2003年 8月
今月は、朱子、王陽明という儒教の二大思想家の詩を取り上げました。実は今回勉強するまで二人の詩についてはほとんど知りませんでした。朱子に関しては、例の「少年老い易く学成り難し、・・・・」の詩があまり好きではなく(耳が痛いせいもありますが)、そのせいもあって見てみようともしていませんでした。ところがどうも驚いたことに、この詩は朱子のものではないようです。後世の人の偽作らしい。
朱子は南宋、王陽明は明代と時代は異なりますが、節を曲げず、官僚、思想家としての至誠の生涯はまことに見事なものです。二人とも、思想家らしく理知的な詩風のようですが、堂々としたものと感じました。
朱熹 「酔下祝融峯作」 (酔うて祝融峯を下るの作)
我来萬里駕長風 我来ること 万里 長風に駕す
絶壑層雲許盪胸 絶壑 層雲 許(か)くも胸を盪(ゆる)がす
濁酒三盃豪気發 濁酒三盃 豪気発し
朗吟飛下祝融峯 朗吟 飛びて下る 祝融の峯
祝融峯:衡山の最高峰
私は吹く風に乗って、はるばる万里の彼方のこの衡山にやってきたが、
深い谷と重なる雲はかくも私の胸をどきどきさせる。
頂上での三杯の濁り酒で元気が出て、歌いながら祝融峯を飛ぶように下ったのだった。
朱熹 「感懐」
経濟夙所尚 経済 夙に尚(ねが)う所 経世済民の仕事は早くからの願望であり
隠淪非素期 隠淪 素(も)と期するに非ず 隠遁沈淪の生活はもとより期するところではない
幾年霜露感 幾年か 霜露の感 霜露の寒さを感じる暮らしが幾年か続き
白髪忽已垂 白髪 忽ち已に垂る はや既に白髪が垂れる初老となった
鑿井北山址 井を鑿つ 北山の址 北山の麓に井戸を掘り
耕田南澗湄 田を耕す 南澗の湄(ほとり) 南の谷のみぎわに田を耕している
乾坤極浩蕩 乾坤 極めて浩蕩なるに この天地は極めて広大であるのに
歳晩將何之 歳晩 将に何くにか之(ゆ)かんとする 私は行き所もなくこうして隠遁の生活を送っているのだ
王守仁 「泛海」 (海に泛(うか)ぶ)
陽明が仕えた武帝は明代の皇帝としては最悪といわれ、宦官を重用して放縦な生活を送った。陽明は諫言を呈して、却って投獄され、ついで貴州に流謫の身となる。この詩はその道中で作られたもので、彼の詩の中で最も人口に膾炙されたものである。
この詩、朱子の酔下祝融峯作と好一対ですね。私は陽明の詩のほうが好きですが。
險夷原不滞胸中 険しきと夷(たいら)かなると 原(も)と胸中に滞(こだ)わらず
何異浮雲過太空 何ぞ浮雲の太空を過ぐるに異らん
夜静海濤三萬里 夜は静かなり 海濤 三万里
月明飛錫下天風 月明 錫を飛ばして 天風に下る
行く道(人生)の険しいのと易しいとか云ったことはもともと胸中にわだかまることはない。それは浮雲の大空を行くのと何の異なることがあろうか。
夜は静か、海の波は三万里も彼方まで続いている。月明かりの中、錫杖(魔法の箒?)を飛ばして天津風と共に下って行こう。
王守仁 「睡起寫懷」 (睡起して、懐を写す)
江日熙熙春睡醒 江日 熙熙として 春睡醒め
江雲飛盡楚山青 江雲 飛び尽くして 楚山青し
閑觀物態皆生意 閑に物態を観れば 皆生意
静悟天機入窅冥 静かに 天機を悟りて 窅冥(ようめい)に入る
道在險夷随地楽 道に険易在るも 地に随いて楽しみ
心忘魚鳥自流形 心は魚鳥を忘れて 自ら流形
未須更覓羲唐事 未だ須(もち)いず 更に羲唐の事を覓むるを
一曲滄浪撃壌聴 一曲の滄浪 壌(つち)を撃って聴く
難しいですね。中の対句の部分は朱子の「格物致知」を批判した「致良知」の心境を表したものでしょうか。解説は無しとします。
ただ最後の部分は、「そういった心境に到れば、必ずしも伏羲唐堯といった太古のことを調べずともよい。楚辞の滄浪の歌(移りゆく世と共に生きよと歌う)を鼓腹撃壌して聴こう。」といった意味でしょうか? 曖昧な解釈ですみません。
参考図書
朱子文集 友枝龍太郎 明徳出版社
王陽明全集第六巻 山崎道夫他 明徳出版社