ネパール・トレッキング

 

ゴラパニへ

 

 10年ほど前の話になる。念願のネパールトレッキングをとツアーに申し込んだが、人数不足でツアーは不成立になってしまった。知り合いの人が以前日本にいたシェルパを紹介してくれたので、一人で出かけることとなった。地域は初心者向きのアンナプルナ山群の南の村をめぐるコースで,高度も最高でも3500mである。下記地図の左下隅の方を参照されたい。

http://www.lirung.com/map/map_anna/Annapurna_Map.html

 

1022日 秋もたけなわの日、関西空港よりカトマンズ行きに乗り込む。昼食はラム。となりの人は2週間の予定、横と後ろは20年前から行っているとか。前のネパール人は酒、女の話。上海でとまる。待合室をぶらぶらしていると中国旅行から帰る人に卒業以来初めて会った。世の中は狭い。上海から乗ってきた発電関係の人と話し、ビザ申請書書きを手伝う。6時半カトマンズに到着、入国審査の所でビザの申請にずらっと並ぶ。出口にはアンゲルと兄が出迎えてくれ、タクシーでホテルへ。町は汚い(メモをにそう書いてあるので失礼)。2人と中華ソバ。9時寝る。夜中起きて出して荷物を整理する。

 

1023日 朝6時散歩、アンナプルナ寺院よりラトナ公園へ。道はごみだらけ。朝市ですごい数の店が出ていて車が通れぬくらいである。トマト、ブロッコリー、大根、お祭りの花など。路地が入り組んでいて、帰り道を間違えそうになる。7時知人の知り合いの人が来て、お土産を渡す。カトマンズに帰ったら息子さんが案内してくれるとのこと。外の店でトースト、ミルクティーの朝食。

アンゲルがきてタクシーで空港へ。西方のポカラへ飛行機で向かうのである。9時半出発。機上からはランタン、マナスル、アンナプルナが見えて美しい。ふもとには段々畑が続いている。ポカラ空港は暑く、のんびりしていて、木の下で人が待っている。パゴダホテルヘ。パパイヤの木がある。イミグレーションに入山許可書の申請に行く。その後フェワ湖の方へ、店は多いが道は汚い。外国人の多いレストランでネパール料理の昼食。湖を散歩する。湖畔には高級そうなホテルもあるが、我々は中級ぐらいのツイン。昼寝と日記書き。トレッキング許可書を取りにまたイミグレーションに向かう。ここのからすはフガァと鳴く。おじさんたちがトランプ9枚でラミーらしきものをしている。ほこりっぽい道を歩いて入山許可書を受け取り、ホテルでまた昼寝をする。アンゲルは疲れているのかぐっすり寝ている。費用節約のため同室である。

ダムサイトを散歩する。釣りの人や泳ぐ女の子。一本道を歩いてパタレ・チャンゴへ。滝の水が穴の中へ消えている。そばに立つと怖い。道々子供が多く、皆で遊んでいる。このほうが子供には幸せだろう。ホテルでシャワーし、買ったリンゴをかじる。6時過ぎレストランへ、チーズがたくさんのったスパゲッティを食べ、缶ビールを飲む。ちょうどバイローという祭りで,子供が店に門付けをして5ルピー位集めている。少ないと皆でさわぐ。お金をもらうと2人の子供が音楽にあわせて踊り、なかなかうまい。外へ出ると暗いので牛や犬にぶつかりそうになる。フォークダンスをやっている店を外側からのぞく。グループは外に出て踊りだす。アベックダンスはなかなか活発な愛のダンスである。裸の若者が加わるがとめられる。バイローでかなりの額をレストランが渡さないとガラスを割ったりするとか。

 

1024日 6時に起きると外はガス、トーストとミルクティーの朝食。晴れてきた山は朝焼けとなる。いよいよトレッキングの開始である。お金は札が大変かさばるのでアンゲルに預ける。タクシーでバス停に向かうが、バスが満員でタクシー7人の相乗りとなる。窓は壊れてしまらない。一目千枚くらいの棚田が見える。途中ノーダラで検問があり入山許可証を見せる。カレで降りて、歩道を下って行く。アンゲルが荷物を持ってくれることになり、私はカメラと日傘だけで歩く。ここより先は車道はもうない。岩がちな山にはさまれた川沿いの道を行く。みかん、バナナの木が生えている。

ビレタンティーでお茶とする。ちょうどこの日は日食で、ピンホールで写したりして皆で騒いでいる。ロバの部隊や荷物運びの人が通る。ここより登りにかかる。道連れになったタンクを持ったおっさんと栗拾いをする。ランガリ1050。マタタティでは花つくり、子供はめんこビリヤードをやっている。道はラバのふんが多く、ころんだら大事である。ポーターは大量の荷物を前後に抱えて大変である。荷物を置く台が道の随所にある。なべをかついだ3人に聞いたら一人85kgで、これでジョムソンまで行くとのこと。

ランガリも耕して天に至る棚田である。昼飯は豆スープ、ご飯、水牛肉と菜の炒め物(ダルバート、いわばネパール定食)でなかなかいける。ゲルは疲れたか昼寝。10枚でトランプしているのをのぞく。3枚を2組、2枚を2組合わせるラミーである。これより坂がきつくなる。風が気持ちよい。棚田の下の方では刈り入れをしている。気持ちが落ち着く。何故か。電気がない、自動車がない、自然しかないからである。

ヒレの宿につく。ゲルは鼻がはれている。抗生物質などをあげる。25時までぐっすり昼寝。おきると薄暗い。ミルクティー、焼き飯、野菜スープの夕食。同宿のオーストリア人と腕相撲をし、意地になって勝つ。バイローの子供たちが踊ってくれる。ロキシーというどぶろく酒を2杯のむ。8時に寝る。何でもビスターリ(ゆっくり)がよろしい。

村々をとほりすぐればきこえたるナマステの声などかなつかし

踊る子の紅きほほにローソクの光は揺れて夜はふけゆく

 

1025日 5時半ごろ眼を覚ます。チベットパン(あげパン)とミルク、目玉焼き、紅茶の朝食。体の調子はよい。7時出発、キレトゥンガでお茶にする。茶店をひやかすアンゲルはそこ女の子と知り合いの模様。彼はもうすぐ結婚するそうである。つり橋を2つ渡る。川には滝がある。ここより登りの石の階段が続く。500mの登りのあと、ゴラパニまでだらだらと800m登って行く。民家でお祭りの音楽にあわせて皿ダンスをしている。9時半ウレリに着きお茶。ここからアンナプルナ・サウスが山の間に見える。道は私が前を歩くが、この方がマイペースでよろしい。とにかくビスターリ、ビスターリである。村には桜、ソバの花が咲いている。ゆっくりとバンタンティのほうへ巻いてゆく。シャクナゲの木もあり3月には咲くそうである。

バンタンティでダルバートとジョムソン産のリンゴを食す。大根の漬物がうまい。ジョムソンからはるばる来た日本人2人に会う。日本人には2組に会っただけとか。店のおかみさんは子供のシラミをとっている。女の子が花輪を持ってくる。犬も花輪をつけている。30分一回休憩のペースで歩く。道は谷沿いとなり、ジャングルのようにシャクナゲ、シダ、ヤドリギなどがはえて亜熱帯的である。川には魚はいないとのこと。橋を右岸へ渡って一服。元茶屋の跡である。シェルパ同士のこんにちははタシデレックとチベット語である。1,2,3,4もチック、ニー、スム、ジーと日本語によく似ている。

ナンゲタンティを過ぎ今夜の宿のゴラパニにつく。ここは下にあった部落が上に移ったとのこと。ジョムソン街道への峠にあたる。ロッジではシマノの自転車部品を輸入しているフランス人に会う。アンナプルナ一周のイギリス人にも。フランス人は食事を選ぶのに困っている。郷に入らばダルバートで行くべし。町の中では爺さんたちがトランプのばくちをしている。子供達もお祭りということでサイコロばくちの胴元で稼いでいる。着替えて熱いロキシーを飲む。寝る用意をした後音楽が聞こえるので見に行く。テントのところでシェルパがダンスをしている。皆つられて踊り、私も加わる。阿波踊りのごときものである。寒いような暖かいような夜。真夜中に起きて星を見る。すごい星空で、星が地上近くで瞬いている。流れ星をわずかの間に6つ見る。一つは長い尾を引いていた。日本からはるか遠くへ来たという感がする。