ダンプスへ

 

 1026日 ネパールへ来てもう5日目となった。5時に起きてプーンヒルにご来光を見に行く。ほかの宿からもぞろぞろと登ってくる。3193mの丘で待つと、6時過ぎ太陽が昇り、アンナプルナ、ダウラギリと照らされていく。

   あけぼのにヒマラヤの峰うかびいで地にはあまねく精霊の満つ

   朝焼けに赤くかがやくヒマラヤの聖なる峰に祈りささげぬ

 日本人で私が歩く6日間のコースを4日間で回る人、フランス人、英国人、ドイツ人、香港の人などいろいろいる。降りてパンケーキ、オムレツの朝食をとる。便所にカメラを忘れそうになる。上のテントサイトでダウラギリをスケッチする。警察で入山許可書のチェックを受けて登り始める。林の中から見晴らしのいい尾根にかかる。頂上でのんびりと過ごす。左にダウラギリ、ツクチェ、右にアンナプルナ、ニルギリ、マチャプチャレとすばらしい景色である。

峠の茶屋でお茶とバナナを食べ、谷を下っていく。がらがらの急な坂道である。河原に出ると昼食の用意をしているグループに出会う。客が2人に、ガイド、ポーター2人、コック、キッチンボーイの大部隊である。ツアーを頼むとあまりきれいでないロッジではなくテントとなるので人数が多く高くつくようだ。河原はバンタンティ、ここでダルバットの昼食を食べる。グルンのかわいい娘が料理を作ってくれる。アンゲルは盛んに娘に話しかける。外は寒い。ヤギが笹を食べている。

ここよりまいて、それから谷に降りる。ドイツ人のパーティと出会う。水量の少ない川を渡り、登りにかかる。100mほど登ってタダパニに到着する。今日の宿のバッティには豪、独、米、加の4人とコック連れのチェコ人夫婦がいる。昼寝をする。夕食は、焼き飯、トマトスープの献立、夕食後アンゲルとマッチ棒の本数あてのゲームをする。アンゲルは面白がる。ロキシー、ラムを飲む。シェルパ達のしているネパール式ラミーに加わる。10枚配って3組の役を作る。マリワナを吸っている客もいる。シェルパに日本の数を教えてあげる。10時ごろ寝る。寒いのでもって来たシュラフカバーをかける。星明りでアンナプルナが闇の中に白く見える。

     



1027日 にわとりに起こされ朝日を拝む。山の景色はすばらしい。絵を一枚かく。パンケーキ、卵焼き、紅茶の昼食をとり、9時にのんびりと出発する。30分下ると部落のはずれにかかる。休憩時に日記を書く。日が暖かい。マチャプチャレはガスの中である。茶屋でお茶とする。段々畑をどんどん下り、谷をつり橋で渡る。牛で耕す人が見える。まきながらゆっくりと部落の中を登っていく。小学校建設の寄付の箱で子供が番をしている。1900mの標高の山腹をまいていく。途中バッティで昼食とするが、ランチがないので、ラーメンを炊いてもらいご飯と野菜を食べる。

 チョムロンへの道と別れ、ジヌダンダへ向かう。村の中の小道をどんどん下っていく。アンゲルは地図を持たないが、全部覚えているようだ。暑くて傘を差して歩く。小屋に着き、近くにある温泉に向かう。下り15分、上り30分の行程である。ぬるめの湯の中で3人の外国人が本を読んでいる。いい湯だな・・・帰りはのぼりで汗をかいてしまう。

帰って湯あがりのビール、ロキシー、大根、水牛、牛の焼肉は硬いがうまい。ここは発電機があって電気がつく。台湾人が27人もいる。晩上好(こんばんは)といったら不好(よくない)と答えが返ってきた。疲れきっているらしい。ハイキングをするような人種にも見えない。これにポーターが39人、ガイドとコックが12人の大部隊でテント泊である。台湾人と阿里山娘とか北国の春、青い山脈などを合唱する。疲れた台湾人は背負ってもらってテントの方へ行く。オランダの人がいてネパールの歌の本を持っていて歌う。私は踊る。ロキシーの飲みすぎである。

  ヒマラヤをたどれば夜毎満天にかがやく星のかずかぎりなく

  ネパールの子らの瞳すみわたりわれの折りたる鶴にかがやく

夜中に起きると、ピーピーという音が聞こえ犬が吠え出す。光が遠ざかっていく。夜道を歩く人か。みなれぬ真っ黒の大きな犬が2匹よってきて怖かったが、ここの犬が追い返してくれる。お礼にビスケットをあげる。

 

1028日 いよいよトレッキングも最後の段階となり、ダンプスに向かう。朝は台湾人のグループがにぎやかにチャパティを食べている。オランダ人はアンナプルナBC(ベースキャンプ)へ向かうとのことである。7時半に出発し、坂を下りてまた上りなおし、川の下流方向へ向かう。ポカラへ向うポーターがいたので荷物を持ってもらう。中学生ぐらいで一日200円である。7年前にできた新しい橋をわたり、川沿いにゆっくり下っていく。途中牧場がある。ガンドルンが対岸の上の方に見えるようになり、ランドルンへどんどん登ってゆく。10時にお茶とする。ランドルンの村を抜け、山腹を巻きながる小さな部落を通っていく。

トルカでダルバートとコカコーラの昼食。ここより川から離れていくが、水平に近い道である。途中日本人男女に会う。男は仕事をやめてアジア放浪中でアンナプルナBCまで、女は9月末よりきているとのこと。ここからダンプスへの上りにかかる。美しい姉妹のいる茶屋の前の釣り橋は去年壊れて架け替えたとのことである。牛が林の中から顔を出してびっくりする。登りは休み休み行く。大きなパーティ2組に出会う。セミの声がにぎやかである。山をぐるっと回ると、アンナプルナ、マチャプチャレが美しい。マチャプチャレは魚の尾という意味で頂上がそのように見える。新しい道をどんどん進む。途中間違いそうになるが、この道はトレッカーの知らない道だとのことである。ヤギや牛が道をふさぐ。古い道と出会いすぐにポトナ、お茶を2杯飲む。

ダンプスまで1時間を飛ばす。検問所でチェック、ようやくダンプスである。古い家に泊まり、ダルバートの夕食をとる。隣のホテルで女の子が踊る。双子の兄弟が踊るのも面白い。アンナプルナ、マチャプチャレの夕焼けが美しい。ほたるもとんでいる。宿の主人に日本語を教える。折り紙で鶴、風船を作り子供に上げる。ここのセミはジョーとなく。遠くでキョンキョンとなくのはフクロウか。

ヒマールの宿に憩いてながむれば闇ふかき谷蛍わたれる

ダンプスの子らの舞ひたる祭りの日山をも人をも愛すべきかな

ダンプスの夜はふけ行きて闇ふかしマチャプチャレのみ月に映えたり


 



カトマンズへ

 

1029日 午前中はダンプスでのんびりと過ごすことになる。チャパティ・ハニーの朝食をとる。村はなかなか大きい。ぶらぶらしてアンバというザクロのようなものを食べる。景色のいい丘で家を入れて一枚絵をかく。子供が色鉛筆をほしがる。降りていって絵をもう2枚、子供が寄ってくる、犬も寄ってくる。なんともいえずいい天気で、山の景色もいうことなし。

   絵を描くわれの手元にみいりたる子らのすがたのまづしかりける

   微笑める子らのすがたはおもふなれば幼きころのわれらに似たり

 少し昼寝をする。昼はミルク入りの甘い麦おかゆである。入山許可書を取っていないので、ダンプスからチャランコットを周っている日本人に会う。米国人が二人登ってくる。食後坂を下る。標高差500m位を45分、汗が出る。

   ネパールの旅のおわりの寂しさにふりかえりつつヒマラヤあふぐ

タクシー250sでポカラへ、前の席は便乗で助手席に2人座っている。途中でエンストして町の真ん中で立ち往生する。ホテルについてシャワー、洗濯、昼寝する。4時半、客7人が相乗りのタクシーでオールドバザールへ行く。第一印象は汚い。歩道の横を下水が流れている。歩道も段差があり、工事中が多い。ポテトのてんぷらを食べる。坂を下って、サモサ、あげパンなど。薬局街がある。医師は昼は病院で働いて、朝と夜に薬局に来るとのことである。暗い道をレイクサイドまで1時間歩く。途中でモモ(ギョーザ)とスープ、ホテルの近くでロキシーを飲む。店のおじさんは子供5人で貧しいとぼやく。ロキシーがきいたのか眠くなる。ミネラルウォーターを買ってホテルに帰る。アンゲルは背中がかゆいという。どこでも皮膚の悪い子が多いようである。



 

1030日 7時半ごろトースト、ラッシー、紅茶の朝食をとる。昨日夕日を見たのと、毛布が薄かったためかのどが痛い。湖の向こうにはFish Tail(魚の尾)Hotelがあり、船で渡るようになっていて、高級そうである。チベット工芸店をひやかす。アンモナイト400Rsである。ダムサイトに行く。大きな魚がいる。なかなかいい所である。ホテルに帰り、空港へ向かう。アンゲルが金が足りなくなったという。少し渡す。空港ロビーで待つ間居眠りする。インド人の観光客が多い。韓国人もいて、「地球の歩き方」韓国語版を見せてもらう。12時に飛行機が出発する。窓からは、丘や山の上まで延々と続く道と無数の畑が見える。自動車道は少ない。すべての山が使われているという景色である。

 カトマンズ着、タクシーでホテルGajurへ向かう。カトマンズは空気が悪い。アンゲルとお金の清算をする。荷物を持ってくれたのと、結婚の祝儀として少し多く渡す。一緒に日本料理店古都へ行きすき焼きを食べる。田舎周りをしてきたので恐ろしく高い気がする。アンゲルのオートバイでダルバール広場の方に行き、シャツと封筒を買う。ホテルに戻って、ここでアンゲルと別れ、シャワーと昼寝。近くのレストランでかたやきソバ、モモ、ラシー、紅茶の夕食。クマリの館まで歩いていく。聖なる処女の館である。ごみだらけの路地を通るが何度も間違えようやくたどり着く。クマリが窓から姿を見せるのをみんなで待っている。クマリはその後の人生ではあまり幸せにはならないという。8時半ごろホテルへ帰る。



 

1031日 いよいよ最後の日である。6時半ごろ眼が覚める。おなかが緩くて、のどもおかしい。PL散と下痢止めをのむ。前のカフェで紅茶とトーストの朝食をとり、荷物の整理、手紙を2枚仕上げて、8時ごろ散歩に出かける。アンナプルナ寺院(マンディル)は野菜売りで一杯、ダルバールまでの道はまだ店は三分の一しか開いていない。ダルバールは王宮、寺院が壮観である。行者らしきものが2人座っているが、写真を一緒に撮るとお金を取られる。皿に米、花を入れた人が寺に参り、座っている人に喜捨している。クマリは今日も姿を見せた。にわかガイドが多いので気をつけなければいけない。寺院の上から人を眺める。風車売りの人、野菜売りの人、ただ座っている人とか。帰りにみかん、革かばん、紅茶などを買う。10時半ホテルに帰って荷物を整理し、昼寝をする。

 12時チェックアウトをする。一泊16ドルである。レストランでカレー、パインジュース、紅茶の昼食をとる。2時ごろようやく迎えの車が来てバクダバルへ向かう。知人の知人の息子が案内してくれるのである。バクダバルは旧王宮、五重の塔の寺院があり、人も少なく落ち着いたところである。パタンに向かう。ここは人が多い。オモラという小さな果物を買って食べる。ビタミンCが多いというが苦くて酸っぱい。ヤクの乳を固めたものは、特に味はない。旧王宮の木の彫刻はすばらしい。スワヤンバートの大きな眼のある寺院に向かう。別名Monkey Templeといい、サルもえさを沢山もらっている。しかし人々の貧しさ、道々の汚さには参る。

ホテルへ5時着、荷物を預けて、前でお茶とする。北の方のホテル街を歩いて行き、またダルバールからニューロードの方に回る。左へ左へ歩くとサハンにたどり着く。みかんとリンゴを買う。ラサレストランへ行きチベット料理を食べる。樽の中の発酵した粟に湯を注いだものをストローで飲むツアンバという酒、shabhaliというピザ、chicken then thukを食べる。焼き餃子はkothayといって、餃子の眠眠でイーガ・コーテルと言っているのを思い出す。横に日本人2人、9月タイから来た人とインドのコミュニティから来たという人、ネパールの案内書をあげる。 


タクシーで空港へ、おなかの調子がおかしい。ツアンバがよくなかったらしい。
9時で数人が並んでいる。9時半チェックインが始まったが、なんと私の番号はないという。再確認の電話をしたとねじ込むが隣の係員の所でもほって置かれる。散々要求して事務所でやっと登録してもらう。オーバーブッキングは日常茶飯事と聞いていたので早い目に行ったのがよかった。誰かが乗れなかったのだろう。12時出発。疲れたのと腹の調子が悪いので機内でもうとうとして軽食をのがし、上海でも降りる気がしなかった。関空では荷物を犬に嗅がせて検査している。しかし縁起のよいことに荷物は一番初めに出てきて早く帰ることができた。