2017年のこと(2017.12)
肥薩線の旅(2017.11)
鳥取の旅(2017.10)
法師温泉(2017.9)
 
秘湯の宿と秘境駅(2017.6)
桂離宮(2017.5)

棚田三選(2017.4)
西へ島へ(2017.3)
 

熊野へ (2017.2)
スノーモンキー (2017.1)


2017年のこと(2017.12)
 今年は仕事が変わり、足の調子が悪くめまいも起こしたので、メインの活動は秘湯の宿めぐりになってしまった。廻った7か所の温泉は、地獄谷(長野)、湯泉地(奈良)、中の湯・崖の湯(長野)、法師(群馬)、岩井(鳥取)、栗野岳(鹿児島)であった。10か所廻ると1か所が招待になる。
 旅行は熊野、五島列島、城崎、能登半島、鞆の浦、倉敷、竜神温泉、若狭などに行った。近場では修学院離宮、桂離宮の見学が印象に残った。巨樹は機会があれば見に寄っている。インドアでは文楽、METオペラ、シネマ歌舞伎、コンサート、美術展などに行った。勉強は世界史と時事問題を手掛けている。 
 12月には昔の仕事仲間と若狭にカニを食べに行き、帰りに名水の瓜割の滝(写真、左の滝が湧水)と熊川宿に寄った。歌舞伎シネマは勘九郎の「め組のけんか」、METオペラは「魔笛」、 中道郁代・川井郁子・中丸三千絵のジョイントコンサート、センチュリー交響楽団の第九、ボストン美術館展などにでかけた。
           

肥薩線の旅(2017.11)
 
秘湯の宿のスタンプ集めも7つ目になった。今回は鹿児島県栗野岳温泉を目指した。前日熊本県八代市に泊まり、朝肥薩線に乗車した。特急は球磨川をさかのぼる。途中急流下りのゴムボートを見た。
  朱に染みて雨に煙れる球磨川の清き流れを飽かず眺むる
人吉からは山越えで、途中スイッチバック2か所、ループが一か所あり鉄道ファンにはこたえられない。停車駅では柿を買って食べた。鹿児島県側に入ると日本三大車窓の一つがあり、霧島連峰が眺められた。吉松で乗り換え次の栗野駅で下車、駅横の水量豊富な丸池湧水を見学後温泉にのぼった。西南戦役の1年前に西郷隆盛が来たので旅館を南洲館と称する。裏は八幡地獄で蒸気が噴出し硫黄臭がした(写真)。温泉には風呂が3つと蒸し風呂がある。

 次の日は蒲生(かもう)の大クスを見に行った。神社の中にあり樹齢1500年、根周りが33mある日本一の巨樹である(写真)。この地は城下町で武家屋敷跡があった。鹿児島港に出てフェリーに乗り、展望台まで登って桜島御岳の荒々しさに触れた(写真)。桜島はこのところ静かとのことであった。
 
 町内会の旅行で有田のミカン狩りと竜神温泉に行った。宿のモミジが奇麗だった(写真)。文楽で八陣守護城と鑓の権三重帷子を観た。前者は豊臣家を守ろうとする加藤清正、後者は珍しい女敵(めかたき)討ちの話であった。


鳥取の旅(2017.10)
 日本秘湯の会のスタンプ集めに岩井温泉に行った。1日目は鳥取市の東にある弥生時代の青谷上寺地遺跡を訪ねた。100体を超える人骨と脳、琴、卜骨が出たので有名。岩井温泉は胸まで浸かる深い湯の下に敷いたスノコからお湯が沸き出ていた。2日目は鳥取市内で1907年建設の仁風閣(写真)鳥取城址、観音院庭園を見学した。

 ローマを勉強していて、システィーナ礼拝堂のレプリカが大塚国際美術館にあると聞きバスツアーに参加した。淡路島を抜け、鳴門大橋を渡るとすぐ。絵はすべて陶板に焼き付けた複製画で礼拝堂はそのままのスケールでミケランジェロの天地創造、審判の日がよく観察できた(写真)。陶板は全部で千点あり、4キロも歩くことになるから1日ではきつい。

 倉敷で大原孫三郎が妻のために1927年に建てた有隣荘が公開されたので見に行った。庭と屋根瓦が奇麗だった(写真)。大原美術館は45年ぶりに訪れた。お目当てのグレコ、セザンヌ、小出楢重には満足したが、拡張されたのか4つの館を回ると疲れた。

 老人会のバス旅行で琵琶湖に行った。神戸でエルミタージュ美術展を見た。服部緑地での百樹会の樹木観察に参加した。ネットで世界史を50講座見た。

法師温泉(2017.9) 
 熱い夏の間は逼塞していて、終活の為に本を友人や施設の寄付用に送ったり、衣類をアフリカ難民のために供出したりしていた。
 夏の終わりに湯治を兼ねて秘湯の宿のスタンプ集めに群馬県の法師温泉を訪ねた。東京に一泊し、次の日は谷川岳のロープウェイに乗った後温泉に向かった。谷の突き当りの一軒家で山を越えれば新潟県である。古い建物(写真)が有形文化財で温泉もかけ流し混浴の情緒あるものであった。
  ふりやみてまたふり初めし山の雨湯屋の窓よりながめつるかな
 翌日は伊香保温泉に行って、急な坂(写真)の下の旧ハワイ国公館横にある外湯に入った。昼食のピザには上州名物のコンニャクがのっていた。ソースカツ丼というのも名物らしかった。
 
 ランチパスポートというものを仕入れて、難波や天王寺の店をワンコインで回った。食べログのワンコインランチも使ってみた。どちらも麺とか丼が多いが、割と雰囲気のいい店も二三軒みつけた。店の宣伝に効果があることもある。

秘湯の宿と秘境駅(2017.6)
 秘湯の宿のスタンプ集めは、地獄谷温泉、温泉地温泉に続いて、長野県の中の湯、崖の湯を訪ねた。松本から旅館の送迎車に乗って1時間余りで安房峠の7合目にある中の湯へ。窓から残雪の穂高岳がよく見えた。この宿は安房トンネル開削の時に上に移転してきた。露天風呂に入っていると横をリスが走ってお互い驚く。安房峠の方に歩いていくとブナの林にサルが多い(写真)。焼岳もよく見えた。翌日は上高地に出ると残雪の穂高が美しかった(写真)。朝早いので人も少なかった。梓川右岸を通り明神まで散歩した。松本へ送ってもらって崖の湯へ。ここは前に来た事がある。移築した民家が立派で露天風呂が開放感満点であった。3日目は未踏の飯田線を岡谷から鈍行列車でたどった。駅間が短く曲がりくねって速度が遅い。途中下車し天竜下りの船に乗った。両側の景色が平凡になると船頭が網を打ってウグイをとりそれを空中に投げるとトビがキャッチする。天竜峡から特急列車に乗ると途中秘境駅というものがいくつかあった。小和田駅が有名だ。豊橋に出て新幹線で大阪に帰った。電車が長くて疲れた。
 
 総勢5人で祇園のお茶屋で食事をし、芸妓さんがお酌をしてくれて京都文化の粋を楽しんだ。
 父母が天王寺の一心寺の新骨仏になったのでお参りした。梅雨の晴れ間で境内のジャカランタ(写真)の色が冴えていた。
 メナード青山高原リゾートへラベンダー(写真)を見に行った。大阪からバスで2時間、布引峠は52年前鈴鹿から大台へ縦走した時に通ったことがある。ハーブ園の垣根にあったクワとキイチゴの実を楽しんだ。
 
 歌舞伎シネマは染五郎、猿之助の東海道中膝栗毛で話はハチャメチャだが、染五郎と中車の子供が達者であった。現在病気中の獅童も出演していた。

桂離宮(2017.5)
 先月の修学院離宮に続いて桂離宮を訪問した。空きが9時からしかなかったので朝早く大阪を出た。外国人も混じった30人ほどで案内人に連れられて1時間ほどで廻った。ツツジの季節で葺き替えた茅葺の松琴亭が池に映えていた(写真)。御殿の中は見れないが、横の茶室月波楼からの景色も美しかった。午後は市内に出て島原の揚屋角屋を見学した。こちらは滅びの雰囲気が色濃く漂っていた。京都ではあと国立博物館の海北友松の特別展も見ている。

 鞆の浦の鯛網を見に行った。福山まで新幹線で行きバスで鞆の浦。平成いろは丸で仙酔島に渡り、鯛網前儀式の乙姫様の踊りを見て小学生も大勢いる見物船に乗り込んだ。2艘の船が鯛を囲み網を絞ると20~30匹ほどの大鯛が捕れた。陸に上がって鞆の浦の常夜灯や対潮楼を見学した。
 春は山菜の季節で、先月輪島の朝市で買い込んだコゴミ、タラの芽、コシアブラに続き、六甲の自然観察会の帰りに採ったセリ、クレソン、ヨモギ、スイバ、月ヶ瀬で採ったタケノコ、ミツバなどを天ぷらにした。
 中務晴之さんの還暦記念演奏会がシンフォニーホールであった。圧巻は120名のフルートオーケストラの大合奏であった。このほか葛井寺のフジ(写真)、六甲ヴォーリズ山荘のガイド、辰馬考古資料館の富岡鉄斎展などに行った。


棚田三選(2017.4)

 禿羊と湯治に紀伊半島へ行った。伊勢道から尾鷲へ、途中鯛出汁購入と鬼ヶ城を見て山中の湯の口温泉へ。ここはもと銅山でバンガローに泊まり自炊(焼肉と鍋)した。翌日は赤木城、丸山千枚田(写真)、花の窟、三日目は玉置神社に参り巨杉を見て湯泉地温泉に泊まった。

 未踏の地能登に行くバスツアーに参加した。金沢を通過して、千里浜、気多神社、能登金剛、二日目は輪島朝市、白米千枚田(写真)、揚げ浜塩田、碌剛岬、見附島を見て大阪へ帰った。ガイドのいう通り3日分を2日で廻るお得だがハードなコースであった。

 京都の修学院離宮を見学した。後水尾天皇(17世紀)の造営で、上・中・下の三つの離宮が棚田(写真)や山に囲まれている。上離宮の浴龍池(写真)の新緑が雨に濡れて綺麗だった。
 
 老人会のバス旅行で京都に行き平野神社、哲学の道、聖護院御殿荘(庭がよかった)を訪ねた。そのほか竹田城の桜、私市の市大植物園(八重桜)、ヴォーリズ六甲山荘の当番、ワンゲルの会、仕事のOB会、高校同窓会、京都のほろにが会などに行った。去年の4月は椎間板ヘルニアで倒れていたが、今年は桜を楽しむことができ有難いことであった。
 
西へ島へ(2017.3)  
 まだ見ぬ島をたずねて4日間の旅、博多から佐世保へ。駅前の三浦カソリック教会でのミサを見て、軍港クルーズに参加。自衛隊のイージス艦などがいた。バスで平戸へ。三浦按針の墓、ザビエル記念碑、オランダ商館(復元)、松浦資料歴史館などを見た。鄭成功はここの生まれである。翌日朝平戸城、400年の槇、イギリス商館跡、平戸ザビエル記念教会(写真)を見てバスで佐世保に戻った。上五島への高速船は波が高くかなり揺れた。有川でバスを拾い島の南端の奈良尾港へ、神社の樹齢650年のアコウは幹が二股に分かれ参道が通る(写真)。タクシーで若松へ出て宿に入った。3日目朝は見晴らしの良い龍観山に登ったり極楽寺の阿弥陀如来を見た後、船で福江に行った。火山の鬼岳に上ると島が見渡せた。市内に戻り武家屋敷、福江城址、五島観光歴史資料館、カトリック福江教会を見て宿に入った。宿の主人と夜遅くまで話した。最後の日は倭寇の首魁王直に関連する明人堂と六角井戸、伊能忠敬について島を測量中死んだ坂部貞兵衛の墓を見た。五島は遣唐使の通り道でもあった。ジェットフォイルで帰った長崎では軍艦島クルーズに参加したが波が荒く上陸はできなかった(写真)。五島の島うどん、刺身、チャンポン、皿ウドンなどがうまかった。

 昔の仲間7人で城崎温泉にカニを食べに行った。特急コウノトリで2時間半、町は客でにぎわっている。宿に落ち着き下駄をはいて2軒ほど外湯めぐり、柳には葉がないのが残念。カニはゆでたのと鍋、あとは雑炊で2時間ひたすら食べ続け堪能した。翌朝は豊岡に出てバスに乗り、コウノトリの郷を見学した。飼育中のものは鳥インフルで隔離中だったが、幸い田圃で2羽の姿を見ることができた。豊岡市内に帰って特産のカバンを見て帰路についた。
 辻井伸行さんのコンサートをシンフォニーで聴いた。ベートーベンの「熱情」の演奏には胸が熱くなった。満員の観客は熱気にあふれアンコールも3曲あった。荒庸子さんのチェロリサイタルは映画音楽とクラシックの構成で、人の声のような哀愁を帯びた音色が心地よかった。大阪教育大学フルート専攻科の学生の演奏会では全員で奏でるオーケストラ形式が珍しかった。
 映画は「ララランド」、アカデミー賞を6つ取っている。自動車道路での群舞とカメラワークが素晴しかった。男優は3ヶ月特訓でピアノを習得したという。「相棒」も相変わらずのワンパターンであったが、群衆シーンは迫力があった。
 先月見に行った大楠「薫蓋樟」(写真)は樹齢千年以上という。田辺の法楽寺の樟も大きいが推定樹齢800年とあった。百樹会の自然観察で池田の五月山に行った。虫こぶのできたイスノキが面白かった。愛宕神社に登り、降りてから池田城址、小林一三記念館を見学した。お菓子屋のある寿長生(すない)の里を訪ねて梅と福寿草を見、アンミツを食べた。

 京都でのほろにが会の前に、聖護院で特別展示のあった弁天様や宸殿、重文の書院などを見た後、御所を通り抜け相国寺承天閣で若冲を見た。初公開の「鸚鵡に牡丹」が素晴しかった。堀川に出て表千家、裏千家を訪ねたが門は固く閉ざされていた。


熊野へ(2017.2)
 久しぶりに熊野に行った。特急黒潮で勝浦へ、駅前商店街を抜けて港に出た。突堤ではキャンピングカーの人が食事を作ったり魚の干物を干したりしていた。遊覧船で「紀の松島」めぐりで湾の外に出たが、旅館の建物が目障りであった。港から歩いて旅館へ。ここからは那智の滝が遠望できた。温泉は38度の源泉と加温泉がありいずれもかけ流し。翌日は漁協に行くとセリをしていて並んだマグロが壮観であった(写真)。駅前からバスに乗り新宮を経て熊野大社へ参拝。世界遺産熊野本宮館を訪ね、旧社地である大斎原へ。ここは数年前の大雨の時にも水没したという。バスで湯の峰温泉へ行き世界遺産で唯一入れる温泉である「つぼ湯」(写真)につかったりして次の日の昼までのんびり過ごした。
 

 帰りのバスから福定の大イチョウを見て巨樹に興味を持って調べてみた。門真に大楠があると知り出かけた。地下鉄門真南から10分、三島神社の中にある幹回り13mの薫蓋樟と名付けられた化け物のようなクスであった。百樹会という自然観察会があって千里に行き木草や野鳥に詳しい先生の講義を聞いて勉強になった。
 METオペラの映画で「ナブッコ」を見た。ドミンゴは76才だが元気、指揮のレヴァインは車椅子だった。「行け我が想いよ」の合唱はサービスで2度歌ってくれた。シンフォニーホールでの大響のライトクラシックはどちらかというとジャズであった。クラシック講座は「展覧会の絵」で高野良輔さんのピアノが素晴しかった。あべのハルカス美術館での「拝啓ルノワール先生」は1909年に21才の梅原龍三郎がルノワールを訪ねたことをテーマに据えた展覧会で印象派の絵を楽しんだ。


スノーモンキー(2017.1)
 信州の温泉に入るサルを見に行った。特急で名古屋より長野、バスで上林温泉にあるスノーモンキー駅で降り、雪道を歩いて小一時間、秘湯の宿地獄谷温泉に泊まる。翌朝野猿公苑に行くともう見物人は多い。外国人に人気があるらしい。温泉に入っているのやその辺にたむろするのも合わせて2、300匹はいただろう(写真)。

バスと電車で小布施に行き北斎館と北斎の天井画のある岩松院を見た。この夜は須坂の山手にあるわらび野温泉に泊まった。3日目は松代で海津城址、真田邸(江戸末期建築、庭が美しい)、象山神社、象山地下壕(戦争末期の大本営用の壕、全長5.8km、写真)、真田宝物館を見学して帰途についた。


 松竹座での中村芝翫襲名披露を見た。「鶴亀」では芝翫と同時に襲名した子供の橋之助、福之助、歌之助が踊った。次いで口上では藤十郎、鴈治郎、仁左衛門、秀太郎などがそろい踏み。「勧進帳」は親子4人と仁左衛門の富樫、最後は「雁の便り」のコミカルな劇だった。シネマ歌舞伎は玉三郎の「阿古屋」。琴、三味線、胡弓とともに、舞台裏の映像も楽しめた。