2000年2月
今月は、またまたマイナーな話題となりますが、「詞」を紹介したいと思います。詞は曲に乗せて歌うもので、いわば流行歌の歌詞です。日本でも似た事情でしょうが、内容がどうしても軟弱になり、詩余とも呼ばれ詩の一段下のものと見られていました。詞は中唐に始まり、唐詩宋詞といわれるように、宋代に流行し、文学的にも高いものとなって行きます。詞に付いている題は、内容を現しているのではなく、歌う曲の指定です。今の流行歌が歌詞毎にメロディーが異なるのに比べると、曲の数が大変少なく、多くの詞が同じ曲を指定しているのが目立ちます。これは当時の音楽の発達が未熟であったことを示しているのかもしれません。さて、今回紹介する李U(りいく)は詞を文学的境地まで高めた人物です。
唐が滅んで、宋が興るまでの五十数年間、中原では五つの王朝が替わり、南方長江流域では十の国が出来た、いわゆる五代十国時代となります。その十国の一つ、南唐はいまの南京を都として長江下流域に作られた国です。十国のうちでは最も栄えましたが、二代目の時代に宋の前身である後周に攻められ、国土の半分を奪われ、莫大な朝貢を強いられるようになり、皇帝を名乗れず国主と称するようになります。李Uは三代目で南唐後主(李後主)と呼ばれます。衰えたりといえども江南の地は豊かで交易も盛んで、莫大な朝貢を払いながらも、朝廷の生活は大変豪奢で、宮中文化は非常に高いレベルのものでした。南唐の大臣の宴会を描いた「韓熙載夜宴図」という超国宝級の絵が故宮博物院に残っていますが、そこに描かれている人物は楽しい宴会の中でも、亡国の予感からか愁いに満ちた顔をしています。
李Uは文化事業に熱心で、彼が作らせた澄心堂紙や、李廷珪墨は現代に至るまで最高の文房具とされています。また、蔵書十万余巻は後に宋に接収され、宋の宮中文庫の中心となりました。
南唐は李U三九才の時ついに宋に滅ぼされ、宋の都で一族と共に幽閉されますが、三年後太宗より賜った毒酒を飲んで死にます。国主時代の詞は華麗で退廃的な感じですが、幽閉されてからの詞は洗練の中に悲痛の調を込め、文学的に高い境地へと昇華されたものとされています。
「菩薩蛮」
そっと、男のもとに忍んで行く女性の心を歌ったものです。皇后の妹との密会の場面とも言われています。大変に濃密な描写ですが、まあ、国王がこんな歌を作っているようでは、国が滅んでも仕方ないかもしれませんね。
花明月暗籠輕霧 花は明らかに月は暗く 軽ろき霧を籠むる
今宵好向郎邊去 今宵こそ好し 郎(きみ)が辺を向(さ)して去(ゆ)くに
剗襪出香階 剗襪(たびはだし)にて香階に出づるとき
手提金縷鞋 手には提(さ)ぐ金縷(きんる)の鞋(くつ)
畫堂南畔見 画堂の南の畔(ほとり)に見ゆれば
一向偎人顫 一向(いちず)に人に偎(よ)りそいて顫(ふる)う
奴爲出來難 奴(わらわ)の出で來ることの難きが為に
教君恣意憐 君を教(し)て恣意(ほしいまま)に憐(いと)おしましむ
暗い月明かり、花がボーッと浮かび上がる軽やかな霧の中。今夜こそ、あの人のもとに忍んで行くのに絶好の機会。音がしないように、足袋だけになって階段をそっと降りる。手には金の刺繍の靴を持って。
画堂の南のほとりへと出て行くと、あの人は待っている。ひしと抱き着くと、私の体は喜びに打ち震える。私が忍んで出てくることが難しいからこそ、それだけ一層、あなたにすきなように愛撫させてあげるの。
「烏夜啼」
宋の都に幽閉された後の詞。前の詞とはがらりと変わって、悲痛に満ちています。次の「虞美人」もそうですが、零落の悲しみを繰り返し繰り返し歌っています。日本人なら、諦観の中で花鳥風月でもあっさり歌いそうですが、やはり中国人はねちこい。
昨夜風兼雨 昨夜 風は雨を兼ぬ
簾帷颯颯秋聲 簾帷(れんい)に颯颯(さつさつ)たる秋声
燭殘漏斷頻欹枕 燭は殘(うす)れ漏は断えて 頻りに枕を欹(そばだ)て
起坐不能平 起坐して平らかなる能わず
世事漫随流水 世事は漫(そぞ)ろに流水に随がい
算來一夢浮生 算(かぞ)え来れば 一夢の浮生
醉郷路穏宜頻到 醉郷は路穏やかにして宜しく頻りに到るべし
此外不堪行 此の外には行くに堪えず
昨夜は雨まじりの風、簾やカーテンのそよぎにはもう秋の声。灯火は消えようとして、水時計の音も絶え、しきりに枕を動かしても寝られず、とうとう起き上がったが心は平静になれぬ。
この世のことは、水の流れのように移り行く。過ぎ去ったことを一々思い出してみれば、まことにはかない夢の人生であった。私をやさしく迎えてくれる酔いの世界へは幾度でも行こう。もうその外のところには行くに堪えないのだから。
「虞美人」
この詞を聞いて太宗はたいそう怒って、毒酒を与えたといわれている。
春花秋月何時了 春花 秋月 何れの時か了(きわ)まる
往事知多少 往事 知んぬ多少(いくばく)ぞ
小樓昨夜又東風 小楼 昨夜 又も東風
故国不堪回首 月明中 故国は回首するに堪えず 月明の中
雕欄玉砌依然在 雕欄(ちょうらん)玉砌(ぎょくぜい)依然として在り
只是朱顔改 只だ是れ 朱顔のみ改まりぬ
問君都有幾多愁 君に問う 都(す)べて 幾多の愁い有りやと
恰似一江春水 向東流 恰(あた)かも似たり一江の春水 東に向って流るるに
春の花、秋の月は永遠に廻る。それを見るにつけ、過ぎし日の数え切れぬ思い出。小楼にまた春風が吹くようになった。はるかな故国の方はどうして望むに堪えよう、この月明かりの中で。
彫刻の欄干、玉の石畳の宮殿は変わらずに今も有るだろうに、我が容姿だけは変わってしまった。我が心に満ちる悲哀はどのくらいというなら、それはちょうど長江の春の水が東へ流れて行くように尽きることはないのだ。