安芸灘


明け初めし野呂の高原もとおりてエゴのかほりに咽びつるかな


紅紅と朝日登れる寺に立ちとびしま海道ながめつるかな


うぐひすの鳴きつる方を眺むれば四国あたりに雲のかかれる


安芸灘の風に吹かれて島渡る友の顔も晴れやかになる


海月浮きチヌの泳げる瀬戸の海見入る我らも子供に帰る


ネジキ咲く白滝山に登りたり海に継ぐ島島に継ぐ海


六百の羅漢佇む白滝山我に似たるをえ見つけえず


ヴォーリズ造りし島の館にて寛ぎ居たるこの幸せよ


伊予の国三千年の楠の木の洞を潜りて神参りせし


旅にて


旅に倦み浜辺におりて貝拾ふ玄界灘は穏やかなりけり

火炎土器数千年のほむら立ち我をむかしに誘ふが如く

井戸尻の岩陰湧ける清き水縄文ひとの命を汲みぬ

桃桜咲きたる丘の彼方には南アの峰峰銀に輝く

響灘三千年の白き骨虚ろな目もて海をみつめぬ

名月の一夜限りに咲き誇る月下美人は夢のごとくに

瀬戸内を渡る船にて足揺れぬ波のためなる酒のためなる     

しみじみと住める部落のその上を高速道路暴虐に過ぐ

甘南備の山と言ふべき宮地嶽そのいただきに神参りせし

昔来し北上河原の星の夜半世紀経ちて想い出したり

かもめ舞ふ船のへさきに憩いたり丹後の海の清らけきかな

若人と語れば早くも夜はふけぬ老いの時計は少しもどりて

美しく素直に歌える人ありて心のままを表したるかな

漁火の越前海岸湯浴みして酒飲み語らふ楽しからずや

天空は零下十度に凍てつきて西穂の峰に雪煙の飛ぶ


  
夕焼けに淡く霞める藤を食む鹿の眼にも春は来にけり

飛火野に春は来にけり若草の妻問ふ鹿の声のきこゆる

白藤の香りにつつまれ果てるとき浄土はそこにあるものと知れ

神さびし太古の森より崩れ落ち轟きわたる那智の大滝

真夜中に一人目覚めて我の居ぬ世界のことを考えてみる

大和なる矢田寺に咲く紫陽花の色に染まれる地蔵たちかな

うぐひすの鳴きたる谷に三つ葉摘みかほりにむせび登りつるかな

 

  

夕陽はまさに大橋へ沈みたる白帆わたれる風もさやけし

外つ国の人ら集える帆船の語らいもまた一期一会なり

地の果の潮岬の荒磯に少年たちの海胆漁る見ぬ

酔いしれて眠る奥飛騨きこゆるは枕の下に響く瀬の音

曙の林の中に湯浴みして三十年の来し方思ふ

奥飛騨の丘の上より見渡せば想出の山想出の旅

高野山露天の湯より仰ぎ見る月さえざえと秋近づけり

金雀児(えにしだ)の枝より落つる露の玉そに映りたるわが涙かな

夢うつつうつつに明ける朝ぼらけ朝の光に消ゆるおもかげ

夕刻のメトロの駅に満ちあふる汗と息と化粧のにほいと

 

秋の夜の夢の浮き橋鳴きかかるおぐらき森に妻問える鹿

祖母谷の青き水面に映りたる色づきそめしぶなともみじと

秋の田のあぜに生うる曼珠沙華万葉人も愛でし花なり

紅に装ふ白き宝剣の青き空に屹立す見ゆ

三日月の巌の山にかかりゐて麓はあまねく紅葉に染む

紅葉をしかも隠すか雲だにも伊那の谷より霧湧き出づる

玉置なる山やうやくに紅葉(もみづ)れどふもとは未だ緑遥けし 

玉置山三千年の杉の木は人の営み如何に見つるか

面青き蔵王権現怒りゐてわが怠惰をば戒めたまへる 

音にきく夢のわだに浮かびたる泡のごときか人の命は

東大寺草を食みたる鹿の背に黄金色した蝶舞いおりぬ

 

 

こほりつくぶなの林をとおりすぐ億年の風の音をききたり

凍てつける樹氷の森の彼方より大いなるものの声のとどろく

みちのくの湖のほとりの梢には雪からすのみさびしくとまれる

白馬の里に雪ふるその雪のつもれるごとく想ひはつもる

夜のふけて南佐織の歌きけばはつかメローな心地になりぬ

次の世は黒き猫に生まれ来てきみのしとねにねむりこみたし

久方に母見舞はむと思へども窓の外には雪のふりしく

ふりしきる雪眺めいて日は暮れぬこたつの中にて春は立つなり

 

夕陽の照らすビルに映りたる河の桜は盛りなりけり

沈みゆく紅き夕日に照らされて花はいまぞ咲きほこりたる

穢れたる街と水を閉じ込めて闇に浮かべる夜桜淡し

花吹雪舞える城の木の下でひとり静かに老ひを養ふ

春弥生花舞ひ散らす采女風明日香の里はうららかに暮る

西行の愛でし吉野の山桜霞のごとく咲きわたりたり

行く春の城のほとりの八重桜風にさそわれ散り初めにける

柔らかき風にさそわれ散る花にうづもれ果てし夢を見にけり

 

古代

黒き石光るを見れば縄文の人になりたる心地ぞしたる

鵜を抱きて海の彼方を見はるかす清き姫巫女にわれは仕へむ

響灘二千年の白き骨そのかんばせは見れどあかずも

山際にひらける横穴訪ないて古へ人と語らむとす

丹波竜歩みし谷に秋深く一億年の咆哮を聞く

二人して眠れる赤き石棺はいかなる定め物語れるか

美しき冠靴は飾れども深き恨みは消ゆることなく

大いなる銅鏡おきて伏せりたる伊都女王に我は会いたし  

甕棺に王ら眠れる奴の国の岡のふもとに子らの戯むる

 

信濃

かにかくに信濃の山は恋しかり去年ゆきし山またも訪ねむ

みすずかる信濃の森にひそか咲くニッコウキスゲを訪なえるかな

ときなくも雨のしのつくぶなの森太古然たる木木の雄雄しき

苗場なる峰に広がる池にたち真白き雲をあかず追いたり

遠雷のとどろく御岳ゆぶねより白き蝶の飛べるをおえる

ゆく夏の三本滝におつる水白きながれをあかずながむる

鋸の戸隠山に登りたる修験の道の険しかりける

戸隠の蟻の門渡り雨降りて越すに越されず寂しく帰りぬ

 

立山

登りきし芦くらの里人気なく路傍のあぢさゐ色あざやかなり

霧ながる這松の陰えさあさる仔に鳴きかける雷鳥の母

霧ふれる立山の谷名もしらぬ花とりどりに咲きほこりたり

大日に上りて遥か槍ヶ岳かすかに見ゆる心楽しも

大日の尾根に咲きたるチングルマ小さき花をたれにささげむ

大日の平の小屋に泊まりたり夕きたりなばうぐひすのなく

夕陽に白く輝く富山湾彼方の海は紅に染む

夕焼けの薬師をみわたせば逝きにし人のことの思わる

山小屋に泊まり親しく睦みあふ一期一会も楽しかりけり

街住めば山の恋しく山行けば人の恋しくなりにけるかも

 

  八ケ岳

甲斐の国唐松林の彼方へとエスペラントの歌の響ける

うぐひすの鳴きわたりゆく山蔭の枯れ葉積もれる道柔らかし

郭公の鳴きつる方をながむれば緑の杜に霧雨の降る

岩かがみ九輪草の咲ける道石楠花いまだ蕾のかたし

本沢の露天に浸かり山仰ぐ気宇の大きくなりにけるかも

車山丘の黄萱(キスゲ)の花見れば昔の人のことの思わる

はらはらと大いなる樹より一葉落ち夏の終はりを密かに告げぬ

赤岳に雲の上がりて薄日さし清泉寮に虹のかかりぬ

あくがれの山々車窓に遠のきて旅の終はりの何故に悲しき 

 

  友どち

酔いどれて友の歌える白虎隊ききてふけゆく会津のうたげ

五色沼碧き水面に涙して遥けきときを想いいづなり

くろがねの小屋に湯浴みし友どちと過ぎし日語る楽しからずや

岩ひばり鳴きつるかたをながむれば吾妻の山の青く霞める

友どちの集いて遊ぶ春の日の淡く萌えたる緑の岡辺 

大井川緑の川辺を蒸気車は歓声乗せて走り行くなり

山かげの夢の吊橋渡りてゆかむ深きわだは青くよどみて

 

   韓国

王陵の緑の風に揺れてゐるチンダレの花にほい香はし

韓屋のマダン(庭)に咲けるリラの花コルモク(路地)歩めばはつか香れる

連翹の咲ける岡辺に鵲のふたつ番ひて戯れ飛べる

竹わたる光と風に包まれて命は静かに育ちにけり

春されば新羅の都に咲き誇るさくら木蓮れんぎょうの花

 

   台湾

ほの紅き六千年の壷ありて激しくこころ揺さぶらるかな

紅蓮の池みわたせるテラスゐて茉莉花茶飲み旅情なぐさむ

朝まだき寺の床にひざまづき媼は媽祖になに祈れるか

淡水の彼方に沈む夕陽を君の父も見しことありしか

遥かなる日月潭の水面にも四手網にて漁る人あり

 

欧州

子らのため折たる鶴が教会の石の道を舞い降りてゆく

コルドバの小暗き朝に現れしフェイスタ(パーティ)人のそぞろ歩める

かいつぶり浮かべる城の堀傍に小説読める金髪の人

かぐわしき薔薇の谷にて友摘みしひとひらの花遥かなりけり

地の果てのフィンランドの山の端にかすか光れる緑の極光

いつの日かプロバンスの里訪ずれむ夢あくがれし丘を尋ねて

 

  わかれ

喜びも悲しみもあり百年の命生きたる媼と別れぬ

おおらかに酒を勧めし人逝きて夜の巷を空しく歩みぬ

なゐ起きて一年たてる春なれど悲しきことのいまだ続ける  

楠の深き森へと入りたる人を静かに偲びつるかな

戦ひに春奪われし人逝きて一つの時代の終わりゆくかな

七宝を作りしひとの逝き行きて白き皿と句のみ残せる

いつの間にか皆で歳をとってきて迎えの来るのが近い頃かも