2000年10月
 十月は江戸期の詩人を紹介します。この時代、特に江戸後期は学芸の大衆化が進み、その中にあって、漢詩文も日本の歴史上もっとも花開いた時期です。儒学も江戸初期は経国済民のための学問といった正統派でしたが、天下太平の後期ともなると趣味としての学問といった風が強くなり、儒学者も文芸の方に精を出しました。専業の詩人も輩出した時代です。俳句、川柳、都都逸などにも、漢詩を土台にしたものがあり、漢詩が一般庶民にまで愛好された様子が窺えます。この時期で私の最も好きなのは菅茶山ですが、たびたび紹介しましたので今回は他の詩人にします。はからずも、すべて江戸後期の詩人となりましたが、これは私の好みでしょうか。前期にも石川丈山(京都・詩仙堂の主)や新井白石のように詩の方でも有名な人がいますが、やはり多くは儒学が本業のようです。


頼山陽「泊天草洋」
 江戸期の第一人者といえばまず彼をおいてはありません。詠史の詩が得意で「鞭声粛々夜渡河…」などは皆さんもよくご存知の詩と思います。表現力が豊かで、奇抜で派手なところが、日本人ばなれしていると思いますが、私自身は私小説的な詩が好きなもので、もう一つぴったりきません。この詩などは彼の特徴がよく出ており、代表作とされるものです。特に第一句などは、中国大陸など見えるはずも無いのですが、詩人的誇張で大きく出ています。前にも紹介しましたが、山陽は茶山の塾の講師をしていて跡継ぎにされかかって、こんな田舎に逼塞するのはいやだと逃げ出しました。

雲耶山耶呉耶越   雲か 山か 呉か 越か
水天髣髴青一髪    水天 髣髴(ほうふつ)青一髪(せいいっぱつ)
万里泊舟天草洋   万里 舟を泊(はく)す 天草の洋(なだ)
煙横篷窗日漸没   煙は篷窗(ほうそう)に横たわって 日 漸やく没す
瞥見大魚跳波間   瞥見(べっけん)す 大魚の波間に跳(おど)るを
太白当船明似月   太白 船に当って 明 月に似たり

遥か彼方に見えるのは、雲か山かはたまた中国の呉や越の国であろうか。空と水の間はボーとして、青い一筋の髪のように見える。万里を航海して、今日天草に泊る。夕もやが船の窓に立ち込めて、日没となった。突然、大魚が波間に跳ね上るのが見える。宵の明星が船の周りできらめいて、その明るい事はまるで月の様である。


広瀬旭荘「送僧寥然」
 近世で中国人に最も評価の高い詩人です。日本人の作った漢詩には「和習」といって、中国人から見て違和感のある用語、語法がどうしても混入しますが、彼の詩にはほとんど和習が無く、中国人の作った詩と区別が付かないといわれます。次に紹介する広瀬淡窓の十二歳下の弟で、九州から遊学の旅に出、備後の神辺で死の床に就いた菅茶山のもとに二ヶ月ほど滞在します。茶山は彼の天才を認め、彼との談話は深更にまで及び、病床の茶山は大層慰められたようです。二十一歳の青年旭荘と八十歳の老茶山の交歓でした。
 この詩は、後に豊後日田より備後へ帰る僧を送るに当たって、往時を回想した詩です。この詩には長い序があります。「丁亥の秋、余東遊して備後の菅茶翁の家に在り。将に西帰せんとするや、翁疾病す。余に謂いて曰く、吾病めり、必ずや起たざらん。子また東遊せば、黄葉山下の孤墳を指して、詩人菅茶山ここに在りと曰い、以って酒を澆ぎ、詩を賦さんか、吾また遺憾なき也と。因って涙数行下る。……」

黄葉山前黄葉秋   黄葉山前 黄葉の秋
師今歸處我曾遊   師 今歸る處 我曾て遊ぶ
傷心最是詩翁墓   傷心 最も是 詩翁の墓
復有人来澆酒不   復た人の来りて 酒を澆(そそ)ぐもの有りや不(なし)や

あの黄葉山の麓(茶山の墓がある)は今頃黄葉の盛りでしょう。御僧のこれから帰ろうとしている所は、私もかつて遊学した事があります。あの地を思いますと、一番心が痛みますのは、茶山先生の墓です。お参りをして、墓に酒を澆いであげるものが誰かいるでしょうか。


広瀬淡窓「桂林荘雑詠 示諸生」
 豊後日田の人。日田は天領で西国郡代が治める豊かな地でした。淡窓は商家の出ですが、当地に家塾「咸宜園」を開き、全国から遊学の士が参集し、門人四千人といわれました。日田は小京都の名に相応しくしっとりとした町で、いまも咸宜園の建物が残っています。
 この詩は寄宿生の生活を詠ったもので、大変有名で、今もよく詩吟で詠われます。

休道他郷多苦辛   道(い)うを休(や)めよ 他郷 苦辛多しと
同袍有友自相親   同袍(どうほう)友有り 自(おのずか)ら相親しむ
柴扉暁出霜如雪   柴扉 暁に出づれば 霜 雪の如し
君汲川流我拾薪   君は川流を汲め 我は薪を拾わん

同袍:同じどてらを共に着るような親友


良寛「毬子」
 良寛さんは書、和歌と共に詩も大変に愛されています。良寛は平仄や押韻、また和習などをあまり気にせずに、のびのびと詩を作りました。それだけに語句を選ぶのに自分の気持ちにぴったりしたものを自由に選ぶことが出来、私たちにも理解し易いのではないかと思います。その詩は飄々としてすがすがしく、五山の禅僧の詩がかえって俗に感じられます。彼が挙げた嫌いなもの「詩人の詩、書家の書、料理人の料理」。

袖裏繍毬直千金   袖裏(しゅり)の繍毬(しゅうきゅう) 直(あたい)千金
謂言好手無等匹   謂(おも)う 言(われ)は好手 等匹(とうひつ)無しと
箇中意旨若相問   箇中の意旨 若(も)し相(あい)問はば
一二三四五六七   一二三四五六七

袖に入れた刺繍の毬は何ものにも替えられん。内心思うのは、わしは毬つきの名人、かなうものは無いと。その極意は何かと云うとじゃな、それは一二三四五六七じゃよ。



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