2003年10月

 何度も書きましたが、江戸時代後期の漢詩文の流行ぶりは多分和歌などよりははるかに盛大ではなかったでしょうか。その詩風は唐詩のように感情、思想を高らかに謳い挙げるのではなく、宋代、清代の詩をさらに和風にして、自然のうつろいや日々生活の中の情感を細やかに歌うものが多いような気がします。それだけに現代の日本人にとっても親しみやすいものだと思います。
 近年、江戸時代の漢詩文の見直されつつあるのでしょうか、江戸漢詩を扱った本が多く出版されています。今回は、そんな江戸時代(後期)の詩人から、秋の詩をご紹介しましょう。

「田家」 山梨稲川
 駿河の豪農の家に生まれ、その地の文化人として優れた詩を残した。また、音韻学の研究を行った。

農家無別事  農家 別事無く         農家の生活は淡々としたもので
相遇話耕桑  相遇うて 耕桑を話す      農夫が会えば、話は耕作や養蚕のこと。
竹柏連幽處  竹柏 幽処に連なり       竹や柏で囲まれた屋敷はひっそりとして
藤蘿蔭短墻  藤蘿 短墻を蔭(おお)う    藤や蔦が低い垣根を覆っている。
陸田秋望雨  陸田 秋 雨を望み       畑は秋の取り入れを前に恵みの雨を待ち望み
村炬夜驅蝗  村炬 夜 蝗(いなご)を駆る  村中でたいまつを焚いてイナゴの防ぎ
歸臥北窗下  歸りて北窓の下に臥し      家に帰って北の窓辺に寝ころんで
超然咏上皇  超然として上皇を咏ぜん     苦労は忘れて理想郷を謳歌しよう


「秋盡」 館柳湾
 新潟の商家に生まれるが、少年の時江戸に出て亀田鵬斎に学ぶ。後、幕府の小役人となって、高山代官所などに勤務する。その詩風は温雅で中唐、晩唐の詩を好んだといわれています。永井荷風が彼の詩を好んだことでも有名です。

静裏空驚歳月流  静裏 空しく驚く 歳月の流るるを
閑亭獨坐思悠悠  閑亭 独り坐せば 思い悠悠
老愁如葉掃難盡  老愁 葉の如く 掃えども尽し難し 
蔌蔌声中又送秋  蔌蔌
(そくそく) 声中 又秋を送る

静かな生活の内にも月日がどんどん経ってゆくことに驚く。静かな亭に一人坐って物思いに耽る。
老いの愁いは落ち葉のようで掃いても掃ききれない。ハラハラと葉の散る音と共にこの秋も過ぎてゆこうとしている。


「采蕈」 菅茶山
 私事ですが、去年インターネットオークションで菅茶山自筆のこの詩が書かれた掛軸を落札しました。大分古ぼけたものですが、真贋のほどは確かでありません。

松間鷺歩入香風  松間 鷺歩して 香風に入る
苔滑泥粘路幾窮  苔滑らかに 泥粘りて 路幾たびか窮す
不分前人先有獲  分かたず 前人の先に獲ること有るを
喜聲遙在白雲中  喜聲 遙かに在り 白雲の中

松林の中を鷺のように足を挙げて歩んで香しい風の中に入る。苔に滑ったり、泥に足を取られたりして、何度も道は行き止まりになる。
あれ! 先を行く人が松茸を見つけたのかな? 歓声が遙か彼方の雲の中から聞こえるようだ。

「木綿橋客楼口占」 中島宗隠
 京都の儒者、詩人。当時、京では頼山陽と並び称せられた。才気溢れる詩をつくり、狂詩なども作っている。この詩は、彼が山陽地方を旅したとき、福山(阿部氏十万石の城下町)で作ったものです。これなどは唐詩の風でしょうか。
 
燈華落盡夢初回  燈華 落ち尽して 夢初めて回る
水北宿嵐猶未開  水北の宿嵐 猶未だ開かず
知是秋潮全満港  知んぬ是れ 秋潮 全く港に満つるを
巨船鳴艫入城来  巨船 艫を鳴して城に入り来たる

行燈の灯心花が落ちてしまった頃、夢から覚めた。町の北、山側の夜の気配はまだ開けていない。
どうやら秋の潮が港に満ちてきたようだ。大船が櫓の音を響かせながらこの城下に入ってきた。

参考図書
江戸時代田園漢詩選 池澤一郎著 農山漁村文化協会
日本漢詩人選集「館柳湾」 鈴木瑞枝著 研文出版
日本漢詩人選集「中島宗隠」 入谷仙介著 研文出版

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