2000年4月

4月はやはり春の歌ですね。思いっきりポピュラーなもので行きましょう。しかし、あまりに多くて、どれにしようか迷ってしまいます。孟浩然「春眠暁を覚えず」は、いくらなんでもポピュラー過ぎますよね。


杜甫「絶句」
 無造作に「絶句」とだけ題しています。明るい春の景色の中にいながら、やはりその明るさにすっかりは溶け込めないいつもの杜甫がいます。四川省成都で、杜甫の生活がやや小康を得ていた時代の作品。

江碧鳥逾白    江は碧にして 鳥逾(いよいよ)白く
山青花欲然    山青くして 花然(も)えんと欲す
今春看又過    今春看(みすみす)又過ぐ
何日是帰年    何れの日か是れ帰年ならん

川のみどりを背景に鳥はいよいよ白く、山の青さの中で花は燃えんばかりだ。今年の春も見る間に過ぎ去って行く。何時になったら、故郷へ帰れるのだろうか。


杜牧「江南春絶句」
 まえに紹介した「山行」と並んで有名な詩。江南のしっとりとした雨にけぶる情景が目に浮かぶようです。転句の「八十寺」は、平仄の関係で「はっしんじ」と読むように習ったと思いますが、「はちじゅうじ」でも別に気にすることはないようです。

千里鶯啼緑映紅    千里 鶯啼いて 緑 紅に映ず
水村山郭酒旗風    水村 山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺    南朝四百八十寺
多少樓臺烟雨中    多少の楼台 烟雨の中

見渡す限りウグイスが鳴きしきり、青葉が花の紅に映える。水辺の村、山沿いの里にも居酒屋の旗がはためく。南朝以来の四百八十の寺、その数知れぬ堂宇がうちけぶる春雨の中に霞んでいる。


蘇軾「春夜」
 いきなり金の話がでますが、別に本当に買えるものではないので俗な感じはありません。蘇軾一流のウイットです。夜が静かに更けて行くさまが転結に面白く表現されていると思います。其角の俳句「夏の月蚊を疵にして五百両」というのがあります。骨董屋で品物にケチを付けて値切っている風情にしていますが、当時の庶民の誰でもが知っている詩だったのでしょう。実はこの詩、蘇軾の正式の詩集には載せられておりませんが、昔より彼の詩として伝えられているものです。

春宵一刻値千金    春宵(しゅんしょう)一刻 値(あたい)千金
花有清香月有陰    花に清香有り 月に陰有り
歌管樓臺聲細細    歌管 楼台 声細細(こえさいさい)
鞦韆院落夜沈沈    鞦韆(しゅうせん) 院落 夜沈沈(ちんちん)

春の宵は千金の値打ちだ。花は清らかな香りを放ち、月はおぼろに霞んでいる。音楽を奏でていた楼台も今はひっそりとなり、ブランコのある中庭はしんしんと更けてゆく。

藤井竹外「芳野」
 菅茶山以外の日本の詩を紹介するのは初めてですが、近いうちに日本の詩もまとめて紹介したいと思います。あっ、良寛もありましたね。日本の春の詩ではもっとも人口に膾炙しているもので、詩吟でもよく歌われます。「吉野三絶」の一つとされています。といっても、私も他の二つは知りませんが。この詩、有名なので紹介はしますが、私自身は、実はあまり好きではありません。表現がなにか臭く感じられます。
 藤井竹外は江戸後期の高槻藩の儒者で、頼山陽に作詩を学びました。

古陵松柏吼天飈    古陵の松柏 天ぴょうに吼ゆ
山寺尋春春寂寥    山寺 春を尋ぬれば 春寂寥(せきりょう)
眉雪老僧時輟帚    眉雪の老僧 時に帚(はく)くことを輟(や)め
落花深処説南朝    落花 深き処 南朝を説く

飈はひょうと読み、つむじ風の意。

 後醍醐天皇陵の辺りの松柏は、つむじ風にゴウゴウと鳴っている。如意輪寺の辺りは、晩春の寂しいたたずまい。眉まで白い老僧が掃く手を休めて、落花散り敷く中で南朝の昔を語ってくれた。



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