2002年 9月
菅茶山はその生涯を広島県福山近くの神辺(山陽道の宿場)で送ります。歳とってからの茶山は病気がちでしたが、文政十年五月、八十歳で最後の病床につき、八月十三日に没しました。胃癌か食道癌だったようです。末期癌で苦しくないはずはないのですが、頭脳は最後までしっかりとしていたようで、実に澄み切った心境で死を迎えていることが、以下の詩で窺われます。或いは今のように延命治療などなかったこともよかったのでしょうか。私もこんな穏やかな死を迎えたいものだとつくづく思います。
読旧詩巻 旧詩巻を読む
これは、最後の病床についた夏、昔を思い出して作った詩です。
老来歓娯少 老来 歓娯少なく
歳とってからは楽しみは少なくなり
長日消得難 長日 消し得ること難し 夏の日長をもてあます
偶憶強壮日 偶たま強壮の日を憶い 偶々 元気だった若い時を思い出し
時把旧詩看 時に旧詩を把りて看る 時には昔の詩を取って読み返す
大耋心慌惚 大耋(だいてつ) 心慌惚たるも 八十にもなって心はボヤッとしているが
亦可想当年 亦た当年を想う可し それでもまだ当時のことを思い出せる
欣戚如再経 欣戚 再び経るが如く 喜びや悲しみを再び経験するようで
病懐稍且寛 病懐 稍や且く寛なり 病中の苦しみが少しやわらぐ気がする
酔花墨川堤 花に酔う 墨川の堤 江戸の隅田川での花見(1)
吟月椋湖船 月に吟ず 椋湖の船 伏見の巨椋池での月見(2)
叉手温生捷 手を叉す温生の捷 腕組みをするたびに詩が出来る温庭インの速さ(3)
露頂張旭顛 頂を露わす張旭の顛 冠を脱いで頭髪で書を書いた張旭の奇抜(4)
此等常在胸 此等 常に胸に在り こんな事はいつも胸に焼き付いており
其状更宛然 其の状 更に宛然 その様子は今でも当時の儘に思い出す
瑣事委遺忘 瑣事 遺忘に委すも 小さいことは忘れてしまったようでいても
忽亦現目前 忽ち亦た目前に現わる ふとまた目の前に浮かび出る
或遇不平境 或は不平の境に遇うも 或いは面白くなかった事も思い出すが
往時夢一痕 往時 夢一痕 そんなことは微かな夢のひとかけらにすぎない
吾詩従人笑 吾が詩は人の笑うに従(まか)し 私の詩が人の笑いを受けるとしても
不必費補刪 必ずしも補刪を費やさず 今更修正を加えようとは思わない
自吟又自賞 自ら吟じ 又自ら賞す ただ自ら吟じ、自ら鑑賞するだけであり
楽意在其間 楽意は其間に在り その中に私の楽しみがあるのだ
1) 57歳の春、伊沢蘭軒(森鴎外の小説の主人公)らと隅田川で花見をした。 2)47歳の時、蠣崎波響、六如らと行った。 3)若い頃の詩友、大阪の葛子琴を思い出している。 4)倉成善卿を張旭になぞらえている。
病中即事 二首
これは死の数日前に作られたものと思われます。
月露秋容嫩 月露 秋容嫩(わか)く 夜露が月にきらめいて秋の景色はやわらかに
風軒暮色敷 風軒 暮色敷く 風の通る軒端には夕暮れの色が漂う
少間離病蓐 少間 病蓐を離れ 少しの間 病の床をはなれ
俄頃隠書梧 俄頃 書梧に隠(よ)る 暫く文机によりかかる
幽澗泉声小 幽澗 泉声小に 静かな谷川では微かな水音
遙村火影孤 遙村 火影孤なり 遙か向こうの村では灯火がポツン
従茲経幾日 茲(これ)従り幾日を経ん あと幾日の命かと思うと
転惜此宵徂 転た惜しむ此の宵の徂くを この宵の更けゆくのがいよいよ愛おしい
樹上雷声過 樹上 雷声過ぎ 木々の上を雷が過ぎ
蕉陰暑気収 蕉陰 暑気収まる 芭蕉の葉陰では暑さが収まった
差忻人意息 差(や)や忻ぶ 人意の息むを この雨で人々の心が安らぐのをやや嬉しく思うが
寧望我痾瘳 寧ぞ望まん 我が痾の瘳ゆるを さりとて私のやまいがよくなることを望んだりはしない
残滴鳴秋竹 残滴 秋竹に鳴り 雨のあとの滴が秋の竹林に鳴り
余清湧暮流 余清 暮流に湧く 雨後のすがすがしさが夕暮れの流れにわき上がる
均霑及私処 均霑 私に及ぶ処 天の恵みの雨が公田に降り注いだ後、私田にまで及んで
禾黍正油油 禾黍 正に油油(ゆうゆう) 稲や黍がいまや元気よくのびている
参考図書
江戸詩人選集 第四巻 「菅茶山 六如」 黒川洋一注 岩波書店
菅茶山 富士川英郎著 福武書店