2003年 9月

先日、物置を整理していたら、「酒の詩集」という本が出てきました。たしか、どこかの古本屋で買った記憶があります。パラパラと読み返してみるとなかなか面白い。そこで「またまた酒の詩」と題して、この中から漢詩を選んで見ました。残暑きびしい夕方、ビールや冷酒で一杯やるのもいいものです。


李白 「南陵別児童入京」 
 李白がまだ四十代で、これから都に出て世に認められようとしているときの作。意気軒昂とした様子が窺われます。

白酒新熟山中帰  白酒 新たに熟して 山中に帰る
黄鶏啄黍秋正肥  黄鶏 黍を啄(ついば)んで 秋正に肥ゆ
呼児烹鶏酌白酒  児を呼んで鶏を烹て 白酒を酌む
児女歌笑牽人衣  児女 歌笑して 人の衣を牽く
高歌取酔欲自慰  高歌 酔を取って 自ら慰めんと欲す
起舞落日争光輝  起ちて舞えば 落日 光輝を争う
遊説萬乗苦不早  萬乗に遊説す 早からざりしを苦しむ
著鞭跨馬渉遠道  鞭を著け馬に跨って 遠道を渉る
会稽愚婦軽買臣  会稽の愚婦 買臣を軽んず
余亦辞家西入秦  余も亦た 家を辞して 西のかた秦に入る
仰天大笑出門去  天を仰ぎて大笑し 門を出て去る
我輩豈是蓬蒿人  我輩 豈是れ 蓬蒿の人ならんや

どぶろくが出来たての頃、山中の我が家に帰ってきた。折しも秋たけなわ、黄色い鶏は黍を啄んでよく肥えている。
小僧を呼び鶏を煮させてどぶろくを飲むと、息子や娘は歌い笑って私の着物に取りすがる。
高らかに歌い酔う事で自分を慰めたいと思い、立ち上がって舞うと落日も私と光を争う。
天子に政見を申し上げる機会がもっと早く来なかったのは残念だが、鞭を持ち馬に跨って遠い道を旅することになった。
会稽の愚かな女は朱買臣を馬鹿にしたけれど、おれも亦家をあとにして西の方長安に入るのだ。
天を仰いで大笑して門を出てゆく。我が輩が雑草の中に埋もれてしまってよい人物なものか。
(武部利男訳)


杜甫 「贈高式顔」

昔別是何処  昔 別れしは 是れ何れの処なりし   この前別れたのはどこだっけ
相逢皆老夫  相い逢えば 皆な老夫なり       顔をあわせてみればどちらも老人
故人還寂寞  故人 還(なお) 寂寞        旧友の まだしょんぼりと
削跡共艱虞  削跡 共に 艱虞           浮き世の風に 苦労はおなじ
自失論文友  文を論ずる友を失いてよりは      文学論の仲間をなくしてから
空知売酒爐  空しく知る 売酒の爐         なじみはバーのスタンドだけだが
平生飛動意  平生 飛動の意            昔ながらのむずむずした気持ち
見爾不能無  爾(なんじ)を見ては無きこと能わず  君にあっては消えうせかねる
                          (吉川幸次郎訳)


司空曙 「別盧秦卿」
 姓が司空、名が曙。杜甫より一時代後の詩人。この詩は友人が旅に出ようとするときの送別の詩とのことですが、石尤風の意を尊重して現代風に解釈すれば、「嫁さんと約束があるのはわかっているが、もうちょっとええやないか。」と、飲み屋で無理に引き留めているような感じですね。

知有前期在  前期在ること有るを知れども   ソレハサウダトオモッテヰルガ
難分此夜中  分れ難し 此の夜中       コンナニ夜フケテカヘルノカ
無将故人酒  故人の酒を将って        サケノテマヘモアルダロガ
不及石尤風  石尤の風に及ばずとする無かれ  カゼガアレタトオモヘバスムゾ
                       (井伏鱒二訳)

*石尤風:石氏の娘が尤という男に嫁いだ。しかし夫が旅に出たまま帰らないので、石氏は思い詰めたあまり病死したが、臨終にあたり、自分は大風となって、天下の婦人のために旅人の行く手をはばもうと誓った。以来、逆風のことを石尤風とよぶようになった。(岩波文庫 「唐詩選」)


参考図書
 酒の詩集 富士正晴編著 光文社

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