今年の紅葉 (07.12)
スペイン・アンダルシアへ (07.11)
木曾御嶽山 (07.09)
かにかくに (07.09)
苗場山 (07.08)
安達太良山 (07.07)
藤の花 (07.06)
上州の温泉 (07.06)
山の幸 (07.05)
花の季 (07.05)
春の一日 (07.04)
バイキング (07.04)
飛鳥 (07.04)
砂曼荼羅 (07.03)
アートな直島 (07.03)
梅のかをり (07.03)
2006年個人的重大ニュース(付録;2007年目標) (07.01)
今年の紅葉
春の桜と秋の紅葉、これらをどこで見るかは大げさに言えば私の人生の大テーマである。紅葉は今までは先ず北アルプスあたりで見て、最後に地元というパターンが続いたが、今年はスペインに行った関係で、10月はおとなしくしていた。いつのまにか11月も後半になってしまった。
先ずは市内の長居植物園に偵察に行く。ここは春は八重桜が美しい。池では渡り鳥がえさをあさっている。牡丹園の横の流れに沿ってモミジが植えられており、このうちの一本が紅葉していた。写真を撮っている人が、一本あれば十分ですよという。日当たりのよいところは早いようである。バラ園は満開で、秋の景色を描きにきた水彩画のグループがいた。
3連休の土曜日、私市にある市大植物園に行く。中学校時代はよく来たが本当に久しぶりである。桜紅葉が美しい。外周の丘をぐるっと回るとケヤキやカラマツが黄葉し、スダジイやマテバシイの実などが落ちている。モミジ山に行くと今が盛りである。東屋の横に巨大なユリノキが3本あり黄葉がすばらしい。富山のFさんのご母堂にユリノキを詠った歌がある。
病院を閉ぢし敷地に一本のゆりの木さはに花をつけたり
一度ユリノキの花を見にこなければならない。ハナノキも下は黄色で先に行くほど赤くなるのも面白い。フウも紅葉していて通りは赤と黄に染まっている(写真)。米松であろうか、大きなマツカサが転がっている。ここは木の種類も多く、名札があるので大変勉強になる。
翌日は六甲のモミジを見に行く。三宮からバスで修法が原へ、池の回りは色とりどりに染められている。蛇谷は大きなモミジが多いが染まっているのは先端だけ。再度山大龍寺の山門の二本のモミジがすばらしい。日が当たったのを裏から見るのが一番美しい(写真)。ここからモミジが多い大師道の谷を降りる。角を曲がって日向にモミジがあるとはっと息をのむ。町に近づくと黄色のイチョウやウルシもモミジに混じって見事であった。今年の紅葉もこれで十分に堪能した。
スペイン・アンダルシアへ
バレンシアに滞在中の友人の陶芸の教授夫妻を訪ねてスペインへ。旅行の目的は、グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータ(モスク)、マドリッドにあるピカソのゲルニカ。パリで乗り継いでバレンシアへは深夜の到着、出迎えを受け、アパート(ピソ)で夕食と時差調整のための宴会。翌日は、地下鉄
次の日はおかゆの朝食後、地下鉄で元絹取引所のラ・ロンハへ、螺旋の柱が美しい。陶芸博物館では古代からピカソまで。バルで甘いオルチャータを飲み、公園で百貨店で買ったものでまたピクニック。横の美術館でイコン、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤなどを鑑賞。バレンシア陶芸の中心地であるマイセスで、店をひやかす。陶芸博物館で友人は写真を撮って怒られる。歩いて家へ帰り、焼肉を食べ、まき寿司つくり。ちょっと宵寝の後、荷物を持って市庁前に行き夜景を楽しみ、バルでビール、12:40夜行列車に乗り込む。
グラナダへは8時間、普通の座席だがよく寝れる。7時半ごろ明るくなり、まき寿司を食べる。うまい。8時半駅に着き道を聞きながらホテルを探す。荷物を置いて、王室礼拝堂、巨大なカテドラルはステンドグラスが美しい。ホテルに帰りチェックイン、近くのバルで食事するが店がとてもにぎやか。昼寝の後、巡回バスでいよいよアルハンブラ(現地ではアランブラ)宮殿へ登って行く。宮殿内のパラドール(政府経営のホテル)で桃ジュース。風呂の遺跡と教会を見る。入り口より入場してアラブの夏の宮殿であるヘネラリフェの水を豊富に使った美しい庭を見る。ここでナスル朝宮殿入場が6時半までであることに気がつき、あわてて宮殿前に行くがすでに20分遅れで、人がずらっと並んでいる。一番前に出て行って拝み倒して何とか入れてもらえる。宮殿内はアラブ風の柱とアーチ、天井の精細な彫刻が美しい。ナスル朝の最後の王はイザベル女王によるレコンキスタ(再征服)に屈し、1492年アフリカに逃れた。砦であるアルカサバからグラナダを一望する。レコンキスタ後に建てられたカルロス宮殿を見て、丘を歩いて町に下る。狭い小石を固めた道の途中会った人にカテドラルはどこかと聞くと丘の上なので笑いながら方向を教えてくれる。下に降りてアラブ街でアラビア風サンドイッチとピザを食べる。ホテルへ帰ってビール(セルベサ)、ざくろ(グラナダ)、チリモヤで宴会、部屋から宮殿の夜景が見える。
朝8時起きてシャワー、みかん(マンダリン)が甘い。買い込んだパンなどを前の公園で食べる。アラブ時代の城塞都市であるアルバイシン(アラビア語で白い家)に歩いて登る。迷路状の石畳の道を息を切らして登り、ラルガ広場へ、ここには朝市が立っている。サン・ニコラス教会から道を聞きつつサン・クリストバル展望台へ。町を一望する。また元のほうへ戻るとさきほど歩いた道と広場に出る。完全な迷路である。城砦をくぐり、サン・ニコラス広場へ。ここからアランブラが真正面に見える。砦であるアルカサバが一段と高い。ヘネラリフェは緑に包まれている。横のモスクを見、再度サン・ニコラス教会の前を通ってユダヤ人(正式にはロマ族)の暮らすサクラモンテへ。洞窟の中のバルでビールを一杯。壁は白くおおってある。暑い中坂を上って洞窟博物館、休憩5分前でダメだといわれるが何とか入れてもらう。洞窟の便所を使う。別の路地をたどり、道を聞きつつサンタアナ広場に下りて4時間のハイキングの後、ビールとソーセージのタパス(つまみ)とパンの昼食。巡回バスでもう一度アルバイシンを回ってホテルへ帰る。シャワー、シェスタの後町をぶらぶら散歩。教会は装飾が豪華、横の病院は国王が寄付した古いものと新しいものがある。夕食はマントーとうどん、きゅうりまき。夜10時ごろバスが来て、フラメンコ見物である。夜のアルバイシンに登り、ニコラス展望台へ。アランブラがライトアップされ美しく、ロマンティックである。恋人たちが抱き合っている。と、ここでプーという音が聞こえ大笑い、キスをする人を見てベサメムーチョと笑う、誠にここの方は愉快(アレグレ)で気持ちよい(シンパティコ)。洞窟のタブラオは60人でぎっしり。もう一つ横でもやっている。フラメンコは元来ロマ族がアンダルシアの踊りから作り上げたもの、若い人から始まって最後は70歳ぐらいの老婆が歌い踊る。ややおぞましい。もう一組出て、最後は客が一緒に踊らされる。私も踊らされ、ブラボーと喝采を浴びつつ、グラナダの夜はもう1時。
コルドバへは郊外バス駅から。切符買ったあと駅前のバルで巨大なサンドイッチ(ボカディジョ)を食べて時間をつぶす。10時半出発、高速道路に乗ってすぐにまた国道に下りる。周りはオリーブ畑ばかり、これが2時間半続く。コルドバに到着し、駅の近くで買い物をして、公園で朝の残りと果物、ビールで食事。ここより旧市街の狭くややこしい道を通ってホテルへ。友人のホテルは近くにあるのだが見つからず、広場でホテルに電話して迎えに来てもらう。車も通れないような路地の奥にあるアパートメント・ホテルである。ホテルでシャワー、休憩後、7時メスキータ(モスク)の方へ向かい、メスキータを一周する。巨大である。ユダヤ人街をみて、レストランに入りガスパチョ(冷野菜スープ)とメルルーサを食す。高い。メスキータはライトアップされて美しい。前の橋は修理中なので別の橋の上から眺める。ホテルのバルで一杯。部屋は狭い。シャワーを浴びるが窓の下で子供がサッカーをしてうるさい。シーというと下からなにか投げつける。金曜日で親は午前様なので子供も12時ごろまで遊んでいる。下のバルに降りて子供に折り鶴を折ってやる。
五時半起きて、近所を散歩する。パーティが終わったのか若い人が朝帰りをしている。9時にメスキータ前で待ち合わせトーストの朝食。9時から10時まではメスキータ内の教会でミサがあるので入場料は無料である。前庭を抜け入場すると柱とアーチの赤白の文様が美しい。元は2万人以上入れたモスクが、アラブ撤退後その一部が教会になっている。ミサが終わると教会の部分も見られる。教会も屋根はモスク風である。外へ出てユダヤ人街の迷路にある花の小道、シナゴグ(ユダヤ教会)、カサアンダルシ(古い邸宅)を見、食堂でセットメニュー。メスキータで新郎新婦のビデオ撮影を見る。壁にもてれている花嫁に花婿が近づいていってキスをするのだが緊張してなかなかうまく行かない。見物人がでしゃばって行って俺にやらせろといって花嫁が悲鳴を上げる。うまく行くと拍手がわきおこる。ホテルへ帰って休憩。子供たちに残りの折り鶴を渡す。3時シャワー、シェスタ。夕方、近所の紀元前1世紀のギリシャ風の遺跡、灯火のキリスト像を見物。ここでも結婚式をまた見る。友人は花嫁がきれいでないとさっさと行こうとする。アルカサール(王城)は池と花の庭が美しい。おなかの調子がもう一つで、夕食はパスしてホテルで休む。例の子供たちがサッカーをしていたので、日本の硬貨をやると喜ぶ。
今日はトレドに向かう。駅まで暗い道を歩いて20分。スペイン新幹線(AVE)の切符を買い、カフェテリアでトーストの食事。生オレンジジュースはその場でオレンジを絞る機械があって大変うまい。セルビアからくるAVEは機関車が客車数両を引っ張る。直線部分が多く、ほとんど家は見えない。トンネルに入ると耳が少しつんとする。2時間でマドリード着。駅前でチュロス(塩辛いあげパン)とビール。また汽車に乗って30分でトレド、タクシーでパラドール(公営のホテル)へ。チェックインまでベランダでビール。川向のトレドの景色がすばらしい。エル・グレコの描いたとおりという。部屋は町がよく見え、ジャグジーバスまである。昼寝の後、タクシーで町に出る。カテドラルのあたりをぶらぶらし、いかすみパエーリャを食す。リンゴ、サラダの缶詰、ビールを買ってタクシーでまた帰る。ホテルからはトレドの夜景が美しい。
ビュフェスタイルの朝食後、タクシーでサント・トメ教会へ。ここにはエル・グレコのすばらしい作品がある。エル・グレコとはギリシャ人という意味で、イタリアで絵画を学び、トレドには40年近く住み着いた1600年ごろの人である。カテドラルにも教会画が多数ある。長い顔と体が特徴的である。サンタ・クルス美術館でもグレコを見る。御菓子屋でマサパン(アーモンドの練りきり)とチュロン(アーモンドの入った硬いお菓子)をお土産に買う。広場でタクシーに相乗りしてパラドールへ、荷物を取って駅に向かう。汽車に乗ってマドリッドヘ。アトーチャ駅よりタクシーでプラサ・マジョールの横にあるホテルへ。ソフィア王妃芸術センターへ今来た道を歩いて降りてゆく。街はあまりきれいではない。物貰いもいる。芸術センターは元病院を改造したもの。先ずはお目当てのピカソのゲルニカを見に行く。1937年ドイツ軍機によってバスクの町が爆撃されたことを知ったピカソが怒りを白黒で巨大な画に表現したもの。これで今回の旅の目的は達成された。ミロ、ダリ、レジェはおまけのようなもの。ホテルに帰り、シェスタ後町に出る。小雨が降っている。グランビアで百貨店(エル・コルテス・イングレス)を見物、外でバイオリンを弾いているのに聞き入る。ぶらぶら歩いていると歌が聞こえたのでバルに入る。アコーディオンの爺さんが、日本人と見てスキヤキソングを弾いてくれる。ベサメムーチョ、パロマ、キエンセラ、キサスキサス、アマポーラなどを合唱しつつ、マドリッドの夜は更けていく。
9時半起床、ボカディジョ、サラダの朝食を横の店で食べ、プラド美術館に歩いていく。入り口には客が並んでいる。英語の解説の機械を借り、じっくりと鑑賞する。ここはなんといってもゴヤである。1800年ごろの画家で、タピストリーの原画、マヤ、宗教画、怪奇な絵など多様性が興味深い。あと、ベラスケス、グレコ、リベロなど。3時間の後、疲れて横の王立植物園に。ついでティッセン・ボルミネッサ美術館へ。年代も幅広く点数も多い巨大な美術館を駆け足で見る。大好きなセザンヌと、ゴッホ、ゴーギャンのいいものがあったので満足する。グランビアに戻り、外でピザとビール。ホテルへ帰ってシェスタ、夜外へ出るも雨で、百貨店を見物する。胃が重いのでアップルパイを食べる。今日が最後の夜である。雨が激しくなって、傘を持たない雨宿りの人が多い。
朝6時ホテルよりタクシーで空港へ。8時パリへ、ドゴール空港で買い物、2時に飛行機が離陸。前に座っているスイスから大分へ里帰りの人の3歳の子供に遊んでもらう。昼食は豚のしょうが焼き、後は軽食がサンドイッチやカップラーメン。ラーメンのにおいが強く空とぶラーメン屋という雰囲気。通路にぶちまける人もいて大変。12時間の飛行で到着、阪神が3位に終わったことを知った。
木曾御嶽山
古い友人4人と木曾御嶽山6合目の中の湯を目指します。ここは昨年きて、温泉とシラビソの森の雰囲気が気に入ってまたも訪ねようとするもの。中央道を中津川でおり、木曾街道を北上すると上松の旧街道沿いに古い建物が2軒あります。越前屋の向かいの旧そば屋「たせや」では奥様が建物の中を親切に案内してくれました。創業350年のそばの越前屋は現在国道沿いに店があり、「そば白く薬味は青く入れ物は赤いせいろに黄なる黒文字」と十返舎一九と歌ったとおりのそばが食べられました。
御嶽山黒沢口の御岳神社里宮におまいりをし、道沿いに林立する御岳教霊神を見ながら、上がっていきます。途中で不易の滝で涼を取ります。この辺りにあるカツラとサワラの大木は見事です。倉越高原は牧場があるのですが、車では入れません。中の湯に6時ごろ着き、早速温泉に入り、ワインで乾杯、夕食と翌日の登山のための英気を養います。
明ければ天気はうす曇、6時朝食のあと登山開始。シラビソの林をゆっくりと登り、7合目でケーブルからの道を合わせて、8合目に近づくとダケカンバやハイ松が混じってきます。8合目で樹林帯が終わり、女人堂からは雄大な頂上が見えます。御岳教の霊神や神像が祭ってあり、白い姿の信者も多く見られます。御嶽山には田の原から2回登りましたが、黒沢口が江戸時代に覚明行者の開山した道であるとのことです。
ここよりハイ松の尾根を登り、途中よりガレ場にかかり、石室小屋で9合目、次の覚明堂でパンの昼食。少し登ると二の池の青い水面が見え、記念撮影をします。ここより頂上3067mの剣が峰へはわずかの距離。頂上に上がると三の池も遠くに見えます。景色を楽しんだあと、下りにかかり、8合目まではそうでもありませんでしたが、8合目から6合目までは傾斜は緩いかわりに、だらだらといつまで続くかという道でした。それでもにわか雨が降る前に降りられたことは幸せでした。標準タイムで往復7時間というところでしょうか。帰って早速風呂とビール、夕食、8時半には疲れたのか皆寝ていました。
次の日に乗鞍岳に行くのは痛んだ人がいたのでやめて、白川郷を見て帰ることにしました。開田高原では御嶽山の全貌がよく見えました(写真)。より長峰峠、昔歩いた飛騨川沿いのダムの多いところを抜け美女峠、高山、途中でオークビレッジによって、家具や木製品を見ました。御母衣ダムで湖底になる所から移植した樹齢400年の荘川桜、ロックフィルダムを見て白川郷です。富山県の
かにかくに
猛暑の京都で会合のあったあと、地元の人に祇園に連れて行っていただいきました。花見小路から少し入ったお茶屋さんの一階にバーがあり、カウンターとボックスが3つのこじんまりとした店でした。女将さんは元芸妓さんで、9時ごろになると舞妓さんと若い芸妓さんが出てきてお相手をしてくれます。地元出身でない方も多いようです。あまり縁のない世界ではありますが、お話をきいているとなかなか興味深いものがあります。芸の稽古は大変なようです。
このときも話題に出ましたが、祇園といえば歌人の吉井勇は放蕩児で祇園の歌がたくさんありますが、有名なものに
かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる
と、艶かしい歌があります。この歌から吉井勇の忌(11月8日)をかにかく忌と呼ぶそうです。私はこれを本歌にして
かにかくに信濃の山は恋しかり去年ゆきし山またも訪ねむ
苗場山
前から行きたいと思っていた苗場山に、YHが案内してくれるということで、夏休みの第一弾は長野県の北部まで足を伸ばしました。名古屋から特急で長野へ、降りると眼もくらむような炎暑でした。急行バスで先ずは野沢温泉、ここで3時間ほど外湯めぐりをしました。大湯は熱いとぬるいの2つの浴槽があるのですが、ぬるいのでも私には熱すぎて入れない・・・90度の源泉の麻釜を見て、スキー場のほうへあがっていくと、民宿がたくさんありました。合宿の高校生が歩いていますが、村の人によれば新潟地震の影響で客のキャンセルが多いそうです。一汗かいたのでまた河原湯へ、ここは少し熱いくらい。地元の人が湯仲間を作って12ある外湯を管理しているとの事、ご苦労様です。湯上りのビールを飲んで店の人とだべってから、バスで飯山駅へ。ペアレントの出迎えを受けて、木島平にある景色のよいYHへ。食後は自民党が惨敗した参院選の中継に見入っていました。
次の日はカヤの木平のブナ林を見学に行きました。YHの車で送ってもらって帰りは17kmを自転車で降りてくるのです。森に入ると樹齢三、四百年たつという古木をはじめなかなか見事なブナ森でした(写真)。丘より降りていくと湿原があり、ニッコウキスゲが少し残っていました。
みすずかる信濃の森にひそか咲くニッコウキスゲを訪なえるかな
ときなくも雨のしのつくぶなの森太古然たる木木の雄雄しき
池をぐるりと回って西の尾根に入ると、雨が激しく降ってきました。さっさと歩き山小屋へ出て、寒くなったので山菜そばをいただきました。若いフランス人が雨宿りをしていました。雨がやみそうにもないので、完全装備をして寒い中をマウンテンバイクで下り始めましたが、なんと1キロも行かないうちにチェーンをはずしてしまいました。仕方なく雨の中をとぼとぼ案内所に帰り衛星公衆電話をかけて迎えにきてもらうことになりました。外で待っていると案内所の人が親切に中に入れてくれて、気温14度は寒いとストーブをつけ、きのこや森の動物の興味深い話をしていただきました。2時間ぐらい待ってYHに帰り、風呂、昼寝、夕飯とのんびり過ごしました。
明ければ登山の日、5時朝食、5時半には3台の車に分乗して山に向かいます。ウトウトしていると、もう秋山郷の深い山の中。駐車場は3合目、身支度をして出発です。若手5人、その他3名という構成です。緩やかながら泥と木の根の坂を上ると、6合目あたりから急勾配の岩のガラガラした道になります。ブナからモミ、カバと林層が代わっていきます。8合目から少し行くと樹林がおわり、視界が開け湿原が広がっています。ここより木道が続き、池塘が点在し、ワタスゲやチングルマの生える高層湿原となっています。将に天上の楽園といえま
す。上に上がった時に霧が晴れて広大な湿原が見渡せたのは幸いでした(写真)。
苗場なる峰に広がる池をゆく真白き雲をあかずながむる
お昼を食べ、昼寝をし、名残を惜しみながら帰途につきました。下りは岩と木の根と泥との格闘でした。途中にあるブナの木の落書きが昭和24年とあったのには驚きました。60年たって字も倍以上の大きさになったのでしょう。往復7時間半。駐車場で着替え、YHに戻り風呂に入って、飯山駅へ、東京へ帰る女性と長野まで。峠の釜飯を食べたあとは暴睡して名古屋へ、帰宅したときは12時を過ぎていました。
安達太良山
昔の山登り友達プラス山の神様ら15名で福島県へ旅行しました。郡山での待ち合わせの間に、明治の頃開拓のために猪苗代湖の水を引いた安積(あたか)用水や、レトロな開拓の役所開成館を見学しました。北の方には安達太良山が見えました。
全員集合すると相変わらずにぎやかで、旧交を温めあっています。高速道路で猪苗代湖を左に見て、会津に入り、先ずは白虎隊の飯盛山、ついで鶴ヶ城へ。城郭の立派さには驚かされますが、やはり官軍の大砲には敵わなかったのです。
南へ下って芦の牧温泉、深い渓谷に面しています。玄関は9階で、エレベーターで下りると2階の部屋にたどり着きます。温泉、食事のあと恒例のミーティング、近況報告と来年の計画など。その後わが部屋は1時半まで。
酔いどれて友の歌える白虎隊ききてふけゆく会津のうたげ
あくる日はバスで磐梯に向かいます。磐梯山は裏に回ると爆裂火口がなかなかの迫力です。五色沼は水の青さが神秘的かつ感傷的です(写真)。
五色沼碧き水面に涙して遥けきときを想いいづなり
食事後、吾妻山のほうに向かいます。ほとんどがいねむりするなかで、幹事だけが時間を気にして目がらんらんと輝いています。小吾妻山では、45分で帰って来いといわれ必死で登ると、この火口が結構大きく息を切らして、まるで練成です。
この後、何人かと福島駅で別れ、残り9名は安達太良山に向かいます。奥岳温泉より1時間半でくろがね小屋のカレーの夕食に間に合いました。ここは奥岳温泉の泉源で湯の花とヒノキの風呂がなかなかよろしい。
くろがねの小屋に湯浴みし友どちと過ぎし日語るたのしからずや
明ければ智恵子抄の安達太良山、下は雲海ですが、上は晴れています。登山者もちらほら現れます。頂上に立てば、磐梯山、吾妻山が見えます。
岩ひばり鳴きつるかたをながむれば吾妻の山の青くかすめる
北にたどれば沼の平の爆裂火口が不気味に広がります(写真)。立派な避難小屋より降りて昼食。これより下山にかかると、大きな雪渓が残っていました。トラバースして僧悟平へ。シャクナゲ、ヤシオツツジ、コブシ、ガクアジサイなどが楽しめました(写真)。長湯に降り、露天風呂、ビールを楽しみ、バスで二本松に出まると下界はもう夏でした。
藤の花
昨年の藤は当麻寺で見たので、今年は春日大社の藤を見んと出かけました。先ずは大仏殿横の依水園。ここには庭園が二つあり、西側は小さく、東側は広い。東側の庭園に入ると、東大寺山門と、若草山、三笠山が借景になってなかなか雄大でした。つつじにはまだ少し早いようです。となりの吉城園は、茶室前のコケの庭園がすばらしく、もみじが多いので秋もまたよろしかろう。
春日大社神苑の藤は満開でした。写真をとる人が大勢いました。紫のほかに、白い麝香藤というのがあり強いにおいを放っています。苑の外からもにおうほどでした。本殿のすなずり藤は5分咲きという状況でした。以前は房が下につくぐらいでしたが、近頃は樹勢が弱ったのかそこまで行かないとのことでした。
参道からそれて飛火野の方に向かうと小川がありますが、ここの野生の藤は満開でした。おじさんがいて奥のほうへ案内してくれました。大木にかかる藤が滝のようでした。また鹿がたれている藤の花に飛びついて食べているのがめずらしかったです(写真)。
夕焼けに淡く霞める藤を食む鹿の眼にも春は来にけり
飛火野に春は来にけり若草の妻問ふ鹿の声のきこゆる
上州の温泉
群馬県にはいい温泉が沢山あり温泉好きには見逃せないところです。今回は四万、草津、万座温泉を訪れました。法師温泉も行きたかったのですが、一寸離れているのでまたの機会に。
のんびりと谷あいを走る吾妻線で中之条へ、バス40分で四万(しま)温泉に。ここは四万の病気を直すという、入っても飲んでもいい温泉。清流沿いに旅館があり、一番上の温泉に泊まったので、緑が一杯でした。例によって風呂に入っては寝る、ご飯を食べては風呂に入るという単純なパターンを繰り返しました。朝は奥にある摩耶の滝まで散歩しました。ちょうど新緑で、体も心も緑に染まるようでした。
中之条に戻り、JRで長野原草津口よりバスで草津温泉へ。ここはなるほど大温泉です。町の中心の泉源の湯畑ではお湯が滝のように流れていました。湯の花を採取する木の樋も興味深いものでした。この近くにレトロな旅館が何軒かあります。西の方に行くと西の河原、いたるところからお湯が出ていて、足湯をしている人もいます。湯の特徴は酸性でpHが2ということ、傷があるとひりひりするし、なめると明礬(硫酸アルミ)の味がします。何回か入ると一皮剥けたように肌がつるつりになります。
バスで白根火口へ上がると、すばらしい快晴で、雪の北アルプスがくっきりと見えました(写真)。戸隠、妙高山はまじかです。3年前に長野側から横手山まで、去年は渋温泉に来たことが思い出されます。火口からバスで少し行くと万座温泉、ここはスキー場でもあります。お湯は、硫酸マグネシウム、やはり酸性で、草津と同じような味がしました。
亜高山帯にあり、露天風呂に入ると眼の前は上下、左右とも全くさえぎるものがなく、景色と開放感は抜群でした(写真)。
山の幸
共同で持っている山舎の電気が止まり、水漏れしているということなので、春の一日連れ立って修理に出かけました。山はつつじ、藤が咲いてもう初夏のような暖かさです。道辺にはすみれ、タンポポもかわゆげに花開いています。
電気は途中のブレーカボックスの中に蜂が巣をつくり、重みで傾いて水がたまりショートしたということがわかり、掃除、固定して簡単に直りました。水道はトイレに入る塩ビパイプが劣化して割れており、あらかじめ買っておいたパイプに替えて、無事通水することができました。
この時期は山の幸のもっとも豊富なときです。田んぼのあぜではツクシを、茶畑のあたりではワラビが芽を出していました。タケノコも何本かとることができ、早速外で湯を沸かし糠をいれてあく抜きをします。ワラビも炭酸と熱湯であく抜き。下の田んぼに降りると、田の横にはセリ、川にはクレソン、土手にはノビルが生えています。
家へ帰ってタケノコとノビルの酢味噌あえなどの山菜尽くし、6食タケノコご飯を食べたら、吹き出物が出そうです。今年は3週続けて出かけます。
花の季
桜の季節と紅葉の頃は心が浮き立ち、出かけずにはいられません。先ずは手近な大阪城へ。桜はまだ五分咲き、しかし花見の客はもう出ています。北側には桃園があり、ここは満開でした。色々の種類があり、隠れたお花見スポットです。
四天王寺には庭園があり、都会の中の静寂を味わえます。人も少なく、座敷で昼寝でもすれば気持ちいいだろうな。庭園の流れに沿った桜は見ごろでした(写真1)。
奈良公園は外国の観光客の多いシーズンで、色々の国の言葉が聞こえてきます。浮御堂の桜は池に映えてなかなかのものでした(写真2)。
浮御堂水面にうかぶ花びらになみだおとせし乙女のいしかも
飛火野では親子の鹿が飛びはねています。大きな桜が高円山を背景に見事でした(写真3)。ささやきの小道はアセビの花でむせぶようでした。
禿羊さんに連れられていった兵庫県氷上のカタクリは見事でした。これだけの群落は初めて見ましたし、ちょうど満開でした。この写真は彼に任せます(写真)。人も比較的少なく、おまけに野菜も買えてお得でした。
伏見大社参拝の帰りに訪れたエルミタージュ展開催中の
春の一日
ある日曜日、午前中は二匹の猫のえさを買いに出かけ、午後は天気がよくなると言うことで、山に出かけました。場所は生駒山系のふもとで、2006年の折々の記に「里の春」として書いた場所です。
今年は暖かい日がだらだらと続いたあと3月に寒くなったせいか、花がいっせいに咲きそろうということがなく、桃、れんぎょう、小緋寒桜ははもう終わり、ほかの花はぱらぱらという状況でした。久しぶりなので山に登ると道を見失ってしまいましたが、木蓮、名は知らないが桃色の桜、山吹を楽しむことができました(写真)。谷道に三つ葉のあるのを知っていましたので、例によって後半はそれにかかりきり、袋に一杯取りました。野生のは小型ですが香りは強いので好物なのです。
夜、三つ葉のおひたしと味噌汁を楽しんだ後、ゴミを捨てに行くと、前で杖をついたおばあさんがうろうろしています。風が吹いて寒いので心配になり、「どうしました?」と聞くと、「バスを待ってる」、「ここはバスは通りませんよ」、「じゃ電車」「電車はずっと向こうの方」と一応は方角を案内しました。
部屋に戻って心配になり、コートを着込んでもう一度降りていくと、やはり角のところに立っています。「おばあさん駅に案内しましょう」と行きかけたのですが、歩くのがとても不自由で一向に進みません。家の近くの駅の名はわかったので、そのあたりの友人に車で送ってもらおうと電話しましたが通じません。仕方なく警察に電話して来てもらうことにしました。
寒いのでマンションの玄関ホールに入りましたが、おばあさんは座ってうなだれたままです。寒さと空腹で参っているみたいでした。警察官が来て住所や電話を聞いてもいえません。立派な財布を二つ持っていましたが、一つはからでもう一つはお金だけ。やっと家族のしている店を聞き出しましたが、何時に家を出たのかものかもわからないようでした。年齢は92歳。お茶でも出してあげたらよかった。私もなにか身につまされて、次の日に自分の財布に住所と電話を書いた紙を入れておきました。私が徘徊をはじめたらどこまで行くかわからないという説もあるので・・・
バイキング
一週間に2度もバイキングを食べたのでその話。夜にそごう百貨店で3人の友達と待ち合わせて13階に行きました。同行の人の推薦なのですが、お刺身の皿がはじめにつき、豆乳なべがあるというのが特徴でした。トリ、野菜、うどんなどの材料は自分で取ってきて、ご自由にということです。その他の料理も、ヘルシーバイキングと名づけ、野菜系が多かったです。客の年齢は高いようでした。なべのうどんにカレーをつけて食べたらおいしかった。
日曜日伏見大社におまいりしたあと、天満橋シティモールで電気屋、本屋を見、ふらりと入った店は、食事はパスタ3種、カレー、炊き込みご飯、サンドイッチ、サラダ、後はケーキが充実しているのですね。客が若い女性ばかりなのもうなずけます。ドリンクバーとソフトクリームもある。大川の桜の頃に行くといいかも。
ところで気に入っている店は、阪急ターミナルビルの里山ダイニングです。オーガニックと謳っていて種類が豊富で、玄米もあります。夜景もよろしい。
昔、ソウルの米軍基地の食堂で、そのころめずらしいランチバイキングに入って、ずっといたら、そのままディナーになって大変お得だったのを覚えています。
バイキングのコツは、筋書きとストーリー性のある食べ方をすること、しゃべりながら時間をかけること、腹八分目でやめることですね。今回は、ダイエット中なのにバイキングに行ってしまって、食べ過ぎたという反省の一週間でした。
飛鳥
3月初旬、散歩と野草摘みを兼ねて飛鳥へ行きました。橿原神宮前で降りて、西に向かい先ずは久米寺へ。ここは例の女性のすねを見て空から落ちた久米仙人で有名なところ、花の寺としてもいいようです。北に回って橿原神宮、明治22年に神武天皇を祭るため創建された比較的新しい神社。池にはたくさんのカモがいて、子供の投げるえさに群がっていました。
神社のすぐ北から畝傍山に登っていきます。山があると登りたくなる、まあ煙みたいな性格です。途中で、よもぎ、せり、タンポポなどを摘みました。ぐるっと回って山頂に上っていくのですが、二上山の方の景色が素敵です。天気がよく汗ばむほどでした。急な東の方から降りて、橿原神宮の森で昼食、広々として気持ちがいいです。早咲きの桜も咲いています。
春弥生花舞ひ散らす采女風明日香の里はうららうららと
駅を西に越えて、大軽の部落へと入っていきます。軽の皇子の由来でもあり、人麻呂の歌にも出てきます。南には巨大な丸山古墳があります。飛鳥には何度も来ていますが、この古墳は初めてです。日本で6番目の大きさ(長さ310m)、前方後円墳で、周濠のあとも残っています。なんといっても巨大な方墳の上を歩けるのが魅力です。正面に甘樫の丘や多武峰が見えます。紅梅の美しく咲いているところもあります。
南へ下って、欽明陵の横の吉備王姫の陵墓で猿石を見、飛鳥の駅近くの即売所で野菜を大量に買いました。前に来た時は遅かったのでものがほとんどなかったのですが、今回は2時ごろだったので大丈夫でした。最後は買い物ツアーで飛鳥の散歩は終わりました。家に帰って、野草はてんぷらにしました。花より団子・・・
砂曼荼羅
1月17日は阪神大震災の12周年にあたります。
砂曼荼羅は一辺3メートルほどの正方形で色鮮やかです(写真)。色砂で作るのに相当な時間がかかったらしいです。お経をあげていた5人のお坊さんは中国国境に近いムスタン王国からこられた方々で、そのうちの3人はとても若い学僧でした。
地震のときは大阪の親の家にいましたが、とても立てるものではありませんでした。テレビがたたみの上にころがったぐらいで、家はそれほどの被害はありませんでした。須磨のあたりは相当な被害であったようで、新しい道を通したところは昔の面影もありませんでした。
新型インフルエンザでは2週間分の食料を備蓄ということらしいですが、地震にも備えて買い込まなければならないと思いました。(註;その後ラーメン、スパゲッティ、うどん、即席米、缶詰などを買い込んだが、2週間分は大変。すでに一部消費を始めている・・)
アートな直島
2月は逃げるといいますが、禿羊さんがエジプトへ行っていて、原稿の催促がないと安心していたら、早くも月末になってしまいました。彼とは一緒に本を出すことにしていて、内容の方は漢詩と和歌が半々になります。
2月の中旬、
http://www.naoshima-is.co.jp/first.html
島の西側の宮浦に上陸、早速港に巨大な赤いかぼちゃが置いてあります(写真)。南には
次の日、風邪気味の体で島の南半分を歩いていきます。一周2時間とあります。先ず東へ行くと役場のある本村港。本村は家プロジェクトが進められていて、家自体をアートにしているのですが、時間が早すぎるのか開いていません。山の上の神社もこのプロジェクトの一つで、神殿への階段がレンズガラスでできていました。地下にも祭壇があるようでした。
ここから積浦を通り過ぎ、南の海岸に入るとベネッセの領域です。ホテルが4軒に、美術館が2館あります。安藤忠雄の作品で、建築自体がアートということです。ホテルの前に今度は黄色いかぼちゃやポップアート風の彫刻がありました。少し西の岬には、金属の野外オブジェや、巨大な2個の大理石の球体がありました。(写真)
いよいよベネッセハウスの美術館。安藤忠雄作らしく、回ったり、昇ったり、降りたり。作品は現代アートで、広々とした空間が心地よいです。外のテラスからは島の間を行く船がたくさん見えます。展示された絵にある海岸におかれた黄色と黒のボートも見えます。
道に出て、石のオブジェ群、野仏群を過ぎ、山を登ると地中美術館。モネの睡蓮が5点のほか、光の芸術の部屋、外で見た大理石の球のさらに巨大なものなど、不思議な地下空間です。
ここから宮浦港に出て、讃岐うどんを食べました。岡山に近いけれど、直島は香川県です。高松の方を見ると、風のせいで高い波が立っています。高松でなくなられた方がしのばれます。
瀬戸の海沖つ白波たつみれば逝きにし人のことの思ほゆ
梅のかをり
今は花といえば桜のことですが、古代では梅のことであったようです。年の初めに咲いて、香りのよいという意味でそのことはよくわかります。
大阪城公園には梅園があり、多種の梅が植えられているので、一ヶ月近くの間楽しめます。2月の末に訪れてみました(写真)。上から見ると、赤、白、桃色と一種夢のような風景です。梅園に入ると、香りがただよってきます。ひとつひとつの花をにおっても、香りはわからないほどかすかな香りです。
写真をとる人がたくさんいます。梅の側にみかんを切ったのを置いて鶯をおびき寄せて写そうとする一群がいました。酔狂なかたがたです。
梅が終わると桜、桜が終わると八重咲きの桜と続きます。気分が一番浮かれ、また憂鬱の季節でもあります。
梅の香は去年のかをりとかわらねど人は昔の人ならなくに
春なれば春の愁いをいかにせむ酒も今宵の愁いなりけり
2006年個人的重大ニュース
傷んでいた足治る
熊野古道を歩いたせいで傷んだと思われる右足がようやく夏ごろ回復
髪を染めるのをやめる
年寄りは年寄りらしく だが面倒なことが一番の理由
韓国での結婚式に参加
韓国人の元留学生の式に参列 暗記したスピーチをしゃべる
ヨセミテ渓谷訪問
圧倒的な岩の壁と巨大なマツカサに感激
花と紅葉に恵まれる
木蓮・桜・藤・牡丹 紅葉は祖母谷、鈴鹿、六甲と9月から12月まで
温泉を楽しむ
信州渋温泉、秋田乳頭峡温泉、木曾中の湯、越中祖母谷温泉
イタリア語始める
気まぐれにははじめる 年末は仏語の集中講座に参加
付録;2007年目標
フランスかスペインに行く
禿羊さんと共著の「蒼い月」を出す
いわな(勇んで笑って仲よく)
聖書を読む
ホームページを続ける
アウトドアを再開する
クジラを見にいく