2000年1月

明けましておめでとうございます。今年もよろしく。さて、2000年最初のテーマは「再会」で行きましょう。これは、昨年9月の「別離」に呼応するものです。

杜甫 「江南逢李龜年」
杜甫59歳の春、湖南省の長沙での作品です。杜甫はこの年の冬に亡くなります。李龜年は玄宗に愛された往年の名歌手。この詩から見ると、杜甫とはそれほど親しくはなく、せいぜいが面識があったという程度でしょう。互いに、流浪の果て、人生の終焉が近づいたとき、ばったりとこんな辺境の地で出会ったのでしょう。江南の春の景色はあまりに明るく、それだけにまた一層人生の哀感が漂っているようです。岐王は玄宗の弟、崔九は当時の権力者。

岐王宅裏尋常見    岐王の宅裏 尋常に見
崔九堂前幾度聞    崔九が堂前 幾度か聞きし
正是江南好風景    正に是れ 江南の好風景
落花時節又逢君    落花の時節 又君に逢う


高啓 「逢呉秀才復送歸江上」
高青邱。士大夫の文学である詩が非常に低調であった明代にあって唯一人光芒を放っている。彼の文章(太祖の好色を謗った詩とも云われる)が明の太祖の怒りに触れ、腰斬の刑に処せられ、四十才前で非業の死を遂げる。
この詩は元末明初の戦乱の中での別れとつかの間の再会を実に印象的に詠っていると思います。結句が、なんともやるせなさを募らせますね。

江上停舟問客縦   江上 舟を停めて 客縦を問う
亂前相別亂餘逢   乱前に相別れて 乱余に逢う
暫時握手還分手   暫時 手を握りて 還た手を分かつ
暮雨南陵水寺鐘   暮雨 南陵 水寺の鐘

長江のほとりで舟を停めて、君の巡り歩いた後を訊ねる。戦乱の前に別れたまま、乱の終わった今、また再開できたのだ。暫し、手を握り合ったが、すぐ又、お別れだ。夕暮れの雨の中、おりしも南陵の水寺の鐘が響く。

菅茶山 「子成随母而来有詩。依韻以呈。日値中亥」
亥の子の祭りにたまたま頼山陽が訪ねてきた時の詩。山陽は若い時、茶山の塾の講師をしていて、茶山に養子に欲しがられて塾を逃げ出したが、以後も茶山を師と仰いでいました。茶山と山陽の交遊は、鴎外の「伊沢蘭軒」に詳細に描かれています。
旧暦十月亥の日には今でも亥の子餅が菓子屋に出されます。我が家では鶴屋八幡の亥の子餅が大好物で、これでお薄などを一服すると実に旨い。猪は多産であるため、秋の収穫と来年の豊作を願って、いまも地方ではこの日、子供たちが歌いながら家々を廻る風習が残っているようです。
潘郎とは晋の潘岳のことで、中国では美男才子の代名詞。日本でいえば在原業平か。山陽が出立するとき、茶山がこの詩を書いた紙を渡したが、披かずに出発し、茶店で一休みしている時に読んで、思わず「上手い」と叫んで、従僕がびっくりしたと、山陽は書いています。
秋の祭りのうきうきとした気分と、思いがけない再会の喜びがよく伝わってきます。結句に黄葉夕陽村舎の塾名を折り込んだところも気に入っています。

糍糕祭亥市童喧   糍糕(じこう)亥を祭りて 市童喧(かまびす)し
只祝郷隣産育繁   只だ祝う 郷隣 産育の繁きを
恰有潘郎陪母至   恰(あたか)も潘郎の母に陪して至る有り
霜深黄葉夕陽村   霜は深し 黄葉夕陽村

新粉餅をそなえて、今日は亥の子の祭り、町の子供たちが騒がしい。町も村も、ただ今年の豊作を祝っているのだ。ちょうど今業平の山陽君がお母さんのお供をしてやってきた。木々は黄色に色づき、夕陽輝くこの村には、霜が深く降りている。


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