2003年 4月
今月は「春日郊行」を話題に取り上げてみたいと思います。私はこんなHPを作っているように郊行大好きで、春、暖かくなるまえからむずむずとしだして、山ももう残雪期に入っただろうと、3月初旬北陸の山に出かけてみましたが、山はまだまだ冬で大雪にあい、すごすごと退却してきました。
さて、「踏青」という言葉があります。中国で、古くから春になって青草が萌え出てくるようになって、郊外へピクニックに出かけることです。白川静先生流に考えると、元々の起源はきっと神祭りから始まったのでしょうが、後の世には庶民の春の楽しみとなっています。時期も初春、旧暦3月3日頃と各地によって異なったようです。日本でもこの語は俳句の季語になっていて「踏青」とか「青き踏む」などと使われているようです。
青き踏む左右の手左右の子にあたえへ 加藤楸邨
蘇軾 「和子由踏青」 (子由の踏青に和す)
少々長くて恐縮ですが、弟、蘇轍(子由)の「歳首の郷俗を記して子瞻に寄す 二首」のなかの踏青に和したものです。蘇軾一流のユーモアあふれる詠いぶりで、故郷の春を懐かしむ様子がよく窺えますね。蘇一族の故郷、蜀(四川省)の成都の近くでは旧暦一月八日に行われたとのことですが、北の地方ではもっと暖かくならないと外に出る気にもならないでしょう。
春風陌上驚微塵 春風 陌上 微塵を驚し
遊人初楽歳華新 遊人 初めて歳華の新たなるを楽しむ
人閑正好路傍飲 人は閑にして 正に路傍の飲に好しく
麦短未怕遊車輪 麦は短かくして 未だ遊車の輪を怕れず
城中居人厭城郭 城中の居人 城郭を厭い
喧闐暁出空四隣 喧闐(けんてん)として暁に出でて 四隣空し
歌鼓驚山草木動 歌鼓 山を驚かして 草木動き
箪瓢散野烏鳶馴 箪瓢 野に散じて 烏鳶馴る
何人聚衆称道人 何人ぞ 衆を聚めて 道人と称し
遮道売符色怒瞋 道を遮ぎり 符を売りて 色 怒瞋す
宜蚕使汝繭如瓶 蚕に宜しきは 汝の繭をして瓶の如くならしめ
宜畜使汝羊如麕 畜に宜しきは 汝の羊をして麕の如くならしむと
路人未必信此語 路人 未だ必ずしも此語を信ぜざるも
強為買服禳新春 強いて買服を為して 新春を禳(はら)う
道人得銭径沽酒 道人 銭を得て 径に酒を沽(か)い
酔倒自謂吾符神 酔倒して 自ら謂う 吾が符 神なりと
春風が吹き渡って、少し土ぼこりを揚げ、行楽の人々は初めて新春の風光を楽しむ。
人々はまだ仕事もひまで、道端で一杯やるのに丁度よく、麦もまだ短くて野遊びの車に敷かれても苦にならぬ。
町の人々は城郭の中の暮らしに飽きいて、馬車の音も賑やかに夜明けから出かけて隣近所は空っぽ。
歌や太鼓が山に響き渡って草木が揺れるほど、弁当の残りが野に散らばって鴉や鳶が平気で群がってくる。
誰だろうか、人々を集めて自ら道人と名乗って、道に立ちはだかってお札を売っている。その形相の凄いこと。
「蚕にいいぞ。お前の繭を瓶のように大きくするぞ。家畜によく効くぞ。お前の羊をノロジカの様に大きくするぞ。」
道行く人は必ずしもその口上を信じているわけではないが、新春の縁起物と買ってゆく。
道人は銭を手に入れると道端の酒屋で酒を買い、すっかり酔っぱらって独り言。「俺様のお札は霊験あらたかさ。」
陸游 「遊山西村」
莫笑農家臘酒渾 笑う莫れ 農家の臘酒渾(にご)れるを
豊年留客足鶏豚 豊年 客を留めて 鶏豚足る
山重水複疑無路 山重 水複 路無きかと疑えば
柳暗花明又一村 柳暗 花明 又一村
簫鼓追随春社近 簫鼓追随して 春社近く
衣冠簡朴古風存 衣冠簡朴にして 古風存す
従今若許閑乗月 今より 若(も)し 閑に月に乗ずるを許さば
拄杖無時夜叩門 杖を拄(つき)て 時と無く 夜 門を叩かん
農家の冬仕込みの酒が濁っているからと入って笑うことはない、去年は豊作だったからお客を迎えるのには鶏も豚も十分にある。
重なった山、曲がりくねった川、道は行き止まりかと思うと、柳が繁り、明るく咲いた花の村里に出る。
笛や太鼓の音がついてくるのは、春の祭りが近いのだ。衣服や帽子が簡素で、昔風だ。
これからももし月に浮かれてやってきてもいいのでしたら、杖をついて気の向くままに夜中にも門を叩きますよ。
高啓 「尋胡隠君」
渡水復渡水 水を渡り 復た水を渡る
看花還看花 花を看 還た花を看る
春風江上路 春風 江上の路
不覚到君家 覚えず 君が家に到る
参考図書
蘇東坡詩選 小川環樹・山本和義選訳 岩波文庫
中国名詩選 松枝茂夫選 岩波文庫