2001年5月

 五月、ゴールデンウィークは小生のような遊び人にとっては最高の季節です。今年はあいにくと、親戚にこの連休のど真ん中に結婚式をやるというアホがおって、残念ですが大分行動が制限されます。
 さて今月のテーマですが、今までと少し目先を変えて社会派で行きたいと思います。小生、もともとは閑適詩(自然の中での生活の楽しみを歌ったような詩)が好きなのですが、民衆の苦しみや、戦の悲惨さを歌ったものにも心うつものがたくさんあります。これからは時々そういうものも紹介したいと思います。中国の長い歴史の中には、王朝の交替が何度もありました。その度に民衆は大変な困窮に陥れられました。それで、今回は「戦乱の中で」と題して。まずは杜甫の絶唱「春望」から。

杜甫「春望」

このテーマでの筆頭は先ずこれを措いてはないでしょう。杜甫は安禄山の乱を逃れて、家族とともに避難しますが、途中一人賊軍に捕らえられて長安に送り返されます。この詩は長安にあって、遠く離れた家族を思い、官軍の敗戦を嘆いて作ったものです。この時、杜甫46才でした。

國破山河在  国破れて 山河在り
城春草木深  城春にして 草木深し
感時花濺涙  時に感じては 花にも涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心  別を恨んでは 鳥にも心を驚かす
烽火連三月  烽火(ほうか) 三月に連なり
家書抵萬金  家書 万金に抵(あた)る
白頭掻更短  白頭 掻(か)けば更に短く
渾欲不勝簪  渾(すべ)て簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す

国は破れてしまったが、山河は何の変わりもない。長安城に春は訪れ、草木はまた生い茂る。
世の変遷に、花を見ても悲しみに涙が湧き、家族との別離の恨みに、鳥の声にも心が騒ぐ。
戦いの狼煙はもう三月も続き、家族からの便りはなにものにも換え難い。
白髪はますます短くなり、もうすぐ冠を留めるかんざしも挿せなくなりそうだ。


左緯「避賊書事」其の二

南宋の人ですが、経歴はあまりよく分かっていないようです。賊とは北宋末の金軍の侵略や、反乱軍のことのようです。ほんとに暗い話題ですが、ユーモアを含んだ詠いぶりですね。

妻児共一區  妻と児と 一区を共にす    妻子と一所にかたまって
日夜謹相守  日夜 謹しんで相守る     日夜、互いに目を離さないでいたが
遙驚白旗來  遥かに白旗の来るに驚き    遠くに賊の白旗が来るのに驚いて
不覺四散走  覚えず 四散して走れり    思わず 散り散りになって逃げた
汝死吾不知  汝死するも 吾は知らざらん  お前が死んでも わしには分からなかったろう
吾亡汝何咎  吾亡するも 汝に何の咎ある  わしが死んでも お前に罪があるはずがない
隔林聞哭聲  林を隔てて 哭声を聞く    林の向こうで 鳴声を聞きつけて
相見眞成偶  相見ること 真に偶を成せり  出会えたのは ほんとに偶然だった


高啓「送陳秀才歸沙上省墓」(陳秀才の沙上に帰り墓に省(もう)ずるを送る)

高啓は以前にも一度出てきましたが、元末明初の戦乱の中を生きた詩人です。号は青邱子。39才のとき、反乱事件に坐して腰斬の刑(腰をあの青龍刀でバッサリやるのでしょうか? 痛いでしょうね)に処せられます。その平明な詩風は日本でも大変愛唱され、森鴎外なども好んだようです。

滿衣血涙與塵埃  衣に満つるは血涙と塵埃
亂後還郷亦可哀  乱後に郷に還るは 亦た哀しむべし
風雨梨花寒食過  風雨 梨花 寒食過ぐ
幾家墳上子孫來  幾ばくの家の墳上に 子孫の來るあるや

衣服は血涙と塵埃にまみれている。戦乱の後、故郷へ帰るのもまた哀しいことである。
風雨と梨の花の中、寒食の時節は過ぎて行くが、どれだけの家の墓に子孫が参ることやら。

寒食:清明の二日前(四月初め)、この日は火を使って調理したものを食べない。また暴風雨がおこるとされる。梨の花盛りのころであり、墓参の時節でもある。


呉偉業「哭亡女 三首 其の一」

号は梅村。明末清初の人。若くから詩名高く、明朝で気鋭の官僚として頭角をあらわしたが、明の滅びるに及んで、心ならずも短期間であったが清に仕えた。中国では二朝に仕えることは最大の変節と見なされ、彼も一生涯このことを悔やむ。明の滅亡の歴史を哀しく詠いあげた詩によって有名です。

喪亂才生汝  喪乱 才(はじ)めて汝を生み
全家竄道邊  全家 道辺に竄(かく)る
畏啼思便棄  啼くを畏れては 便ち棄てんことを思い
得免意加憐  免るるを得ては 意 憐れみを加う
兒女閼餘劫  児女 余劫に閼(あっ)せられ
干戈逼小年  干戈 小年に逼(せま)る
興亡天下事  興亡は 天下の事
追感倍凄然  追感すれば 倍(ますま)す凄然(せいぜん)

戦乱のさなか、お前を生んだばかりのとき、家族全部、道端を逃げ隠れする状態だった。
泣き声で見つかるのを畏れて、棄てようとも考えたが、無事逃れると不憫に思うのだった。
無心の子供まで打ち続く災難に押しひしがれ、兵火は短い寿命にも迫ってきたのだ。
しかし、国の存亡こそもっと大事、明の滅亡をを思い返すと益々心が痛む。
(この詩の中では、娘はまだ死んではいませんが、後の詩への展開が予想されます)

閼:さえぎる。  餘劫:劫は災難。まだ残っている災難。  小年:虫けらのような短い命


Homepageへ戻る