芸術の秋 (08.12)

アジアン・クルージング (08.11)

宝島の旅 (08.10)

奥飛騨の山と湯 (08.09)

立山行 (08.08)

鯨見物 (08.06)

薔薇の季節 (08.06)

花 花 花  (08.05)

流氷を見る (08.04)

TOEICのこと (08.04)

2月の歌  (08.03)

樹氷によせて (0.02)

我輩どもは猫である (0.02)

ラグビー (0.02)

2007年のまとめ (0.01

 

芸術の秋

 というのは大げさであるが、いくつか美術館・博物館をまわった。先ずは福岡市営の船で志賀の島に渡り、金印が出た場所に行った。波止場から30分ぐらい歩くと丘の上に記念の公園がある。それ以外は何もない、海を行く船が見えるだけである。道に干してあった魚を買おうかと思ったが、ハエだらけなのでやめた。海の中道を通るバスで博多にもどり、福岡市立博物館にある金印と対面する。2cmあまりの小さいものであるが、鏡に映ると確かに漢委奴國王とある。島の畑に落ちていたことは想像力を大いにかきたてる。

 大阪に中の島新線ができたのでこれに乗って、国立国際美術館を訪ねた。アジアとヨーロッパの肖像画で、歌麿、ロートレック、ミュシャなどは定番であるが、インドの細密画、インドネシア、ミャンマー、フィリピンの絵が珍しかった。関西文化の日という日は公立の館は無料なので、大阪市立歴史博物館というバブリーな建物を見に行った。3部に別れ、難波宮、天下の台所、大大阪となっている。展示に相当金がかかっているが、深みがもう一つない。例えば孝徳天皇置き去り事件とか秀吉、大塩平八郎の乱などを取り上げてはいかがだろう。

 券をもらって(こういうのが多い)シンフォニーホールにソウル市交響楽団を聴きに行った。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲と新世界というポピュラーな演目で、在日の方なのか起立拍手の嵐で、アンコールも多く楽しめた。次は有料老人ホームの見学会に出ると昼飯が付いて菅原洋一が聞けるというので、申し込んだら当たった。飯は弁当でたいしたことはなかったが、歌は大変に楽しめた。「知りたくないの」が40年前で彼は高貴高齢者だそうである。声はつやがあり、よく出て、次の歌を忘れても年のせいと笑いを取るなどさすがであった。十数曲のほとんどは知っている歌でなつかしかった。

 東京から熱海に行き、世界救世教のMOA美術館を訪ねる。坂をバスは駆け上り、景色のいい山にでる。入り口からは地下でエスカレーターを登って行く。色とりどりに照明されてこの世の天国を招来している。雰囲気はミホミュージアムにちょっと似ている。陶磁器の展示が多く、特に国宝の仁清の藤花紋茶壷は見事であった。仁清のモダンな湯呑?写しのぐい飲みを土産に買った。光琳の紅白梅図屏風は残念ながら現在お倉入りで2月ごろ展示するとのことであった。外の茶苑の紅葉が美しかった(写真)駅近くで魚の干物を買って帰った。翌日は上野の森美術館でレオナール・フジタを見た。裸婦、自画像、子供、猫などはおなじみであるが、今回は復元された巨大な群像と礼拝堂のフレスコ画がすばらしかった。イブや花の洗礼には見ほれてしまった。上野ではまだ9月にみたフェルメール展と、国立博物館ではサザビーで競り落とされた仏像の展示がされている。
 

 

アジアン・クルージング

 香港、海南島、ベトナムの船上三泊のお手軽クルージングの旅にでかけた。船は7万8千トン、乗客1800人、プール、劇場、食堂9カ所など巨大なもの(写真)。比較的リーズナブルで、ドレスコードも緩やかであるとのこと。船主はシンガポールらしい。

 空港で一行14人が勢ぞろいし、添乗員に引率され香港へ。機中で台湾の山が見える。3時間あまりで10年前にできた新しい香港空港に到着、外に出るとむっと暑い。現地ガイドに案内され九龍半島と南の香港島をつなぐスターフェリーに乗り、香港の概要説明を受ける。ホテルに入り、シャワーを浴びた後、前の市場でメロン、グァバなどを買ってくる。夕方バスでネイザンロードへ。2階建てバスと道路にはみ出したネオンがめずらしい。モスク、公園などを過ぎて裏通りに入り、道路までテーブルを並べている食堂でカニ、シャコと格闘する。手が油でべたべたになるのを机の上においてあるトイレットペーパーでぬぐう。満足したところで地下鉄に乗って香港島のセントラルに出て、坂道のエスカレーターを乗り継いでソーホーに登る。上には欧米人の多いパブがならぶ。タクシーで映画慕情にでたビクトリアピークへ。展望台に登ると、海峡はかすんでいるが、摩天楼が林立した夜景は幻想的である。ピークトラムは満員なのでタクシーで香港駅に降りて、地下鉄を乗り継いでホテルに帰り、果物を食べる。

 朝食はホテルのバイキング、借り上げバスで香港島見物。浅水湾の海水浴場は年中水浴可能とのこと。近くにはジャッキーチェンやアグネスチャンのマンションがあるとのこと。新しく観音と天后を祭ったお寺を見学する。少し西の船上ジャンボレストランは高級なクルーザーにとりかこまれている。ビクトリアピークに行くがやはりガスっている。九龍にもどり、スターの手形のある海岸の道、宝石店、レストラン、シルク店と回って、3時ごろ船の乗り場に着く。出国手続きが込んでいて、2時間近く待つ。ようやく船に乗ったが、大きすぎて迷ってしまう。全長200m、6階以上が船室で13階まであるのだ。客は中国人と韓国人が多い。部屋は約20平米、ベランダ付で10階右舷にある。夜は日本料理店で冷奴とすし、缶ビールとした。外洋に出るとカジノがオープンする。結構ゆれて、壁やクロークがミシミシ、バタバタと鳴りあまりよく寝れなかった。

 朝6時ごろ水平線が白みはじめるのを12階のデッキで眺める。茶色のくちばしの長い鳥が船を慕って着いてくる。日の出に雲の流れる様も神秘的である。朝は東南アジア系のおかゆ。9時ごろ陸地が見え始める、これが海南島の一部なのだろうか。そのうち島の南の三亜に到着、高層住宅があってあまり情緒がない。昼は船でインド料理のバイキング。中国への入国手続きをして、ぼろバスに乗り椰子の浜辺を見る。少し離れたところに天涯地区(英語ではthe end of the worldとあった)があり、鑑真もこのあたりに流れ着いたそうな。スコールで道は川のようになっている。湾には船上生活者あり。スーパーに寄って、特産のココナツとドリアンのあめを買う。横の果物屋で椰子の実に穴を開けてもらって、汁をストローですする。ドリアンはなかったが親戚筋のものを試食させてもらう、別に臭くはない。バス待ちにケンタでジュース、外は照ったり降ったりだが、とにかくむし暑い。船に戻り部屋で昼寝、夜は広東料理店でカニ、マンゴープリンなどを堪能。

 明ければ風強く、なんと台風が近づいていて、ベトナムの世界遺産ハロン湾寄航は中止となる。朝はバイキング。9カ所の食堂のうち3カ所は無料で全部あわせると1400席もある。ジムに行ってトレーニングをする。トレッドミル、マシン、ダンベルのほかにステップエアロのレッスンをゴリラのようなトレーナーが1時間やってくれてヘロヘロになる。外のプールは風雨厳しく寒いのでプールの横にある温水のジャグジーや室内の流水プール、サウナにある風呂にはいる。太平洋を見ながら入る風呂もおつである。昼食はスパゲッティー、その後昼寝。夕方にはいろいろプログラムがあって、まず各国の民族衣装ショー、ファッションショー、スエーデン人の船長挨拶と写真撮影、カクテルパーティーと続き、その後劇場で歌や新体操風ダンス、筋肉マン、アクロバットなどスポーツ系のショーが多彩で楽しめた。

 北に戻るにつれていい天気となる。プールでも泳いでいる(写真)。バイキングの昼食、荷物詰めをした後、館内をぐるっと回って写真を撮る。ブリッジがガラス越しにみえたり、レーダーに写った像が見られる。ジムで汗をながし、ヨガを教えてもらい、あと風呂に入る。昼は前日船長が食べていたワンタンメン。午後は映画館でカンフーパンダというアニメ。香港に近づいたので船首に行き景色を見る。前をフェリーが行き来するので極くゆっくり進んでいる。水先案内のボートと水先案内人がいる。4時ごろ船から下りて入国手続きをし、ホテルへ。その後男人街(男物の露天が多い)近くの精進料理屋へ。料理名は肉の名前を書いてあるが、全部菜食でグルテンなどを使っている。重いものばかり食べた胃には優しくてよろしい。男人街、天后廟(夜は閉まっていた)、占いの多い通り、女人街とぶらつく。

 最後の日、朝風呂のあと、ゲートボールや太極拳をしている公園から海辺に行くとフェリーがあったので乗って沖の方の島まで15分の船旅をする。朝夕は通勤用のようだ。ホテルに戻り朝食、チェックアウト。バスで免税店に連れて行かれるが、これはパスして埠頭に行く。昨日の客船が止まっているが見るほどに巨大である。これからシンガポールに行くらしい。海べりの散歩道を歩きそごうのフードコートでせめてもの慰めにベトナムの氷入りスイーツをたべる。集合場所に戻り、空港へ。空港では時間があったので飲茶を食する。写真つきの注文用紙に数を書くのでわかりやすい。小籠包など味もはなはだ結構であった。飛行機の中の映画はレッドクリフ(赤壁)をやっていて金城武が孔明ででていたが、終わらぬうちに日本についてしまった。

 

 

宝島の旅

 台湾は宝島と呼ばれており、二十数年ぶりの訪問となる。目的は、故宮美術館、寺廟,夜市、食事、果物、友人5人と3日間の旅行である。

 台北へは2時間あまりの飛行、空港に降りるとむっとする暑さ。バスに乗せられ、先ずは免税店でショッピング、早くも買いだす人が多い。ホテルは市内中心部で便利なところ、周りにコンビニが多い。果物好きの私は早速近所でパパイヤ、マンゴ、グァバ、竜眼を買い込んでくる。南方は果物が豊富でうれしい。5時半知人の従姉妹家族三人が迎えに来てくれ、新光三越百貨店で食品売り場を見る。またもやドラゴンフルーツ、蓮霧、釈迦頭、バナナなどの果物を買っていただく。近くの四川料理の樺慶川菜に入る。従兄弟さんがもう一人来る。従兄弟さんと従姉妹の娘さんは日本語ができる。総勢9人でにぎやかに食事、切干大根オムレツ、エビチリソースかけおこげ、マーボ豆腐などがはなはだ美味。唐辛子味で汗がどっと出る。あげパン、台湾生ビールもなかなかいける。食後タクシーで龍山寺へ、ここは観音様を祭っている。地面にひざをついておまいりする人、長い線香を持って祈る人、多くの供物も備えられている。裏の建物には関羽も祭られている。ここから少し歩くと華西夜市、ぶらぶら歩いてスターフルーツジュース、ヘビスープ、ココナツジュース、最後にカキとイカをいただく。タクシーでホテルに送ってもらい、部屋で果物を食べながらだべる。

 時差が1時間あるので早く目が覚める。外を散歩、公園では太極拳をしている。中山駅より、台北駅へ。この横に孫文の泊まった日本旅館が移してある。料飲街をぬけてホテルに帰りビュッフェスタイルの朝食をとる。ツアーバスに乗る人を送り、タクシーで国立歴史博物館へ。タクシーはとても安い。着くと長蛇の列、ミレー展のためという。開館まで裏にある植物園を散歩する。大きな池の睡蓮が美しいが、陽がかっと照って目がくらみそうなので早々に木陰に入る。リス、尻尾の長い鳥、やしの並木、南国を実感する。博物館はミレー展以外のところはすいている。3階の陶磁器をじっくり見る。六千年前の彩陶を見て中国の長い歴史を再認識する。玉、俑、唐三彩にすばらしいものが多い。唐三彩の鎮墓戦という獣を始めてみた。4階の眺めのよい茶店で茉莉花茶とお菓子、下に池が見えて眺めもよろしい。

 

 ほの紅き六千年の壷ありてこころ激しく揺さぶらるかな

 紅蓮の池みわたせるテラスにて茉莉花茶飲み旅情なぐさむ

 

正午に故宮博物館に向かう。以前に来たときは入り口に唐三彩の汗血馬があったような気がしたが、最近改装して大変きれいになっている。先ずは3階の玉器の部屋に行く。有名な翠玉白菜、肉形石を見ていると腹が減ったので、4階の三希堂でマントー、粽、スープのお昼とする。陶磁器は女俑、唐三彩、青磁、明の黄緑彩などがなかなかよろしい、が沢山ありすぎて解説をヘッドフォンで聞いているとだんだん眠くなってくる。コーヒーを飲みもう一頑張りし、彫刻を見る。オリーブの種に彫った船や、17重の象牙細工など。書では王義之は残念ながらコピーしか置いていなかった。売店を回り、他の人と合流するためタクシーでリージェントホテルへ。そこから歩いて宿に帰り、ビールでのどをうるおす。6時にそごう百貨店に行き、小籠包で有名な鼎泰豊でご馳走になる。百人位が順番待ちをしている。従兄弟さんは奥様、お孫さんも連れて来て総勢11名。すごく元気な孫娘さんである。2歳でもちゃんと中国語をしゃべる。シャオロンポーは一口で食べてやけどをしそうになったが、ジューシーで誠に美味である。餃子、あげ排骨もうまい。デザートにあんまんもあった。あと従姉妹さんの息子さんとカラオケスナックを見学後、ホテルに帰ってまた果物パーティ。

 朝の散歩に行天宮という関帝廟に行く。関羽はそろばんも発明したとかで、商売の神様でもあるそうな。青い服を着たおばさんたちがお払いをしてくれる。三日月形の木を二つ地に投げて占う音が響いている。建物は誠に絢爛豪華である(写真)。朝食後、荷物作りをし、残ったパパイヤ、釈迦頭を食べる。チェックアウトをした後、ぶらぶらと中山駅に歩いてゆく。道にはスクーターが多く、信号が変わったときの発車音はすさまじい。地下鉄の切符はタッチパネルで買うと、プラスチックのトークンが出てくる。これを改札にタッチして入り、出るときは穴に入れると回収される。なかなかの優れものである。台北駅は天井の高い壮大な建物である。高速鉄道も地下から出ている。乾燥果物があったので、いくらか仕入れる。表へ出て、立法院、教育部の前のガジュマルの並木(写真)を通って中華工芸館で工芸品の鑑賞と買い物をする。どんどん荷物が増える。タクシーで台湾家庭料理の青葉へ行き早い昼食。シジミ醤油漬け、カキお好み焼き、焼きビーフン、ぶっとび、キヌガサダケスープなどを堪能しているうちに時間が来て、デザートのマンゴープリン、杏仁豆腐、グァバは大急ぎでかきこむ。ホテルへ帰り、バスで円山大飯店などのホテルで客を拾い、免税店に寄り、飛行場へ向かう。途中で激しいスコールに会った。見るべきものを見、食べるべきものを食べて、まことに幸せな旅であった。

 

奥飛騨の山と湯

 三十何年か前に白馬山麓を旅した友達と今年は奥飛騨を目指すことになった。お盆中であったが、奥飛騨中尾のペンションが取れたのは幸いであった。朝9時集合して、1台の車に7人が乗りこみ、名神、東海北陸道と走る。長良川SAで昼食、高山には2時に着き、古い町並みを散歩する。昔ここで写生したのが懐かしい。川には鯉がたくさんいる。人も店も増えている。地酒、赤カブ漬、春慶塗りなどを仕入れる。川を渡って代官所、戻って喫茶店でジュースを飲む。平湯、福地温泉と走り、コープで果物買うが走り雨に会う。栃尾温泉を右折すると中尾は近い。中尾は台地状になって、元は木地や部落で現在は旅館、ペンションが多い。大雨の中を到着したペンションの横には蒸気が噴き出しており、排水路は湯が流れている。早速露天風呂に入る。林に囲まれて心が安らぐ。夕食は岩魚の塩焼・刺身、飛騨牛網焼きなど大満足である。2日間は貸切である。部屋でミーティング、地酒とワインがうまい。皆から記念品にスイスナイフをいただく。夜中に雨で目が覚めて、ヘッドランプでの虚空の旅人(上橋菜穂子)を読む。

 明ければ西に錫杖岳、東に焼岳が聳えている。ダイエット中ではあるが今日は山登りをするので朝ごはんを沢山いただく。風呂は夜3回朝2回のペースである。朴の木駐車場より専用バスに乗り換え、乗鞍岳に向かう。上がるにつれてガスに包まれる。畳平よりぶらぶらと花を見ながら歩く。コマクサ、ミヤマギキョウ、ヨツバシオガマが美しい。雪渓の所に堰堤を築いて貯水池にしている。上にはコロナ観測所が見える。大雪渓にはスキーヤーが多い。歩いて登らねばならぬので大変そう。肩の小屋から登りにかかる。道の狭いところでは人が多いので対向が難しい。頂上3026mの神社は霧の中、早々に降りて肩の小屋でビールを一杯。降りる頃になって晴れてきて、剣が峰、東の方に乗鞍高原が見える。Nさんは三度目の正直でようやく乗鞍に登れたと喜ぶ。畳平でコロッケや肉まんの昼食後、再び朴の木駐車場に降り、平湯大滝に寄る。足湯で疲れを癒す。途中桃を買ってペンションに帰る。風呂、酒盛りの後豚シャブの夕食、外に出て子供心に帰って花火をペンションのオーナー夫妻と一緒に楽しんだ。恒例のミーティング、桃、赤カブ漬がうまい。

 酔いしれて眠る奥飛騨きこゆるは枕の下に響く瀬の音

 曙の林の中に湯浴みして三十年の来し方思ふ

 奥飛騨の丘の上より見渡せば想ひ出の山想ひ出の旅

笠が岳が朝焼けに染まっている。今日は西穂ロープウエイと上高地を回るという欲張りな計画なので、朝食後急いで出発。北アルプス大橋を渡り、第二ロープウエイ乗り場へ。登るにつれて、双六岳、槍が岳、南岳、西穂高岳と見えてくる(写真)。展望台に着くと早くも笠が岳が雲に包まれているが、遠くに白山が望まれ、焼岳もチラと見えたので幸運の方であろう。降りて、平湯より上高地行きのバスに乗り、釜トンネルを抜けて、大正池で下車。池の向こうに焼岳、そして穂高が圧倒的である(写真)。池にはボートに乗っている人、えさをあさりにくるカモなど。田代池は水が清らかで冷たい。人の多い道を避けて、梓川の河原でパンの食事。ちょっと豪華にと言うことで帝国ホテルに入ってお茶にする。ログ風の建物が感じがよい。ケーキセットとサンドセットを頼んだら会計係りが目をまわした、がうまかった。ギフトコーナーで欠席者へのお土産を買う。混雑の河童橋で記念撮影をし、平湯に帰る。車で2時過ぎに出て、暑い大阪には7時に着いた。二泊ではあったが、山と温泉と涼を満喫した旅であった。

 

立山行

 禿羊さんと、そろそろ山も仕上げ(引退?)の時期だから、やり残した所をやろうかと、立山より薬師、三俣、船窪という1週間の大計画を建てた。この間トレーニングのために、やんごとなき人もすなるフィットネスに通ったのであった。ところが、前月の私に続き、7月は禿羊さんにご不幸があった。全面解約も癪なので、一人夜行バスで立山室堂までおもむいたのであった。

 夜行バスの後方は前後の座席幅がゆったりして、横にも人がいずよく寝られた。夜があけると、有峰で客をおろす。3年間住んだ富山であるので、懐かしい。

 登りきし芦くらの里人気なく路傍のあぢさゐ色あざやかなり

室堂は7時着、ガスでほとんど見えない。今年は雨が少なかったので残雪が多い。一の越小屋で持参したパンとコーヒーで朝食。担いできた西瓜を食べている人がいる。立山山頂で安全祈願、ここの神主さんの植物画はたいしたものである。大汝山、富士の折立とたどっていくが、何も見えない。富士の折立では頂上からどちらに行くか迷うことがあった。雷鳥も天気が悪いときにはよくでてくるようだ(写真)。道の真ん中で砂かけをして動いてくれないのがいる。子供がどんどん行くのを必死で追いかけている親がいる。

 霧ながる這い松のかげえさあさる子に呼びかける雷鳥の親

 霧ふれる立山の谷名もしらぬ花とりどりに咲きほこりたり

別山の巻き道は残雪のため通行禁止となっている。剣御前小屋に来ると、西瓜を食べている人にまた会った。おいしそうですねというと、一切れくれた。明日は剣山荘で流しそうめんをするとのこと。

 大日山への尾根道を降りていくと、雪渓とお花畑がうつくしい。雪に水と練乳を入れて氷ミルクを作る。冷えすぎて頭が痛い。下に色とりどりのテントが見える。天気がよくなってくる。ロッジ立山連峰に入り、早速温泉に、風呂からの山の眺めがよろしい。ベランダで生ビール、爽快である。お山はばっちり見える。その夜はベッドの中で新田次郎作「栄光の岸壁」を読んでいて危うく夜更かしをしそうになってしまった。

明ければうす曇、新室堂乗越までのぼり、尾根を縦走する。花がとりどりに咲いている。南の方には薬師岳、槍も霞んでだが見える。

大日に上りて遥か槍ヶ岳かすかに見ゆる心楽しも

大日の尾根に咲きたるチングルマ小さき花をたれにささげむ

奥大日岳まで行くと、剣岳が雄々しく聳え立っている(写真)。すばらしい展望である。枯山水のように岩と松を配した七福園を過ぎると大日小屋。ここは今回申し込んだが、満員で断られた。夜にギターコンサートのあるところ。大日岳をピストンして、大日平へのくだりにかかる。岩がごろごろして、またいだり乗ったりと気を使う。下の小屋が見えるが一向にたどり着かない。水場に出てのどをうるおす。ようやく嫌気のさしたころ、木道が現れる、がこの頃より雨がぱらつきだし、そのうち大雨となる。傘を差してあまりぬれないうちに小屋にたどり着いた。

 小屋は風呂が付いている。汗を流し生ビールを飲み、同室の人とだべり昼寝。おいしい夕食を食べた後は、日本海に沈む夕日を見る。雲の色が赤からピンクに変わっていく。小屋の裏から見える不動滝も夕日に染まっている。夜は「歌人の山」という本を読んだ。これに触発されて何首か。

 大日の平の小屋に泊まりたる夕きたりなばうぐひすのなく

夕陽に白く輝く富山湾彼方の海は紅に染む

 夕焼けの薬師の山を仰ぎ見る逝きにし人のことの思わる

 山小屋に泊まり親しく睦みあふ一期一会も楽しかりけり

 街住めば山の恋しく山行けば人の恋しくなりにけるかも

次の日は大雨となったが、下の温泉で泊まるのでのんびりと降りて行く。大日平の木道が終わると、牛の首という両側が切り立った急坂にかかる。はしごやロープが付いており、岩も階段状に切ってくれてあるので歩きやすい。称名の滝が見え、音がだんだんと大きくなる。下について滝を見に行ったが、雨のせいで普段は枯れている幾筋もの滝が現れている。滝つぼの近くの橋は水しぶきで近寄れたものではない。バス停に行くと雨の影響で道路が不通である。ラーメンとビールで時間をつぶすが、埒が明きそうもないのでとぼとぼ歩いていく。桂台のドライブインで温泉に電話して迎えに来てもらう。車に乗り込むとき、そこの親切なおばあさんとえさをやった猫が並んで送ってくれる。ウエルサンピア立山では先ず風呂に入る。露天風呂がなかなか気分がいい。結局翌日までに6回も入ってしまった。ロビーにあったムーミンの本を読み始めるととまらず、童話2冊とムーミン・コミック3冊読んだら頭がムーミンになって、夢にまで出てきた。 

 

鯨見物

 Whale watching は何年か前に試みたことがある。大阪から高知へ行くフェリーから見えるというので申し込んだ。ところが前日になって、船会社の人から泣きそうな声で、船が座礁してしまったと電話があった。一隻しかない船で、その後修理して使っていたが、今はもうやめてしまったようである。

 和歌山県串本の付近で鯨がみられるというので出かけた。まずは串本駅よりバスで潮岬をめざす。この台地にはたくさん家が建っている。潮御崎神社に鯨祈願をして、そこから磯に下りてみる。地元の若者がもぐってウニを採っている。棒の先に引っ掛けてとげの長い紫ウ二がどんどん取れる。バフンウニよりうまいという(写真)

 地の果の潮岬の荒磯に少年たちの海胆いさる見ぬ

灯台に登って太平洋を眺める。海を見るといつも気持ちが大きくなる。鯨は見えない。バスで橋杭岩に向かう。岩が大島に向かって何本も立っていて奇勝である。潮が引いた岩でおばあさんがヒジキを採っている。噛んでみるが生では苦い。

 いよいよ目的地の古座の民宿に行ってみると、泊まるのを聞いてない、飯もないといわれ、とりあえず汚い部屋に通される。素泊まり3000円だから仕方ないか。橋を渡って唯一の食堂で晩御飯とする。町の中には鉄骨で作った10mぐらいの台があって津波の時にはここに上って避難するとのこと。

 明ければ上天気。スーパーで買ったパンを朝ごはんにして、浜を散歩。9時半6人客が乗り込んでいざ出発。昨日は6頭いたという海域に向かう。高速で飛ばして1時間、トビウオがあわてて逃げる。スピードを落とすと指示が出て、鯨が潮を吹くのを探せという。見たことのないものをさがすのも根気がいるし、おまけにかんかん照りで暑い。海草の間にヒレがみえたが、これはサメ。カツオドリがとびまわっている。そのうち皆疲れてきて、寝転んでいる。3時間ほどさまよったが結局は坊主。船主が申し訳なさそうにしているが、もちろんお金は返してくれない。

 陸に上がり、駅前でみかんと干物を買って、あまりエネルギーも残っていなかったのでそのまま帰りの電車に乗り込んだ。2度あることは3度あるともいうし、3度目の正直ともいう。次は沖縄まで鯨を見に行くべきか。(この文章はがっかりしたので書く気はなかったが、その後おでん屋で鯨を食べたら思い出したので載せてみた)

 

薔薇の季節

桜、ぼたん、藤がおわると菖蒲やかきつばたまでの間は、バラの季節。今年は市内にあるバラ園をたずねた。靱公園はケヤキ並木の緑が濃い。バラ園には豪華な花、楚々たる花などさまざまである。新種を開発した人の名前が書いてあってフランス人が多い。薄紫のバラが美しい(写真)。お祭りの最中で、ゴスペルのグループが歌っていた。西側のテニスコートで試合をしているのをちょっとのぞく。帰りに市長がナマオケでプレスリーのCant help loving youを歌っているのを見たが、なかなかの芸人である。バラといえば昔訪ねたブルガリアの香水用のバラ畑を思い出す。

かぐわしき薔薇の谷にて友摘みしひとひらの花遥かなりけり

御堂筋を抜け、中の島へ。川岸のベンチにはホームレスがすわっている。ここにイルミネーションをつける計画があるらしいが、金があるならこの方たちを何とか助けてあげてほしい。それから川の水をきれいにしてほしい。東洋陶磁美術館の北側の小道はバラが楽しめる。ここには日本で改良したものが比較的多いように思われる。ここから先はビーチバレー大会の用地になっていて通れない。たくましい女子選手が歩いている。花にたとえれば、何の花だろうか。

同好の士より歌を二首よせていただいた。

緋桜の赤き実月に光る夜は昔の人にまた逢はめやも

これがあのうすむらさきのあふちやもあはれ知れらむ人に見せばや


花 花 花

 花の季節になると心が浮き立つ。近場ばかりだったが、今年も桜をたくさん見た。ソメイヨシノが一斉に咲き散るさまもいいが、八重桜のぼてっとしたのも爛熟した雰囲気が豪華である。

先ずはJR桜ノ宮で降りて大川沿いのサクラ。両岸が真っ白になった向うに大阪城が見えるというのも結構。岸では花見のグループ、川にはレガッタや観光船となかなかにぎやかである。下流に行くと藤田邸跡がきれいな公園になっていて木は若いが桃やサクラが美しい。この日は太閤園の庭を見ておしまい。

次の日はうつぼ公園に植樹した連中と集まり、既に散った緋寒桜の下で記念撮影をした。夕焼けの天満に出て新しくできた八軒家浜(昔の熊野街道の起点)から船に乗る。花見弁当とビールでいい気分になりながらライトアップされた夜桜を見物する。

夕陽の照らすビルに映りたる河の桜は盛りなりけり

沈みゆく紅き夕日に照らされて花はいまぞ咲きほこりたる

穢れたる街と水を閉じ込めて闇に浮かべる夜桜淡し

次の週は須磨浦公園に出かける。山の上は満開らしいが、下は散り初めて八重桜が花を開きかけている。海を眺めると気持ちが広くなる。浜を歩いて水族館まで。イルカはもうショーを終わっていたが、ラッコは食事時に会えた。浜で海草を取ったが食べれるものはなさそうであった。

 次の日は30名ほどのグループで光明池で自然観察会。近くの高校の先生が講師で50種以上の草や木を説明してもらったが、頭に残ったのは山桜の一種のカスミザクラとウラシマソウであった。この高校では校庭を昼はウサギが、夜はタヌキが走り回るそうでニュータウンとはいえ田舎である。天気が好くて顔が焼けてしまった。

 光明の池の丘辺に萌えそめし木木にうかべるかすみ桜かな

一週過ぎていよいよ八重桜の季節、奈良へ出かけることにした。興福寺を過ぎて浮御堂、外国の観光客が多い。公会堂の横に八重桜の大きいものが何本かあった。二月堂から東大寺講堂跡へ、ここに立派な枝垂桜とカスミザクラがある。枝垂桜はあくまで幻想的にしだれ、カスミザクラは真っ白な花が大仏殿を背景に咲き誇っていた(写真)

同好の士より春の歌を送っていただいた。私の方がさぼっていて恥ずかしい。なくなられた前登志夫氏にあこがれているが、そうはいかない。

さくさくと春の庭土雨含み清浄(しょうじょう)の草やはらかに生ふ

冬薔薇のこほれるつぼみゆるらかにほどける春になりにけるかも
朽ちなむと思ひしつぼみ雪に耐へ孤高の薔薇がいまひらきけり

菜の花が花壇に咲けるこの街に古へからのあまき風吹く

木蓮に群れ咲く白き折り鶴は空のいずくに翔ばむとすらむ

緋桜の梢のはたて澄む空に消えまた浮かぶわが想ひかな

さみどりの衣日に日にととのひて銀杏の一年はじまらんとす   

 

流氷を見る

 一度流氷なるものを見んと網走まで出かけました。いろいろな都合で3月の中旬になり、過去2年間は2月でおしまいになっていたので心配をしていましたが、今年は寒さが続いて幸いにも見ることができました。

 1日目は夕方に着いたので港まで出て眺めましたが、北のほうの浜にびっしりと流氷がついています。沖の方にも流氷帯がみえます。

2日目の朝はモヨロ貝塚の横の浜に出て打ち寄せている氷を眺め、その後オーロラ号という砕氷船に乗りました。沖に漂っている流氷に突っ込んでいって砕いていく様はなかなかに勇壮であります。青氷の見えるところもあります(写真)。双眼鏡で大分探しましたが、残念ながらオットセイが乗っているということはありませんでした。

 その後汽車に乗ってトーフツ湖まで白鳥を見に行きました。獲つけされていて、観光客の投げるえさに群がる白鳥やカモにはあきれます。しかし遠くの方に尾を上げて歩いているキタキツネが見られたのは幸いでした。浜に出ますと打ち上げられた流氷がオブジェのようです(写真)。シベリアのアムール河の水が凍ってオホーツク海を南下してくるのですから、将に大自然の壮大なドラマといえましょう。

このほか先住民の遺跡のモヨロ貝塚館、市立郷土博物館、道立北方民族博物館を見ましたが、フィンランドからシベリア、アラスカ、カナダに広がる北方民族の自然に適応した生活は大変興味深いものでした。道立博物館ではデルス・ウザーラの絵本のよみきかせがあり、その美しい絵本をお土産に買ってきました。黒沢明の映画では感動した思い出があります。

 

TOEICのこと

 どういうわけかTOEICという英語検定試験をはじめて受けることになり、2ヶ月ほど禁欲的な受験生生活を送りました。本屋に行くと参考書が大量にあり、コツを書いた本と模擬試験問題集を買ってきました。

 教室も2つほど無料体験レッスンを受けてみましたが、ひとつはあまりにも雰囲気が暗く、もうひとつは値段がとても高いので自分で勉強することにしました。

 2時間で聴解100問、読解100問を解くというはなはだ過酷な試験で、考え込んだり、戸惑ったりしているとおしまいという厄介なものです。コツを書いた本によれば全部の文章を読んでいたのでは時間が足りないとあります。

 元々日本向けに開発され、その後韓国にも入ったようで、今でもこの二つの国の受験生が多いそうです。2006年から問題が変わり、量が多くなって、おまけに豪州の発音が入ってこれが聞き取れません。また英文を読んだからといって教養が身に着くというものでもなく、私も語学は嫌いではないけれど、あまり面白みのないものでした。

 そうこうするうちに試験当日。さる大学に行くと1500人からの受験生が詰め掛けていて、20代が大半で私などは最高齢のようです。皆就職に関係するのか真剣そのものです。アッと言う間に終わってしまいましたが、どんな内容であったのか全く覚えていません。やっと終わった、もうええわという気分で帰ってきて、夜は久しぶりにメートルが上がりました。

 

 

2月の歌

同好の士(J氏)とメールで歌のやり取りをしています。久しぶりの雪をながめつつ、猫とこたつに入って信州に降る雪のことを想っています。

 

白馬の里に雪ふるその雪のつもれるごとく想ひはつもる

夜のふけて南佐織の歌きけばはつかメローなここちになりぬ

次の世は黒き猫に生まれ来てきみのしとねにねむりこみたし

久方に母見舞はむと思へども窓の外には雪のふりしく

ふりしきる雪眺めいて日は暮れぬこたつの中にて春はたちぬと

 

J氏よりの返歌

つもりては消ゆるさだめの白馬にけふも真白に雪はふりつつ 

転生のしるしやあらむ黒猫の額に星あり葡萄くはへり 

ゆゑありてここの子になり膝にのり自分史綴る福猫ふたり 

世になくばさびしかるらむ耳とひげ柔毛は眸(まみ)閉じ雪ふりやまず 

漆黒の闇に目覚めて夢うつつあかきみ空によこたふ御山 

裸木に鴉とまれり花咲けばばらいろのひなはぐくまんかな 

 

 

樹氷によせて

 同好の士より先月の明神平の樹氷の写真に寄せて歌をいただいた。

  たちならぶ裸形の木々は風迎へ春のととのひ語りあふらむ

はろばろと樹氷の森より風吹きぬ水仙の香に羽やすめなむ

 これに返して

  こほりつくぶなの林をとおりすぐ億年の風の音をききたり

  凍てつける樹氷の森の彼方より大いなるものの声のとどろく

 

我輩どもは猫である

 名前はナミ、タケといふ(写真)。並みの猫なのでナミ、同じく松竹梅で言へばタケといふことで安易に名づけられたのがくやしい。生まれたのはどうも家の中らしいが、子供の頃にすてられていたので出身は野良と言ふことになる。

 一代前にシロといふのがいたが、一人前の野良になってからえさをもらいにきて住み着いたらしく、野性的であまり人になつかず、山に連れて行ってもらったとき逃げ出して、今でもアウトドアを楽しんでいるかもしれぬ。

 ナミは公園で箱に入れて捨てられていたが、雨にぬれて最後の泣き声を出してやうやくひろわれた。姿のいい兄弟は大分前に片付いたのに。人間でいへば70歳になるらしいが、黒と茶のだんだらでルーツは外国らしい。巨大結腸症と診断されて(診断されてもしかたない)雲古がでにくくて起きている時の半分はトイレで頑張っている。獣医さんで浣腸したりしてもらっていたが、金がかかりすぎるということで、ときには家で浣腸をしてもらふが、とても苦しいので主人の手を引っ掻いてやる。このごろはおなかをなでるといふ作戦に切り替へたようで、これの方が気持ちがよい。出そうになると座布団や床にこすり付けるとコロリと出てほっとする。主人はぶつぶつ言いながら拾ってあるく。

 タケは人間でいへば30ぐらいらしいが、近所の猫好きの人が拾ってくれて、その後ここに養子にもらはられたものらしい。ミケとトラの混じったものだといわれており、一番美男の兄弟は避妊手術で亡くなり、もう三匹兄弟が他にいる。をのこではあるが、どうも先輩のナミには敵わない。時々首筋をなめるふりをして油断したところを噛み付いてみるが、反撃されて毛が飛び散るやら散々である。ウーとにらまれたらスゴスゴと逃げるしかない。悔し紛れにその辺に小便をすると主人にたたかれる。後はナミが弱って我輩の天下が来るのを待つしかない。

 両人とも気に入っているのは主人に背中をたたいてもらふことである。パコパコとしてもらふと本当に気持ちがよく恍惚としてスリスリをする。他の人が見ると変態猫といわれるが、そんなことは気にせぬ。一日一回のカツヲブシをもらふ時とたたいてもらふとき、布団にもぐりこむ時以外は知らぬ顔をしている。人間に媚びすぎては猫の沽券にかかはるのだ。

 

ラグビー

 冬はラグビーの季節である。中学でクラブに入っていたので今も大変興味がある。腎臓を傷めてクラブはやめたが、高校の授業のラグビーも楽しんだ。といっても覚えているのは、自陣近くでパスをしてインターセプトされ負けてしまったこと、相手に追いつけずトライを許してしまったこと、転倒して起き上がったが家に帰るまで記憶がなかったことなどトラウマのみである。

 高校、大学、社会人のトップリーグ、ワールドカップと種類はあるがそれぞれに面白い。高校は西高東低、大学はその逆、社会人は大体拮抗している。いい高校の選手が大学では東京に流れてしまうのは悔しい。前から応援している神戸製鋼が最近元気のないのも残念だ。関西では三洋、サントリーが元気がよい。ワールドカップは体格の違いで日本は世界でほとんど勝ち目はない。

高校も今年はフォーワードにでかいのをそろえた東福岡が伏見工業に勝って優勝したが、見ていて面白いのは伏見工業のようにバックスに展開して鮮やかに点をとるというもの。フォーワード戦で一向に前進しないのはストレスがたまる。しかし最近の主流はフォーワード重視のようでレスラーのような選手をそろえている。サッカーと同様、外国人選手の活躍が目立つ。

基本的に格闘技であるので、重量とスピードと技とスタミナの勝負である。ルールが変わったのか微妙にわからないところがあるが、レフェリーの見ていないところでけんかをしているのを見ると楽しい。高校生は純朴なのかこんなことはやらない。ワールドカップではテレビ判定を取り入れているようだ。もう一度やってみたい気がするが5分でバテるか、大怪我で退場ということになるだろう。

 

2007年のまとめ

 国内の十大ニュースは、安倍首相ドタキャン、食品偽装、年金問題、参院選で自民大敗、防衛省疑惑などが挙げられているようであるが、今年の私の大ニュース(というほどではないが)を振り返ってみる。

 先ずは第二歌集を出せたこと。禿羊さんと大分前から話しをしていたが、春ごろから具体的な編集作業にかかり、7月に発行することができた。歌集名は「蒼き月」で禿羊漢詩集とのあわせ技となった。好意的な反応があったり、触発されて作歌を始めたということを聞いたりするとうれしい。

 痛めていた足もほぼ回復し、山へ行けるようになった。山友達との同窓会での安達太良山、YHに泊まって登った苗場山、久しぶりの御岳山といずれも天気に恵まれ、温泉も結構であった。12月の台高山脈明神平の樹氷(写真)も心に残るものであった。

 温泉といえば東の横綱である草津温泉とともに四万、万座を回ることができた。あと山のついでの奥岳温泉、野沢温泉、御岳中湯、それに道後温泉が今年の足跡である。東北の八幡平のあたりには温泉が集積しているので是非いってみたい。

 スペインは3度目であった。これまで回っていないアンダルシアとピカソのゲルニカを目的にしてのもの。歴史と風土は大変興味深く、人々は明るく楽しい。次に行くなら北部地方ともう計画だけはできている。

 スペイン旅行のために春から始めたスペイン語は、発音は日本人向きであるように思われる。ただしロマンス語系言語の常として動詞の変化は厄介である。せっかく始めたのであるから、もうちょっと意思疎通ができるようなレベルになりたいと願っている。