2002年4月

 実は、一週間ほど前に次男が結婚致しました。おまけに、今年の夏には爺さんになる予定です。そんなわけで、四月はまず詩経「桃夭」を冒頭にして「我が子を詠む」をテーマにと思ったのですが、これは既に2001年6月に紹介しておりました。従って、この号の冒頭には詩経「桃夭」があるつもりで読んでいただければ幸いです。

陶淵明「責子」 (子を責む)
 陶淵明はもう何度か出てきたと思いますので紹介は抜きに致しますが、この詩、「子を責める」と題されていますが、ちっとも責めてはいませんね。「うちの子供達は勉強が出来へんなあ」と嘆くところは現代の父親そっくりですが、それを愛情とユーモアをたっぷりこめて詠っています。子供達を晩酌の肴にしている感じですね。

白髪被両鬢  白髪 両鬢を被い          白髪頭となり
肌膚不復実  肌膚 復た実(ゆたか)ならず    肌も皺だらけ
雖有五男児  五男児有りと雖も          男の子が五人もいるのに
総不好紙筆  総て紙筆を好まず          みんな勉強が嫌いだ
阿舒已二八  阿舒は已に二八なるに        長男の舒はもう十六だのに
懶惰故無匹  懶惰なること故(まこと)に匹無し  比べる者もいないほどの怠け者
阿宣行志学  阿宣は行(ゆくゆ)く志学なるも   次男の宣はやがて十五なのに
而不愛文術  而(しか)も文術を愛せず      文章学問の道が好きではない
雍端年十三  雍と端は年十三なるに        雍と端は十三だが
不識六與七  六と七を識らず           まだ六と七の区別がつかない
通子垂九齢  通子は九齢に垂(なんなん)とするも 末っ子の通はすぐ九歳なのに
但覓梨與栗  但だ梨と栗を覓(もと)むるのみ   梨や栗をねだるばかりだ
天運苟如此  天運 苟くも此の如くんば      しかしこれが私の運命ならば
且進杯中物  且(しばら)く杯中の物を進めん   諦めて酒でも飲むとするか


梅堯臣「秀叔頭蝨」 (秀叔の頭のシラミ)
 梅堯臣は先月も紹介しましたが、自ら「詩癡」と称したほど、作詩に凝りに凝ったようです。どうも、その一句一句に典拠があるようです。この詩など、典拠を知らずに読んでも面白いのですが、学のある人は思わずニヤリとする個所が多いのではないでしょうか。最後から3行目に梨と栗が出てきますが、これは前の陶淵明の「責子」からの引用ですね。
この人、虱や、ミミズ、ウジ虫など変わった題材を詩にしています。ちょっと異常感覚といったところでしょうか。
先月の河豚の詩もそうでしたが、最後に「身体髪膚、之を父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」を持ち出して儒者臭くしめているのが我々の好みとはちょっと合いませんね。

吾児久失恃  吾が児 久しく恃むところを失い
髪括仍少櫛  髪は括りて 仍お櫛けずること少なし
曽誰具湯沐  曽(すなわ)ち誰か湯沐を具えん
正爾多蟣蝨  正に爾(しか)く 蟣蝨(きしつ)多し
変黒居其元  黒に変じて其の元(かしら)に居る
壊絮宅非吉  壊(やぶ)れし絮(ぬの)は 宅(お)るに吉にあらず
蒸如蟻乱縁  蒸(おお)きこと蟻の乱れ縁(そ)うが如し
聚若蠶初出  聚(あつ)まること蚕の初めて出ずるが若し
鬢掻劇蓬葆  鬢掻けば蓬と葆(ほう)よりも劇(はなは)だし
何暇嗜梨栗  何ぞ梨と栗を嗜(ほうば)るに暇あらん
剪除誠未難  剪除するは誠に難からざれど
所悪累形質  悪(にく)む所は形質を累(そこな)うにあり

蟣:シラミの卵

吾が子が頼みとする母親を失って久しい。髪の毛は束ねたままで、櫛を入れることもない。まして風呂に入れてくれる人はいない。それでシラミが沢山湧くのだ。
黒く頭にくっついているのは、ボロボロの綿入れは住み心地がよくないからだ。
その多いことは蟻が這い回っている様。集まっている様は蚕が孵ったばかりの時みたいだ。
鬢を掻けばくしゃくしゃの状態。梨や栗を食べている暇などありはしない。
髪を切って駆除するのは簡単だが、髪という体に備わったものを損ねるのが嫌なのだ。


王安石「送和甫至龍安微雨因寄呉氏女子」
           (和甫を送りて龍安に至り微雨、因って呉氏の女子に寄す)
ご存じのように、王安石は北宋時代に新法を実施した革新的な政治家ですが、後世からはあまり評判がよろしくないようです。しかし、詩文は別でこちらは敵味方を問わず大いに尊敬を受けたようです。その政治手法から見ると一見非情の人のようにも見えますが、実は心優しい人だったようです。呉氏に嫁した長女に送った長編の詩「寄呉氏女子」には、実に細やかな愛情が詠われています。この詩も長女が嫁いでいった時の情景を思い出して詠ったものと思われます。

荒煙涼雨助人悲  荒煙 涼雨 人の悲しみを助け
涙染衣巾不自知  涙は衣巾を染めて自(み)ずから知らず
除却春風沙際緑  春風 沙際の緑を除却すれば
一如看汝過江時  一に汝の江を過りし時を看るが如し

うら寂しい霧雨がひとの悲しみをそそり、涙が着物やハンカチを染めていても自分では気がつかぬ。春風が生んだ川原の砂の辺りの緑を別にすれば、おまえが長江を渡って行ったときに見た景色そのままだ。

引用図書
陶淵明全集 松枝茂夫・和田武司訳注 岩波文庫
中国詩人選集「梅堯臣」 筧文生注 岩波書店
中国詩人選集「王安石」 清水茂注 岩波書店