越前・若狭の旅(2023.12)
東北の旅(2013.11)
月下美人咲く(2013.10)
史上最高の夏(2013.9)
中国・九州盛夏の旅(2013.8)
沼島のハモとヤマモモ(2013.7)
初夏の古墳めぐり(2013.6)
甲信越の縄文土器・土偶 (2013.05)
京都城南宮のしだれ梅 (2013.04)
四国の旅 (2013.03)
沖縄歴史の旅 (2013.02)
2012年のこと (2013.01)



越前・若狭の旅(2023.12)
 禿羊と福井県今庄の南にある夜叉が池に登ろうとテントを持って出かけたが、2日続きの雨で予定を変更。1日目は武生に出て、越前ソバの昼食。味真野は奈良時代この地に流された中臣宅守と狭野茅上娘子との間悲恋の万葉の相聞歌63首の舞台。綺麗に公園が作られ歌碑がある。この地は謡曲花筐(はながたみ)の舞台でもあり 継体天皇の像もある。西に向かい越前町の織田へ。剣神社は織田信長の祖先の地といわれる。横にある彫刻家にして筝・ハープ奏者の雨田光平記念館(少し縁がある)、織田歴史資料館を見学、夜は飛び込みで越前海岸の旅館に泊まる。
     漁火の越前海岸湯浴みして酒飲み語らふ楽しからずや
 早朝内浦を散歩、山にへばりついたような漁村であるが、これからカニで忙しくなる。海岸を車で半時間南下して、北前船主の館へ。右近家は江戸後期から明治中期の最盛期には19艘の船を持ち、北海道航路で莫大な利益を上げた。その家と丘の上にある洋館が公開されている。洋館の1階はスペイン風、2階はスイス風で豪奢であり、前の海を望む。敦賀を抜け、小浜で国宝の本堂と三重の塔のある明通寺、二月堂へお水送りする鵜の瀬、若狭彦神社を見、海鮮丼を食べて帰阪した。

 考古学の同窓会6人で天理を訪問した。天理大学内にある天理参考館で日本やアジアの遺物の展示を見た後、全長183mの西山古墳、これは前方後方墳の後方の上が円形になっている。天理高校の敷地を通って塚穴山古墳、大きな石室が露出し天井石はない。南へ歩いて畑の中の小墓古墳、西乗鞍古墳と廻る。東乗鞍古墳では狭い入り口から石室に入り石棺2基を見ることができたが、暗い中で思い切りおでこを石にぶつけた。東海自然歩道に出て柿を仕入れ、石上神宮、天理教本部とたどり、鶴橋で焼肉を食べた。

 高齢者大学の班の見学で近つ飛鳥へ行った。阿倍野より近鉄で喜志へ、バスで阪南ネオポリス、先ずは一須賀古墳群のB群とD群を見学した。近つ飛鳥博物館に入り、推古朝の特別展などを見た。車道をかなり歩いて、推古天皇陵、横のニ子塚古墳で昼食。小野妹子の墓から道の駅に出てみかんを食べる。ここから竹之内街道に入り、歴史資料館、孝徳天皇陵から用明天皇陵へ。叡福寺で聖徳太子の墓に参り、向かいの西方院へ。天王寺に出て慰労会。
 同大学の校外学習で神仙思想や陰陽道に関連した寺社を見学した。四天王寺で集まり庚申堂へ。ここは日本庚申信仰発祥の地とある。南下して陰陽師安倍清明誕生の地といわれる安倍清明神社へ。松虫塚から西へ下って聖天山公園で昼食。園内には聖天山古墳(6世紀後半の円墳)があるが、哀れにも削られ周りが石垣で覆われている。午後は天下茶屋公園で松崎町にあった阿部寺の塔心礎を見た。ここで解散し、あと住吉大社を訪れ、阿倍野で反省会。
 同大学の遠足で高槻を訪問した。バスで新池埴輪製作地跡へ、ここは5,6世紀のヤマト政権直轄の埴輪製作地であった。歩いて今城塚古墳へ。昼食の後先ずは今城塚古代歴史館でボランティアの方の説明を聞く。中でも巫女の出土埴輪(写真)などが出色である。開催中の「発掘された日本列島2013」では天皇陵の出土品が興味深かった。その後古墳に出て、埴輪が並ぶ祭祀跡などを見た。茨木でおつかれ会。

 所用で熊本に行ったついでに、高校の修学旅行以来の熊本城と水前寺公園を見た。熊本城の宇土櫓は1607年加藤清正建設当時のもの。天主閣は西南戦争のとき燃えて昭和に再建された。本丸御殿は新たに再建され障壁画や天井画が見事である。水前寺公園は周りのビルが目障りであるが、古今伝授の間よりの景色は紅葉もあり素敵であった。豚骨ラーメンを食べ、馬肉燻製と辛子蓮根を土産に買った。

 町内会に関係したバス旅行で豊岡市へ行った。養父神社の紅葉のあと、コウノトリの飛んでいるのを見た(写真)。安国寺の樹齢150年のドウダンツツジの紅葉が見事で、寺のたたみも赤く染まっていた(写真)

東北の旅(2013.11)
 赤坂憲雄の「東北学/忘れられた東北」一冊を持って、早朝大阪を出発し、新幹線で東京経由仙台へ。東北線に乗り換え、国府多賀城下車、駅前の東北歴史博物館で基礎知識を仕入れ、古代米のランチを食べた。ぶらぶらと多賀城碑へ、これは上州多胡碑、那須国造碑とともに日本三古碑といわれる。「京を去ること一千五百里・・・大野東人がこれを置く・・・」などと読める(762年建造)。ここから南北大路を北上し、階段を上って政庁跡へ、ここは陸奥国府であるとともに出羽国をも管轄、また対蝦夷の拠点であったとされる。また大伴家持の終焉の地でもある。方900mの築地に囲まれていた。作貫地区から大畑地区へ、東門を出て、陸奥総社に参る。近くに荒ハバキ神社があり、珍しいので訪れる。奇書「ツガル外三郡誌」に出てくる。駅に出て電車に乗り、松島へ。瑞巌寺から五大堂、松島は震災の時には島が多くて津波の勢いが弱められ被害が小さかったとのこと。仙台に帰り宿泊、海鮮丼がうまかった。

 翌朝は伊達家の御霊屋へ、広瀬川を渡り、杉並木の坂をのぼると政宗以下三代の霊廟がある。国宝のものは戦災にあい戦後再建したが、いずれも絢爛豪華である。横に殉死した家来の墓もある。駅に出て、新幹線で一関、乗り換えて平泉へ。循環バスで先ず毛越寺、平安時代の浄土庭園が整備されていて大変美しい(写真)。遣水も復元されている。中尊寺は人が多い。金色堂には藤原4代のミイラが残っている。お堂に紫檀やアフリカ象の象牙、南洋の夜光貝が使われていたのには驚いた。高館義経堂からは北上川がよく見えた。無量光院跡(発掘中)、柳の御所跡と周り、電車で那須塩原に出て泊まった。  

 三日目バスを乗り継いで大田原市の笠石神社へ、ここに国宝の那須国造碑がある。700年に建造され、水戸光圀が堂を作った。おばあさんに説明をしてもらい、お堂を開けてもらってご神体となっている碑を拝んだ。近くには上侍塚・下侍塚古墳があり、光圀が碑に出ている国造との関連で日本最初の考古学的発掘をしたらしいが、今は4世紀のものとわかり年代は合わない。光圀が植えたという松が美しく、両者とも上に登れた。上侍塚の方がより大きい114mの前方後方墳。4時間間隔のバスで那須塩原に帰り、あと東京で2泊して、エスペラント大会(コンサートがよかった)以外に2つほど用事をこなして帰阪した。

 高齢者大学の文化祭のテーマに難波大道が選ばれたので、班の10名で法円坂の難波宮から堺の金岡まで真南に向かって歩いた。難波宮朝堂院南門跡、高津宮跡碑、細工谷遺跡と見て、ここから寺田町駅までは道も直線的に南下して、摂津国府寺跡横を通る。桃が池、田辺の法楽寺、山坂神社から長居公園南通り(磯歯津しはつ道)で昼食。大和川堤防に出て対岸の今池遺跡を遠望する。依網(よさみ)池跡をみて大和川を渡り、暑い中をひたすら南下して、大津道を通り過ぎ、大泉緑地からようやく丹比(たじひ)道(竹内街道)に出て、金岡神社に参り、なかもづ駅付近で打ち上げのビール、20km以上は歩いた様だ。

 同じクラスの授業の見学で尼崎に出かけた。阪神尼崎から尼崎城の石垣跡を通り、市文化財収蔵庫(always 3丁目の夕日のロケ地)での学芸員の解説は城に関するものが詳しかった。昼飯後尼信会館での美人画の展示を見、立派な寺の立ち並ぶ寺町を見学後、電車で杭瀬に移動して寺江亭跡より信仰を集めていたという剣尾山を遥拝した。梅田に戻り、反省会を開いた。

 考古学の同窓会6人で福岡県の装飾古墳を訪ねた。夜行フェリーで大阪から新門司港へ、バスで先ず宮若市の竹原古墳へ向かった。諏訪神社内の円墳の石室内には、さしば(団扇様)にはさまれ龍、馬、人、波などが描かれている。円墳の頂上にも登った。宗像市では平等寺瀬戸古墳を市文化財課の方の案内で見学、石室内部にも入った。馬鈴、壷鐙などが出土している。課員の方の説明が懇切であった。福津市へ行き宮地嶽神社へ、ここは日本一のしめなわと松ヶ枝餅が有名。宮地嶽古墳は22mの長さの横穴を持ち、出土品は国宝となっているが、中に神棚があり神社化されている。主神の神功皇后が渡海前に祭壇を築いたという宮地嶽にも登った。またザボンがなっているのを初めて見た。最後は主目的の超一級といわれる桂川町の王塚古墳へ。年に二回だけ公開をしていて、空調をした石室をガラス越しに覗く。前室左の黒馬、赤馬は見えたが、暗い照明や劣化のせいかわらび文や後室の三角文などはよくわからなかった。前にある古墳館にはレプリカ(写真)があり、精妙かつ美麗なことが理解できた。新門司港にもどり、また夜行フェリーで帰阪した。     

     瀬戸内を渡る船にて足揺れぬ波のためなる酒のためなる     

     しみじみと住める部落のその上を高速道路暴虐に過ぐ

     旅に倦み浜辺におりて貝拾ふ玄界灘は穏やかなりけり

     甘南備の山と言ふべき宮地嶽そのいただきに神参りせし

     昔来し北上河原の星の夜半世紀経ちて想い出したり

     かもめ舞ふ船のへさきに憩いたり丹後の海の清らけきかな

     若人と語れば早くも夜はふけぬ老いの時計は少しもどりて

     美しく素直に歌える人ありて心のままを表したるかな


月下美人咲く(2013.10)
ベランダの月下美人が久しぶりに咲いた(写真)。計ったように中秋の名月のときにいい香りを漂わせていたが、朝になると萎れているのだった。 

名月の一夜限りに咲き誇る月下美人は夢のごとくに

美しいといえば、松竹座での「40カラット」の大地真央は輝くように美しかった。さすが花があり、可愛くてけなげであった。飛鳥稲淵の彼岸花は混雑を避けて9月24日に行くと、日当たりのいい場所は盛りを少し過ぎていたが、日陰では丁度よいぐらいでつやつやした花びらが美しかった。シネマ歌舞伎は、「鷺娘・日高川入相花王」「京鹿子娘二人道成寺」を見て、踊りを三つ楽しんだが、特に坂東玉三郎の「鷺娘」の雪の中の踊りは夢のように綺麗であった。「野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ」はドタバタで、勘三郎がよく笑えた。映画は、SF好きなので、「スタートレック」と「エリジウム」を見たが、どれも電気紙芝居にしか過ぎない。暑いから映画館に涼みに行ったのだが。


歴史の方は、学校の見学で長岡京を訪問した。阪急西向日駅から、朝堂院跡、大極殿・小安殿跡、内裏跡を見た後、暑い道を歩いて向日市文化資料館に行った。庶民、官吏、貴族の食事の展示が興味深かった。あと班でビールを飲みに行った。エスペラントは豊中の女子修道院での合宿で、ハンガリーのエス小説の翻訳クラス。9人参加で、皆の訳を足し合わせるとほぼ正確な訳となる風な具合だった。大相撲にあわせて、エス界では世界中で読書大相撲をしているが、秋場所では同じ作者の第一次大戦時のシベリアでの捕虜生活を描いた「viktimoj(犠牲者)」を読んだ。夜酒が入るとダメなので、早朝に読むのがコツである。

 


史上最高の夏(2013.9)

 最高といっても温度のことで、特にうれしくない。四万十市で41度の最高温、大阪では真夏日17日連続の記録を出した。8月中は外に出るのも暑いので、ほとんど猫と一緒にゴロゴロしていた。高齢者大学が夏休みで、歴史の方は、塚口義信さんと和田あつむさんの講義に出かけた。隼人と伊勢の話であったが、いずれも味わい深い内容であった。エスペラントの方は、9月にある豊中での林間学校(修道院内)の宿題に追われた。ハンガリー人の作品を和訳するというもので、内容は胸キュンの初恋ものだが、日本語に直すのはとても難しい。本はたくさん読んだ。図書館のものや、アマゾンの中古本など。2年前からはじめた歴史の勉強の本が100冊を越えて本棚からあふれてきたので、もう一度それらを読み直すことにした。

 

 御岳に避暑に出かけた。ここには中の湯というのがあって、高度も高く、温泉も檜の風呂で、前は気に入って何度か通ったが、営業をやめてしまった。その後木曽駒高原とか開田高原に行ってみたが、あまりピンとこなかった。今回は王滝村にある御岳休暇村という名古屋市の施設を訪ねた。木曽福島から送迎のバスで45分、1400mまでのぼる。高原の風が心地よい。夜は布団がなければ寒いくらいだ。キャンプ場にある温泉に浸かったり、田の原を散歩して御岳神社奥宮遥拝所を訪ねたり(写真)、マレットゴルフをしたり、林間コースを散歩したりして過ごした。風呂も広く部屋も快適だが、3泊もしていると食事が飽いてくる。大阪に帰ると反動で余計に暑く感じた。

中国・九州盛夏の旅(2013.8)

  JR西日本の乗りホーダイ切符を使って、遺跡見学に行った。新下関で新幹線を降り、乗り換えて響灘を北上、滝部で降りて土井が浜へ。ここからは300体を越す弥生人骨が見つかり、渡来系とわかって注目を集めた。人類学ミュージアムの横のドームではレプリカで発掘当時の様子を示す。鵜を抱いた女性が有名である。浜に出て当時の様子を偲んだ(写真)。電車で綾羅木郷遺跡へ、ここは巨大な地下貯蔵穴が多数見つかり、弥生の土器や土笛が見つかった。下関市立考古博物館の周りには古墳も見られる。小倉に出て、特急ソニックに乗り宇佐で泊まった。翌日は早朝から宇佐神宮を参拝した。全国4万の八幡宮の元締めで、広大な神域の山の上に上宮、下に外宮がある。御霊水では冷たい水を飲んだ。呉橋は屋根付の橋で、この近くに昔は弥勒寺という神宮寺があった。近くの宇佐風土記の丘にはこの地方の首長の古墳が数基ある。暑い中を見て廻ったら墓の中に倒れそうになった。大分県立博物館では昔行った富貴寺や、臼杵石仏、熊野麿崖仏の展示が懐かしかった。小倉から新幹線で福山の広島県立歴史博物館へ、ここは中世に栄えた草戸千軒の遺物と復元展示がある。隣の美術館にも寄ったら、いくつかの名品があった。暑いので車で草戸千軒の現地と国宝明宝院を見学して帰途についた。

     響灘三千年の白き骨虚ろな目もて海をみつめぬ
     鵜を抱きて海の彼方を見はるかす清き巫女に我は仕へむ

 

 四日市のパラミタ・ミュージアムに行った。池田満寿夫の般若心経シリーズの陶器のほかに、淋派や若沖が展示され、若沖の仔犬や鶏が面白かった。湯ノ山温泉郷で泊まり、翌日は御在所岳に行って涼を楽しんだ。鈴鹿山脈は若いころ全縦走をしたことがある。  エスペラントの通信教育生の集まりで、2泊で八か岳会館に行った。遠足をした美しの森では、九輪草の群落がすばらしかった(写真)。信玄棒道は地道のところをほぼ完歩した。2日にわたって先生の講義があり、夜も和気藹々と楽しく過ごした。館の個人使用のための講習を受けた。7月は大相撲にあわせて、エスペラントの読書大相撲があり、本を決めて15日間読書に励んだ。 シネマ歌舞伎は、「怪談 牡丹燈篭」で、片岡仁左衛門と坂東玉三郎が夫婦、坂東三津五郎が円朝役を務めた。幽霊よりも人間の欲の方が怖かった。最後はたたりなのかか皆滅んでゆく。

 歴史探訪科の見学は、池上曽根遺跡と弥生博物館、百舌鳥古墳群のいたすけ古墳と御廟山古墳、行基の大野寺にある土塔を見た。勉強になったが、メチャ暑かった。あちこちで聴講した講演では塚口義信さんの日向と隼人、上田正昭さんの邪馬台国、和田つとむさんの出雲的世界、高橋工さんの難波宮東南宮が興味深かった。 


沼島のハモとヤマモモ(2013.7)
  禿羊に連れられ、沼島(ぬしま)へハモを食べに行った。車で南あわじ市の土生まで行き、汽船に乗って島へ。10分だが離島の旅の気分が味わえる。旅館に荷物を預け、島を一周する。先ずは八幡神社(津波の時の避難所)とその横のスダジイの古木、横の神宮寺で住職さんに枯山水の庭を見せてもらい、話を聞く。山道にかかり、先ずは最北の黒崎近くの浜にロープ伝いに降り、鞘型褶曲の岩石を見る。1億年前のシワだという。海はうつくしい。山道を南へ行くとビワやヤマモモ(写真)が多い。ヤマモモは腹一杯食べた。島の中部の上立神岩(写真)は、神話でおのころ島ができた時の天の御柱という。島を4時間で一周し、汗だくで旅館へ戻り、風呂、ビール、昼寝。ハモ料理は、刺身、湯引き、天ぷら、すし、ハモすき、吸い物のフルコースを楽しんだ。翌日は淳仁天皇稜を見て帰った。

 ワンゲルの同窓会に総勢19名が橿原神宮前のホテルに集まった。先ずはバスで石舞台まで行き、中学生とともに見学、下の食堂で古代米の昼食。犬養孝記念館、飛鳥板葺宮、川原寺跡、橘寺と見て歩き、亀石、鬼の雪隠から高松塚へ行った。飛鳥駅に出て、ホテルへ、温泉に入って夕食。後は恒例のミーティングで各自近況を話した。年齢のせいか病気の話が多く、話も年毎にくどくなる。翌朝は橿原神宮に参拝、ちょうど神主さんや巫女さん数十人の朝拝があって祝詞を聞けたのは珍しい経験であった。その後畝傍山に登り、皆は奈良へ向かったが、私は所用で大阪に帰った。


 6月は講習会に14回行った。印象に残ったのは塚口義信さんの「神との聖婚」談、住吉鼎会の依網池や三鷹市遺跡の話など。高齢者大学の見学は、桃谷駅から「つるのはし」、御勝山古墳、国分寺跡、四天王寺の石棺の蓋などを見た。展覧会はボストン美術館展と幽霊・妖怪画展でいずれも若沖が見れたのは幸せであった。映画は4本見たが、シネマ歌舞伎の「刺青奇偶」と、「ジプシースピリット」が面白かった。能は「弱法師」を西田辺の山中能楽堂で見た。八尾に住んでいたので話しになじみがある。


初夏の古墳めぐり(2013.6)

 講演会によく行く住吉の鼎会の現地見学で、葛城市に行った。近鉄新庄駅より、葛城市歴史博物館の学芸員の方に案内され、人麻呂の生地で墓もある柿本神社、飯豊天皇陵、新庄陣屋町を見て廻った。昼食後屋敷山古墳に登った。戦国の布施氏の頃から陣屋があったようで、江戸時代に桑山氏がこの上に陣屋を築き上面は削平されている。周りに堀跡があり、綺麗な公園になっている。ここから角刺(つぬさし)神社まで歩いたが、日照りがきつかった。この神社は飯豊天皇角刺宮の跡という。隣にある歴史博物館に入り、屋敷山古墳の石棺、井部(西安で見つかった井真成の墓銘と関連するか)と書いた墨書土器、竹内街道の展示を見た。

 その翌々日に御所市に行った。近鉄御所より、加茂氏発祥の地であるという鴨都波神社、孝昭天皇陵、汁かけ神事の野口神社、南へ歩いて室宮山古墳にたどり着いた。全長238mあり葛城襲津彦の墓とも言われる。八幡神社から上に上ると、石棺が覗けたが、盗掘口らしいものが空いていた。。西に歩いて日本武尊白鳥陵(三重と古市にもある)、全長149mの掖上鑵子(わきがみかんす)塚古墳、孝安天皇稜を見て、暑さに参ってJR玉手駅でソフトクリームを食べて帰った。

 高齢者大学の現地見学で東大阪市へ行った。石切駅より日下(くさか)貝塚を目指し坂を下る。途中江戸時代の庄屋の旧河澄家を見学する。日下貝塚はこの近くの標高25mの地にあり、大正時代から数度の調査が行われた。貝殻はほとんど淡水性のセタシジミで、縄文晩期の土器も検出された。屈葬状態の人骨も発見され、抜歯の風習があった。昼食後石切駅まで登りなおし、電車で瓢箪山駅へ。稲荷神社は双円墳の前に鎮座し、これが地名の由来となった。坂を登って東大阪市立郷土博物館へ。学芸員の方に市内で発掘されたクジラの骨化石に触らせていただいた。日下貝塚から出た30歳代男性の全身骨格(写真)や鬼虎川遺跡から剥ぎ取った貝塚の展示が目を引いた。最後に博物館の前にある6世紀の山畑22号古墳の石室に入った。

 今月の京都訪問は伏見方面。京阪電車深草駅で降り、瑞光寺、宝塔寺、その奥に登って七面宮、そしていよいよ目的の石峰寺へ。ここは若沖が隠棲をし、下絵を描いた五百羅漢が裏山に並んでいる。遥か昔に来たきりである。あの頃は若沖もさほど有名でなかったのか、誰も客がいなかった。羅漢や仏の表情は豊かであり、諧謔味にあふれている(写真)。ここから伏見稲荷大社は近い。お山めぐりをすると、外国の観光客が多い。汗だくになる。途中から降りて、泉湧寺に向かう。御寺というだけあって豪壮である。月輪陵には多くの天皇、皇后、皇子が葬られている。夜は京都エスペラント会館の会に出たが、のどがからからなのに終わるまでビールが飲めないのがつらかった。

 エスペラントの行事で福井県今庄の近くへ泊まった。田舎の廃校になった中学校で一部屋10人の雑魚寝であった。勉強はザメンホフの演説を読み、指導者の説明で太極拳を習った。夜はいびきの合唱に悩まされた。翌日は別のクラスで、自習用の教材を紹介したもらった。都合もあり昼で帰ったが、途中敦賀で小浜線に乗り換え三方へ行った。ここには縄文の鳥浜貝塚の遺跡があり、泥炭地から保存のよい漆器、漆塗りの櫛、編み物や縄、栽培したと思われるシソやエゴマ、丸木舟が出土している。

 5月26日はエスペラントの年6場所の読書大相撲の千秋楽で、全勝で幕を引いた。1日約8ページを読んで1時間半ほどかかるが、内容が面白かったので楽だった。当日は和歌山市でのエスペラント関西大会に出席した。中国人が孔子廟、運河、エスペラント博物館を紹介、昼食後は横の和歌山市博物館を見た。大谷古墳の馬冑が珍しかった。午後は、韓国人による沙也可の話し、子供の合唱、市在住の人の沙也可の紹介があった。沙也可は雑賀孫市の子で文禄の役にでて朝鮮側につき、最後は正二品上にのぼった。最近韓国にいる沙也可の14代目の子孫が来たらしい。神坂次郎の小説にこの話しがある。

 連休に月ヶ瀬に二度タケノコ堀りに行った。一度目は前の職場の人らが子連れで17名、二度目は今の職場など11名であった。天気に恵まれ、タケノコも取り残しではあったがそれなりに収穫し、大鍋であく抜きし、焼き芋やBBQ,フォンデューなどを楽しみ、ワラビ・クレソンも採れてみんな大満足であった。

 


甲信越の縄文土器・土偶 (2013.05)
 シネマ歌舞伎を見に行った。4月から10月まで毎月あって、4月分は「らくだ」と「連獅子」であった。昨年死亡した中村勘三郎の追善の意味もあるのか「らくだ」は勘三郎と坂東三津三郎で、悲しむべきところなのだが大いに笑ってしまった。「連獅子」は勘三郎と勘九郎・七之助の親子で絢爛たる踊りであった。

 

 桜は長居公園、大川で見たが、造幣博物館に行った時に、通り抜けの一部がこの敷地内にあるので楽しめた。通り抜けの時は人しか見えない位だが、ゆったりとしてよかった。今月の京都は、金閣寺の西北にある原谷苑に行った。個人が営々と作った庭園はしだれ桜が満開で、その下に連翹、雪柳、花桃が色を添え、夢のような景色であった(写真)。歩いて仁和寺に降り、御室桜を見た。花が低いところにあるので、京都では鼻の低い人のことを「御室桜」と優雅に呼ぶそうだ。御殿内の庭が広々として見事で、外国人が座り込んでずっと眺めていた。

 

 考古学の仲間総勢6名で甲信越の縄文土器・土偶を見に行った。新幹線で名古屋、乗り換えて塩尻に出てレンタカーを借り、先ずは甲府の山梨県立考古博物館へ行った。ここには一の沢遺跡の出土品を中心に優品があり、王冠型縄文土器が多いように思った。外では前方後円墳の銚子塚古墳と、円墳の丸山塚古墳に登ることができた。次に韮崎市民俗資料館で縄文土器を見、武田勝頼の新府城の横を通って、北杜市郷土資料館へ。ここは出産土器(母と子の顔がある)と中空土偶がある。横にある谷戸城跡は甲斐武田の祖によるもの。三分一湧水と信玄棒道を見た後、ユースホステルに泊まり、近所の延命温泉に入った。

 翌日は井戸尻資料館に行き、先ずは遺跡を見た。竪穴住居の向こうの桜の花と雪の甲斐駒ヶ岳が美しかった。湧水があり、周りにワサビ、セリ、クレソンが生えていた。縄文人もこの湧水を使ったのだろう。資料館には神像筒型土器、蛙文土器、水煙土器、人面香炉など異型の物が多い。2年前と違いじっくりと見ることができた。八か岳エコーラインを走ると、尖石遺跡縄文考古館には国宝の縄文のビーナスがあり、横には仮面のビーナスも。尖石と与助尾根の竪穴住居(一寸と昼寝した)を見て、山を降り、諏訪大社上社・下社にお参りして塩尻で車を捨て、半分は帰阪し、残りは戸倉温泉に向かった。いいホテルと温泉だった。

 3日目は長野県立歴史館を観て、石葺きを復元した森将軍塚に登った。善光寺平と雪の北アルプス、高妻山が美しかった。長野に出て飯山線に乗り、新潟県へ向かった。県境を越えると田に雪が残っているのに驚いた。縄文土器の仕上げは十日町市博物館の火炎型土器。笹山遺跡より出土した57点の深鉢型土器ほか928点が1999年に国宝に指定された。縄文時代の国宝はこれ以外に土偶4点があるだけである。県内の馬高遺跡(去年行った)より発掘された火炎土器に似たものを火炎型土器と称している。土器の口縁部には鶏頭冠突起と鋸歯状突起、頚部には袋状突起とトンボ眼鏡状突起、胴部には縄文はなく、隆起線により渦巻文やS字状文、逆U字状文が器面を覆うとある。文章で書くと難しいが、実際の形態も不可思議かつ精妙であり(写真)、これが縄文の美の極致といわれている。 


    火炎土器数千年のほむら立ち 我をむかしに誘ふが如く


    井戸尻の岩陰湧ける清き水 縄文ひとの命を汲みぬ

    桃桜咲きたる丘の彼方には 南アの峰峰銀に輝く




京都城南宮のしだれ梅(2013.04)

  3月の京都には、城南宮のしだれ梅を見に行った。寒さが続いて、開花が大分遅れたようであった。京阪から近鉄に乗り継ぎ、竹田駅で降りて歩く。途中に安楽寿院があり、その周りに、白河、鳥羽、近衛天皇の御陵がある。この地は、院政期に鳥羽離宮があったところである。城南宮の花の庭に入ると、しだれ梅が美しい(写真)。ここの築山は昔のままであると言う。曲水の宴の行われる庭園を抜け、楽水園に入る。このあたりは明治維新の時の鳥羽伏見の戦い跡である。竹田駅から地下鉄に入り烏丸今出川で降り、西に歩いて上七軒を抜け北野天満宮に参る。ここの梅はまだ五分咲きであったが、人は多かった。梅苑の中の秀吉が築いた御土居(土塁)が珍しかった。

  近つ飛鳥に歩きに行った。推古天皇陵、二子塚古墳(露出した石室内に石棺が見える)、小野妹子墓、用明天皇陵、敏達天皇陵などを観て、時間があったので、河内源氏三代(源頼信、義家、頼義)、壺井八幡宮、観音山古墳(切石の石室)に寄ったら結構歩いてしまっていた。桃、桜、レンギョウ、木蓮、水仙、雪柳が美しかった。

  久しぶりに古里の徳島県海部(海陽町)に行った。大阪からのバスが渋滞で遅れ、徳島駅で特急列車に危うく跳び乗った。牟岐で乗り換え一両の車両で海部駅へ。昔すんでいた所、妙現神社(天然記念物ヤッコソウ自生地)、店がほとんど閉まった本通り、漁師町、学校などを見て、子供の頃泳いだ海部川を渡り、大里海岸(小学校遠足の場所、松露を採った)、大里古墳(石室11m)などを観て、遊遊NASA に泊まった。ここには天然記念物の母川のオオウナギがいた。下に見える那佐湾は昔、泳いだり、船を漕いだものだった。

     船を漕ぐ少年時代の想い出に現れ出づる顔の一つ二つ

  天王寺の美術館へ日展を見に行った。伝統的に日本画と書が多い。日本画はなかなかモダンな物が多く、認識を新たにした。書は判読できる物は少なかった。3月から絵を習いに行った。メザシとスルメは難しかった。橿原考古学研究所では、奈良で出る石器は、耳成山・畝傍山の流紋岩、二上山のサヌカイト、吉野川流域の頁岩の三種であることが興味深かった。帰りに野菜を大量に仕入れて重かった。大阪市歴史博物館では大阪・江戸の展示があり、絵図が面白かった。若沖の絵があって眼福であった。

 

四国の旅(2013.03)

 

 寒いときは四国の旅が暖かくてよいかと思って企画したが、これが大はずれで、2日目は雪が降って高松では予定変更を余儀なくされた。新幹線で岡山へ、特急南国に乗り換え、瀬戸大橋を渡る。柿本人麻呂が死者に会って歌を読んだ沙弥島は今は陸続きになり、大橋の下に見えたが、浜は綺麗だった。坂出、金毘羅と通過し、トンネルを抜けて徳島県に入り、吉野川をさかのぼっていく。大歩危を通るのは初めてなので、じっくりと渓谷美を観察する。土佐山田で降り、バスで龍河洞へ。冬枯れなのか客は少ない。非常に狭い洞窟(約1km)を抜けていく。下は水が流れている。大きな滝のところから鍾乳洞らしくなり、垂れ下がった鍾乳石や石筍が見られる。お目当ての神の壷は出口に近いところにあり、2千年前の弥生時代この洞窟に住んだ人が残した壷が鍾乳石に覆われたもの(写真)。さらに土器などが見つかった洞もある。あと博物館と尾長鳥を見て、龍河温泉に泊まる。翌日は全国的に寒波が来て、大歩危などは雪が舞い、香川に入ると積もっている。積み石古墳で双方中円墳のある岩清尾山に行こうと思ったが、高松の山も雪が多いので中止し、県立ミュージアムに入って歴史を勉強をする。なかなか充実した展示で、やはり空海のものが多い。美術部門ではルオーが数点あり眼福であった。名物のうどんは2回食べた。


 松竹座に花形歌舞伎「GOEMON」を見に行った。石川五右衛門がイスパニアの神父の子とは知らなかった。五右衛門(愛之助)と出雲の阿国(壱太郎)がフラメンコを踊り、OSKのOBが出演して、期待どおりのハチャメチャであった。篭脱け宙乗りと鷲に乗る宙乗りが2回あり、役者が客席を上から下まで駆け回る立会いがあった。面白ければいいのだ!


 桜井市纏向遺跡の現地説明会に行った。JR万葉まほろば線巻向駅の真横で、天気もよく大勢の人が来ていた。第176次調査では、大型建物群の一番西の建物Aの存在は確認できない、居館域の区画施設(塀など)はなかったなど、やや拍子抜けであったようだ。しかし現地では土器の埋まっているところが見えたりして楽しかった。あと、近くの古墳を見て廻った。


 今月の京都は吉田神社。講師から吉田統一神道について話を聞き、神社で特別参拝、八百万の神を祭る大元宮参拝をした。その後、神になった人間というテーマで、南禅寺金地院で東照宮、豊国神社に参り、横の方広寺では例の国家安康の鐘を見た。驚いたことはこの会で10年ぶりに偶然知人に会ったことである。



沖縄歴史の旅(2013.02)


 本年の元旦は近くの阿部王子神社、安倍清明神社、2日は四天王寺、一心寺を参拝した。3日は古代難波京の朱雀大路とされる道を寺田町から北上し、難波宮跡まで歩いた。その後南下し、大村益次郎殉難碑、井原西鶴、中井一族(懐徳堂)、近松門左衛門、富竹若太夫などの墓にお参りし、高津神社、生玉神社、愛染堂を参拝した。4日は京都下鴨神社の蹴鞠を見学したが、人が多くて高く上がった鞠しか見えなかった。西に向かい上御霊神社(早良親王などが祟った為に神に祭った)、相国寺、同志社、冷泉家、御所、新島旧邸、下御霊神社と回った。今年は月に一度京都に行くことにしている。

 乙女文楽を見に行った。昭和初期に誕生したが戦争で廃れ、20年前に復活した。文楽は3人で操るが、これは吉田光華さんが一人で人形を操る。人形の頭は自分の頭につけた紐で操るようだ。長唄2人、三味線2人いずれも女性で、「七福神、黒髪、藤娘」を演じ、とても優雅であった。途中に十津川計さんの一人芝居「王将」が入った。

 この3月に廃止になるというので、大阪市立海洋博物館へ行った。海の中にドームがあり、その中に江戸時代の菱垣廻船を復元したものがある。この帆船が実際航海した写真もあった。近くにやはり廃船の憂き目にあう市の帆船「あこがれ」がつないであった。これには一度のったことがある。昨年12月にはやはり廃止予定の「ピースおおさか」に行ったのだった。

  沖縄は久しぶりである。先ず県歴史博物館に行き、日本で一番古い人骨の出た場所をきいた。3万2千年前の幼児の数個の骨の出た山下洞は那覇のモノレールの奥武山公園駅の西にあった。住宅地に囲まれ、洞窟の入り口は塞いであった。石灰岩のために骨が化石化して沖縄では残るという。珊瑚のおかげである。港川人は1万8千年前で、完全に近い骨が数体出土した。博物館にレプリカがあった(写真)。南の方を廻ったとき、八重瀬町の歴史民俗資料館に実物が2体あった。鍵を借りて現地を見学に行った。港川の横に石灰岩を採掘していたところがあり、その割れ目から見つかったという。両方とも現地を見れて、はるばると来た甲斐があった。

 1992年に復元された首里城の正殿を見に行った。城壁や正殿は過去の威容を示していた。石灰岩の岩に生えたソテツの庭、ウタキ、工芸品などが興味深かった。西にある王の墓地である玉陵(タマウドゥン)も荘厳であった。金城町の石畳を降り、地元の家庭食を食べ、琉球王の別邸である識名園に向かった。首里城にしろ識名園にしろ沖縄戦で徹底期に破壊された。園では中国風の橋と南洋性の植物が珍しかった。南城市の斎場(セーファー)ウタキは神の島「久高島」を見はるかし、巨岩の累々とした琉球王国最高の聖地である。坐って祈っている老婆がいた。あの美しい海の果てにニライカナイ(理想の異界)があるのだ。

 糸満市にある平和祈念公園は「沖縄戦の歴史的教訓を正しく次代に伝え、全世界の人びとに私たちのこころを訴え、もって恒久平和の樹立に寄与する」ものであり、資料館には戦争にいたる時代から、20数万人の死者をだした沖縄戦の実相、戦後の占領などが展示されており、粛然とする。野外には全死者の名を刻んだ碑が並んでいる。ひめゆりの塔も見たが、県民には日本軍に対する怨があると思われた。

 旅行の中日に慶良間島での鯨見物を予約していたのだが、今回は波が高く中止になった。これで鯨に振られることは4回目である。もうあきらめた。


2012年のこと(2013.01)


 12年の遺跡旅行で印象に残ったのは、韓国、岡山、九州、八ケ岳、上信越など。特に長野県や新潟県の縄文土器の多様性と躍動性に魅せられた。


 高齢者大学は古代の文献の読み方が勉強になった。ちょうどホームページ用原稿と重なって好都合であった。今後も歴史の勉強は現代までやるつもり。万葉集の月2回の講義は楽しい。


 エスペラントは八ケ岳会館に2回、関西大会、秋合宿などに出かけたが、3年生になってやや停滞気味。通信教育中級は1年半でようやく終えた。3ヶ月で終えた超人がいたとか。これからはホームページとエス和歌に取り組んでいく。年6回のエス読書大相撲ではもう少し高度な本に挑戦する。

 
 フィットネスはジムを変わり、呼吸法に転向し、またもとのジムに戻った。ダンスは始めたが5回で挫折した。仕事の加減でなかなか山にいけないので、体調管理のためによく歩くことを目指す。


 新しく、絵を習いに行く。そのうち書道も。ピアノは3曲弾けるように。身内のいる奄美大島に行き、スキューバをする。


  初冬に奈良を散歩した。東大寺東塔跡の銀杏と紅葉がすばらしかった(写真)


    東大寺草を食みたる鹿の背に黄金色した蝶(てふ)舞いおりぬ


 大阪市美術館で北斎を見た後の慶沢園も美しかった。信楽のミホミュージアムの土偶コスモス展に国宝4点が展示されていた。北海道、青森、秋田、長野のものである。火焔土器、水煙土器、出産土器、遮光器土偶も優品が多かった。弥生博物館の八ケ岳縄文土器展をもう一度見直しに行った。曽利遺跡の釣手土器がすばらしかった。http://jomontaro.web.fc2.com/page135.html 横にある池上曽根遺跡を見たが、木枯らしが吹いて寒かった。平等院も寒く、鳳凰堂は修理中で見えなかった。伏見稲荷は、クリスマスイヴで手をつないだアベックが多く、歩くのに邪魔だった。