2000年5月
長かったゴールデンウィークも終わりました。小生は、四万十川をカヤックで二泊三日かけて下ってきました。さすがに日本最後の清流といわれるだけに美しいものでした。もっとも、小生が子供の頃の吉野川も同じようにきれいでしたが。
さて、今回のテーマは「妻を偲ぶ」です。妻子朋友の死を悼んで作られる悼亡詩は古来数多くあります。最も有名なものは、例の中国の業平、潘岳の「悼亡詩」でしょうが、ちょっと長いのでやめておきます。
蘇軾「江城子・乙卯正月二十日夜夢を記す」
蘇軾の詞です。蘇軾は、それまで流行していた艶っぽい詞に対して、男っぽい詞を作ったので豪放派の祖と呼ばれています。もっとも、歌いにくいと評判が悪かったとの話もあります。ある時、蘇軾が歌の上手な部下に、婉約派の柳永と自分の詞を比べるとどうかと訊ねたところ、柳永の詞は十七、八の女の子がカスタネットを手に歌うのに向いているが、貴方のは巨漢がドラやカネをジャンジャン鳴らしながら歌うのがピッタリだと言われて、ひっくり返ったそうです。しかし、ここに挙げる詞のように、愛情細やかなものも作っています。
十年前に亡くなった妻、王弗がたまたま夢に出てきたのを詞にしたものです。
中国人の悲しみの表現には判で押したように腸が出てきます。腸が断たれるとか、真っ直ぐになるとか。我々から見ると、単に痛いだろうなという感じですが。日本人の場合は、胸ですかね。
手元の本には訳がついていないので、蛇足かとは思いますが自己流のを付けておきます。
十年生死兩茫茫 十年の生死 両(ふたつ)ながら茫茫たり
不思量 自難忘 思量せざれども 自(おのずか)ら忘れ難し
千里孤墳 千里の孤墳
無處話凄涼 凄涼を話するに処なし
縦使相逢應不識 縦使(たとえ)相逢うとも応に識らざるべし
塵満面 鬢如霜 塵は面に満ち 鬢は霜の如し
夜來幽夢忽還郷 夜来の幽夢に忽ち郷に還りぬ
小軒窗 正梳粧 小軒の窓 正に梳粧(そしょう)せり
相顧無言 相顧みて言無く
唯有涙千行 唯涙の千行なる有るのみ
料得年年腸断處 料り得たり年年腸の断ゆる処
名月夜 短松崗 名月の夜 短松の岡
お前と死に別れて十年、はるかなものとなった。いつも思っていると言うわけではないが、さりとて忘れさる事も出来ない。お前は、今遠く離れた墓の中、互いの辛い身の上話をするすべもない。また、たとえ逢ったとしても、お前は私を見分けられないだろう。私の顔は埃にまみれ、髪はすっかり白くなっているのだから。
昨夜の夢で、たちまち故郷へ帰った。お前は小さな部屋で、奇麗に化粧をしていた。互いに見詰め合ったが、言葉もなく、ただ涙が流れるばかりだった。夢から覚めて、解った。これから年々、明月の夜、松の生えたお前の眠る岡が私の悲しみの極まる場所だと。
陸游「沈園 二首」
陸游は二十歳で母方の姪の唐琬と結婚し、夫婦仲も非常によかったが、姑とうまくいかず離縁となります。二人ともまもなく再婚しますが、陸游三一歳の春、たまたま沈氏の庭園に遊んだとき、偶然に二人は再会します。彼女は夫に告げて、酒肴を彼のもとへ届けさせた。陸游は邸の壁に一編の詞「釵頭鳳」を書き付けて立ち去ったそうです。彼女はその後まもなく他界します。
四十数年後、七五歳となった陸游は再び沈園を訪れ、この詩を作りました。陸游は晩年まで、彼女が忘れられず幾編かの思い出の詩を作っています。この純情は中国の詩では希有のものではないでしょうか。陸游はその生涯で二万首以上の詩を作ったと云われますが、1209年、八五歳で世を去ります。
其の一
城上斜陽畫角哀 城上の斜陽 画角 哀し
沈園非復舊池臺 沈園 復た旧池台に非ず
傷心橋下春波緑 傷心 橋下 春波緑なり
曾是驚鴻照影來 曾て是れ 驚鴻(けいこう)の影を照らし来りし
城壁の夕陽 角笛の響きが哀しい。沈園の池や楼台ももう昔のままではない。心痛むのは、橋の下の春めいた緑の波。かつては、驚いて飛び去った雁の影を映したこともあったのだが。
其の二
夢斷香消四十年 夢は絶え 香は消えて 四十年
沈園柳老不吹綿 沈園 柳老いて綿を吹かず
此身行作稽山土 此の身は 行くゆく 稽山の土と作らんも
猶弔遺蹤一泫然 猶 遺蹤を弔いて 一たび泫然(げんぜん)たり
夢は断たれ、香りもうせて四十年。この沈園の柳も老いて、綿毛を吹き出そうともしない。この身もやがて会稽山の土となろうが、この思い出の跡を訪ねると、ひとしきり涙にくれるのだ。
菅 茶山「悼亡 三首 其二」
1784年、茶山は三七歳で宣(のぶ)二八歳と結婚します。宣は茶山七九歳の時、享年七〇歳で世を去ります。茶山の死に先立つこと、一年半でした。これは、宣の死を悼んで作られたものです。
去年の春、サイクリングで神辺を訪れたとき、この詩にある南園を見てきました。廉塾は国の指定文化財として保存されており、その南側は菜園になっています。ここから二人は南の黄葉山の上にかかる月を見たのだろうと感無量でした。北荘は残念ながら塀のうちでしたが、近くの土手から覗き込むと大分荒れているようでした。
神辺に月愛でしひとのあと訪えば、ただ南園の柳青める。
久托衰躬只一妻 久しく衰躬(すいきゅう)を托するは 只だ一妻
奈何老寉斗孤栖 奈何せん 老寉(ろうかく)の斗(たちま)ち孤栖するを
北荘桃李南園月 北荘の桃李 南園の月
吟歩従今誰与携 吟歩 今よりは誰をか与に携えん
長い間、この衰えた体をただ妻にのみ托してきたのに、老鶴が一人住まいするようになってしまったのをどうしたらいいのだろう。一緒に北荘で桃李を愛でたり、南園で月を眺めたりしたものだが、これからは詩を吟じつつ散歩するのに、誰と一緒に連れ立って行けばいいのだろう。