2002年2月
さて、2月は冬の味覚、河豚を題材にした詩を紹介したいと思います。
唐代においては詩の題材は高尚なものと決まっており、食い物のような下世話なものは士君子の話題とすべきものではなかったようです。しかし、宋にもなってきますと、身辺の即事を詠むようになり詩の題材も広がってきて、食べ物もよく取り上げられるようになりました。
梅堯臣 「范饒州坐中客語食河豚魚」
梅堯臣は宋初の詩人ですが、官吏としての地位は非常に低く、地方官として各地を転々とし、困窮の生活を送ります。しかし、詩人としての名声は生前から高く、当時の人から、杜甫以来の詩人と呼ばれるほどでした。
この河豚の詩は長いのですがご容赦を。この詩、28句から成りますが、詩を作り始めた者にとって感嘆するのは、一つの韻で通していることです。麻韻の字で普通に我々が使うのは40字ちょっとぐらいですが、ここではそのうち14字使っています。さすがに生涯を詩に打ち込んだ人と言う感じがします。
しかし、儒教の国の人らしく最期は教訓を垂れて締めていますね。
春洲生荻芽 春洲 荻芽を生じ 春の洲に芦の芽が吹き
春岸飛楊花 春岸 楊花飛ぶ 春の岸辺に柳のわたが飛ぶ
河豚当是時 河豚 是の時に当って この時こそ河豚が珍重され
貴不数魚蝦 貴ときこと 魚蝦に数えられず 魚蝦とはくらべものにならない
其状已可怪 其の状は 已に怪しむ可し その形は確かに奇怪で
其毒亦莫加 其の毒は 亦た加うるもの莫し その毒もこれに勝るものはない
忿腹若封豕 腹を忿らせては 封豕の若く 腹を膨らませると大豚の怪物ににて
怒目猶呉蛙 目を怒らせては 呉蛙の猶し 目を怒らせると呉の蛙にも似ている
庖煎苟失所 庖煎 苟くも所を失すれば 料理に少しでも誤りがあろうものなら
入喉為莫邪 喉に入って 莫邪と為る 莫邪の剣を飲み込んだようなもの
若此喪躯体 此くの若く 躯体を喪わば このようにその身を失うのであれば
何須資歯牙 何ぞ歯牙に資するを須いん 口に入れるべきではあるまい
持問南方人 持して南方の人に問うに 私の意見を南方の人に問うてみると
党護復矜誇 党護して 復 矜誇す 一同弁護するばかりか自慢をする
皆言美無度 皆言う 美なること度無しと 皆言う あんな美味いものはない
誰謂死如麻 誰か謂う 死すること麻の如しと 誰が言うんだ ばたばたと死ぬなんて
我語不能屈 我 語りて 屈すること能わず 私は語ったが説得することは出来ない
自思空突嗟 自から思うて 空しく突嗟す 思わず考え込んでため息をつく
退之来潮陽 退之の潮陽に来たるや 昔、韓愈が広東に流されたとき
始憚餐籠蛇 始め籠蛇を餐するを憚かれり 蛇料理にしりごみしたとのことだ
子厚居柳州 子厚は柳州に居りて 一方、柳宗元は柳州にいて
而甘食蝦蟇 而も甘じて蝦蟇を食せり 蝦蟇を旨い旨いと食ったのだ
二物雖可憎 二物 憎む可しと雖も この二つのものは気味が悪いが
性命無舛差 性命 舛差(せんさ)すること無し 命にかかわることはない
斯味曽不比 斯の味は曽ち比せず 河豚の味はこれらとは比べ物にならないが
中蔵禍無涯 中に蔵す 禍の涯り無きを そのうちに計り知れぬ禍を秘めている
甚美悪亦称 甚だ美なれば 悪も亦た称(かの)うと 美しすぎる物はまたそれに釣り合う悪ももっているというが
此言誠可嘉 此の言 誠に嘉す可し その言葉は本当にじっくりと味わうべきだ
莫邪:どちらにも金偏がついている
柏木如亭 「冬日食河豚河豚至冬日雪飛始肥江戸人時以為珍雑蘿葡而為羹味最美」 (冬日、河豚を食う。河豚は冬日雪飛ぶに至りて始めて肥ゆ。江戸の人、時に以為えらく珍なりと。蘿葡を雑えて羹に為さば、味最も美なり)
次は江戸の柏木如亭です。まず手放しの惚れ込みようですね。それにしても、中国一の美女、西施の乳房とは艶めかしいではありませんか。如亭によると、カキは太真(楊貴妃)乳と言うらしいですよ。
天下無双西子乳 天下無双 西子の乳
百銭買得入貧家 百銭 買い得て 貧家に入る
雪園蘿蔔自甘美 雪園の蘿蔔(らふく) 自ずから甘美
不待春洲生荻芽 待たず 春洲 荻芽を生ずるを
天下無双の、西施(子)の真っ白な乳房にも似たこの河豚の肉
貧しい我が家でも大金を出して買い入れた
一緒に煮るのは雪の畑で採れた旬の大根(蘿蔔)これだけでも旨いところだ
梅先生の詩によると中国では春が旬のようだが、日本では冬が一番。
引用文献
中国詩人選集二集3「梅堯臣」 筧文生 岩波書店
宋詩選 小川環樹 筑摩書房
日本漢詩人選集8「柏木如亭」 入谷仙介 研文出版