2002年3月

三月は −亡国の歌− 「玉樹後庭花」と、この歌のことを詠んだ後世の詩を紹介したいと思います。
 以前に亡国の君主、南唐の後主の詞を紹介しましたが(2000.2)、所は奇しくも同じ金陵(今の南京)が舞台です。時代は遡って南北朝時代の最後、ここは陳の都でした。陳の後主、陳淑宝は多芸多才、酒食に溺れて国事を顧みず、宮女や宮廷詩人と宴遊に耽っていました。彼は隋の脅威が迫っているにも拘わらず、金陵には「王気」が満ちているので大丈夫と言って防備を怠っていたので、隋軍が攻め込んできたときあっけなく陳は滅んでしまいます。
「玉樹後庭花」は彼の寵妃の容色をたたえたもので、後宮の美人千数百人に歌わせたものといわれます。この歌は後の世まで歌い継がれていたようで、唐代の詩人が金陵を懐古するときには亡国の悲しみの象徴として用いられています。

陳後主 「玉樹後庭花」

麗宇芳林対高閣  麗宇 芳林 高閣に対し
新妝艶質本傾城  新妝の艶質は本より城を傾く
映戸凝嬌乍不進  戸に映じ 嬌を凝らして 乍(たちま)ち進まず
出帷含態笑相迎  帷を出でて 態を含みて 笑って相迎う
妖姫臉似花含露  妖姫の臉(かお)は花の露を含むに似たり
玉樹流光照後庭  玉樹 流光 後庭を照らす

壮麗な宮殿、香しい林は高殿と向かい合っており、
化粧を終えたばかりの艶やかさはまことに傾城傾国という姿だ。
戸に映った影でしなをつくってみて、つと立ち止まり、
それから帷をでて媚びを含んで笑いながら出迎える。
仇っぽい女たちの顔は花が露を含んでいるのにも似て、
月の光は美しい木立を通して裏庭を照らしている。


劉禹錫 「金陵懐古」
 柳宗元、白楽天などと親しかった中唐の詩人。この詩や、「烏衣巷」など南京の昔を懐かしんだ詩が有名。

潮満冶城渚  潮は冶城の渚に満ち
日斜征虜亭  日は征虜亭に斜なり
蔡洲新草緑  蔡洲の新草は緑にして
幕府旧烟青  幕府の旧烟は青し
興廃由人事  興廃は人事に由り
山川空地形  山川は空しく地形
後庭花一曲  後庭花 一曲
幽怨不堪聴  幽怨 聴くに堪えず

冶城・征虜亭・蔡洲・幕府:それぞれ六朝時代の金陵の史実を思い起こさせる場所

許渾 「金陵懐古」
 次の杜牧と同時代の晩唐の詩人。

玉樹歌残王気終  玉樹の歌 残りて 王気終わる
景陽兵合戍楼空  景陽 兵合わせて 戍楼空し
松楸遠近千官家  松楸 遠近 千官の家(つか)
禾黍高低六代宮  禾黍 高低 六代の宮
石燕払雲晴亦雨  石燕 雲を払って 晴亦た雨
江豚吹浪夜還風  江豚 浪を吹いて 夜還た風
英雄一去豪華尽  英雄 一たび去って 豪華尽き
惟有青山似洛中  惟 青山の洛中に似たる有り

景陽:景陽宮 陳の宮殿
松楸:松と楸(ひさぎ)、墓地に植える木 
石燕:燕に似た石で、風雨に飛ぶと云われる
江豚:一種の海獣

杜牧 「泊秦淮」

煙籠寒水月籠沙  煙は寒水を籠め 月は沙を籠む
夜泊秦淮近酒家  夜 秦淮に泊して 酒家に近し
商女不知亡国恨  商女は知らず 亡国の恨
隔江猶唱後庭花  江を隔てて 猶 唱う 後庭花

夜霧が冷たい川の上に立ちこめ、月光が砂州を照らしている。今夜、秦淮に泊まっていると、近くの盛り場から、酒場の歌い女が亡国の恨みも知らずに川向こうで相変わらずに後庭花を歌っている。

秦淮:秦時、金陵に王気が満ちているといわれ、それを忌んだ始皇帝が王気を断つために造った運河

参考図書
中国名詩選 松枝茂夫編 岩波文庫
唐詩新選 陳舜臣 新潮文庫
中国名詩鑑賞6 杜牧 市野澤寅雄 小沢書店