2003年11月
今月は、漢詩の鑑賞ではなく、漢詩解説の本の批判を行ってみました。
先月、中島宗隠の絶句をご紹介いたしましたが、私が中島宗隠を知ったのは昨年買った入谷仙介著、日本漢詩人選集「中島宗隠」(2002.03刊)を読んででした。入谷仙介といえば、数多くの漢詩集の訳注されておられるこの分野の大先生ですが、押韻に関して漢詩の初学者である私が見てもわかる初歩的な誤りをされているのに大変驚きました。本を公刊することは、研究成果を世に問い批判を受けるということでしょうから、私も非礼をかえりみずに間違っておられると思う点を指摘してみたいと考えます。従って今回は詩の解釈は致しません。
1)この詩は宗隠が中国地方を巡遊して、尾道で土地の富豪に接待されたときのものです。(以下99ページからの引用)
「六月望亀山伯秀為余僦遊舫飲於新地南港即事」
六月望 亀山伯秀 余が為に遊舫を僦(やと)い新地の南港に飲む即事
夜色蒼蒼水一涯 夜色 蒼蒼 水一涯
誰楼歌酒最堪賖 誰が楼の歌酒 最も賖(おぎの)るに堪う
遠人唯感土風異 遠人 唯だ感ず 土風の異なるに
貪聴新声酔月華 新声を貪り聴きて 月華に酔う
(脚韻、下平六麻・賖・華)
−−−−−詩の解釈の部分省略−−−−−
この詩、起句の第七字、涯は上平九佳の韻で韻が合わない。七絶の起句は踏み落としが許されるが、その場合は仄声であるのが普通である。平易で情感があるので取ったが、押韻法としては疎漏である。別の詩では押韻すべき承句の韻が合わないものがある。酒を飲んでいたせいもあろうが、脚韻は詩の柱とまでいわれる重要なものである。他の詩についている自注によると、伯秀はこの夜のために、中国風の灯籠を作らせ、「江上清風山間明月」の八字を入れて、舟に掲げた。そのぐらいに珍客の接待に気を配っているのに、田舎商人と思って馬鹿にされたと取られたのではないか。このあたりにも、尾道の人々と宗隠との感情が行き違った原因があるかもしれない。
この一節を読んだとき、私は思わず我が目を疑いました。
確かに「涯」は大抵の漢和辞典では「佳韻」とされていますが、詩を作る人間が参考にする韻書では「上平九佳」、「上平四支」、「下平六麻」の三つの韻で使える字となっています。「涯」は境涯、生涯、天涯などと詩人がよく使う字なので、手元にある詩集を二三繰ってみるだけですぐに十やそこらの用例は集められます。見てみると、ほとんどの場合この詩と同じく「麻韻」で使われています。ちなみに杜甫も「麻韻」で使っていました。後、少数が「支韻」で、「佳韻」の用例は見つけることが出来ませんでした。これは「佳韻」の字が少なく、この押韻で詩を作るのが難しいせいだと思われます。詩を作る人は初心者でも韻書は持っていますから、入谷先生のような過ちは犯していないはずです。
従って、宗隠と尾道の人々との間に本当に感情の行き違いがあったとしても、その理由としてこの詩を例にするのは全くの見当違いというほかありません。
2)次に揚げる詩においても同じ過ちをしています。(以下136頁よりの引用)
長崎僑居雑題七首 其の一
嚢無一物筆無花 嚢に一物無く 筆に花無く
歳晏空思鴨曲家 歳晏(おそ)くして 空しく思う鴨曲の家
野鶴間雲能守否 野鶴 間雲を能く守るや否や
主人流落在天涯 主人 流落して天涯に在り
(脚韻、下平六麻韻、花、家)
−−−−−中略−−−−−
結句の第七字、涯は押韻のつもりであろうが、この字は上平九佳の韻で、古詩でも通用できず、押韻になっていない。佳韻は本来、韻尾としてイを持っており、日本漢字音でも涯がそうであるように、イ音を保存しているが、韻を代表している佳の字の韻尾が消滅しているために錯覚したのであろう。(何をどう錯覚したと考えるのか理解できない:禿羊感) この変化は中国で早く起こったもので、現代中国語の標準音でも、佳字には韻尾がない。尾道の詩でも、押韻が乱れていることを指摘したが、特に遊歴中は書物を持ち歩くのがやっかいなので、記憶によって作詩するために、こうしたことが起こったものと思われる。
西山宗隠は当時超一流のプロです。麻韻のように通常よく脚韻に用いられる字に辞書が必要とは考えられません。
3)次の詩は宗隠が端渓の硯を購入して、喜んで作った詩の一つです(70頁より引用)
乙酉春初新獲端硯喜甚為賦六絶(其二)
春燈結蕊暁煙青 春燈 蕊を結びて暁煙青く
喜極幽眠却不安 喜び極まって幽眠却って安からず
蚤起新添香椀火 蚤(はや)く起きて新たに添う 香椀の火
先臨硯面礼金星 先ず硯面に臨みて金星を礼す
(脚韻、下平九青韻、青、星)
入谷先生は、結蕊、香椀を無理な用語であるとして、特に香椀は香炉であるべきところを平仄の関係で用いたのだろうとしています。また、「承句、押韻すべきところだが、落としている。棕隠が気づかなかったはずはないが、自分の気持ちの方を重視したのであろう。」と、解説しています。
しかし、「香椀」は韻書にも挙げられている詩語ですし、「結蕊」も瑞兆としての「燈花結蕊」が用例としてあるような気がします。それはさておき、問題は承句の踏み落としです。先生の意見に従うならば、無理をしてまで平仄を合わせている棕隠が、この承句程度の気持ちを表現するのに韻を外すとはにわかには信じられないことです。脚韻は漢詩の形式上の最も基本的なルールで、承句に韻を踏まないなんて、これは漢詩ではないといわれても仕方がありません。
これは何かあると考え、「青韻」の字を見てみると、「安」とほとんど同義の「寧」がありました。この「寧」を採らずに、わざわざ韻を外してまで「安」を採るほどの意味の違いがあるのでしょうか。想像するに、棕隠が詠んだ詩には「寧」が使われていたのではないでしょうか。入谷先生が依拠された原本が本当に「安」だったとすると、上梓されるまでのどこかで誤記があったと思われます。
4)最後にもう一つ、韻を踏んでいない詩が載せられています。(以下145頁からの引用)
雲州雑題 其一
踰険就夷坦 険を踰えて夷坦に就き
始知磊落州 始めて知る 磊落の州たるを
先問京華客 先ず問う 京華の客
誰嘗載筆来 誰か嘗つて筆を載せて来たりしやと
−−−−− 中略 −−−−−
この詩、韻を踏んでいないし、韻律上の欠陥も多い。五絶は古詩と同じといわれ、律詩ほどには韻律にこだわらなくてもよいとされているといっても、ひどいといえる。−−−−− これまでも何度か韻の乱れを指摘したが、宗隠には詩の面白さのためには脚韻を犠牲にしてもよいという考えがあったのではないか。漢詩人としてはもってのほかであるが、中国語を母語としていず、全く違った音韻体系を持つ、日本人の詩人としてはありうる考えである。
この詩は、指摘されているように確かに韻を踏んでいません。しかし「韻律上の欠陥」はどうでしょうか? 変則(拗体:七言絶句では時々見られるが、五言絶句で許されるかどうか、私も確信がありません)ではありますが、許容されるもののように思います。五言絶句は承句と結句に韻を踏むのですが、この詩では承句の「州」(下平十一尤韻)と結句の「来」(上平十灰韻)と韻が違っています。ここでも誤記の可能性はあると考えます。尤韻で統一するとすると、「来」の代わりに「遊」、「留」、「投」、「蹂」などが使えそうですが、想像の域を出ませんので、これ以上の詮索は止めておきます。
最後に、中島棕隠は詩の宗匠です。花、茶、俳句、和歌の宗匠はそれぞれの道のルールを教えることで生活しています。その宗匠が、簡単に基本的ルールを無視するようでは飯の食い上げでしょう。
日本漢詩人選集「中島宗隠」 入谷仙介著 研文出版