2001年8月

 まず、最初にご報告したいことは、小生8月1日をもちまして現在の会社を退職いたしました。暫く浪人生活に入ります。今後ともよろしく。
 さて、8月は中唐の詩人、白居易と元槇(正しくはノギ偏)の友情をテーマにしたいと思います。二人の詩は後に蘇軾が元軽白俗と評したように、玄人好みではないのかもしれませんが、平易な詩風で我々には非常に分かりやすい詩です。二人は非常に仲が良く、お互いを思う詩や、贈答の詩が数多く残っています。白居易の方が8歳年上ですが、官職のレベルもよく似ています。この二人の詩から、中国の詩人の友情を見てゆきたいと思います。

白居易 「八月十五日夜禁中獨直對月憶元九」 
               「八月十五日夜禁中に独り直し、月対して元九を憶う」
 白居易は39歳の翰林学士としてときめいた地位にありましたが、この年元槇は湖北の江陵に流されました。この3,4句は和漢朗詠集の採られていて、昔から日本人に良く知られています。

銀臺金闕夕沈沈  銀台 金闕 夕べに沈沈
獨宿相思在翰林  独宿 相い思いて 翰林に在り
三五夜中新月色  三五夜中 新月の色
二千里外故人心  二千里外 故人の心
渚宮東面煙波冷  渚宮の東面 煙波冷かに
浴殿西頭鐘漏深  浴殿の西頭 鐘漏深し
猶恐清光不同見  猶お恐る 清光は同じく見ざるを
江陵卑湿足秋陰  江陵は卑湿にして 秋陰足(おお)し

金銀の楼門がうち沈んでみえるこの夕べ、君を思いながら皇帝の秘書室で一人宿直している。今宵は八月十五日、出たばかりの名月に対して、二千里外の旧友の君のことが偲ばれる。そちらの渚の宮殿の東には煙るような波が月光に冷たく光っているのだろう。こちらの浴殿の西では、時を告げる鐘、水時計の音が深々と聞こえてくる。それでも私は、清らかな月の光がここと同じようには見えないのではないかと心配する。江陵は低地で湿っぽく、秋は曇り日が多いのだから。


元槇 「聞楽天授江州司馬」  「楽天の江州司馬を授けられしを聞く」
 白居易44歳の時、越権の罪によって江州司馬に左遷されます。従って、前の詩から5年後のことです。

残燈無焔影憧憧  残燈 焔無く 影憧憧たり
此夕聞君謫九江  此夕 君が九江に謫されしを聞く
垂死病中驚坐起  垂死の病中 驚きて坐起すれば
暗風吹雨入寒窓  暗風 雨を吹いて 寒窓に入る

燃え尽きんとする灯火は炎をあげる力もなく、光はゆらゆらとまたたく。
この夕、君が江州に流されるという知らせを聞いた。
瀕死の病中ではあったが、驚いて起きあがると、
暗夜の風が雨を交えて、破れ窓から吹き入って来る。

 次の2首は白居易と元槇の唱和の詩です。52歳の白居易は杭州刺史(知事)、元槇が越州(紹興)観察使と任地は隣り合わせの土地でしたが、行き来は禁じられておりました。この期間に二人は多くの詩を遣り取りしておりますが、飛脚で送りあったのでしょう。
最初が白居易で、後のが元槇の詩ですが、二人とも逢うことができないのがつまらないといっています。
   注意していただきたいのは、1,2,4,6,8句に最後の字が同じであることです。七言律詩ではここは韻を踏む(同系統の発音の字を使う)ことになっています。白居易はこの詩では下平声「五歌」に属する字を使っていますが、元槇もそれに合わせています。このように韻を同じにすることを次韻(韻を次ぐ)といいます。韻を次ぐことは、発想に制約を加えることになり、文学的に質の高い詩を作ることは困難になるため、これを忌む人もいましたが、宋代以降、また日本でも流行しました。

昏昏老與病相和  昏昏として 老と病と相和(まじ)り
感物思君歎復歌  物に感じ君を思い 歎き復た歌う
聲早鶏先知夜短  声早く鶏は先に夜の短きを知り
色濃柳最占春多  色濃く柳は最も春の多きを占む
沙頭雨染斑斑草  沙頭 雨は染む 斑斑の草
水面風駆瑟瑟波  水面 風は駆る 瑟瑟の波
可道眼前光景悪  道(い)うべきか 眼前の光景悪しきと
其如難見故人何  其れ故人を見ることの難きを如何せん


雨香雲澹覺微和  雨香り 雲澹(あわ)く 微かなる和(なご)みを覺ゆ
誰送春聲入櫂歌  誰か春声を送りて 櫂歌(とうか)に入らしむ
萱近北堂穿土早  萱は北堂に近く 土を穿つこと早く
柳偏東面受風多  柳は東面に偏して 風を受くること多し
湖添水色消残雪  湖は水色を添えて 残雪を消し
江送潮頭湧漫波  江は潮頭を送りて 漫波を湧かす
同受新年不同賞  同じく新年を受けて 同じく賞せず
無由縮地欲如何  地を縮むるに由無く 如何にせんと欲す