2000年7月
七月は、日本のことが詠まれた詩を集めてみました。清になって、唐代の詩を全て集めたと称する「全唐詩」という壮大な詩集が作られました。そのなかには、五万近くの詩が集められていますが、その内に日本人がただ二人入っています。一人は長屋王、もう一人は阿倍仲麻呂、唐名・朝衡です。長屋王のものは詩とは言えないようなもので、実質は仲麻呂一人といえそうです。仲麻呂は唐朝で高官になり、王維、李白を始め多くの唐代の著名な詩人と交際があり、彼らが仲麻呂のことを歌った詩が残されています。
また、宋代では欧陽修の「日本刀歌」が日本の事物を歌った詩としてよく知られていますが、少し長いので割愛。
王維「送秘書晁監還日本国」
これは王維の詩中で最高傑作の一つといわれているそうです。海を見たことのないと思われる王維にとって、阿倍仲麻呂が海を渡って日本へ帰って行くことは想像を絶することで、大袈裟な表現がされていますが、実際彼は日本へ帰れなかったことからすると、命懸けであったことは確かでしょう。秘書監は宮廷図書館長で、政治的には余り重要な役ではありませんが、文を重んずる中国のこと、位は大臣級だったようです。
積水不可極 積水 極む可からず
安知滄海東 安んぞ 滄海の東を知らんや
九州何處遠 九州 何処か遠き
萬里若乘空 万里 空に乗ずるが若し
向國惟看日 国に向いては 惟だ日を看
歸帆但信風 帰帆は但だ風に信すのみ
鰲身映天黒 鰲身(ごうしん) 天に映じて黒く
魚眼射波紅 魚眼 波を射て紅なり
郷樹扶桑外 郷樹 扶桑の外
主人孤島中 主人 孤島の中
別離方異域 別離 方(まさ)に異域
音信若爲通 音信 若爲(いかんし)てか通ぜん
九州:中国の外の九つの世界 鰲:大海亀。東海の五つの仙山を十五頭で支えている。 扶桑:東の果て、日の昇る処に生えている神木。
水また水で果てしがない青海原の東は知りようがない。中国の外の九つの世界のうち、どこが一番遠いのか、きっと日本だろう。万里の旅路は、空を飛んで行くようなもの。故国へ向っての船旅は、唯太陽を目指し、帆は風まかせ。大海亀が空を背景に黒々と姿を見せ、大魚の目は波を紅に染める。故国の木々は扶桑より更に遠くにあり、君はそのさいはての孤島の中。ここで別れてしまえば、互いに異なる世界の人間だ。どうして、便りを送ればよいのだろう。
李白「哭晁卿衡」 (晁卿衡を哭す)
仲麻呂は帰国の渡海で遭難してベトナムまで漂流します。このとき、都へは彼が死んだと伝えられました。その後、彼は日本へ帰ることを諦め、唐朝に仕え、高位に至り七三歳で亡くなります。李白はこの時期、諸国を放浪中で、湖南省あたりで仲麻呂の遭難を聞いたのでしょう。
日本晁卿辞帝都 日本の晁卿 帝都を辞し
征帆一片繞蓬壷 征帆一片 蓬壷(ほうこ)を繞(めぐ)る
名月不帰沈碧海 名月帰らず 碧海に沈み
白雲愁色満蒼梧 白雲 愁色 蒼梧に満つ
蓬壷・蓬莱山(神仙の住む島)
蒼梧・湖南省にある山、舜王崩御の地
項斯「日東病僧」
あまり有名ではない晩唐の詩人です。時期から考えると、最後の遣唐使船で「入唐求法巡礼行記」を書いた円仁が中国に留学したのと同時期と思われます。円仁は十年中国に滞在した後、道教を信仰した皇帝が起こした、中国全土に吹き荒れた仏教迫害の嵐を逃れて、命からがら日本へたどり着きますが、これはその前のことでしょうか? このように帰国出来ずに異国に客死した僧も少なくなかったのでしょう。
雲水絶歸路 雲水 帰路を絶つ
來時風送船 来る時 風 船を送る
不言身後事 身後の事を言わず
猶坐病中禅 猶お病中の禅に坐す
深壁蔵燈影 深壁 燈影を蔵し
空窓出艾煙 空窓 艾煙(がいえん)を出す
已無郷土信 已に郷土の信無く
起塔寺門前 塔を起(た)つ 寺門の前
雲と水があなたの帰路を絶ってしまった。来る時は順風に送られてきたのに。死後のことは何も言わず、なお、病気の身でありながら座禅を続けておられる。深い壁が燈火に映え、窓からは灸の煙。もはや、故郷からの便りも途絶え、自分の供養のための塔を寺の門前に建てた。
黄遵憲「家庭」
中国の絶句とか律詩などの古い形の詩の長い歴史の最後を飾る詩人の一人と言えるでしょうか。清末の外交官としても活躍し、駐日参事官として来日、サンフランシスコ総領事として渡米するまで4年余り日本に滞在し、その間に日本の制度、風俗などを詠んだ二百首からなる「日本雑事詩」を作りました。日本に非常に興味を持ち、精力的に調査をしていますが、彼も中国の革新のためには日本を参考にすべきと考えたのでしょう。いろんな事物がテーマに取り上げられていますが、中には、統計表、雌雄配合法、落語など、手当たり次第に入っている感じです。
しかし、この中からどれかを選ぶとなるとなかなか難しいものがあります。内容がどうしても説明になってしまっていて、詩としての良さがあまり感じられないのです。
満院桐陰夏気清 満院の桐陰 夏気清らかなり
汲泉烹茗藉桃笙 泉を汲み茗を烹るに 桃笙(たたみ)を藉(し)く
竹門深閉雲深処 竹門 深く閉す 雲深き処
尽日惟聞拍掌声 尽日 惟だ聞く 掌を拍つの声
日本人は園亭をこのむ。貧家にも花木竹石がある。それらの配置は幽雅である。門はあるが、いつも閉ざされてあって、その庭をあるけば、しんとして人がいないかのようである。わたしは、友人をたずねて、半日も筆談したことがあるが、人の声もしない。童をよび茶をいれさせるにも、手をたたくだけであって、まるで浮世をはなれたおもいがする。客が来ると、かならず寒具(もちがし)をだしたり、またはお酒をだしたりする。妻子がでてきて、ひざまずいてお酌をする。それはまことに鄭重なものである。(東洋文庫:日本雑事詩より)