2001年9月

先月は次韻の詩を紹介しましたが、9月も次韻の詩によって人と人との繋がりをみたいと思います。

1)蘇軾と蘇轍  蘇軾と4歳下の弟、蘇轍は生涯に渉って助け合った非常に仲の良い兄弟でした。蘇軾21歳の時、父、蘇洵と兄弟は四川省から都、開封へ進士受験のために出てきますが、黽池(べんち)(黽:正しくはサンズイがつく)という所を通過しています。その時、此の地に兄弟は特別な思い出となることがあったのでしょう。その後、蘇軾26歳の冬、地方官に任ぜられて西安の西にある鳳翔に赴きますが、その途中で黽池を通過します。弟、轍は都から50キロほど西にある鄭州の辺りまで送っていったのでしょう。轍の詩は、この別れの情景を述べて、後に鳳翔の兄に送ったものでしょう。
 兄弟は生涯同志として官界で活動し、新旧党の争いや洛蜀の党争にあたります。63歳で海南島へ流罪になったとき、やはり広東省へ流された轍と暫く同行しますが、これが最後の別れとなります。

蘇轍 「懷黽池寄子瞻兄」       黽池を懐いて子瞻兄に寄す     

相携話別鄭原上  相携えて 別れを話る 鄭原の上
共道長途怕雪泥  共に道(い)う 長途 雪泥を怕(おそ)ると
歸騎還尋大梁陌  帰騎 還た尋ねん 大梁の陌
行人已渡古淆西  行人 已に渡る 古淆の西
曾爲県吏民知否  曽て県吏たるも 民知るや否や
舊宿僧房壁共題  旧(も)と僧房に宿し 壁に共に題す
遙想獨遊佳味少  遥かに想う 独遊の佳味少なく
無言騅馬唯鳴嘶  無言の騅馬 唯だ鳴嘶するのみ

一緒に鄭州の辺りまで見送りに来たが、ここでお別れだ。これからの長い道のり、雪が心配だ。私は帰りに都の郊外を訪ねるが、その頃には兄さんはもう古淆の西の渡しを渡っているだろう。その辺りの役人だったといっても、実際には赴任しなかったのだから知る人はいないだろう。以前、黽池の宿坊で泊まって一緒に壁に詩を書いたね。あの時の旅はみんな一緒で楽しかったけれど、今度の兄さんの旅は独りぼっちで面白いことはなくて、葦毛の馬のいななきだけが旅の道連れだろうね。
(これは、私が勝手に意訳しましたので、勘違いがあるかもしれません。)

蘇軾 「和子由黽池懐舊」     子由の黽池懐旧に和す

人生至處知何似  人生 至る処 知んぬ 何にか似たるを
應似飛鴻踏雪泥  応に似るべし 飛鴻の雪泥を踏むに
泥上偶然留指爪  泥上 偶然 指爪を留めしも
鴻飛那復計東西  鴻飛んでは 那(なん)ぞ復た 東西を計らん
老僧已死成新塔  老僧は已に死して 新塔と成り
壊壁無由見舊題  壊壁には舊題を見るに由(よし)無し
往日崎嶇還記否  往日の崎嶇(きく) 還(なお)記するや否や
路長人困蹇驢嘶  路は長く 人は困じて 蹇驢(けんろ)嘶(いなな)けるを

人生のさすらいはいったい何に似ているのだろう。それは舞い降りた大鳥が雪解けの泥を踏むようなもの。泥の上にかりそめの爪痕を残すけれど、飛び去ってしまえば何処へ行ったやら。あの時逢った老僧はもう亡くなっていて石塔になっていたよ。壁は崩れて、一緒に書いた詩は見る由もなかった。あの時の旅の苦しかったことを覚えているかい? 長い道のり、苦しかったこと、それからあのびっこのロバの苦しげないななきを。

蘇軾の詩は泥、西、題、嘶と韻字を轍の詩と同じにしています。普通、七言律詩は一句目にも韻を踏むのですが、これはやや破格です。また、律詩では3,4と5、6句は対句出なければいけないのですが、軾の詩は3,4句がきれいな対句になっていません。これも破格で、かなり奔放に作っている感じがします。


2)菅茶山と頼山陽  茶山は山陽の父、春水の友人でした。茶山は若き山陽の才を認め、自分の塾の後継者にしようと山陽を迎えましたが、山陽は一年ほどでこんな田舎に一生過ごすのは堪らんと京都へ逃げ出します。このとき塾の壁に「山水凡、先生頑、弟子愚」と書き付けたと伝えられています。こんなこともあり、二人の関係は良好でない時期もありましたが、山陽は常に茶山に対して父の親友としての礼をとり、最後は親子に近い関係になります。
この詩は45歳の山陽が77歳の茶山を広島県神辺に訪ねて、数日の逗留の後、京都へ出発するときの別れの贈答詩です。これが二人の最後の対面となりました。12月のことで、茶山は駕籠で、山陽は歩行で近くの梅林まで行って別れたのでしょう。

菅茶山

出餞何邊酒共斟  出餞 何れの辺にか 酒共に斟(くま)ん
荒蹊携入早梅林  荒蹊 携え入る 早梅の林
暫停籃○渓橋下  暫く籃○(らんよ)を停む 渓橋の下
別思清香孰淺深  別思 清香 孰(いず)れか浅深

籃○:○はタケカンムリに擧 駕籠の意


頼山陽

送者停轎行者斟  送者は轎(かご)を停め 行者は斟(く)む
洗杯相屬潤流潯  杯を洗いて相い屬す 潤流の潯(きし)
平生唯愛梅花好  平生 唯だ愛す 梅花の好(よ)きを
今日清香別様深  今日 清香 別様に深し

 後年、山陽は当時の情景を「駕籠の窓を通して杯を遣り取りしたが、手がかじかんで杯を落としそうになった。それでも梅花を摘んで酒に浮かべた光景は今でもありありと浮かんでくる。出立して振り返ってみると、夕陽が沈んだ夕闇の中で杖にすがって見送ってくれている先生の姿があった。」と記しています。
 これも次韻の詩ですが、2句目が林→潯と変わっているため完璧ではありません。