2000年3月
三月は少し変わった趣向で、訳詩に注目してみました。すなわち、原詩にとらわれず、比較的自由に訳をつけて、訳詩自体が文学的に価値があるというか、面白いといったものです。日本には漢文に返り点をつけて、日本語化して読むいわゆる読み下しの習慣があり、それ以外に翻訳を加える必要もないものでしたが、詩人が訳詩によってその中に独自の表現を試みたもののようです。新体詩への訳の最初は森鴎外の「於母影」だと思われます。その中で原詩がわかったのは高啓の「青邱子」でしたが、長いので割愛します。また、土岐善麿の訳詩も有名ですね。
佐藤春夫 「車塵集」
「美人の香骨、化して車塵となる」という言葉から題をとった中国女流詩人の訳詩集。唐代の女流詩人としては薛濤、魚玄機などが有名で「車塵集」にも採られていますが、色っぽさにひかれてこれを選びました。作者は唐の芸妓だそうです。「酥乳」と題する絶句の転結が訳されています。起承は「粉香汗湿瑶琴軫、春逗酥融白鳳膏」です。「白粉の香り、汗は玉飾りのついた琴柱を湿らせている。春の温かさに、むせるようなお乳が白い肌の脂を融かしているよう。」と言った意味でしょうか? この後、風呂に入って転結とつながって行きます。起承については、文字の美を去ってその意を伝えても無意味と、春夫は云っています。また、春夫は「玉笛譜」なる訳詩集も作っています。
乳房をうたひて
浴罷檀郎捫弄処 湯あがりを
露華凉沁紫葡萄 うれしき人になぶられて
(趙鸞鸞) 露にじむ時
むらさきの葡萄の玉ぞ
井伏鱒二 「厄除け詩集」
この訳詩は知っている人は多いでしょうが、原詩まで知っている人は少ないのでは。作者の于武陵は晩唐の人で、進士に合格して一時官途に就いたが、後に書と琴を携えて天下を放浪した。厄除け詩集には、井伏らしい飄々とした味わいの訳詩がいっぱいです。
勧君金屈巵 君に勧む 金屈巵 コノサカヅキヲ受ケテクレ
満酌不須辞 満酌 辞するを須(もち)いず ドウゾナミナミツガシテオクレ
花発多風雨 花発(ひら)けば 風雨多し ハナニアラシノタトエモアルゾ
人生足別離 人生 別離足る 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
日夏耿之介 「唐山感情集」
この本はやっと市立図書館で見つけ、コピーしました。やはり閨秀詩人の「詞」が中心の柔らかなものが多いようです。この詩集の中で見つけたのですが、私は今までは五言絶句が中国で最短の詩型と思っていましたが、十六字令という詞の型があるようです。1、7、3、5言からなり、なんとなくくだけていて、日本の都都逸的な雰囲気があるようです。十六字といっても、すべて漢字となるとやはり情報量は大分多いようですね。清代の詩はあまり読んでいませんのでこの詩人は知りません。
堵霞 「春望」
愁 幾片花飛過小樓 愁はしし、幾ひらの花とんで小楼を過ぐ
春帰否 尚在柳梢頭 春帰しや否や、なお柳の梢のほとりにあり
いくひらひら
しんきくさやの。
いくひらひら、
小間のまえを花がちり候。
エーモ春は逝んだかエ。
イ丶エサ青柳の梢のさきに
ありやんすわいの。
会津八一 「鹿鳴集」
漢詩を和歌にという試みも、本歌取りの一つとも言え、平安時代の歌にも白楽天などの詩から連想したと思われるものがあるようです。八一は集の中に「印象」と題して九首の和歌を載せて、「翻訳にあらず創作にもあらざるところ果たして何物ぞこれ予が問わんと欲するところなり」と云っています。作者の耿イは唐代の詩人ですがあまり知られた人ではないようです。しかしこうしてみると、五言絶句といえども和歌に比べると大分長いようで、せいぜい2,3行分しか訳されていないようですね。また芭蕉の「この道や行く人なしに秋の暮」とも通じるようです。
耿イ 「秋日」(イはサンズイに韋)
返照入閭巷 返照 閭巷に入る
憂来誰共語 憂い来るも誰と共にか語らん
古道少人行 古道 人の行くこと少(まれ)に
秋風動禾黍 秋風 禾黍(かしょ)を動かす
いりひ さす きび の うらは を ひるがえし
かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし
最後に、韋応物の詩の春夫、鱒二、八一訳をお楽しみください。韋応物は玄宗の近衛兵だったが、後に文学を学んで詩を作ったそうです。自然を詠じては柳宗元と並び称せられています。
韋応物 「秋夜寄丘二十二員外」
懐君屬秋夜 君を懐(おも)うは秋夜に屬し
散歩詠涼天 散歩して涼天に詠ず
山空松子落 山空しゅうして松子落つ
幽人應未眠 幽人まさに未だ眠ざるべし
君のしのばれ長き夜を
夜さむに歌ひさまよへり
松かさ落ちて山しづか
侘びびといまだ寝ねざらん
ケンチコヒシヤヨサムノバンニ (友人、中島健蔵のこと)
アチラコチラデブンガクカタル
サビシイ庭ニマツカサオチテ
トテモオマヘハ寝ニクウゴザロ
あきやま の つち に こぼるる まつ の みの
おと なき よい を きみ いぬ べし や