もろもろのこと
秋は紅葉(2018.11)(高齢者大学の課題作文です)
春は桜、秋は紅葉の時期になると、心が騒ぎ、気もそぞろになって、我知らずさまよい出してしまう。今年も九月になると腰が落ち着かなくなった。
八ヶ岳西麓の唐沢鉱泉は秘湯の宿で、標高が千八百メートルあるので、紅葉も早いかと、十月上旬に訪れた。中央線茅野駅から旅館の出迎えの車で一気に登って行く。途中に縄文のビーナスで有名な尖石遺跡がある。最後は地道の急勾配で白樺やブナが色づいている。針葉樹が多いので紅葉は全体にそれほどでもなかったが、渋湯に降りる林道はほんのりと黄ばんでいた。
十月下旬は岐阜県新穂高温泉を訪れた。高山からのバスがトンネルを抜けて平湯に入ると、山は紅葉の真っ盛りである。新穂高の刈萱で降りて秘湯の宿水明館に入る、露天風呂の大きいのが自慢で、湯に浸かると両岸の山が見事に紅葉していた。
次の日は小雨の中を、ロープウェイの駅から林道を歩いて登った。錫杖岳の黄葉、紅葉、緑の混じった斜面に霧がかかって幻想的だった。わさび平小屋はもう閉まっていたが、横のキャンプ場の楓とブナも見事だった。バスを乗り継いで、上高地近くの中の湯に入った。この付近は紅葉が盛りで、霞沢岳の斜面はお能の衣装のように華麗だった。
最後の日は上高地に行って、明神池まで歩いた。梓川沿いは落葉松の黄葉が見事で、太陽に照らされて黄金のようだった。河童橋から見る穂高岳も見事だが、明神橋から見上げる明神岳も岩と紅葉が神々しかった。
十一月中旬には和歌山県に銀杏を見に行った。田辺から熊野大社に抜ける途中の福定という部落にある、樹齢六百年、樹高25メーターの木は、まだ盛りには一週間は早いということだったが、小さな部落の中に威容をほこっていた。翌日龍神温泉から高野竜神スカイラインを登ると谷は染まっていたが、尾根はもう冬枯れていた。高野山や丹生都比売神社のモミジは盛りだった。紀の川に降りると柿の葉が赤くなっていた。
掉尾を飾る紅葉狩りは奈良県の竜田川と決めている。謡曲の故地であり、何より人のすくないのがいい。来年も生きていれば、久しぶりに九月の北海道に行ってみたい。支笏湖の温泉の露天風呂に浸かって、日本一早い紅葉を愛でるのは最高の贅沢であろう。
能との出会い(2018.10) (高齢者大学の課題文「出会い」です)
五月頃のことになるが、高齢者大学が終わった後、空堀町に用があって、上町筋を南に歩いた。途中に大槻能楽堂があったので、掲示を見ていると、前に講演を聴いたことのある人が出演する能楽の会が開催されるとあった。
能は以前金剛流の謡いを習っている人に誘われて何回か観にいったことがある。しかし謡の文句がよく分からず、舞もゆったりしたものが多いので、いつも寝込んでしまったものだった。
久しぶりに観たのは、「半蔀」と「山姥」だった。粗筋はパンフレットに書いてあるのでわかるのだが、いかんせん睡魔が襲ってくる。文楽のように字幕を映してくれたらと思ってしまう。
気が付くと、前の人が謡の本を見ながら鑑賞していた。休憩時間に売店に行き、「山姥」の謡本を入手した。本を見ながら気を入れて鑑賞すると、これがよく分かる。世阿弥作の能の詞章まで理解できたのは、目が覚めるようだった。
その後ネットで能を観たり、本を読んだり、言わば嵌った状態になってしまった。ある人の言葉に、とにかく百番を観なさいというのがあり、それを目指して、大阪では大槻能楽堂、山本能楽堂、京都では京都観世会館、金剛能楽堂に通っている。
七百年後にも人を魅了する、謡、囃子、舞が一体となって、幽玄を醸し出す伝統芸能との出会いを楽しんでいる。
「夏の終わり」を読んで(2018.9) (高齢者大学の課題文です)
読書感想文は小学校か中学校で書いたのかもしれないが、今はその作法は想像もつかないので、あらかじめご承知いただきたい。
瀬戸内寂聴は恋多き女で、男たちとの交渉を断つために尼になろうとしたが、素行が悪いと方々で断られたらしい。得度後も酒・肉食はもちろん男性との交渉も続いていたとのこと。
新潮文庫で読んだのは五つの連作で、四角関係の始まりが「あふれるもの」で、読んで見るとこれが一番面白かった。その関係の解消が「夏の終わり」に描かれている。
売れない小説家慎吾は、週の半分は妻のところに、半分は知子の家に通ってもう八年になる。その関係も希薄になったころ、知子は涼太と再会する。昔、彼女が結婚していた時に、夫の教え子である涼太と関係を持って家から追い出されている。ところがこの涼太と再び関係を持ってしまう。
知子は慎吾が来ている家から、風呂に行くといって駆け出し、涼太の下宿に行き息せき切って抱きあうのである。この描写はまさに「あふれるもの」に突き動かされた知子を活写している。
しかし慎吾に対する貞潔を破ったことに悩み、さらに慎吾あての妻からの手紙を見て、その意外に親密な文章に驚く。この二つの事があって悩んだ末、関係の解消を図ろうと慎吾の海に近い家まで行ってしまう。
知子の好みは破滅型の男性であるようだ。慎吾は落ちぶれて収入もない小説家志望、涼太も放蕩をして荒んだ生活を送ってきた。哀れを感じると、同情が愛情に変わるらしい。知子は母性本能の強い人であるのかもしれない。
慎吾は二人の女性に共有されながら、二人の間をうろうろしているし、涼太は再び捨てられる。男性の弱さと、女性の強さを描いた小説かもしれない。数多の男性を糧にして、寂聴は小説家として成長していく。
川柳習作(2018.8) 高齢者大学の課題の川柳です。
デイケアで初恋の人ばったりと (お題:男と女)
赤いバラ捧げた人も干からびて (お題:男と女)
男でも女でもない歳になり (お題:男と女)
惚れた人今はただの惚けた人 (お題:男と女)
夢でいいあの日の貴女にもう一度 (お題:夢)
いつまでも夢見る乙女していはる (お題:夢)
落第の夢に今でもうなされる (お題:夢)
逝く時が永い夢の終わりです (お題:夢)
コーダイはつまり高等託老所 (お題:集う)
法円坂三千人が群れている (お題:集う)
チラと見る背中美人を追い越して (お題:背中)
酒飲んでせなで風切る臆病者 (お題:背中)
ウナギさん絶滅させてすみません (お題:夏)
縁台とすててこチヂミ遠くなり (お題:夏)
百均の扇子はなぜか失くさない (お題:夏)
紅顔の美少年いま厚顔無恥 (お題:赤)
赤い糸二本絡んで青くなる (お題:赤)
馬鹿にすな古い記憶は豊かだぞ (お題:豊か)
テレビなど持ってはいない豊かさよ(お題:豊か)
豊かだが心の中は貧しくて (お題:豊か)
好きなこと(2018.7) (高齢者大学の課題文です)
好きなことはと聞かれれば、少し前なら山登りと答えただろうが、最近は御無沙しているのでそれもおこがましい。以前は山登りの付録だった温泉とビールがこの頃の主役になっている。
とはいってもどこの温泉でもいいという訳にはいかない。大きな温泉地では旅館が多く風呂も大きいので湯量が不足して、加水、加温、循環が常態となっている。またボーリングして深い場所から汲み上げている所もある。このような温泉ではお湯が変質して温泉力が低下している。
最も好ましいのは風呂の近くから湧いていて、混じり気のない源泉掛け流しである。時に河原に湧いている湯の周りを囲い、屋根を付けた湯屋が旅館に発展した所がある。敷地内に地獄といって湯が吹き出し、硫黄の臭いのする所もある。その上露天風呂でもあれば心も広々する。
昨年から日本秘湯を守る会に加盟している旅館に通っている。全国で百軒程度がこの会に加盟していて、秘湯の定義にやや曖昧なところはあるものの俗化していない所が多い。三年間に十ヶ所行くと一ヶ所が招待になり、現在あと一つを残すだけとなっている。残念ながら近畿には少なくて中部以東と九州に多い。
近いうちに満願成就とし、招待の宿は上高地近くの中の湯温泉に行き、紅葉を楽しみたい。露天風呂から穂高岳が見えて、周りをリスが走り回るような森の中。しばし私の至福の時である。
(老人会新聞への投稿です)
知ってはりますか(16) 2018.5
大阪は粉もんの街と言われます。お好み焼き、たこ焼き、いか焼き、うどん、ぶたまん、餃子、どれも好きです。粉もんとは穀物をひいて食べるもので粉食といい、対してそのまま食べるご飯などは粒食といいます。小麦は固いので粉にして食べることが多いのです。
縄文人も粉もんを食べていました。ドングリは加熱、粉砕してから水でさらしてアクを抜き、あとは焼いたりして食べていたと考えられています。子供の頃によく食べたものに煎った大麦の粉のハッタイコがあります。香煎と呼ぶ地方もあるようです。そのまま粉を食べる人もあるようですが、砂糖とお湯で練って食べやすくしていました。小麦の粉を捏ねて焼くとインドのチャパティやナンになりますが、途中発酵の過程が入るとパンになります。
全国各地の粉もんですが、うどん系は、稲庭うどんや上州うどん、山梨のほうとう、愛知のきしめんや味噌煮込みうどん、伊勢うどんに讃岐うどん、大分の団子汁、沖縄そばなどがあります。そうめんは奈良の三輪そうめん、兵庫の揖保の糸、島原そうめんなど。そばは信州・岩手のわんこ・越前・出石・出雲そばなどが有名です。
ラーメンは札幌・喜多方・博多・熊本ラーメンなど。長崎にはちゃんぽんと皿うどんがあります。どれにも入らないのには、青森のせんべい汁、盛岡冷麺、宇都宮餃子、信州のお焼き、東京のもんじゃ焼き、兵庫のそばめしなどがあります。
世界中でなじみのあるものは(パンを除き)、韓国のチヂミ、冷麺、トック(もち)。中国のマントウ、餃子、ワンタン、シュウマイ、春巻き、炒麺、ビーフンなど。ベトナムにはフォー(汁麺)、インドネシアにはナシゴレン(焼きそば)、インド料理にはサモサ、チャーミン(焼きそば)、モモ(餃子)があります。ツァンパはチベットの主食で裸麦を乾煎りして粉にしバター茶で練ったものです。
ロシアにはピロシキ、中近東・アフリカにはクスクス(粒状の小麦の粉)、イタリアではスパゲッティ、マカロニなどのパスタやピザがよく食べられます。フランスにはそば粉で作るガレットや小麦粉のクレープがあります。あと英国のパンケーキやオートミール(えん麦をつぶした物か粉)、メキシコのタコスなど愛される粉もんが世界に広がっています。
知ってはりますか(15)(2018.4)
三大ものの続きです。三大テノールは、ドミンゴ、カレーラス、パバロッティでしたが、パバロッティはすでに亡くなりました。世界三大料理はフランス料理、中国料理、トルコ料理、三大米料理はパエリア、ピラフ、リゾットだそうです。
日本三霊山は富士山、白山、立山、全部登ったことがあります。昭和の三大台風は室戸台風(昭和9年)、枕崎台風(昭和20年)、伊勢湾台風(昭和34年)です。三大頑固は津軽じょっぱり、土佐いごっそう、肥後もっこすだそうです。
次に四大に移ります。四大文明はエジプト、メソポタミア、インダス、黄河文明です。シェイクスピアの四大悲劇はハムレット、オセロ、リア王、マクベスです。四天王は持国天、増長天、広目天、多聞天で元インドの神々でした。国宝四城は姫路城、彦根城、松本城、犬山城です。四大公害は水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息です。
「四大」とは仏教でいう四つの元素で地、水、火、風であり、これに空が加わると五大となり、五輪塔はこれによります。識を加えると六大になります。
四書五経というと、大学、中庸、論語、孟子と、書経、礼記、易経、春秋です。五臓六腑は肝、心、脾、肺、腎と、胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦です。中国伝統医学の考え方です。
五街道は東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道です。京都五山は天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺です。五大疾病といえばがん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、精神疾患です。五大栄養素は炭水化物、たんぱく質、脂肪、ビタミン、ミネラルです。
六法は憲法、民放、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法です。関東六大学野球は早稲田、法政、明治、慶応、立教、東京の六大学です。第六感とは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚などの五感を超えるもので、直観とか霊感をさします。
知ってはりますか(14)
世の中には三大○○というものがあります。有名なところでは、日本三景は松島、天橋立、宮島。三名園は偕楽園、兼六園、後楽園。三大名瀑は那智の滝、華厳の滝、袋田の滝(茨城県)。
三名城は姫路城、松本城、熊本城ですが、姫路城は別格として、その他は諸説あるようです。三名湯は有馬温泉、草津温泉、下呂温泉。三古湯は日本書記などに出てくる有馬温泉、道後温泉、白浜温泉です。
世界三大美人というのもあって、クレオパトラ、楊貴妃、小野小町だそうですが、全世界で通用するのでしょうか。日本三大美人は秋田美人、京美人、博多美人ということになっています。それの逆もありますが、御想像に任せます。
三大うどんは秋田の稲庭うどん、群馬の水沢うどん、讃岐うどんです。一方三大そばはわんこそば(岩手)、戸隠そば、出雲そばです。三大ラーメンは札幌ラーメン、喜多方ラーメン、博多ラーメンだそうです。三大珍味はこのわた、からすみ、くちこ(またはうに)です。一方世界三大珍味はキャビア、トリュフ、フォアグラです。
日本三大がっかり名所は高知のはりまや橋、札幌の時計台、長崎のオランダ坂とのこと。世界三大がっかり名所は、コペンハーゲンの人魚姫、ブリュッセルの小便小僧、シンガポールのマーライオンだそうです。誰が言い出したのでしょう。
三人娘は色々ありますが、初代三人娘は黒柳徹子、横山道代、里見京子、元祖三人娘は美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみ、ナベプロ三人娘は伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりと続きます。花の中三トリオというのは森昌子、桜田淳子、山口百恵です。
一方御三家は江戸時代は尾張藩、紀州藩、水戸藩でしたが、芸能界元祖御三家は橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、新御三家は野口五郎、郷ひろみ、西城秀樹となっています。懐かしいですね。
知ってはりますか(13)
「ひとりでに産まれるもの」は共通音「ケ」でよばれ、その代表が「毛、木、気」だそうです(玄侑宗久「ないがままで生きる」)。今回は「気」の入った言葉で戯文を作ってみました。一体何個気が入っているでしょうか。
今年もまた気が付かないうちに懸賞小説に応募する時期が来た。今回こそはと気を引き締め構想を練った。気力を振り絞り、ようやく気宇壮大で気迫あふれる歴史もののプロットが出来上がった。さあ書くぞと気合いを入れ一気に書き始めた。気がつくと部屋には寒気が忍び寄り体が冷え気分が悪くなった。風邪気味で吐き気がした。気が利く友人が気をきかせて気前よく差し入れてくれた夕食を食べ一息入れる。毎日脇目も振らず気力だけで書き続けた。だんだん気息えんえん鬼気迫る様相を呈し、陽気な性格のはずが活気も生気もなくなってきた。ようやく出来上がり投稿した。結果が気になり気が気でない日々が過ぎていった。
いよいよ発表の日、気のおけない友人たちが和気あいあい酒盛りをしながら発表を待った。しかしやはり今年も駄目だった。気づまりな空気が漂い意気消沈している私を気の毒がり、また来年もあるさ、気が滅入るだろうが、病も気から、気を抜くなよと帰って行った。
小説を書く気持ちをすっぱり捨ててサラリーマン生活も定年を迎える年になった。あの当時は若気の至り。のん気で気楽な一方気位だけは高く生意気なくせに才気もない私が少し文章を書けるからといい気になっていただけだった。士気阻喪して早めに見切りをつけてよかったと思っている。いろいろな人生経験を積んだ今ならまた違ったものが書ける気もしたががもうその元気も覇気もなくなってしまった。
知ってはりますか(12)2018.02
発明について考えてみましょう。黎明期の人類の発明品は何だったでしょうか。火(保存と発火法)、道具(石器、土器、槍、弓など)、衣類、住居、植物の栽培などでしょうか。サルでも石や棒をつかうものはいるようですし、一部の動物では言語もあるようです。文字、宗教、墓、絵画、音楽などは人類特有のものですね。
歴史で習った古代中国の四大発明といいますと、羅針盤、火薬、紙、印刷です。これが西洋に伝わりました。産業革命は蒸気機関、蒸気船、鉄道、紡績機などの発明が推進しました。発明王エジソンの映画撮影機、蓄音機、電球を発明しました。
さて日本の3大発明品は何だと思いますか。私はインスタントラーメン、カラオケ、洗浄便座だと思っています。大変お世話になっているものばかりですが、皆様当然御異論もあるでしょうね。
このほかの日本の発明を順不同に挙げてみますと、八木アンテナ、味の素、養殖真珠、シャープペンシル、カッターナイフ、食品サンプル、ゲーム機、自動改札機、レトルトカレー、乾電池、電気炊飯器、胃カメラ、新幹線、ウォークマン、ポケット電卓、カメラのオートフォーカスなどなかなかすごいです。
少しマニアックには、カーナビ、光ファイバー、ロータリーエンジン、ハイブリッドエンジン、自撮り棒、数独、VHS、青色LED、水上バイク、ノート型パソコン、カーナビ、3Dプリンターもそうですね。
ところで最近話題のビットコインなど仮想通貨の基礎になる論文を出したのはサトシ・ナカモトという正体不明の人だそうです。知らなかったですね。
知ってはりますか(11)2017.12
日本で一番多い姓は何でしょうか。私は田中さんかと思っていましたが、実はそうではなくて佐藤さんでした。
多い順に、佐藤、鈴木、高橋、田中、伊藤、渡辺、山本、中村、小林、加藤がトップ10です。佐藤さんは全国に190万人もいるそうです(名前由来netより)。藤の付くのは藤原家に関係するなど名前のルーツも面白いのですが、それは又の機会に。
珍しい名前にもいろいろあります。ラグビーの有名な五郎丸さんも初めて見た名前ですが、全国で8318位、約980人いるそうです。五百旗頭(いおきべ)さんは元防衛大学校長でしたが、22064位で約190人です。
動物の名前が付いているのは、百足(むかで)、大蜘蛛、烏賊(いか)、鴇(とき)、猫の付くのは、猫田、猫塚、猫本、猫屋敷、猫村などいろいろあります。
小鳥遊はなんと読むでしょう。「たかなし」です。その心は鷹がいないので小鳥ものんびりと遊べるということ。四月一日で「わたぬき」は衣替えですね。八月一日は「ほづみ」でこの日に穂を積む習慣があったとのこと。五六で「ふのぼり」、将棋盤の5六から一つ上ると金に上がることから。
そのほか変わった姓として、一一(かずいち」、一番合戦(いちばんがせ)、雲母(きらら)、回り道(まわりみち)、凸守(でこもり)、小浮気(おぶき)、蟋蟀(こおろぎ)、勘解由小路(かでのこうじ)、七五三田(しめた)、獅子王、降魔(ごうま)などがあります。
知ってはりますか(10)2017.11
各地にはご当地グルメがあり、観光振興からも宣伝に躍起です。以前佐世保に行ったときに佐世保バーガーを食べてみたところ特に変哲もないものでした。尋ねてみると注文を聞いてから作るのが特徴だそうです。
名古屋に行くと、味噌カツ、エビフリャー、きしめん、ひつまぶし、手羽先、みそ煮込みうどん、天むす、豪華モーニングなど不思議に多いですね。
さて地元大阪はやはりお好み焼きとタコ焼き、新しいところでは二度漬け禁止の串カツでしょうか。各地の名物を独断と偏見で紹介してみましょう。訪問した時に味わってみたいですね。
近畿では、京都は湯豆腐、おばんざい、サバ寿司、滋賀は近江牛、フナ寿司、三重は伊勢うどん、松坂牛、和歌山はクエ鍋、さんま寿司、目はり寿司、奈良は柿の葉寿司、茶粥、三輪そうめん、兵庫は神戸牛、明石焼き、イカナゴ釘煮といったところでしょうか。新しいところでは和歌山ラーメンもききますね
中国地方からは駆け足で、岡山祭り寿司、広島ひろしま焼き、山口ふく鍋、鳥取カニ寿司、島根出雲そば。徳島ボウゼ姿寿司(筆者が子供の頃住んでいた県南部特産の魚の姿寿司)、香川讃岐うどん、高知カツオたたき、愛媛宇和島鯛めし。
福岡博多ラーメン、佐賀呼子イカ、長崎ちゃんぽん、熊本だご汁、宮崎とり南蛮、鹿児島さつまあげ、沖縄ソーキそばなどです。
皆様いろいろご意見はおありで、特に出身地にはこだわりがあるでしょう。今回は書ききれませんでしたが、東の方も一度考えてみてはいかがでしょうか。頭の体操にはなりますよ。例えば、札幌ラーメン、きりたんぽ、いも煮、盛岡冷麺、喜多方ラーメン、わんこソバ、治部煮、ほうとう、朴葉みそ、ます寿司、へしこなどなど・・・
知ってはりますか(9)2017.10
住吉大社の種貸社(たねかししゃ)に一寸法師の乗ったお椀の船を大きくしたものがあるのを知ってはりますか? おじいさんとおばあさんが子供を授かろうと住吉大社にお参りをし、願いがかなって子供が生まれましたが一寸しかなかったのです。一寸法師はお椀の船と針の櫂で淀川を京に上り、鬼退治をして打ち出の小槌で大きくなりお姫様とめでたしめでたしとなります。道頓堀にも一寸法師大明神がありますが、これができたのは新しい話です。
大阪にちなんだ説話では葛の葉伝説はすでに書きましたが、猟師に追われたきつね(葛の葉)とそれを助けた安部保名(やすな)との間の子供が安倍晴明というお話です。葛の葉を祭る神社が信太山にあり、それからきつねうどんをしのだうどん、稲荷ずしをしのだ寿司と呼ぶこともあるようです。
俊徳丸伝説はいかがでしょう。謡曲の弱法師(よろぼうし)、浄瑠璃では摂州合邦が辻にもなっています。河内高安の長者の子供が継母に憎まれ失明させられて追い出されます。別の長者の姫が四天王寺で哀れなその姿を見つけ、観音菩薩に祈って病気が治り家を継ぎます。下寺3丁目に合邦が辻閻魔堂がありますし、俊徳道という地名や駅名もあります。八尾市に俊徳丸鏡塚もありますが、これは古墳で時代が合いません。
犬鳴山は、猟師が大蛇に襲われそうになるのを助けた忠犬の話です。その菩提を弔った漁師が建てたのが七宝瀧寺で修験道の行場となっています。義犬の塚というのもあります。
泉州では熊野街道を小栗街道と呼びます。小栗判官は地獄から戻り、照手姫らに車に
乗せられ熊野に着き、つぼ湯(入れる唯一の世界遺産の温泉)で蘇生します。信太のあたりには小栗判官笠掛松と腰掛岩があります。街道の名にあやかって小栗の湯というのもあります。
知ってはりますか(8)2017.9
難読地名はいかがですか。まずは大阪人にはやさしいものからです。
放出、杭全、十三、丼池、帝塚山、我孫子、河堀口、野江内代、喜連瓜破、森小路
聞いたことのない人にとっては全問不正解になるでしょうね。なお有名な中古車センターは今は放出から深江に移ったそうです。
はなてん、くまた、じゅうそう、どぶいけ、てづかやま、あびこ、こぼれぐち、のえうちんだい、きれうりわり、もりしょうじ
次はもう少し難しくなりますがどうでしょう。
立売堀、住道矢田、遠里小野、道修町、大阪天満宮、鴫野、日本橋、馬場町
いたちぼり、すんじやた、おりおの、どしょうまち、おおさかてんまんぐう、しぎの、にっぽんばし、ばんばちょう
天満橋はてんまばしですが天満宮はてんまんぐうです。ご注意を。にほんばし、ばばちょうという読み方は他の地方であります。ちなみに東大阪市の住道はすみのどうと読みます。遠里小野は堺にもあります。昔は一つだったのが江戸時代の大和川開削で分断されたのですね。
最後は相当難しいです。筆者も初めて聞いた地名があります。
柴島、靭本町、茨田大宮、御幣島、依羅、南恩加島、安立、新喜多、長峡、餌差、波除
くにじま、うつぼほんまち、まったおおみや、みてじま、よさみ、みなみおかじま、あんりゅう、しぎた、ながお、えさし、なみよけ
依羅は古代からの地名で今の大和川の北に大きな池がありました。
大阪府下にも難しい地名がありますが、それは又の機会に。
知ってはりますか(7)
「しゃもじ」とか「かもじ」に「もじ」がつくのはなぜでしょう。今回は女房言葉についてです。
室町時代宮中に使える女房が使い始めた隠語的な言葉で、「お」や「もじ」がついたりします。惚れたことを「ほの字」などというのと同じたぐいです。
例を挙げると、杓子(しゃくし)の「しゃ」に「文字」をつけて「しゃもじ」、寿司の「す」に文字をつけて「すもじ」という具合です。さらに「お」をつけて丁寧に「おすもじ」といいます。
「めもじ」はお目にかかるから、「ひもじい」はひだるい(空腹である)から、「ゆもじ」はゆかた、「そもじ」はそなた、「かもじ」はかみなど沢山あります。
「お」の付く例では、腹の中から「おなか」、握り飯から「おにぎり」、歯黒染めから「おはぐろ」、饅頭は「おまん」、冷や水は「おひや」、さつまいもは「おさつ」など分かりやすいですね。
ちょっと由来が難解なのは、田楽から「おでん」、鳴らすから「おなら」、餅を砕いて(欠く)食べる「おかき」、鰹節のかを重ねて「おかか」、大豆の残りかすの「おから」、強飯(こわめし)から「おこわ」、煮える音から「おじや」など。
「おみおつけ」は、みそを「おみ」と呼び、それに「おつけ(ごはんにつけて出す)」を合わせ、「おみおつけ」となります。ちなみにこれを漢字で書くと御御御付になるそうです。
このほか、野菜を青物、塩を波の花、女をくのいちと呼んだりするのも女房言葉だそうです。
知ってはりますか(6)
環状線の駅名の由来を知ってはりますか。
天王寺は四天王寺の略として昔から使われてきたようです。
寺田町は四天王寺の寺田(じでん)があったからと言われています。
桃谷はこのあたりの谷に桃が植えられ行楽地になっていたようです。
鶴橋は鶴が多く飛んできた平野川に架かる橋で、日本書記に記録の残る最も古い橋「猪甘津(いかいの)の小橋」であるという説があります。駅の東南1kmに「つるのはし跡」があります。
玉造は古代に勾玉などを作る玉造部(べ)があったことによります。伊勢街道の起点である玉造稲荷神社があります。
森ノ宮は昔新羅(しらぎ)からもたらされたカササギを放した森に由来する鵲(かささぎ)森の宮神社からきています。
大阪城公園駅は比較的新しく1983年に設置された駅です。
京橋は駅西方の寝屋川にかかる橋の名前からです。この橋は昔は京街道の起点でした。
桜の宮は駅南にある神社の名前に由来します。江戸時代から桜の名所であったようです。
天満はもちろん南にある天満宮からです。
大阪は古くは大坂と書き上町台地の北部をさしました。坂では土が反る(かえる)で縁起が悪いので阪になったとのこと。駅のある梅田は古くは埋田で湿地帯であったものを埋め立てたことによるようです。寂しい地でしたが1874年に大阪神戸間に鉄道がひかれてから発展しました。
なお環状線の東側は城東線として1895年に開業し、全線の開通は1961年でした。
知ってはりますか(5)
この世には変わった植物や動物の名前があるものです。
公園で「バクチノキ」というのを見ました。木肌が剥げてまるでばくちに負けて身ぐるみはがされたようになる事から名づけられました。この木の葉に固いもので書くと字が浮かび上がりますが、「ハガキの木」というのもあり実際に葉に切手を貼って出せるそうです。「ハンカチの木」もありますが残念ながら顔はふけません。
「ママコノシリヌグイ」のママコというのは継子の事ですが、継母が意地悪してトゲのある葉で尻を拭いたら痛いでしょうね。芽を天ぷらにしたらおいしい「タラ」もトゲがあって別名が「ヨメタタキ」といいます。この頃は逆にしゅうとめがたたかれるかもしれません。
「ジゴクノカマノフタ」は薬草で、飲めば地獄の釜のふたが閉まって死なずにすむほどの効能があるそうです。別名「医者殺し」ともいいます。
「ブタノマンジュウ」はわかりますか。シクラメンの和名です。豚が根を食べるので英語名が豚のパンといいそれを訳したものですが、イメージが合わないのか和名は普及していません。
「タツノオトシゴ」はご存知でしょうが、類縁で「タツノイトコ」とか「タツノハトコ」というのもいるそうです。
「サンバガエル」は欧州にいるカエルで、雄が雌の腹を押して産卵を刺激し、産卵後は雄が卵を腰にまいて守るので、産婆のようだと名づけられました。イクメンのはしりですね。
「マンビキ」はシイラの別名、餌をよくとるのでこういいます。「カッポレ」は釣れた時の引きが強く、釣り人が左右に引き回され踊っているようだからだそうです。
各地にはご当地グルメがあり、観光振興からも宣伝に躍起です。以前佐世保に行ったときに佐世保バーガーを食べてみたところ特に変哲もないものでした。尋ねてみると注文を聞いてから作るのが特徴だそうです。
名古屋に行くと、味噌カツ、エビフリャー、きしめん、ひつまぶし、手羽先、みそ煮込みうどん、天むす、豪華モーニングなど不思議に多いですね。
さて地元大阪はやはりお好み焼きとタコ焼き、新しいところでは二度漬け禁止の串カツでしょうか。各地の名物を独断と偏見で紹介してみましょう。訪問した時に味わってみたいですね。
近畿では、京都は湯豆腐、おばんざい、サバ寿司、滋賀は近江牛、フナ寿司、三重は伊勢うどん、松坂牛、和歌山はクエ鍋、さんま寿司、目はり寿司、奈良は柿の葉寿司、茶粥、三輪そうめん、兵庫は神戸牛、明石焼き、イカナゴ釘煮といったところでしょうか。新しいところでは和歌山ラーメンもききますね
中国地方からは駆け足で、岡山祭り寿司、広島ひろしま焼き、山口ふく鍋、鳥取カニ寿司、島根出雲そば。徳島ボウゼ姿寿司(筆者が子供の頃住んでいた県南部特産の魚の姿寿司)、香川讃岐うどん、高知カツオたたき、愛媛宇和島鯛めし。
福岡博多ラーメン、佐賀呼子イカ、長崎ちゃんぽん、熊本だご汁、宮崎とり南蛮、鹿児島さつまあげ、沖縄ソーキそばなどです。
皆様いろいろご意見はおありで、特に出身地にはこだわりがあるでしょう。今回は書ききれませんでしたが、東の方も一度考えてみてはいかがでしょうか。頭の体操にはなりますよ。例えば、札幌ラーメン、きりたんぽ、いも煮、盛岡冷麺、喜多方ラーメン、わんこソバ、治部煮、ほうとう、朴葉みそ、ます寿司、へしこなどなど・・・
知ってはりますか(9)2017.10
住吉大社の種貸社(たねかししゃ)に一寸法師の乗ったお椀の船を大きくしたものがあるのを知ってはりますか? おじいさんとおばあさんが子供を授かろうと住吉大社にお参りをし、願いがかなって子供が生まれましたが一寸しかなかったのです。一寸法師はお椀の船と針の櫂で淀川を京に上り、鬼退治をして打ち出の小槌で大きくなりお姫様とめでたしめでたしとなります。道頓堀にも一寸法師大明神がありますが、これができたのは新しい話です。
大阪にちなんだ説話では葛の葉伝説はすでに書きましたが、猟師に追われたきつね(葛の葉)とそれを助けた安部保名(やすな)との間の子供が安倍晴明というお話です。葛の葉を祭る神社が信太山にあり、それからきつねうどんをしのだうどん、稲荷ずしをしのだ寿司と呼ぶこともあるようです。
俊徳丸伝説はいかがでしょう。謡曲の弱法師(よろぼうし)、浄瑠璃では摂州合邦が辻にもなっています。河内高安の長者の子供が継母に憎まれ失明させられて追い出されます。別の長者の姫が四天王寺で哀れなその姿を見つけ、観音菩薩に祈って病気が治り家を継ぎます。下寺3丁目に合邦が辻閻魔堂がありますし、俊徳道という地名や駅名もあります。八尾市に俊徳丸鏡塚もありますが、これは古墳で時代が合いません。
犬鳴山は、猟師が大蛇に襲われそうになるのを助けた忠犬の話です。その菩提を弔った漁師が建てたのが七宝瀧寺で修験道の行場となっています。義犬の塚というのもあります。
泉州では熊野街道を小栗街道と呼びます。小栗判官は地獄から戻り、照手姫らに車に
乗せられ熊野に着き、つぼ湯(入れる唯一の世界遺産の温泉)で蘇生します。信太のあたりには小栗判官笠掛松と腰掛岩があります。街道の名にあやかって小栗の湯というのもあります。
知ってはりますか(8)2017.9
難読地名はいかがですか。まずは大阪人にはやさしいものからです。
放出、杭全、十三、丼池、帝塚山、我孫子、河堀口、野江内代、喜連瓜破、森小路
聞いたことのない人にとっては全問不正解になるでしょうね。なお有名な中古車センターは今は放出から深江に移ったそうです。
はなてん、くまた、じゅうそう、どぶいけ、てづかやま、あびこ、こぼれぐち、のえうちんだい、きれうりわり、もりしょうじ
次はもう少し難しくなりますがどうでしょう。
立売堀、住道矢田、遠里小野、道修町、大阪天満宮、鴫野、日本橋、馬場町
いたちぼり、すんじやた、おりおの、どしょうまち、おおさかてんまんぐう、しぎの、にっぽんばし、ばんばちょう
天満橋はてんまばしですが天満宮はてんまんぐうです。ご注意を。にほんばし、ばばちょうという読み方は他の地方であります。ちなみに東大阪市の住道はすみのどうと読みます。遠里小野は堺にもあります。昔は一つだったのが江戸時代の大和川開削で分断されたのですね。
最後は相当難しいです。筆者も初めて聞いた地名があります。
柴島、靭本町、茨田大宮、御幣島、依羅、南恩加島、安立、新喜多、長峡、餌差、波除
くにじま、うつぼほんまち、まったおおみや、みてじま、よさみ、みなみおかじま、あんりゅう、しぎた、ながお、えさし、なみよけ
依羅は古代からの地名で今の大和川の北に大きな池がありました。
大阪府下にも難しい地名がありますが、それは又の機会に。
知ってはりますか(7)
「しゃもじ」とか「かもじ」に「もじ」がつくのはなぜでしょう。今回は女房言葉についてです。
室町時代宮中に使える女房が使い始めた隠語的な言葉で、「お」や「もじ」がついたりします。惚れたことを「ほの字」などというのと同じたぐいです。
例を挙げると、杓子(しゃくし)の「しゃ」に「文字」をつけて「しゃもじ」、寿司の「す」に文字をつけて「すもじ」という具合です。さらに「お」をつけて丁寧に「おすもじ」といいます。
「めもじ」はお目にかかるから、「ひもじい」はひだるい(空腹である)から、「ゆもじ」はゆかた、「そもじ」はそなた、「かもじ」はかみなど沢山あります。
「お」の付く例では、腹の中から「おなか」、握り飯から「おにぎり」、歯黒染めから「おはぐろ」、饅頭は「おまん」、冷や水は「おひや」、さつまいもは「おさつ」など分かりやすいですね。
ちょっと由来が難解なのは、田楽から「おでん」、鳴らすから「おなら」、餅を砕いて(欠く)食べる「おかき」、鰹節のかを重ねて「おかか」、大豆の残りかすの「おから」、強飯(こわめし)から「おこわ」、煮える音から「おじや」など。
「おみおつけ」は、みそを「おみ」と呼び、それに「おつけ(ごはんにつけて出す)」を合わせ、「おみおつけ」となります。ちなみにこれを漢字で書くと御御御付になるそうです。
このほか、野菜を青物、塩を波の花、女をくのいちと呼んだりするのも女房言葉だそうです。
知ってはりますか(6)
環状線の駅名の由来を知ってはりますか。
天王寺は四天王寺の略として昔から使われてきたようです。
寺田町は四天王寺の寺田(じでん)があったからと言われています。
桃谷はこのあたりの谷に桃が植えられ行楽地になっていたようです。
鶴橋は鶴が多く飛んできた平野川に架かる橋で、日本書記に記録の残る最も古い橋「猪甘津(いかいの)の小橋」であるという説があります。駅の東南1kmに「つるのはし跡」があります。
玉造は古代に勾玉などを作る玉造部(べ)があったことによります。伊勢街道の起点である玉造稲荷神社があります。
森ノ宮は昔新羅(しらぎ)からもたらされたカササギを放した森に由来する鵲(かささぎ)森の宮神社からきています。
大阪城公園駅は比較的新しく1983年に設置された駅です。
京橋は駅西方の寝屋川にかかる橋の名前からです。この橋は昔は京街道の起点でした。
桜の宮は駅南にある神社の名前に由来します。江戸時代から桜の名所であったようです。
天満はもちろん南にある天満宮からです。
大阪は古くは大坂と書き上町台地の北部をさしました。坂では土が反る(かえる)で縁起が悪いので阪になったとのこと。駅のある梅田は古くは埋田で湿地帯であったものを埋め立てたことによるようです。寂しい地でしたが1874年に大阪神戸間に鉄道がひかれてから発展しました。
なお環状線の東側は城東線として1895年に開業し、全線の開通は1961年でした。
知ってはりますか(5)
この世には変わった植物や動物の名前があるものです。
公園で「バクチノキ」というのを見ました。木肌が剥げてまるでばくちに負けて身ぐるみはがされたようになる事から名づけられました。この木の葉に固いもので書くと字が浮かび上がりますが、「ハガキの木」というのもあり実際に葉に切手を貼って出せるそうです。「ハンカチの木」もありますが残念ながら顔はふけません。
「ママコノシリヌグイ」のママコというのは継子の事ですが、継母が意地悪してトゲのある葉で尻を拭いたら痛いでしょうね。芽を天ぷらにしたらおいしい「タラ」もトゲがあって別名が「ヨメタタキ」といいます。この頃は逆にしゅうとめがたたかれるかもしれません。
「ジゴクノカマノフタ」は薬草で、飲めば地獄の釜のふたが閉まって死なずにすむほどの効能があるそうです。別名「医者殺し」ともいいます。
「ブタノマンジュウ」はわかりますか。シクラメンの和名です。豚が根を食べるので英語名が豚のパンといいそれを訳したものですが、イメージが合わないのか和名は普及していません。
「タツノオトシゴ」はご存知でしょうが、類縁で「タツノイトコ」とか「タツノハトコ」というのもいるそうです。
「サンバガエル」は欧州にいるカエルで、雄が雌の腹を押して産卵を刺激し、産卵後は雄が卵を腰にまいて守るので、産婆のようだと名づけられました。イクメンのはしりですね。
「マンビキ」はシイラの別名、餌をよくとるのでこういいます。「カッポレ」は釣れた時の引きが強く、釣り人が左右に引き回され踊っているようだからだそうです。
知ってはりますか(4)
今回は語源の話です。読んだ本によると、「丹前」とは堀丹後守の屋敷の前にあった風呂を丹前風呂といい、そこの湯女の着ていたものを丹前と呼ぶようになったとか。ちなみに「浴衣(ゆかた)」は湯帷子(ゆかたびら)の略で、かたびらは夏用の着物のことです。
「男やもめにウジがわき、女やもめに花が咲く」の「やもめ」は家守男、家守女からだそうです。「チョンガー」は韓国語の総角で、独身男性のお下げ髪の事です。
「しかと」は無視することですが、花札の十月の絵は鹿で「鹿の十」がシカト、鹿が横を向いていることからだそうです。「ダフ屋」のダフは札(ふだ)を逆にした闇屋の隠語からとか。
「くだらない」は昔上方から江戸へ来たものを「下りもの」といい、酒でいえば「下り酒」が上物で、関東の酒は「下らない酒」と呼んでいたことからという説と、百済(くだら)の人が頭のよい人で、そうでないのを「くだらない」といったなどの説があります。
「山の神」ですが、恐ろしいものの代表として口やかましい奥様方の別称になりました。「宿六」とは「宿のろくでなし」で、妻が夫の事を言う「宿」をののしったもの。外で何を言われているかわかりませんね。
政務活動費のネコババが流行していますが、ネコがウンチに砂をかけて隠してしまうことから。ウチのネコはトイレに紙おむつが敷いてあるので、終わるとかたずけろとうるさく鳴きます。
だいぶ「くたびれて」来ましたが、この言葉は「朽つ(くつ)」からきているようです。私も朽ちる寸前です。「かったるい」は平安時代にもあった言葉で、カヒナ・ダユシ、すなわち腕(かいな)がだるいということです。
知ってはりますか?(3)
今回は地名の話しです。阿倍野というのは古代に阿部氏が住んでいたからのようですが、松崎町の松島大明神には阿倍寺跡の掲示があります。阿倍野区民センターには阿倍寺跡から出た瓦が展示してあり、塔心礎は天下茶屋公園内にあります。松島大明神あたりには立派な松があったそうで、常磐小学校はこれに由来するとのこと。
阿倍清明神社の北の方に保名(やすな)郵便局があります。これは清明の父の名前で、昭和18年創業のビリヤードの保名倶楽部もこれによるものでしょうか。ちなみに清明の母、狐の葛の葉は信太森葛葉稲荷神社に祀られています。
金塚、松虫、播磨、丸山、帝塚山などはすべて塚や古墳に由来します。帝塚山古墳はご覧になったことがありますか。長池、桃が池、万代池以外にも苗代田や三明などにも前は池があったようです。万代池は昔ここに住む鬼を退治するため聖徳太子がマンダラ経を唱えたからとか。姫松は古今集にある歌に出てくるもので、住吉高校にゆかりの松があります。北畠は南北朝時代にこの付近で討ち死にしたという北畠顕家から。
河堀口は古代に和気清麻呂が排水のために川を茶臼山の下にある河底池まで掘ったが果たせなかったという話があります。堀越神社のあたりの谷町筋の低いところがその川の跡だそうです。源ヶ橋は猫間川にかかっていた橋の名前です。猫間川は阿倍野区役所あたりから森ノ宮の方へ流れていて、戦後すぐには川の一部はまだ残っていたと先輩に聞いたことがあります。
新しいところでは、文の里は近所に学校が多かったから、美章園、阪南町は街を開発した会社名に由来、昭和町はもちろん昭和になってから付けられたのですね。住んでいる地名の由来を調べるのも楽しいものです。
知ってはりますか(2)
紅葉の季節は楽しまれたでしょうか?ところでなぜ「かえで」というのでしょうか。これは形の似た「蛙手」が変化したものだそうです。「もみじ」は古い言葉で葉が赤や黄になることを「もみつ」と言ったことに由来するとのこと。
葛藤とは対立することですが、クズは上から見て左巻き、フジは右巻きになることから一緒に生えるとややこしくなります。ただしこのフジはヤマフジで、野田フジは逆巻きというからまたややこしい。
大阪の地名(野田)が出てきたところで浪速野菜について。守口大根、田辺大根、勝間南瓜などをよく聞きますが、実は天王寺カブが信州の野沢菜のルーツということは知ってはりましたか。野沢温泉の僧が昔大阪に来てカブの種を持ち帰り、その漬物がスキー客に受けてブレイクしたとか。和歌山の人によれば、長野県に漬物用に大量に出しているので土産にはいらないそうです。
マクワウリはこの頃は盆の時にしか見ませんが、岐阜県真桑村のものがよかったのでこう名付けられたとのこと。韓国ではとてもポピュラーな果物で英語でもコリアンメロンといいます。マスクメロンのマスクとは網目状の仮面のことかと思いきや、匂いがムスク(ジャコウ)に似ているからだそうです。
三大毒野草といえば、トリカブト、ドクゼリ、ハシリドコロですが、ハシリドコロは苦しんで走り回るのでこの名前がついています。この間山で前を歩いていた人が、「ウチの亭主に食わしたろか」と言っていましたが、皆様ゆめゆめそういう事はなされぬように、ああこわ。
知ってはりますか?(1)
大阪食い倒れ、京都着倒れ、神戸履き倒れといいます。大阪では多くのご馳走が創られました。タコヤキ、お好み焼き、うどんすきはご存知ですね。
きつねうどんは松葉屋の主人によって1893年に創られました。店は今も船場にあります。主人はすし屋で働き後にうどん屋を開き、すし屋でいなりずしに使っていたお揚げをうどんの上に載せることを思いつきました。
オムライスは1926年に北極星というレストランで創られました。調理師は毎日オムレツとご飯を食べるお客のために、ご飯をケチャップで炒め薄い卵焼きで巻いてオムライスと名付けました。
しゃぶしゃぶは現在世界的に有名です。1951年にビフテキをメインとするスエヒロレストランで創作されました。この調理方法は豚、カニ、タコ、タイなど他の材料にも応用されています。
インスタントラーメンは安藤百福によって試行錯誤の末に、1958年に売り出されました。現在全世界で1年に千億食が売れているといいます。私も若いときにお世話になりました。池田市には博物館があり、自分だけのインスタントラーメンを作れます。
回転すしは布施市の元禄で、1958年に主人がビール工場のベルトコンベアからヒントを得て創りました。外国でも人気があるそうです。
いずれにせよ、大阪の食べ物はおいしく、リーズナブル、簡単で、楽しくなくてはいけませんね。