2003年 6月
今月のテーマは「旅愁」としてみました。通常、我々が持っているこの言葉に対するイメージは一人旅のそこはかとない寂しさだと思いますが、昔の人の「旅の愁い」はもっと強い感情だったのではないでしょうか。
一般の庶民の多くは自分の村から出ることなく一生を過ごしたような時代に、詩を遺した知識人たちは官僚となるため遠い都へ出たり、或いは地方官僚として赴任の旅を行ったのでしょう。それは数ヶ月から一年もかかる旅だったでしょうから、我々の物見遊山とは全く違う性格の行為だったと考えられます。勿論希望に燃えた楽しい旅もあったことでしょうが、愛する家族と別れ別れになって行く失意の旅も多かったことでしょう。今なら、さしずめ電話も通じないアフリカの奥地へ単身赴任させられるようなものでしょう。
ことわざに「旅は憂いもの辛いもの」といいますが、まさにこれだったのでしょう。
今月、紹介する詩がこのテーマにピッタリにものばかりかどうかちょっと怪しいのですが、ご容赦を。
孟浩然 「宿建徳江」 建徳江に宿る
自然吟詠の代表的詩人。生涯、官には就かなかったが、王維などと親しく交わった。春暁「春眠不覚暁 ・・・」はあまりにも有名。
移舟泊烟渚 舟を移して烟渚に泊す 舟を移して、川霧の立ちこめる渚に宿れば
日暮客愁新 日暮 客愁新たなり 日は暮れて、旅の愁いが湧き起こる。
野曠天低樹 野は曠くして 天 樹に低(た)れ 野は広々として、空は木々の上に垂れ、
江清月近人 江は清くして 月 人に近し 江水は澄んで、月は手を伸ばせば届かんばかりだ。
杜甫 「旅夜書懐」 旅夜、懐を書す
杜甫は三年間、四川の成都において穏やかな生活を送っていたが(2001年一月参照)、それもかなわなくなり長江を下って再び放浪の旅にでます。この詩は、長江の岸に停泊したときのものです。
細草微風岸 細草 微風の岸 そよ風が細やかな草を撫でる岸辺
危檣獨夜舟 危檣 独夜の舟 帆柱を高く上げた舟での独り寝の夜
星垂平野闊 星垂れて平野闊(ひろ)く 星は広々とした平野に低く垂れ
月湧大江流 月湧いて大江流る 月は大江の流れに湧き出るように映える
名豈文章著 名は豈文章もて著われんや 文章をもって我が名を挙げることが出来ようか
官因老病休 官は老病に因りて休む 老いと病の身によって宮仕えも辞めてしまった
飄飄何処似 飄飄 何の似たる処ぞ この漂泊の身を何にたとえよう
天地一沙鴎 天地 一沙鴎 天地の間に彷徨う一羽の鴎
陸游 「臨安春雨初霽」 臨安に春雨初めて霽(は)る
陸游62才の春、地方の副知事に任命されて天子に拝謁のため上京したが、これは彼の意に添うものではなく失意の中、都をあとにする。この詩、3,4句の対句(頷聯)が宋代の代表的対句として非常に有名なものです。
世味年来薄似紗 世味 年来 薄きこと紗に似たり
誰令騎馬客京華 誰か馬に騎りて京華に客たらしむ
小楼一夜聴春雨 小楼 一夜 春雨を聴き
深巷明朝売杏花 深巷 明朝 杏花を売る
矮紙斜行閑作草 矮紙 斜行 閑に草を作り
晴窓細乳戯分茶 晴窓 細乳 戯れに茶を分つ
素衣莫起風塵歎 素衣 起す莫れ 風塵の歎
猶及清明可到家 猶お 清明に及んで 家に到る可し
世間への興味は近頃薄絹のように淡泊になってきたのに、誰が私を馬に乗らせて都で旅暮らしをさせたのだろう。
一夜、この小楼で春雨に耳を傾けている。明朝は奥まった路地に杏の花売りの声が聞こえるだろう。
小さな紙に閑に任せて不揃いに草書を書いたり、明るい窓辺で戯れに細かい泡を立たせて茶を点ててみたりする。
白い衣が都の風に舞う塵で汚れると嘆くことはない。清明節にはもう故郷の我が家に帰っていることだろう。
高啓 「夢帰 二首 其の一」 夢に帰る 二首 其の一
何事頻頻夢裏帰 何事ぞ 頻頻として夢裏に帰る
只縁未慣客天涯 只だ 未だ天涯に客たるに慣れざるに縁る
覺来不見家人面 覚め来れば家人の面を見ず
恰似前朝始別時 恰も前朝始めて別れし時に似たり
どうしてだろう。 こう屡々夢の中で家に帰るのは。それは、この空の果ての旅暮らしに馴れていないためだ。
目が覚めると、家人の顔が見られない。ちょうど先日はじめて別れてきたときと同じだ。
参考図書
唐詩三百首 目加田誠訳注 東洋文庫 平凡社
陸游 一海知義注 中国詩人選集二集 岩波書店
高啓 入谷仙介注 中国詩人選集二集 岩波書店