2000年11月
十一月は、日本編の最後、明治期の詩です。明治期に活躍した文人、学者、政治家、軍人などは大抵、幕末に教育を受けていますから、曲がりなりにも漢詩が作れました。また、新聞の投稿欄には漢詩もあったとのことですから、まだまだ一般の人気もあったのでしょう。まず第一に、森鴎外と思ったのですが、ピッタリ来る詩が見当たらないのでパスします。鴎外は石見津和野に生まれ、六歳から藩校にて漢学を学び、全集などにも多数の詩が収録されています。


西郷隆盛「偶成」
 魏の曹操や毛沢東などは詩の方でもなかなかのものを残しています。英雄の持つロマンティックな性向が詩を作らせるのでしょうが、隆盛もそうした一人なのでしょうか。「詩は志に通ず」という言葉がありますが、西郷の詩が、文学として優れているかどうかは別として、「志」を明確に現している事は確かです。

幾歴辛酸志始堅   幾たびか辛酸を歴て 志始めて堅し
丈夫玉砕恥甎全   丈夫 玉砕するも 甎全(せんぜん)を恥づ
一家遺事人知否   一家の遺事 人知るや否(いな)や
不為児孫買美田   児孫の為に 美田を買わず

 甎全:かわらのようにつまらぬものとして、人生を全うする事
 遺事:子孫に残す家法


正岡子規「送夏目漱石之伊予」(夏目漱石の伊予に之くを送る)
 伊予松山藩士の家に生まれ、外祖父は藩校の教授であり、幼い時より祖父に従って漢学を学ぶ。この詩は明治二十九年正月、見合いのため、赴任先の松山中学(子規の母校でもある)から一時帰京していた夏目漱石が再び帰任する時に送った送別の詩。つまらん仕事は辞めて、春までには帰ってこいといっています。「狡児教化難し」などは、後の「坊ちゃん」を予見しているような一句ではありませんか。漱石のこの詩に対する礼状には「送別の辞拝誦、後聯尤も生に適切、乍粗末次韻却呈」とあって、偶数句の末字(寒瀾難残)を同じにして作った返答の詩(次韻)が付けられています。僻地…、狡児…の句によほどホロリとなったのでしょう。

去矣三千里   去(ゆ)けよ 三千里
送君生暮寒   君を送れば暮寒生ず
空中懸大岳   空中に大岳懸かり
海末起長瀾   海の末(はて)に長瀾(ちょうらん)起こる
僻地交遊少   僻地 交遊 少なく
狡児教化難   狡児 教化 難からん
清明期再会   清明に再会を期す
莫後晩花残   後(おく)る莫(な)かれ 晩花の残(そこ)なわるるに

 大岳:富士山、東海道線の景色
  長瀾:大波、松山までの瀬戸内航路の景色。ちょっと大袈裟か。
  清明:二十四節気の一つ。春分の次で四月初め。
  晩花:晩春の花  残:本来の意味は、破るとか、壊す。例:残酷、老残


夏目漱石「無題」
  漱石の漢詩文もなかなか大したものの様です。漱石は商家の生まれですが、幼少より漢学に親しみ、英文学を学ぶ前は二松学舎で漢学を修めています。また、晩年死の病床にあっては漢詩を作るのを日課にしていました。つまり、彼の教養の土台には漢学があり、その上に英文学があったのでしょう。最後の病床にあって作られた六十余句の漢詩は、多くが七言律詩ですが、抽象的、観念的、哲学的というような形容が当てはまるもので、今まで読んできた詩とは違っているように思います。強いて言えば「寒山詩」が似ていると思いますが、具体的なものを好む中国の思想、文学が苦手とした部分かもしれません。ここに紹介する詩は、死の二十日ほど前に作られたもので、彼の絶筆となったものです。

真蹤寂寞杳難尋   真蹤は寂寞として杳として尋ね難し
欲抱虚懐歩古今   虚懐を抱いて古今に歩まんと欲す
碧水碧山何有我   碧水 碧山 何ぞ我有らん
蓋天蓋地是無心   蓋天 蓋地 是れ無心
依稀暮色月離草   依稀たる暮色 月は草を離れ
錯落秋声風在林   錯落たる秋声 風は林に在り
眼耳双忘身亦失   眼耳双つながら忘れ 身も亦失う
空中独唱白頭吟   空中独り唱う白頭の吟

真蹤(しんしょう):真理の道
依稀:ぼんやりして、さだかでない。
錯落:いりみだれる。
白頭吟:漢代に作られた詩、いわゆる楽府のひとつ。

この詩を、解釈する力は私には有りません。雰囲気を感じてください。前半はいわゆる「則天去私」の心境を詠んだものでしょうか。ところが後半に入ると陰鬱な心象風景となります。特に、最後の二句などは、死の予感というか、鬼気迫るものがあります。


乃木希典「金州城下作」
 司馬遼太郎に言わせると、軍人としては失格であったが、詩人、教育者として優れていたそうです。確かに彼の詩は、戦争という凄惨な場面を詠みながら、すっきりときれいに出来上がっている気がします。金州城は大連の近くで、旅順攻略時の激戦地。長男もここで戦死した。

山川草木転荒涼   山川草木(さんせんそうもく) 転(うたた)荒涼
十里風腥新戦場    十里 風腥(なまぐ)さし 新戦場
征馬不前人不語   征馬 前(すす)まず 人語らず
金州城外立斜陽   金州城外 斜陽に立つ

転(うたた):ますます、いとど

十月中旬、長江三峡下りに行ってきました。その壮大な景色には息を呑みました。それで来月は三峡をテーマにしたいと思います。以後しばらく、ご当地シリーズで行こうかと思います。



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