熊野古道を行く −中辺路−

 

すでに小辺路(高野山−熊野大社)、大雲取越え(熊野大社−那智大社)、大峰奥駈道(吉野−熊野大社)は歩いており、中辺路も近露から滝尻王子、伏拝王子から大社までは参っている。家の近所にお参りに行く阿倍王子神社があり、ふと大社まで歩いてみようと思い立った。昔の記録では速玉大社、那智大社をまわり往復20日ぐらいとある。

 

一日目(2005110) 阿倍野−岸和田 8時間

 安部清明神社、阿倍王子神社のあたりは静かな散歩道。万代池で一服。住吉神社の裏側は街道の面影を残している。大和川を渡ると道がよくわからなくなるが、方違神社をすぎ、仁徳天皇陵の西側を通る。ガイドブックではここから西に曲がるが、大仙公園を抜けて大鳥神社に向かう。鳳商店街が昔の街道というのが面白い。ここからが新しい道ができてややこしいが、信太山あたりに入ると雰囲気はよくなる。小栗地蔵もあり、昔は小栗判官にちなんで小栗街道と呼ばれていた。紀州街道ともいう。和泉府中駅近くの和泉の国名の元となったといわれる泉井上神社を過ぎ、小栗橋を渡ると後は府道歩きがつらい。JR東岸和田で今日はおしまいとする。快速で天王寺まで30分。両足にマメ。

 

二日目(123) 岸和田−布施屋(ほしや) 8時間

 JR東岸和田から古道に入る。途中ため池の堤に道があるが、工事中で立往生する。水間鉄道を越え、癇医者のあったといわれる長谷川の坂にかかる。昔の面影がある。JRを越え、南近義(こぎ)神社に至る。神社を回りこむところで道を間違え、付近をうろうろする。大阪側には道標はほとんどない。南海線泉佐野のあたりを通り、空港自動車道の下を抜けて、農村部へ入っていく。大阪夏の陣で討ち死にした塙団右衛門の墓がある。このあたりも古道の雰囲気が漂う。信達本陣後のある信達市場の街道筋は長くまっすぐに続いている。またJRを越えると見事な岡中の大樟がある。これより峠越えにかかる。山中宿のあたりの古道はきれいにしているが如何せん舗装で足が痛い。後はひたすら自動車道路歩きで、雄ノ山峠を越えて、紀ノ川に向けて下る。紀ノ川の長い橋を渡るとJR和歌山線の布施屋(ほしや)。大阪まで1時間あまり。前回と同じところにマメができる。

 

三日目(35)  布施屋−紀伊宮原 9時間半

 和歌山に入ると道標が多くなるが、地域により形式が違うので少し戸惑う。布施屋から矢田峠で丘陵を越える。ようやくハイキング気分となる。みかん畑の間を抜けていく。南海貴志川線を横切り、高速道路をくぐる。武内宿禰誕生の地という武内神社がある。古さの残る多田の集落を抜け、汐見峠にかかるが、海は見えない。4時間で藤白神社にたどり着く。有間皇子の墓を過ぎて、いよいよ山越えである。海南港が見えるが、発電所とテーマパークでは興ざめである。たいしたことのないのぼりの後、峠の地蔵峰寺につく。みかん畑の間を下っていくのが気持ちよい。しかし小松原から拝峠までが長い。赤ん坊の泣き相撲の山路王子神社を過ぎると急登にかかる。峠につくと西の海が美しく光る。ここからみかん畑の中を急降下する。落ちているみかんを食べる。木に残っているのは皮だけ残して鳥がきれいに食べている。紀伊宮原駅より帰り電車で1時間半。

 

四日目(319) 紀伊宮原−御坊 10時間

 ここからは大阪から遠くなるので二泊三日を計画する。紀伊宮原より糸我峠で低い丘陵を越える。もう一つ小さな峠を越えると湯浅の町に入る。川を渡り醤油発祥の地である古い町並みを抜け、JRのガードをくぐると、川で四手網を使い白魚を取っている。この後国道を通るのがいやさに農道を進み、元に戻るのにみかん畑を攀じ下るということがあった。河瀬より鹿ケ瀬峠の難所にかかる。最近敷いたと見られる石畳があったが歩きにくい。坂はそれほどでもなく、大峠につく。ここで初めてハイキングの人に会う。下ると昔の石畳があり、椿の花びらがこぼれて美しい。途中地元の人か木の句碑が並んでいる。それにならい、

 千年の古道に生うる楠の木の肌えにふれて時をたどりぬ

などと詠んでみるが、有間皇子や定家の歌碑もあり、恥ずかしさだけが残る。この辺りより、黒竹が多く現れる。京都に出しているという。足をひきずり道成寺に向かう。ここより日高川への道がよくわからない。何とか川を渡り、歩いていると偶然に予約した宿の看板があり、転がり込む。

 

五日目(320) 御坊−南部 9時間

 朝方腹の調子悪くなる。ふらふらしながら出発。美人を授かると言う塩原王子神社は森が美しい。国道の横の町を通る旧道を歩くが単調なこともありつらい。印南を越えて切目王子、ここは大事に祭られている。付近は花やマメの温室が多い。榎木峠で山の中に入りほっとする。海岸に出ると海がまぶしい。有間皇子結松を過ぎると浜辺に岩代王子。岩代の駅でスポーツ飲料を飲んでやっと元気を取り戻す。ここから千里浜へ出るのが、ガイドブックと道標が異なり新しい道もできていて、意外とむつかしい。このあたりから一面の梅林になる。千里王子はすばらしい砂浜の中にある。小雨の中いにしえの南部峠を越えて梅の町南部へ。町外れから旧の線路跡を歩く。休んだ後は、足の裏や、もも、腰が痛くてロボットのような歩き方になる。スキューバ・ダイビング用の宿があったので泊まることとする。近くのお好み焼き屋で主人に相撲の解説を聞きながら夕食

 

六日目(321) 南部−滝尻王子 8時間半

 元気を回復したので5時発。田辺の町で日の出。三日間天気がもった。田辺の町は口熊野の看板が出ている。いよいよ聖なる熊野の領域に入っていく。会津川の堤防をさかのぼり、方向を東にとる。下三すの善光寺にお参り。木蓮がもう咲いている。ここより山道となる。峠を二つ越えて八上神社へ。清見オレンジ3個で100円。おじさんがおまけにデコポンをくれて話し込む。梅もみかんもなかなか儲からないと。南方熊楠の名づけたオカフジのある田中神社を過ぎ、道よりそれて小さな峠を越えるといよいよ富田川沿いの稲葉根王子。市ノ瀬橋を渡り、県道の対岸を行き、大塔村に入る。定家の歌碑のあたりから細い山道に入る。気分よく歩いていると、川が蛇行しているところで尾根越えの峠にかかる。峠には道祖神。下の部落に降りてつり橋を渡り、清姫の墓へ。このあたりは安珍清姫ゆかりのものが多い。清姫街道と称すべきか。最後の30分で滝尻王子に。はるばると来つるものかな。熊野大社まではあと2日の山道である。お礼のお参りをした後、バスで田辺に下り、特急で大阪へ。途中歩いた道があっという間に車窓を過ぎていく。

 

七日目(42) 滝尻王子−小広峠 7時間

 前夜田辺で古い旅館に宿泊。一番のバスで滝尻王子に。ねんごろにお参りののち、山道を登る。今回からは山靴で心が躍る。朝の冷気が心地よい。高原熊野神社の近くの休憩所で手作りの草餅を買い朝食とする。この近くに、イーデス・ハンソンさんが住んでいるとか。また山道となり、十丈王子を過ぎると悪四郎山を巻く気持ちのよい潅木の道となる。ここは前にもきたが素晴らしいところである。

 みちの辺に咲けるあせびをめでつ行く古びともかくありつるか

三体月を過ぎ、逢坂峠より下り、牛馬童子を過ぎると近露王子に。ここの碑文は戦前に弾圧を受けた大本教の出口王仁三郎によるもので、全国で残っている唯一のものとの事。今日の宿に荷物を預け、まだ昼なのでもう少し歩く。山桜、水仙、レンギョウをながめつつ、見事な野中の一方杉を過ぎ、後は旧国道歩きで小広峠へ。バスで宿に戻り、温泉に向かう。近くの家に樹齢250年というしだれ桜の大木がある。同宿で、滝尻王子から本宮、大雲取越えで那智大社に向かうという元気な北海道のグループがいた。知人のお兄さんが来てくれてビールを飲みながら歓談する。

夕暮れに下駄をカラコロ響かせつ麦酒買うのもあと五町

 

八日目(43) 小広峠−熊野本宮大社 5時間半

 天気予報は雨だが、何とか持っている。宿で朝食のあと、主人に車で小広峠まで送ってもらって、古道に踏み出す。草鞋峠を越え谷川を渡り、女坂を登り岩神峠より男坂を下る。薄暗い杉林の中をひたすら歩く。

熊野へとつづく道の遠ければ霊験のなおあらたかときく

河岸の下りが長く続き、橋を渡ると湯川王子。登れば三越峠。これより本宮に流れる音無川源流を下ることとなる。猪鼻王子を過ぎ、たっくん坂を上るといよいよ発心門王子、観光客がいる。付近は杉の美林である。ここまで車できて本宮まで歩く人が多い。のんびりとした山村を抜けると果無山脈が見えてくる。途中でシイタケと漬物を買う。日が照ってきたのでアイスキャンデーをなめながら伏拝王子へ。ここより緩やかな下りで遂に本宮へ。お参りの後、旧社地の大斎原(おおゆのはら)の川原でメハリずしを食べる。大峰奥駈のときは対岸から川を渡渉してきた。帰りのバスで椿事があった。うとうとしているとバンという音がして停車。ラジエーターがこわれたとのこと。昨日歩いた道の上である。だいぶ待ってタクシーで先ず私も含め五人が田辺へ。後の人は次のバスか相当遅れてついて、おまけに降りた時の雷雨でびしょ濡れに。全部歩きとおした私には神のご加護があったのか。