奄美大島で潜る(2014.12)
平等院・万福寺(2014.11)
初秋の八ヶ岳(2014.10)
大湯環状列石を訪ねて(2014.9)
八ヶ岳の旅(2014.8)

姫路の初夏(2014.07)
北海道に縄文土偶を訪ねて(2013.06)
竹内街道を歩く(2014.05)
片山津温泉早春の旅(2014.04)
ふたたびの屋久島(2014.03)

お伊勢参り(2014.02)
2013年のこと(2014.01)


  奄美大島で潜る(2014.12)

 息子家族のいる奄美大島を訪ねた。孫の学校の参観をしたが、小学全校で77名、4年は14名で家庭的な雰囲気。校庭には巨大なガジュマルの樹がある。宇宿貝塚史跡公園は貝塚を保存し、その北の奄美市歴史民族資料館には出土人骨がある。海岸では貝を沢山拾った。南洋の貝が縄文時代に東北地方まで運ばれていた。初体験のダイビングで、ホテル近くの浜に潜ったが、初めは息が苦しくて参った。珊瑚に取り付く熱帯魚や、藻を食べるアオウミガメ(写真)にあった。南洋はとても心地よい。
   奄美なる海に潜(かづ)きて海亀に会いたることの不可思議なるや
   大いなるガジュマルの樹のその下で遊べる子らの頬明らけく
   秋の朝砂浜もとおり貝ひらふリーフの彼方に喜界島浮かぶ


 奈良県立美術館の大古事記展を見た。展覧会ではお目当ての石上神宮の369年銘のある七支刀や勾玉・管玉などの禁足地出土品、古事記の写本などが興味深かった。その後、北へ歩いて聖武天皇・光明皇后陵、北山十八間戸(療養施設)、般若寺(コスモスは盛りを過ぎた)、奈良豆比古神社の樹齢千年の大楠、元明・元正天皇陵を見て廻った。
橿原にシイの実を拾いに行った。もう遅いかと思ったが今までにない大きさの実を見つけた。考古学研究所を見学した後、飛鳥駅に出て野菜を買い、佐田のほうに歩いて束明神へ、ここは草壁皇子の墓といわれており、前記研究所の庭に石室の復元模型がある。皇子は追号され岡の宮天皇として近くに御陵がある。西へ歩いて240段の石段を登り斉明天皇陵を訪ねたが、この天皇も実は牽牛子塚古墳に葬られたとのこと。
 禿羊と豊中市西福寺の若冲を見に行った。年に一度虫干しで公開しており、襖六面の仙人掌群鶏図が華麗であった。水墨の蓮池図は元はその襖の裏にあった。庭の枝の這う松も見事である。昼食後川西市郷土館へ、銅の精錬をしていた平安家住宅が保存され、洋館の旧平賀邸や美術館もある。多田銀銅山は猪名川町内にあり、東大寺大仏用の銅も出しており昭和まで続いた。青木間歩では上に鉱脈が見えた。その後多田源氏の源満仲・頼光を祀る多田神社へ。明治までは多田院という寺であった。門の仁王は満願寺の方へ移された。
 歴史館いずみさのを訪ねた。この地は中世九条家の日根野荘園があったことで有名。展示を見た後、バスで現地へ向かった。日根神社、その神宮寺であった慈眼院(国宝の多宝塔と重文の金堂)、総福寺八幡宮(重文の本殿)を見て廻った。
 嵯峨野の大河内山荘に紅葉を見に行った。昔懐かしい丹下左膳の俳優の作ったもの。野々宮からの竹林の尽きたところにある。大乗閣からは回遊式の庭園になり、上へ登ると嵐山が見える。紅葉も見ごろで十分に楽しんだ。周りは中国人が多く、下で日本語を聞いたら懐かしかった。天満にある泉布観にいった。1871年に造幣寮の応接所としてできたもので、2階建て建物の周りはベランダになっている。横の旧造幣寮正面玄関のある建物はレストランになっていて、横には庭園がある。大塩平八郎の洗心洞塾の跡と与力役宅門は道をはさんだ造幣局の宿舎内にある。
 高齢者大学OB会で奈良の佐紀盾列古墳群の散策をした。近鉄平城駅から歩き、西群、東群と見て新大宮駅へ出た。古墳を8つ見た。

  平等院・万福寺(2014.11)

 宇治へ遊びに行った。先ずは平等院、2年前の冬来た時改修中で鳳凰堂が見れなかったが今春改修が終わった。池に美しい姿を映していたが(写真)、内部入場は2時間待ちで次の機会に回す。博物館内の飛天の姿が魅惑的であった。黄檗山万福寺は江戸初期中国から来た隠元禅師の創建になるものでちょうど華僑の先祖供養がされていた。いただいた普茶料理は野菜煮合、天ぷら、マッタケご飯など。食後は六地蔵の駅から大善寺、階段が200段近くある明治天皇陵、昭憲皇后陵、桓武天皇陵を見て廻った。

 昔よく行っていた播州高原の西に砥峰(とのみね)高原がある。そこのススキを訪ねるバスツアーがあったので参加した。途中栗拾いとか黒豆収穫があって荷物が重くなった。丹波お菓子の里という千鳥屋の店があり、洋館が1917年建築でもと垂水警察署を移したものがレストランとして使われていた。砥峰高原はススキが穂を開いたばかりだが、半世紀前雪彦山から、峰山高原、播州高原と歩いたことが思い出されて懐かしかった。
   砥峰の尾花のうれに光照り時を昔に帰しつるかな
   三たびとて登りしこともありにけり御岳の峰に煙噴く見る
 映画を3本見た。「柘榴坂の仇討ち」「蜩の記」カブキシネマの「法界坊」。「柘榴坂の仇討ち」では中村吉衛門の貫禄がすごかった。「蜩の記」は堀北真希が可愛かった。「法界坊」は平成中村座の興行で勘三郎の演技がハチャメチャであったが、最後の舞踊でようやく歌舞伎らしくなった。都島区にある藤田美術館に行った。所蔵の国宝が七点も展示された豪華版であった。曜変天目茶碗が素晴らしかったが、このごろ書を習っているので11世紀の深窓秘抄に興味が持てた。
 大阪の中心部を歩いた。鶴橋の比売許曽(ひめこそ)神社は、アメノヒボコの妻で難波に逃げてきたアカルヒメを祭ったという。住友銅吹所跡は長堀にあり16−19世紀銅精錬を行い当時世界最大の生産量であったという。橋本宗吉糸漢堂跡は、江戸時代蘭学を修めエレキテルの研究を行った蘭学塾の跡。難波神社では植村文楽軒の人形浄瑠璃が開かれた。南御堂(東本願寺難波別院)は顕如の長男教如が1598年この地に開いた。芭蕉終焉の地であり境内に辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の句碑がある。その裏の坐摩(いかすり)神社には桂文枝が初めてこの地に寄席を建てたので「上方落語寄席発祥の地」の碑がある。
 ヴォーリズ没後50周年記念として近江八幡市で建物が特別公開されているのを見に行った。近江兄弟学園内の教育会館・ハイド記念館、その横のヴォーリズ記念館(自宅)、アンドリュース記念館(1907年第一号の建築)、ウォーターハウス記念館などを見て廻った。いずれも小ぶりの建物であるが、現在もきれいに使われているのに感心した。伝道師かつ建築家、そしてメンソレや病院の話などその生涯も興味深かった。
 高齢者大学OB会で馬見古墳群を見学した。近鉄田原本線黒田駅で下車、太子筋交い道を北上、屏風部落には太子腰掛石がある。島の山古墳横の神社には古墳石室の天井石がある。趣のある唐院集落を過ぎ西へ行くと河合大塚山古墳。池辺駅から遊歩道に入り、帆立貝式の池上古墳、乙女山古墳、上に上れる一本松古墳、倉塚古墳、ナガレ山古墳、その後巣山古墳を遠望して帰途についた。2日後に一人で岸和田市の摩湯山古墳を見に行った。泉北線和泉中央から歩いて40分、周りを住宅とため池に囲まれ近づけないが、前期古墳として河内政権の始祖墓とも考えられ重要な古墳とのこと。 

  初秋の八ヶ岳(2014.10)

 避暑と山登りをかねて親戚の人と9月中旬に行ったのだが、今年は雨が多かったせいか下界ももう秋のようだ。大阪から名古屋、塩尻と列車を乗り継ぎ、茅野でバスに乗って終点の北八ヶ岳ロープウエイで降りた。スキー場を横切ったわかりにくい所にペンションがあった。1800mの高度があるので涼しく、正面に乗鞍岳、御岳、中央アルプスがよく見えた。ケーブルに乗って終点の2300mから、縞枯山、茶臼山、麦草峠、雨池と6時間半で一周したが、岩のごろごろしている道が多く疲れた。南八ヶ岳の迫力のある山が見えた(写真)。ペンションは風呂が3つあって楽しめた。帰りにバラクラ英国庭園に寄って昼食を食べた。ダリアがきれいであった。



 白馬友の会という36年前に一緒に白馬へ行った人達と有馬温泉へ行った。3階建て一棟貸切で9人が泊まった。食事はすべて持ち込みで、ブイヤベース、ワインなどを楽しんだ。温泉は目の前の金湯に3回浸かった。寝る以外は連続して飲み食いをしたので肥えて帰ってきた。
  有馬の湯子らの集ひて睦みあふ金湯の中の友は金なり
 9月に初めたこと。エスペラント関西連盟の雑誌に始めて投稿。武庫川女子大のオープンカレッジで(和歌のため)書道を習い始めた。元宝塚の先生の所に歌の練習に通い始めたこと。
 エスペラントの先輩、といっても年はずっと若い方がおられた。3年前初級講習が終わった後、この人の著作の「単語練習帳」から同級生と毎週50個の文を覚えて勉強した。林間学校に3回参加して指導を受けて、密かに師と仰いでいた。その後エス和、和エスの辞書を出されたが、突然に亡くなられた。合掌。また同級生の人も故国へ帰ることになってしまって寂しいことだ。
 ヴォ―リズ六甲山荘を訪ねた。今まで横を2回通っていて気になっていたところ。記念碑台から東へ15分歩いたところにあり、80年前に別荘として建てられた。現在はNPOが管理をして、適時公開をしている。80坪の平屋建てで、南入りの玄関を入ると北面の広い居間がある。ヒノキの壁板と柱、ナラの床、マツの梁が素晴らしい。暖炉の前の団欒コーナーも楽しい。続く食堂も落ち着いた空間だ。全体に保存がよく、関係者の苦労がしのばれる。帰りに近くの高山植物園に寄った。サギゾウ、ハギ、マツムシソウ、ワレモコウ、サラシナショウマなどが咲いていた。



大湯環状列石を訪ねて(2014.9)

 秋田県に憧れの列石を訪ねることになった。伊丹より飛行機で花巻空港、バスで盛岡へ。駅に近い宮沢賢治童話集「注文の多い料理店」を出版(1924)した光源社を訪ねた。それからJRで十和田南へ、遥かな陸奥への旅である。大湯温泉の旅館の車で遺跡まで送ってもらった。先ずは大湯ストーンサークル館に入った。出土した土偶や土器にも面白いものがある。国内での他の環状列石では北海道の忍路(オショロ)のものが興味を引いた。外に出て、万座環状列石へ。直径は46mあり、石は6kmはなれた川からとってきた(写真)。輪の中に日時計様の遺構がある。少し離れて小規模の野中堂環状列石があり、いずれも共同墓地と考えられている。旅館に行き、湯に浸かる。夕食後は、毛馬内盆踊りに案内してもらった。大太鼓が勇壮で、被り物をしてきれいな衣装で踊る姿は優雅だった。露天風呂で地元の人らの話しを聞いていたが意味がほとんどわからなかった。次の日は花輪でバスを乗り継ぎ玉川温泉へ。98度、PH1.1という酸性熱湯が噴出している。熱い石の上ではそこここで岩盤浴をしている。湯に入るとピリピリと痛い。3日目は八幡平に行った。昔北のほうから登って道に迷いビバーグをし、上で温泉に浸かり、八幡平から岩手山まで縦走をした。霧の中を行くと八幡沼が幻想的だった。帰りに後生掛温泉の地獄を見た。泥火山やマッドポット、湯沼が珍しかった。玉川温泉にもう一泊したが、ここは療養の雰囲気が濃く、今までみた温泉とは様子が違った。


 崔理英さんのピアノコンサートを聴きに京都へ行った。キリスト教医療協力団の慈善公演で、素人向けに演目紹介の語りもあり、演目もバラエティに富んでいて楽しめた。国立文楽劇場で「女殺し油地獄」を見た。先月は歌舞伎シネマで見た演目で、比較に興味があった。舞台上部に字幕が出てわかりやすかった。殺しの場面で油ですべる演出もあり、文楽の方が歌舞伎よりも先かなと思われた。ボリショイサーカスが夏休みに来ていて難波へ出かけた。アクロバット、空中ブランコ、ジョグリングなどの芸はさすが一流だが、熊、馬、犬、猫の芸が傑作であった。家の猫との差にショックを受けた。そのうち月末に2匹の猫のうち高齢(20歳直前)のナミがこの世を去った。公園で捨てられ雨に打たれて冷たくなっている子猫を拾ってきたのだが、天寿を全うした。合掌。


八ヶ岳の旅(2014.8)

 エスペラントの集まりの1日前から出かけて、八ヶ岳の自然を楽しんだ。甲斐小泉にあるエスペラント館には連続四年訪問している。昼過ぎについて、信玄棒道を三分一湧水から下った。道沿いに石仏が立っており、部落を外れると別荘地へと続いていた。逸見神社からさらに金生遺跡へ出た。この縄文遺跡は三度目、配石遺跡が珍しい。北に上がって博物館で大型の縄文土器や、出産土器、中空土器を見た。山の裾野では帰りは上りになるのがえらい。次の日の朝は女取湧水を目ざして谷間の細い道をたどったが、わからなくなったので林道に出た。この湧水は1日千トンの水が湧いていて、簡易水道に使われている。エスペラント館に帰ると仲間が集まっていて、雨ではあったが、観音平まで車で登り、三味線滝を目指した。霧雨の中の林が幻想的であった。帰りは八ヶ岳神社を廻り、温泉に入って帰った。次の日は天気に恵まれ、平沢峠まで車で行き飯盛山を目ざした。山頂からは富士山が見えた(写真)。午後からエス語の勉強、次の日の朝も勉強をして別れた。


 避暑と湯治に乗鞍高原を訪れた。以前足を痛めたとき湯治に来たことがあり、通算六回目となる。ペンションに到着すると雨だったので、まずは温泉、酸性硫化水素泉が白くにごっている。近所を少し散歩。次の日は梅雨ながら晴れて、バスで乗鞍岳へ。落石のため肩の小屋下までしか入れず、雪渓の雪もたっぷりあったので、車道を位が原小屋まで歩いた。途中高山植物を沢山見た。バスで休暇村まで下り、牛留池、善五郎滝と歩いた。白樺の林が気持ちよかった。次の日も晴れたのでバスで白骨温泉を通り上高地へ行った。大正池から河童橋までぶらぶらと歩いた。岩魚を多く見た。台風8号が来て、南木曽の土石流で列車が不通となり、帰りは高山に出て帰った。計18回温泉に浸かった。
 カブキシネマを2本見た。近松の女殺油地獄は、仁左衛門の与兵衛が殺しを決意するときの表情の変化が見ごたえがあった。泉鏡花の天主物語は、玉三郎の富姫と海老蔵の図書之助が綺麗であった。

姫路の初夏(2014.7)

 関西エスペラント大会が姫路で2日間開かれた。エス語講座、開会式、お楽しみ会(エス狂言、歌など)、柳田國男(エスぺランチストであった)に関する講演、コンサート、漫画を販売しているポーランド人の講演などを楽しんだ。時間の空いた時には、兵庫県歴史博物館、姫路市美術館、好古園、姫路城に行った。好古園は平成になってから作園したというが、茶室や池が素晴らしかった。姫路城は修復中で本丸には来年夏まで入れないが、新しい漆喰が白く輝いていた。


   暑くなってきた頃、禿羊とハイキングをした。近鉄長谷寺駅から、尾根に取り付き、長谷寺をかすめ、初瀬山、笠荒神、その裏の笠そばで地産地消のソバを食べた。西に歩いて竜王山、竜王山城跡を見て長岳寺に下った。バス待ちの間、コンビニの前のベンチでビールを飲んで反省会をした。暑さで脱水症状気味であった。
 六甲高山植物園でコマクサが咲いていることを知り出かけた。阪急六甲駅から六甲山ホテルのバスでホテルへ、昼食を取ったのち植物園へ。九輪草、大山蓮華、コマクサ、薄雪草、水連などが咲き、気温も下界より低く快適に過ごせた。近くにヴォーリズ亭があるので次に寄りたい。
 高齢者大学の7人で山の辺の道を歩いた。近鉄桜井駅から盲人の団体と前後しながら街を抜けて初瀬川土手にある仏教伝来の地碑、金谷の石仏、磯城瑞墻宮跡、平等寺で休憩。椅子にふてぶてしい猫が寝ていた。大三輪神社に参拝後、ササユリ園を見て、高台で昼食。期限切れの災害用缶詰パンを食べた。玄賓庵で本尊の不動とアジサイを見て、檜原神社、巻向川を渡り、景行天皇陵、崇神天皇陵あたりで暑くなってきた。双方中円墳の櫛山古墳の上を歩き、33面の銅鏡が出た黒塚古墳と資料館に寄り、JR柳本駅から桜井に出て反省会をした。 

北海道に縄文土偶を訪ねて(2013.6)

 クラブの同窓会12人で函館に行った。初日は旧公会堂、教会群、函館山に登り日没を待って夜景観賞。翌日は朝市、倉庫群、五稜郭へ。フジ、八重桜、ツツジが満開であった。花は大阪より20日は遅い。大沼に移動して温泉に入る。白樺林にツツジの咲く露天風呂は絶景であった。食後例によって近況報告。3日目は大沼公園を見た後、縄文文化交流センターに行き、国宝の中空土偶に再会した(写真)。3500年前のものとも思えないほど文様もよく保存されていて、はるばると来た甲斐があった。函館に出て、海鮮丼(計3回食べた)で皆とお別れ。私はもう1泊して、市立博物館、北方民族資料館、外人墓地などを見学した。最後の日は風が強くしばれた。


 
 高齢者大学の7人で古市古墳群を訪ねた。近鉄恵我ノ荘駅で降りまず河内大塚、長尾街道を東に行き雄略天皇陵、さらに津堂城山古墳に登った。藤井寺駅前で昼食後、葛井寺で満開の藤を鑑賞、アイセラシュラホールで津堂城山古墳から出た水鳥の埴輪などを見た。仲哀天皇陵、野中宮古墳、墓山古墳からツツジ咲く誉田八幡宮へ、国宝の古墳出土の鞍金具や鎌倉時代の神輿を見学。応神天皇陵の西側を通り、大塚山古墳、古室山古墳、仲津媛皇后陵、允恭天皇陵、長持山古墳出土の石棺を見た。古墳を11個見て堪能・疲労した。
 またある日は百舌鳥古墳群へ。なかもず駅よりニサンザイ古墳、元庄屋の高林家住宅、樹齢800年の楠のある百舌鳥八幡宮、御廟山古墳、いたすけ古墳(タヌキが数匹いた)、履中天皇陵、仁徳天皇陵と3時間程のいい散歩であった。

 連休中に2度月ヶ瀬に行った。一度目は筍の出具合観察と掃除に、二度目は21人の大部隊で筍堀。小雨が降ったが、豊作で一人あたり数本採れた。ウグイスの声を聞き、ワラビも採って今年の連休もいつものように過ぎた。
 五月の風に誘われ奈良へ行った。日が照ると暑いぐらいで、春日大社参道の日陰に入るとほっとする。大社の藤はもう終わっていたが、神社裏の山や、ささやきの小道から入った率川上流にはまだ山藤が残っていた。頭塔の石仏を見て、酒蔵で酒を買い、十輪院で国宝の本堂内にある石造の地蔵三尊、魚養塚などを見、奈良町を通って帰った。
 旧甲子園ホテルを見てから古い建築物に興味が出て、芦屋市にある旧山邑家別荘を訪ねた。ライトが設計し1918年に建設された。重文になっていてヨドコウ迎賓館として管理されている。傾斜に沿った4階建てで、外部は大谷石を使い、内部は和室もあり、マホガニーや銅板などで飾られ華やかかつシックであった。

竹内街道を歩く(2014.5)

高齢者大学の班で、竹内街道を歩いた。昨年10月には難波大道を難波宮跡から中百舌鳥まで歩いているのを奈良県までつなぐと言う計画。南海線堺東駅で集合、東に向かって歩き出した。金岡神社のあたりは街道の雰囲気が残る。中央環状線の北側を行くと松原市に入るが、松原市内の街道の距離は1.5kmしかない。羽曳野市に入って昼食後、野中寺に寄り、金堂・塔跡、ヒチンジョ古墳の石棺、お染久松墓を見た。このあたりから古墳が多くなり、時間の余裕も在るので、仁賢天皇陵、峯ヶ塚古墳、清寧天皇陵、日本武尊陵と廻り、古市駅へ、6時間半のコースであった。

 1週間後、古市駅を出発、東へ石川を渡り駒ヶ谷の方へ入る。桜が美しいが、飛鳥川にかかる月読橋を渡り、上ノ太子駅のあたりでは風雨が激しくなって、下半身がぬれてしまった。とりあえず太子町役場に出て、近くの喫茶店で休む。外へ出ると雨もやんでいたので再開し、古道の趣ある道をたどって道の駅で弁当を使う。ここからは登りで振り返ると河内平野が見える。竹内峠を越え竹内部落に入ると街道の匂いが濃い。芭蕉にちなんだ綿弓塚を通り、長尾神社に到着。近くの当麻寺に寄り、奥の院に入って美しい桜を見た。




 どうも、雨男になったようで、3週後は朝から雨だった。近鉄磐城駅から、桜井まで真っ直ぐ東へ続く横大路を歩き始めた。江戸時代は伊勢街道とも初瀬街道とも呼ばれた。葛城市、大和高田市から橿原市に入り、昼食。下ツ道との交差点は「八木札の辻」と呼ばれ、旧旅籠を見学した。耳成山の南で横大路を外れ、橿原市藤原京資料室、大極殿跡、奈良文化財研究所藤原京跡資料室、本薬師寺跡と廻り、畝傍御陵前駅で打ち上げ会をした。難波宮からは約90q歩いたことになる。

 4月は年に1回の国宝の観心寺本尊如意輪観音のご開帳があるので、河内長野市まで出かけた。バスで寺につくと、国宝の金堂は人であふれている。観音は平安後期の作で、6本の手で立膝をし、彩色も残り官能的である。寺は南朝の行在所となっていたので、御村上天皇の陵がある。無料バスで金剛寺へ。金堂と多宝塔が修復中であり、金堂の屋根の構造が興味深かった。ここも南朝の行在所であった。近鉄で藤井寺へ。葛井寺も18日が国宝本尊十一面千手千顔観音のご開帳である。奈良時代のものであり、725年行基を導師として聖武天皇もも臨席して開眼法要が営まれた。境内には紫、白、赤など色とりどりの藤が咲いていた。


 友が島に出かけた。難波から南海電車で和歌山市へ、乗り換えて加太駅、船着き場より連絡船で20分、沖の島に到着。日曜日なのでハイキングの人が多い。西に歩いて灯台、第一砲台跡、東へ山を登って第三砲台跡。明治時代から終戦時まで大阪湾防衛の要塞があり、特に第三砲台跡には六つの円形の砲座跡が残っていた。加太に戻り、温泉に泊まった。露天風呂からは友が島、淡路島、去年行った沼島などが見え広々としてよい気分であった。

     友が島海に小船の群がりて漁どる糧を妹待つらむか

     水面にははつか霧のかかりいて古墳のごとく島浮かび出づ


 甲子園ホテルは旧帝国ホテルを建てたライトの弟子の遠藤新によって1930年に建設されたが、44年に海軍に、さらに戦後は57年まで米軍に接収、その後大蔵省の管理、65年に武庫川女子大が譲り受け現在は建築学科が入っている。時々見学会がありそれに参加したが、石造りの建物と庭園の調和が素晴らしく、大変気に入ってオープンカレッジに申し込み、4月より近松講読のコースに通っている。

 展覧会が二つ。高島屋での日本画展は大阪市の所蔵するものを紹介していたが、島成園、北野恒富、竹内栖鳳などが印象深かった。兵庫県立美術館でのフランス絵画展には好きなセザンヌが2点あった。71点は国内収集家のものというが、驚くべきコレクションである。

 

片山津温泉早春の旅(2014.4)

  加賀温泉へは大阪より2時間、バスに乗って先ず橋立町を見学。ここは江戸期から明治中期にかけ北前船で栄えたところで、町内に30人もの船主がいて日本一の富豪村と言われた。酒谷家は蔵六園として公開しており、豪壮な屋敷と庭である。北に歩くと町並みが保存され、赤瓦の家が美しい。北前船の里資料館も酒谷家とあり、千坪の敷地がある。オエと呼ぶ大広間の梁、柱、戸は特に立派であった。次は柴山潟に面する中谷宇吉郎雪の科学館へ。彼は初めて人工的な雪の結晶の作成に成功した。ダイヤモンドダストや人工雪を実験で見せてくれた。温泉に行き湖底から湧く塩分泉に浸かると、前に柴山潟が広がっていた。

 

 百舌鳥古墳群と古市古墳群の丁度真ん中に河内大塚古墳がある。近鉄南大阪線松原駅で降り、長尾街道を東へ10分行くと巨大な姿を現す。墳丘長335mで、国内第5位の大きさ、古墳後期のもので陵墓参考地となっているが、大きさから見て大王墓という説がある。古くから人家があったりして上は削られている。周濠には野鳥が多く、一周するうちカワセミ、マガモ、コガモ、オシドリなどを見た。近くに柴垣神社があり、反正天皇らを祭り、反正天皇の丹比柴垣宮の跡と伝える。隣の資料館には大和川今池遺跡などの出土品があった。


 

 いい天気に誘われ狭山池に行った。途中南海堺東駅で降りて市役所21階の展望台へ登ると、百舌鳥古墳群の巨大さが実感できた。狭山市駅から歩いて15分で日本最初の人工池と言われる狭山池に着く。。横に安藤忠雄設計の博物館があり、滝の回廊、円筒形の広場など斬新である。中に平成の修復で剥ぎ取った土面や発見された木の樋(ひ)などが展示してあった。このコウヤマキの樋は年輪年代法で616年のものとされた。行基に続き、重源が改修したときの碑があったが樋に古墳の石棺を転用していたのには驚いた。このほか、鴻池新田会所も訪問した。大和川の付け替えの後、新田開発を鴻池家が請負い、その管理事務所がこの会所である。東大阪市が買い取り、修復をして公開している。豪壮な本屋や庭園は見ごたえがある。また阪大総合博物館に野中古墳から出た鎧などを見に行った。

 

 月ヶ瀬に摘み草に行った。昨年の台風18号(嵐山が浸かった時)で木が倒れ、下の川も道が崩れて一部通行不能になっていた。ノビル、タンポポ、タネツケバナ、アザミ、フユイチゴなどを採って帰って天ぷらにした。

     竹そよぐ春の初めの月ヶ瀬は梅の香りもただよいきたる

     口笛のうぐいす鳴きの呼びかけにジェジェと答へる鳥はなにぞや

     焚き火して芋焼き酒飲む春の日は憂ひもなくてすべてよきかな

 

 高齢者大学の修学旅行で、岡山までバスの一日旅行をした。この地域は二年前に来たことがある。作山古墳の近くで昼食、国分寺、こうもり塚古墳、国分尼寺(古代瓦が落ちているのを見た)、造山古墳(上に登った)、楯築古墳(弧帯石が印象的)、最後に吉備津神社にお参りして帰途についた。日が照ったり、小雨が降ったりの天気であった。車中ではよく飲食いをした。

 

 

ふたたびの屋久島(2014.3)

 

 半世紀前の春に屋久島の宮の浦岳を訪ねたことがある。テントを担いで急坂を登りバテたことを覚えている。山上には雪が残っていた。宮の浦港で校庭にテントを張らせてもらったら、丁度先生の送別会だった。生徒から薬缶に入れた焼酎をもらって酔っ払ってしまったが、生徒達は平気な顔をしていた。2年前にも船で屋久島を目指したが、海が大荒れで上陸できなかった。今回は直行の空の旅である。大阪空港に着くと忌まわしい想い出のあるボンバルディア機(前に松本からの帰りが欠航になった)なので、一瞬ぞっとしたが、今回は順調な飛行であった。屋久島到着後、安房から林道に入り、紀元杉(3千年)とヤクスギランドを見学、途中サル(写真)とシカを見た。両者とも本土に比べて小型とのことであった。宮の浦のホテルに泊まり、翌日は白谷雲水峡を雨の中の散策。モノノケ姫の舞台らしく雨でコケがしっとりとしていた。島を時計回りに廻って千尋滝(写真)、雨で水量が多く見ごたえがあり、また南側の一枚岩も迫力がある。西に廻って大川(おおこ)の滝、宿に戻り、最後の日は永田のウミガメの産卵地の浜で貝を拾い、虹を楽しんで帰途についた。

 

 大阪でも大雪となって道も数センチ積もった。松竹座に新喜劇を見に行った。第一話は藤山寛美の孫の扇治郎と、星由里子と芦屋小雁が両親という人情物。第二話は親の代から仲の悪い渋谷天外と曾我廼家寛太郎の悪口合戦で笑わせ、最後は涙を絞る展開となる。

    灰色に汚れた町を銀色に変へるは雪の魔法なりけり

    いかめしく冬山装備に身をかため観劇に出る春の雪かな

 

 梅の香に誘われ、道明寺へ行った。天満宮では梅林で白や紅の梅を満喫した。宝物殿では特別公開している国宝の伝菅原道真遺品(平安期の革帯、櫛、刀子、鏡、硯などを見ることができた。西に行って道明寺では国宝の十一面観音(平安)を拝んだ。大阪にも多くの国宝があるのだが、あまり見ていないのでこれからは意識して訪ねてみようと思う。



お伊勢参り(2014.2)


 遷宮なった伊勢にお参りせんと、近鉄で出かけた。先ずは松阪の先の斎宮駅で降り、斎宮跡を見学した。建物跡などが出ており、斎宮の森には、斎宮大伯皇女の歌碑があり、弟の大津皇子が密かに訪ねてきた時の歌が哀れを誘う。伊勢市駅に出て昼食、外宮に参拝。現在は新旧の正宮がならび、白木の新しい宮が美しかった。風宮、土宮、多賀宮に参り、せんぐう館で展示を見る。建物ばかりでなく、装束や神宝まで製作するのがすごい。バスで内宮へ、正宮、荒祭宮、風日祈宮と参り、おはらい横丁をぶらぶら歩いて帰った。


 暮れに風邪をひいて、正月はおとなしくしていたが、ようやく元気の出た1月12日に三十三間堂の大的大会を見に行った。京阪七条で降りると、弓をもった人がたくさん歩いている。着いた時は袴をはいた新成人の女性がたくさんいて華やかであった(写真)。ただ60mの的には十人に一人も当たらないようであった。お堂の仏様も千体あると壮観である。後白河天皇陵のある横の法住寺、西へ向かって冬枯れの渉成園を散歩、その後東本願寺へ行った。


 古市古墳群を見て廻った。近鉄高鷲駅から先ずは未見の雄略天皇陵と津堂城山古墳、次いで南に向かい長尾街道を横切って仲哀天皇陵、近くで昼食。野中寺、竹内街道をかすめ仁賢天皇陵、青山古墳、古市大溝、浄元寺古墳、墓山古墳、あとは前に通ったコースを逆に応神天皇陵、大塚山古墳、古室山古墳、仲姫陵古墳、允恭天皇陵、最後に国府遺跡、志貴県主神社を見て土師ノ里駅へ、6時間半のコースであった。新しい靴に足が痛んだ。


 昨年禿羊と行った沼島や大和高原については、彼のページに詳しい内容があるので参照されたい。http://www.tcct.zaq.ne.jp/tokuyohsu/yama-no-omoide/yama.html 「骨折 (Jan/2001) 」や「ヒヤーッとしたこと 其の一 双六谷(Mar/2001)」 は昔私もお伴した山行である。



2013年のこと(2014.01)


 お勉強の方は、高齢者大学遺跡探訪科、朝日カルチャー・読売文化センター(歴史)、万葉集、水彩画、書道など多彩に取り組んだが、あまり進歩が見られなかった。もっと集中すべきなのであろう。 


  遺跡を訪ねる旅で印象に残ったのは、沖縄の旧石器人、長野・新潟の縄文文化、山口の土井が浜・宇佐神宮・福山の草戸千軒、東北の多賀城・平泉・那須国造碑、福岡装飾古墳などであった。近場では、難波大道、近つ飛鳥、遠つ飛鳥などは楽しい見学であった。


  禿羊とは、淡路島沼島のハモ、越前・若狭、奈良奥山へ行った。夏の御岳や冬の新穂高の温泉もほっこりとしたものだった。新穂高ロープウェイからの西穂高岳は絶景であった(写真)


      天空は零下十度に凍てつきて西穂の峰に雪煙の飛ぶ


  エスペラントでは、和歌山、福井、八ケ岳、豊中、東京に研修会や大会で行った。年6場所の読書大相撲にも参加したほか、その他の月にはホームページに歴史の記事をアップしてようやく戦国時代まできた。


  暮れにはカブキシネマの勘三郎の春興鏡獅子、プーシキン美術館展、ヴォーリズの建築と美しいキャンパスの神戸女学院でのコンサート、民営化を余儀なくされる大阪市音楽団(シンフォニーホール)、今年改装オープンしたフェスティバルホールでの大フィルの第九などに行った。