む。峠から25kmの半分はダートの猿田川に沿った大降りで奥三面ダムに到着する。
ここで村上へと下る県道と別れ、ダム湖畔の道を蕨峠へと向かう。平成13年に完成したこのダムの下にはマタギの里、三面集落が沈んでいる。ビックリすることにはこの雪深い山奥の地に縄文時代の集落があり、多くの遺物が発見されたとのことだ。ダムから蕨峠への登りは200mのダート、30分ほどの登り。
峠より伊東岳を望む | 林道からの眺め |
猿田川ダム | 新三面ダム直下の紅葉 |
新三面ダム | 蕨峠 |
峠を下ると折戸の集落、ここで一人の若いサイクリストに追いつく。埼玉の人で、今日は私と同じコースを走ったとのこと。小国までなだらかな道を併走しながらしゃべる。
4時、小国到着。近くでテントサイトを探すつもりだったが、同行者が宿に泊るというので、こちらもそのつもりになる。三軒目(最後)のビジネスホテルでやっと空室があった。夕食付きで6,000円。風呂が有難い。晩飯についたアケビの皮のキノコ詰めがほろほろと苦く、最高の酒のあてであった。
本日の走行距離、115km。
10/13(月、体育の日)
5時半出発。今日は朝から快晴。コンビニのラーメン。
国道から別れて、県道8号線で山の中へと入って行く。子持峠のトンネルを越えると叶水。ここにはキリスト教独立学園という全寮制の高校がある。一学年男女各25名の小さな学校だが、結構高いレベルだとの噂だ。ウーン、小さな雑貨屋がある程度のこの山の中の小さな集落で3年間の青春時代を送るのはよほど強い信仰心がいるだろうな。この細い道路沿いには天然ガスのパイプラインが日本海と太平洋を結んで走っている。
収穫前の蕎麦畑 | ガスパイプライン | 飯豊本山を望む |
九才峠を越え、白川湖畔の広大なキャンプ場を過ぎる。この辺りから飯豊本山が望める。県道4号線から、やがて国道121号線に出る。午前10時。左折して米沢へ寄るか、会津若松方面に向かうかちょっと迷う。米沢は行ったことがないし、来年の大河ドラマの舞台でもあるし、いま読みかけの「かてもの」が書かれたところでもあるし、まあちょっと寄ってみるか。
結局、寄ったといっても、上杉家廟所(上杉謙信を中心に代々の殿様の廟が並んでいる)と上杉神社(あまり大きくない城跡)を見て、蕎麦を食べただけで、米沢牛は食べられなかった。急いで121号線を引き返す。途中、塩地平の草木塔を見て、1時半いよいよ121号線旧道との分岐に到着する。
大峠を通る旧道は1887年、当時の県令三島通庸の命で開削された山形県の置賜(米沢)と福島県の会津を結ぶ主要国道で、これによって両地方の物流が飛躍的に発展した。険しい山肌を縫い、九十九折りを重ねるこの道路は開削が如何に難工事だったかを窺わせる。1992年に新道が開通するまでは、両地方を結ぶ冬期通行可能な唯一の道路だった。地図を見る限りは、現在は少なくとも一部峠の辺は自動車は通行不能のようである。
ネットで検索してみると、自転車は通行可能な様子であるが、或るサイトでは、「熊が出る、マムシがいる、岩が落下する」と言って通らないように脅しているが、こんな事を心配していては山は歩けない。まあ、大したことはないだろう。
旧道に入る。さすが、旧主要国道である。車の通行は殆どなくなっても、舗装はしっかりしてひび割れ一つないし、勾配もなだらかで快調に登って行ける。しかし道は狭く、今の大型トラックなどは離合どころか、通行も不可能だろう。上るにつれて紅葉が鮮やかになってくる。
7km程進んだところで、いよいよ通行止めである。厳重なブロックに自転車を担ぎ上げるのに苦労する。通行止めになって何年経つのだろう。山側から土砂が崩れてきて道路に敷かれ、その上に灌木や草が生い茂っている。しかし、その下の舗装はしっかりしていて、ブルトーザーで土砂を取り除けばすぐに車が走れそうである。東北電力の送電線巡視路としても使われているようで、最低歩行路一本は確保されている。土砂に掩われていない部分も多く、半分以上は乗って走れる。紅葉の中を乗ったり押したりして進む。峠近くで未舗装となり、雪崩防止柵が路上に倒れている。ここは担いでフェンスの網の上を歩かざるを得ない。通行止め区間約4kmを抜けると峠のトンネルに出る。周囲の山は真っ赤に紅葉している。この付近に昔、カオリン・蝋石の鉱山があり、その索道跡らしきものが残っている。標高1150m、600mの登りだった。
子供を背負った女性の幽霊が出た(後から聞いた話)という100mほどのトンネルを越えると、福島県。落葉で掩われた九十九折を下ってゆく。谷筋で土砂が流出してきているのでこちら側も通行不能だ。200mほどクネクネとヘアピンカーブを下り、なだらかな林の中でハンモックテントを張る。近くには清冽な流れがある。夜、月光が樹の間より降りそそぐ。全くの静寂。
本日の走行距離100km。
旧国道121号線の景色 |
10/14(火)
昨夜は背中、足が冷えた。まだ、ハンモックテントの快適な使い方を会得していない。今日も快晴。
6時出発。朝食は喜多方で摂ろう。しばらく下ると工事車両が道を塞いで通行止めになっていて、道路工事も行われている様子だ。してみるとこの道路、荒れるがままに放置する気でもないようだ。九十九折と下りると根小屋集落、ここからは平地となる。
7時半、喜多方駅。聞いてみると、7時から開店しているラーメン屋もあるとのことである。喜多方ラーメンを食べなくっちゃーと「喜一」という店に入る。値段が安くて縮れた麺も旨いが、ダシが少しあっさりしすぎか。
121号線を会津若松へと向かう。ここも初めて訪れる町だ。米沢よりはだいぶ大きく、賑やかである。鶴が城を見物する。広大な城跡、天守閣に上って町を一望する。
更に南下して大内宿を目指す。この道は下野街道または会津西街道と呼ばれ、関東から会津へはいる重要な街道だった。大内宿はその宿場町である。本郷町関山、戊辰戦争の激戦地とのこと。会津藩士40名戦死の墓が路傍に立っている。氷玉峠まで600mの登りがきつい。峠から大内宿まで一気の下り。
1時、大内宿到着。宿場に入って驚いた。平日だというのにすごい人出である。観光バスが何台も停まっている。関西ではあまり知られていないが、関東では有名らしい。しかし、街道をはさんで両側に並んだ茅葺きの家々は見事である。関西の茅葺き集落、美山とはまた違った趣がある。両側の家々が全て土産物店となっているのがまたすごい。一軒の店に入って蕎麦を食べる。ネギ蕎麦とか云って、一本のネギを箸代わりにして、それを囓りながら食べるのだ。ネギは旨いのだが、蕎麦はやはり関西人にはしっとりとは来ない、何かちょっと違和感のある味であった。
2時半、湯野上温泉。阿賀川の渓谷が美しい。少し早いが、駅前の温泉に宿を取る。荷物を置いて、塔のへつりを見物に出かける。奇観ではあるがスケールが小さい。
渓谷を見下ろす露天風呂。手足を伸ばして寛ぐ。一泊二食で一万円と温泉にしては安宿だが、露天風呂は最高である。
本日の走行距離90km。
関山−戊辰戦争戦死者の墓 | 大内宿 | |
塔のへつり | 湯野上温泉の眺め |
10/15(水)
最初の計画では、ここから会津田島、湯ノ花温泉、田代林道を経て日光へ抜ける予定であったが、家内に一日値切られてしまった。それで宿の主人の薦めでここから9月下旬に開通した国道289号線甲子トンネルを通って新白河に出ることにする。
7時半出発。今日も快晴。国道121号線は交通量が多いので、上り下りが多いがノンビリと対岸の道路を走る。やがて289号線に入り、新しい道路を緩やかに上ってゆく。交通量は少なく、路肩が広いので自転車は走りやすい。
昨日の氷玉峠と登りの標高差は変わらないが、今日は比較にならないほど楽に上れる。やがて甲子トンネル。この辺り紅葉がようやく盛りを迎えようとしている。長さ4kmのこのトンネルも自転車が通れるような広さの歩道はなく、車道を走る。今は交通量が少なく快適だが、将来は大型トラックが走るようになり怖いことになるだろう。トンネルを抜けると阿武隈川の源流となる。新道から外れて川沿いの旧道を走る。広葉樹林の中の美しい道だ。
R289の紅葉 | 甲子トンネル入口 | 甲子トンネル出口 |
新甲子温泉を経て白河までは一気に下る。白河では白河集古苑、小峰城跡、歴史民俗資料館(松平定信展)、南湖公園を見学する。白河の関は往復するのはちょっと骨なのでパス。新白河駅から帰阪。ジパング倶楽部に入ってからJRの運賃が安くなってほんとに助かる。
次回は田代林道、奥鬼怒林道を通って群馬県へ、志賀草津道路で長野県へ入り、何時の日か本州中央を通って大阪まで繋げたいと思っているが、さてそれまで体力が持つかどうか。
本日の走行距離60km。
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