2001年11月
 ウーン! だんだんネタが尽きてきたぞ。
			 以前、漢詩は男の友情を詠う詩であると言ったように思いますが、男女の愛情を詠う詩が無いわけではありません。いわゆる「竹枝」と呼ばれる詩です。
			 「竹枝」は四川省東部・巴蜀の民謡でしたが、此の地の長官として赴任した中唐の詩人、劉禹錫が自らも艶っぽい感情を「竹枝」として世に出したところ、多くの詩人が真似をして流行するようになりました。漢詩の形としては七言絶句そのものです。内容はちょっと日本の小唄端唄的な感じでしょうか。
			
			劉禹錫 「竹枝詞 其六」
				
				城西門前艷預堆  城西門前の艷預堆 (艷預:どちらにもサンズイが付く)
				年年波浪不能摧  年年 波浪 摧く能わず
				懊悩人心不如石  懊悩す 人心の石に如かざるを
				少時東去復西来  少時 東去 復た西来
			
			街の西の門前にある艷預堆、長江の波を浴びてもビクともしない。
			悔しいことに、人の心は石のようではない。波風に揺られて東、西。
			
			艷預堆:三峡の瞿塘峡入口、白帝城直下にあった岩。舟行の難所
			
			白居易 「竹枝詞 其二」
				
				竹枝苦怨怨何人  竹枝 苦(はなは)だ怨む 何人をか怨む
				夜静山空歇又聞  夜静かに山空しく 歇(や)み又聞こゆ
				蛮児巴女齊聲唱  蛮児 巴女 声を斉(ひと)しくして唱(うた)う
				愁殺江南病使君  愁殺す 江南の病使君
			
			竹枝の歌は強い愁いの調子を持っているが、いったい誰をそんなに怨むのか。
			夜が静かに深まり、山に人気がなくなる頃、途絶えては又聞こえる。
			此の地の男女が声をそろえて歌うと、その声は江南の病める長官(私)をひどく悲しませるのだ。
			
			袁宏道 「竹枝詞 其一」
			初めて出てきた詩人ですが、明末・万歴の詩人です。万歴帝という暴君の下で、宦官、佞臣が重用され、真面目な官僚にとっては大変な受難時代だったようです。
			
			龍州江口水如空  龍州の江口 水 空の如し
				龍州女児挾巨艟  龍州の女児 巨艟を挾(さしばさ)む
				奔濤溌面郎驚否  奔涛 面に溌(しぶ)きて 郎驚くや否や
				看我船欹八尺風  看よ 我が船は八尺の風に欹(かたむ)く
			
			長江中流の龍州の河口では、流れは空のように広々としている。そこを龍州の娘が大きな船を操って行く。逆巻く波しぶきが顔にかかって、あなた吃驚なさった?
			ご覧なさい。私の船は八尺もの帆に風を孕んで傾いていますのよ。
			
			柏木如亭 「吉原詞 其二」
				上の三つの詩から、民謡風のくだけた調子を読みとっていただけたでしょう。しかし、作者はいずれもれっきとした官僚ですから、あまり下世話になるわけにもいけません。ところが江戸期の日本へ来ると詩人は自由人が多くなりますからどんどんくだけてきます。
			如亭は江戸中末期に、漢詩を飯の種に諸国を放浪した詩人です。当時の地方文化は俳句や和歌同様漢詩でもこうした職業詩人を受け入れる下地があったのでしょう。
			吉原詞は彼が二十代後半、吉原に耽溺していた頃に作ったもので、三十首からなります。
			
			十載煙花誤了儂  十載の煙花 儂を誤了し
				鏡中漸減舊姿容  鏡中 漸く減ず 旧姿容
				暁窗酒醒歓情少  暁窓 酒醒めて 歓情少し
				自啓彫籠放小蛩  自ら彫籠を啓(ひら)きて 小蛩(しょうきょう)を放つ
			
			十年の遊女暮らしが、わちきの一生をだいなしにしてしまった。鏡の中で昔の器量が段々と落ちて行く。明け方、酔から醒めてもちっとも嬉しかない。所在ないまま綺麗な虫かごから、わちきと同じ身の上のコオロギを放してやる。