2001年正月
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。さて、正月は前回に引き続き、長江を取り上げますが、三峡を除く上中流域がテーマです。成都から武漢あたりまでです。今回は長い詩が多くなりました。


杜甫「江村」
 この詩は、杜甫が成都へ辿り着いて、知人たちの援助で草堂を建て、長くは続きませんでしたが、安らかな生活を送ることが出来た時期です。詩の中にも悲哀の表現はなく、穏やかな生活が詠われています。苦難に満ちた杜甫の生涯にも、こんな安らかな時期があったことを知るとほっとしますね。

清江一曲抱村流  清江 一曲 村を抱いて流る
長夏江村事事幽  長夏 江村 事事幽(しずか)なり
自去自来梁上燕  自(おのず)から去り自から来たる 梁上の燕
相親相近水中鴎  相親しみ相近づく 水中の鴎(かもめ)
老妻畫紙為棊局  老妻は紙に画いて棊局を為(つく)り
稚子敲針作釣鈎  稚子は針を敲(たた)いて釣鈎を作る
但有故人供禄米  但 故人の禄米を供する有り
微躯此外更何求  微躯 此の外に 更に何をか求めん

長夏:夏の日永 棊局:碁盤 故人:古くからの友人



柳宗元「漁翁」
 柳宗元は以前「江雪」という詩を紹介しましたが、これはそれと並んで有名な詩です。この詩の場面である湘水は南方から洞庭湖に注ぐ長江の支流ですが、彼は上流にある永州の知事をしていました。この詩については、蘇軾が後ろの二句は不要だと言ったそうですが、確かにその方が余韻があっていいように思います。しかし、最後の一句も捨て難いですね。

漁翁夜傍西巌宿  漁翁 夜 西巌の傍に宿り
暁汲清湘然楚竹  暁に清湘を汲みて楚竹を然(た)く
煙銷日出不見人  煙銷(き)え 日出でて 人を見ず
欸乃一聲山水緑  欸乃(あいだい)一声 山水 緑なり
廻看天際下中流  天際を廻看して 中流を下れば
巌上無心雲相遂  巌上無心 雲 相遂う

煙:朝靄のこと  欸乃:舟歌とも、櫓のきしる音とも、掛け声ともいわれている。



崔(さいこう) 「黄鶴樓」
 現在の黄鶴楼は武漢市の長江を望む丘の上に5層の威容(コンクリート)を誇っていますが、昔は長江河畔にあって、客の送迎などに使われた酒楼でした。武漢三鎮の名の如く武漢は武昌、漢陽、漢口から成り、黄鶴楼は武昌にあって、対岸は漢陽の町です。前に李白がここで孟浩然を送った詩を紹介しましたが、李白は楼上に立って、崔コウの詩以上のものは出来ないと云って、黄鶴楼を詠んだ詩は作らなかったと言われています。
この詩の前半は、黄鶴楼にまつわる伝説「昔、長江の辺に小さな酒屋があり、毎晩、老人が酒を飲みに来ていたが、気の良い親父はただで飲ませてやっていた。ある晩、老人はミカンの汁で壁に鶴の絵を描き、手を打って歌を歌えば壁から鶴が出て踊ると言って去った。それが大評判になって親父は巨万の富を築いた。ある日、老人が再びやってきて、もういいだろうと黄色い鶴に乗って飛び去った。酒屋の親父はこれを記念して黄鶴楼を築いた」に基づいている。

昔人已乗黄鶴去  昔人 已に黄鶴に乗りて去り
此地空餘黄鶴樓  此の地 空しく余す 黄鶴楼
黄鶴一去不復返  黄鶴 一たび去って復た返らず
白雲千載空悠悠  白雲 千載 空しく悠悠
晴川歴歴漢陽樹  晴川 歴歴たり 漢陽の樹
芳草萋萋鸚鵡州  芳草 萋萋(せいせい)たり 鸚鵡州
日暮郷關何處是  日暮 郷関 何れの処か是なる
煙波江上使人愁  煙波 江上 人をして愁えしむ

昔、仙人は黄色い鶴に乗って去ってしまい、この地には黄鶴楼が残っているのみである。黄鶴は二度とは帰って来ず、空には白雲が千年の昔と変わらず悠々と浮かんでいる。長江は晴れわたり、対岸の漢陽の町の木々がはっきりと見え、中州の鸚鵡州には春草が生い茂っている。夕暮れに楼上より、故郷はどちらの方かと眺めると、川面に夕靄が立ち込め、憂愁の思いが湧き起こってくる。



蘇軾「念奴橋・赤壁懐古」
 前赤壁賦、後赤壁賦と合わせて、赤壁三詠と呼ばれる。古来、赤壁と言われるところはいくつかあったようで、蘇軾が詠った赤壁は武漢の下流にあって、現在は「文赤壁」と言われている。実際に戦があったのは武漢上流で今は「武赤壁」と呼ばれている。蘇軾もここが本当の赤壁かどうか自信無げで「人は云う」などと付けています。念奴橋は詞牌、歌う時のメロディー指定です。呉の若き武将、周瑜が主人公として詠われています。

大江東去        大江 東に去り
浪淘盡千古風流人物    浪は淘(あら)い尽くす 千古風流の人物
故壘西邊        故塁の西辺
人道是三国周郎赤壁    人は道(い)う 是れ三国周郎の赤壁と
亂石崩雲 驚濤拍岸    乱石は雲を崩し 驚涛は岸を拍つ
捲起千堆雪 江山如畫   捲き起こす千堆(せんたい)の雪 江山は画の如し
一時多少豪傑      一時 多少(いくばく)の豪傑ぞ

遥想公瑾當年      遥に想う 公瑾の当年
小喬初嫁了 雄姿英發   小喬初めて嫁し了り 雄姿英発せるを
羽扇綸巾談笑間     羽扇綸巾(うせんかんきん)談笑の間に
檣櫓灰飛煙滅      檣櫓(しょうろ)は灰と飛び煙と滅せり
故国神遊 多情應笑我   故国に神(こころ)を遊ばせ 多情 応に我を笑うべし
早生華髪        早くも華髪を生ぜしと
人間如夢        人間(じんかん)は夢の如し
一尊還酹江月      一尊 また江月に酹(らい)す


周郎・公瑾:いずれも周瑜のこと。ハンサムで美周郎と呼ばれた。
小喬:喬氏に美人の姉妹がおり、姉は国王孫策の、妹は周瑜の妻となった。新婚のように云っているが、実は結婚十年目で、周瑜三十四歳。
綸巾:綸子で作った頭巾。鎧兜ではなく、普段着を意味する。
酹:酒を注いで神を祀る。

長江は東へと去り、千年もの間、優れた人々を洗い尽してきた。古い砦の西の辺りこそ、あの三国時代の周瑜が曹操を破った赤壁だと人は云っている。乱立する岩は雲を崩し、逆巻く波は岸を叩き付け、無数の雪のように波を巻き上げる。本当に絵の様な景色だ。当時の豪傑たちは今どこに行ったのだろう。

思い起こせば、周瑜は年若く、小喬と結婚したばかりで、容姿才能とも優れていた。そして、戦支度もせず、扇子と頭巾姿で談笑している間に、敵の兵船は帆柱も櫓も火に包まれたのであった。昔の呉国に心を遊ばせて夢中になっている私を見て、人は笑うにちがいない、余りにも多感なため、早くも白髪頭となってしまったと。本当に人の世は夢だ。まずは、一樽の酒を江上の月に潅ぎ祀ろう。


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