2003年 1月
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。浅学のため、だんだん話題に困るようになり、いつまで続けられるかわかりませんが、今暫くは頑張ってみたいと思います。
さて、今月は少々お宅っぽいテーマですが、龔自珍(きょうじちん)の「己亥雑詩」を取り上げてみました。
唐代に完成した近体詩(律詩、絶句)を中心とする詩の伝統は清の滅亡と共に衰退してしまいます。近体詩の基礎である音韻上の規則(平水韻、平仄)はもはや発音の変化によって、現代の発音とは大きく異なっている以上、これらの詩型が再び隆盛の時を迎えることはないのでしょう。
清代末期、旧詩の流れの掉尾を飾る詩人として龔自珍が現れます。杭州の名家に生まれた自珍は幼いときから鋭い文学感覚を持ち将来を嘱望されます。しかし、詩人としての名声は別として、その官途は芳しくなく48才で官を辞し故郷に隠棲します。その帰郷の旅と家族を迎えに再び北京へ旅した間に書かれた詩が「己亥雑詩」315首です。その内容は没落する王朝のなかでどのように感じ、どのように生きてきたかを沈鬱な表現で詠いあげています。その後、50才で急死しますので、これが彼の生涯の集大成ともいえる作品となります。
自珍は、古い文学の終わりであるとともに、また近代中国文学の夜明けへと繋がる重要な詩人として後世の文学者に大きな影響を与えました。
其二
浩蕩離愁白日斜 浩蕩たる離愁 白日斜なり
吟鞭東指即天涯 吟鞭 東を指せば 即ち天涯
落紅不是無情物 落紅 是れ無情の物ならず
化作春泥更護花 化して春泥と作りて 更に花を護る
大きく広がってくる別離の愁い 太陽は西に傾く
詩人の鞭の指す東の方は天涯への旅路
散り行く紅い花(詩人自身を重ねている?)も無情のものではない。
やがて春の泥と化して、花を護り育てるのだ。
其九十六
少年撃剣更吹簫 少年 剣を撃ち 更に簫を吹く
剣気簫心一例消 剣気 簫心 一例に消ゆ
誰分蒼涼帰櫂後 誰か分とせん 蒼涼 帰櫂の後
万千哀楽集今朝 万千の哀楽 今朝に集まるを
少年の頃は、剣を使いまた笛を吹いていたのだが、今はそんな気も一様に消え失せた。
誰が思ったであろうか。侘びしい帰郷の後、幾多の哀楽が今朝この身に集中してこようとは。
其百二十五
九州生気恃風雷 九州の生気 風雷に恃(たの)む
万馬斉瘖究可哀 万馬斉しく瘖(もだ)す 究(つい)に哀しむ可し
我薦天公重抖擻 我は薦む 天公 重ねて抖擻(とうそう)し
不拘一格降人材 一格に拘せず 人材を降さんことを
過鎮江、見賽玉皇及風神雷神者。祈祠万数。道士、乞撰青詞。
鎮江を過ぐるに、玉皇及び風神雷神に賽する者を見る。祈り祠るもの万もて数う。道士、青詞を撰せんことを乞う。
この国の活力が頼みとするのは風と雷。全ての馬(国民)が唖者のように黙ってしまっているのは本当に悲しいことだ。
お天道様に勧めたい。もう一度奮起して、型破りの人材をお降し下さるようにと。
(これは自珍の紹介には必ず引用される詩で、毛沢東が感激したと言われている。)
其三百七
従此青山共鹿車 此れより 青山 鹿車を共にす
断無隻夢堕天涯 断じて隻夢の天涯に堕つること無からん
黄梅淡冶山礬靚 黄梅 淡冶 山礬(さんばん)靚(うるわ)し
猶及双清好到家 猶お双つながら清きに及びて 好し家に到らん
今からは青く繁る故郷の山を妻と二人、小車を引いてゆこう。もう決して、独り身の夢で天の果てに落ちることはない。
蝋梅はうっすらと艶めいていて、山礬(沈丁花)も美しい。この二つが色褪せぬうちに、さあ故郷へと急ごう。
其三百十五
吟罷江山気不霊 吟じ罷(おわ)りて 江山 気霊ならず
万千種話一燈青 万千種の話 一燈青し
忽然閣筆無言説 忽然 筆を閣(お)きて 言説無し
重礼天台七巻経 重(あらた)めて礼す 天台七巻の経
こうして己亥雑詩を詠み終えたが、江山は霊気を失ったままだ。語りたい種々のことも、今は灯火と共に尽きようとしている。
はたと筆を置いて言葉もなく、あらためておし戴くのは七巻の法華経。
参考図書
中国詩人選集二集 「龔自珍」 田中謙二注 岩波書店