2001年6月
6月は詩経をテーマにしました。詩経には春秋時代、黄河流域諸国の民謡(国風)や宮廷で歌われた歌謡(小雅・大雅・頌)が集められています。多くは四言詩で、何節かからなり、節ごとに少しづつ言葉が変わりながら続いていきます。ちょうど日本の民謡にも似ています。多分ユックリとしたメロディーで歌われたのでしょう。
詩経は、論語に「詩三百、一言を以って之を蔽えば、曰く思い邪(よこしま)無しと」と言われているように、当時の農民の素朴な思いが歌われているのですが、儒教の聖典(五経の一)とされたため、後の儒学者が教訓臭い解釈をいっぱいつけてしまいました。
春秋時代と云えば、我々が親しんでいる唐詩から、さらに千数百年以前ですので、使われている漢字の意味も大分違っていて理解するのがなかなか困難です。今回、私が種本にしたのは、海音寺潮五郎訳のものです。これは出来るだけ儒教臭を去って、訳されていますので現代の我々にとって大変親しみやすいものとなっています。
黄河流域の「詩経」に対して、長江流域の楚の国で生まれた古い歌謡を集めたものに「楚辞」があります。これは、内容的に詩経とは大分違っていて、黄河、長江流域の文化、思想の違いが大きいことを示しています。そちらも紹介したかったのですが、一つ一つの詩が長いのであきらめました。
桃夭 国風「周南」
この詩を書いた大額が千里阪急ホテルの結婚式場に掛かっています。場所柄にぴったりですね。
桃之夭夭 桃の夭々たる 日うらうら
灼灼其華 灼灼たり其の華 若木の桃に花咲く
之子干歸 この子 干(ここ)に歸(とつ)ぐ この子とつぐ
宜其室家 其の室家に宜しからん よき妻とならむ
桃之夭夭 桃の夭々たる 日うらうら
有蕢其實 蕢(ふん)たる有り其の実 若木の桃に実多し
之子干歸 この子 干(ここ)に歸(とつ)ぐ この子とつぐ
宜其家室 其の家室に宜しからん よき家をなさん
桃之夭夭 桃の夭々たる 日うらうら
其葉蓁蓁 其の葉蓁蓁(しんしん)たり 若木の桃に新緑深し
之子干歸 この子 干(ここ)に歸(とつ)ぐ この子とつぐ
宜其家人 其の家人に宜しからん 家よく治まらん
陟岵 国風「魏風」
陟彼岵兮 彼の岵(こ)に陟(のぼ)り 岵:「はげやま」「木の繁った山」の二説あり
瞻望父兮 父を瞻望(せんぼう)す
父曰嗟予子 父は曰(い)えり 嗟(ああ)予が子よ
行役夙夜無已 役に行けば 夙夜(しゅくや)已む無けん
上慎旃哉 上にありては 旃(これ)を慎めよ
猶來無止 來る猶(べ)し 止めらるる無かれ
陟彼屺兮 彼の屺(き)に陟(のぼ)り 屺:はげやま
瞻望母兮 母を瞻望(せんぼう)す
母曰嗟予季 母は曰(い)えり 嗟(ああ)予が季よ
行役夙夜無寐 役に行けば 夙夜寐(い)ぬる無けん
上慎旃哉 上にありては 旃(これ)を慎めよ
猶來無棄 來る猶(べ)し 棄てらるる無かれ
陟彼岡兮 彼の岡に陟(のぼ)り 岡:山の背
瞻望兄兮 兄を瞻望(せんぼう)す
兄曰嗟予弟 兄は曰(い)えり 嗟(ああ)予が弟よ
行役夙夜必偕 役に行けば 夙夜必ず偕(とも)にせよ
上慎旃哉 上にありては 旃(これ)を慎めよ
猶來無死 來る猶(べ)し 死する無かれ
かの青山にのぼり ふる里の方望み、父君を思ふ思ひ出します 国を出る時 父君がしみじみと申されたこと
戦さに行けば 夜も昼も 休む間もないことであろ
わしが願いはただひとつ 万事にそなたが気をつけて無事に帰って来てくれること 敵のとりこになどならぬこと (2,3番略)
鹿鳴之什 小雅
鹿鳴館の語源となった詩です。詩経は年号を始め、いろんなものに命名する時の原典となっています。福田赳夫の名前も詩経からとられています。ちなみに、私も長男の名前を詩経からとったのですが、どうも名前負けしたようです。
呦呦鹿鳴 呦呦(ユウユウ)と鹿鳴きて 呦呦と鹿鳴きて
食野之苹 野の苹(へい)を食む 友呼びて野の白よもぎ食む
我有嘉賓 我に嘉賓有り 我もまろうどを集えたり
鼓瑟吹笙 瑟を鼓し笙を吹き 瑟を鼓し笙を吹く
吹笙鼓簧 笙を吹き簧(こう)を鼓し 笙を吹き簧(ふえ)を鼓し
承筐是將 筐を承(ささ)げて是れ將(すす)む 引き出物満てる箱ささげて
人之好我 人の我を好(よ)みせば 人々に贈りなむ かくて言いなむ
示我周行 我に周行を示せよ まろうどよ 我を嘉したまはば
我に至道を教え給えかしと
(二番略)
呦呦鹿鳴 ユウユウと鹿鳴きて 略
食野之芩 野の芩(キン)を食む
我有嘉賓 我に嘉賓有り
鼓瑟鼓琴 瑟を鼓し琴を鼓す
鼓瑟鼓琴 瑟を鼓し琴を鼓し
和楽且湛 和楽し且つ湛(たの)しむ
我有旨酒 我に旨酒(ししゅ)有り
以燕楽嘉賓之心 以て嘉賓の心を燕楽せしめん
・:呦 鹿の鳴声
・:芩 蔓草の一種