2003年 3月

 今月は、春に次々と開く樹の花、梅、杏、桃、桜を取り上げてみました。

林逋 「山園小梅」
 盛りは少し過ぎたようですが、まず梅から。梅と云えば、第一にあげるのがこの詩でしょう。林逋は北宋初めの人で杭州は西湖の孤山に隠棲して、梅花をこよなく愛し、梅を妻とし鶴を子として生涯独身で過ごした。死後、和靖先生とおくりなされた。
 梅の詩は古来数多くあるのでしょうが、この詩が出て以来なんか霞んでしまったようです。これ以後、「横斜」といえば梅の枝ぶり、「暗香」は梅の香を意味するようになります。それにしても、詩の中に「梅」の字が入っていないのもおもしろいですね。

衆芳揺落独嬋妍  衆芳 揺落して 独り嬋妍たり
占断風情向小園  風情を占断して 小園に向う
疎影横斜水清浅  疎影 横斜して 水は清浅
暗香浮動月黄昏  暗香 浮動して 月は黄昏
霜禽欲下先偸眼  霜禽 下らんと欲して 先ず眼を偸(はし)らせ
粉蝶如知合断魂  粉蝶 如し知らば 合(まさ)に魂を断つべし
幸有微吟可相狎  幸いに 微吟の相い狎る可き有り
不須檀板与金尊  須いず 檀板と金尊とを

花々が散ったのち、ただ独りのあでやかに咲いている。この小さな庭の風情をこの花だけが占めている。
疎らな枝が清らかで浅い流れの上に横や斜めに影を投げかけている。月の光のあわいたそがれ、ほのかな香りが漂い揺れ動いている。
冬鳥が降り立とうとして、そっと花に目をやる。もし白い蝶がこの花に出会ったならば、魂も消える思いだろう。
私の低い歌声がちょうど似合いの相手だろう。しかし、カスタネットの伴奏や金の酒器などは無用のこと。



白居易 「遊趙村杏花」 趙村の杏花に遊ぶ
 日本で普通に見る杏の花は、少し緑がかった白い花だと思いますが、中国ではピンクがかった白い花のようです。この詩の舞台である趙村は洛陽の近くで杏の名所だったようです。白居易は75歳で没しますから、この詩はその2年前に作られたことになります。

趙村紅杏毎年開  趙村の紅杏 毎年開く
十五年来看幾廻  十五年来 看ること幾廻ぞ
七十三人難再到  七十三の人 再びは到り難し
今春来是別花来  今春 来るは是れ 花に別れんとして来る


来鵠 「惜花」
 唐代の詩人。

東風漸急夕陽斜  東風 漸く急にして 夕陽斜めなり
一樹夭桃数日花  一樹の夭桃 数日の花
為惜紅芳今夜裏  為に惜む 紅芳 今夜の裏(うち)
不知和月落誰家  知らず 月と和(とも)に誰が家にか落つる


春風がだんだん強くなり、夕陽が斜めにさすなか、一もとの若々しい桃の木が数日来花を咲かせている。
惜しいことに、この紅の花びらも今夜のうちに月の光と共に誰の家に散り落ちるのだろうか。


頼杏坪 「遊芳野」
 「桜」という漢字がある以上、中国にも花はあり詩も歌われているのでしょうが、あまり有名なのはないようです。そこで日本人の詩ということになりますが、よく知られているものといえば、「吉野三絶」でしょう。そのうち藤井竹外のものは2000年4月に紹介しております。それと今回の頼杏坪のものと、もう一つは河野鉄兜の「芳野」です。どの詩も桜と南朝の悲劇を詠ったものですが、吉野といえば詩想がこの二つのテーマにとらわれてしまうのもまたやむを得ないのかもしれません。
 頼杏坪は広島藩の儒者で、頼山陽の叔父にあたります。この詩は、山陽と一緒に花の吉野に遊んだときに作られたものです。

万人買酔攪芳叢  万人 酔を買いて 芳叢を攪(みだ)す
感慨誰能与我同  感慨 誰か能く我と同じからん
恨殺残紅飛向北  恨殺す 残紅の飛んで北に向うを
延元陵上落花風  延元陵上 落花の風

多くの人々が花見酒に酔って、花の下の草むらをかき乱している。その中で誰か私と同じ思いを抱いている人がいるであろうか。
ここ後醍醐帝の陵の辺りには落花の風が吹いて、花びらを北の都の方へと吹き送っているが、帝の心が現れているようでまことに悲しい気持がする。

参考図書
 宋詩選 小川環樹 筑摩書房
 中国詩人選集「白居易下」 高木正一注 岩波書店
 漢詩歳時記 夏 角川書店 
 漢詩名句辞典 蒲田正・米山寅太郎著 大修館書店

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