2003年12月
後漢の滅亡から隋による再統一までほぼ四百年の間、中国全土は群雄割拠、戦乱の嵐に見舞われます。いわゆる魏晋南北朝時代(六朝時代)です。しかしこの乱世において貴族文化は華やかに発展を遂げます。文芸の世界においても書聖・王羲之、画聖・顧ガイ之など今まで職人の技術であったものを芸術の域へと昇華させた人たちが現れます。詩の世界においても、曹操・曹植父子、阮籍、陶淵明、謝霊運など詩の発展の先駆けとなった人たちが多く現れます。
今月紹介する庾信もその一人として後の世の人から慕われた詩人です。
庾信は南北朝時代の後半、梁(南朝)の貴族に生まれます。梁の建国者、武帝は文化人としての素養も深く、その五十年に渉る治世は首都建康(今の南京)を中心として中国第一の文化を誇ります。ちなみに文選を編纂した昭明太子はこの時の皇太子でした。庾信は若くして宮廷詩人として活躍、その文名は北方の地まで知れ渡ります。42才の時、西魏の都長安に国使として派遣されますが、その滞在中に梁は西魏に攻め滅ぼされて帰国できなくなってしまいます。当時、北朝の文化程度は南朝に比べて格段に劣っていましたから、彼の才能と名声は歓迎されて、西魏とその後の周朝廷で高位をもって迎えられます。しかし、庾信は生涯、故郷の南の地への思いを捨て去ることが出来ず、数多くの望郷の詩を残しています。庾信の詩は長詩が多く、また典故がちりばめられていて難しいのですが、その中から比較的短くてわかりやすそうなものをいくつか。
秋夜望単飛雁(秋夜、単飛の雁を望む)
失群寒雁声可憐 群を失いし寒雁 声憐れむべし
夜半単飛在月辺 夜半 単り飛んで月辺に在り
無奈人心復有憶 奈んともする無し 人心の復た憶う有るを
今瞑将渠倶不眠 今瞑 将に渠(かれ)と倶に眠らざらん
群からはぐれた寒夜の雁の声は聞くに哀れが満ちてくる。独り遙かに月のあたりまで飛んでゆく。
それを見ると、私も物思いに沈むのはどうしようもない。今夜はあの雁と共に眠れぬときを過ごそう。
寄王琳(王琳に寄す)
梁の地は陳に簒奪されますが、梁の将軍であった王琳は陳に抵抗して孤独な戦いを続けます。この詩は王琳の書にたいする返事で、北の地で座視するしかない庾信の思いが悲しいまでに現れています。
玉関は庾信のいた長安よりはさらにずっと北ですが、彼の南(金陵:南京)から離れているという思いはそれぐらい遠いものだったのでしょうか。
玉関道路遠 玉関 道路遠く
金陵信使疎 金陵 信使疎(まれ)なり
独下千行涙 独り千行の涙を下し
開君万里書 君が万里の書を開く
擬詠懐 二十七首 其の十一
北朝にあって三十年、晩年となった彼は「擬詠懐」という連作を作ります。「擬詠懐」とは阮籍の「詠懐」(2002年10月参照)になぞらえるという意味で、彼の南の地への思いがつづられています。また、彼自身、当時を思えば後悔することも多々有ったのでしょう。
揺落秋為気 揺落 秋 気と為り 草木が葉を落として秋の気配が満ち、
凄涼多怨情 凄涼 怨情多し 物寂しくも怨みの心がわき上がる。
啼枯湘水竹 啼いて湘水の竹を枯らし 涙は湘水の竹を枯らし(1)、
哭壊杞梁城 哭して杞梁の城を壊す 慟哭の声は城壁をも崩してしまう(2)。
天亡遭憤戦 天亡ぼして 憤戦に遭い 天佑を受けない戦は憤りの場となり、
日蹙値愁兵 日蹙(せま)りて 愁兵に値う 太陽さえ陰って兵は愁いに沈む。
直虹朝映塁 直虹 朝 塁に映じ まっすぐな虹が朝とりでに映え、
長星夜落営 長星 夜 営に落つ ほうき星が夜陣営に落ちて凶事を暗示する。
楚歌饒恨曲 楚歌 恨曲饒(おお)く わが楚の歌声には怨みの調べが多く、
南風多死声 南風 死声多し 南の音楽には死の声が満ち満ちている。
眼前一杯酒 眼前 一杯の酒 目の前の一杯の酒を飲み干して、
誰論身後名 誰か身後の名を論ぜん 後の世がなんと言おうと気にするものか。
(1) 舜が亡くなったとき、二人の妃が流した涙で湘水の竹がまだらになったという伝説
(2) 春秋時代、杞殖が戦死したとき妻の泣き声で城壁が崩れたという伝説
郊行値雪(郊行して雪に値(あ)う)
風雲倶惨惨 風雲 倶に惨惨 風と雲はともに暗く
原野共茫茫 原野 共に茫茫 原と野はともに果てしない。
雪花開六出 雪花 六出を開き 雪の花が六つの花弁(結晶)をひらき
冰珠映九光 冰珠 九光に映ず 氷の珠が光にキラキラと輝く
還如駆玉馬 還(ま)た玉馬を駆るが如く 私はあたかも白い馬を駆って
暫似猟銀獐 暫く銀獐を猟るに似たり 銀色のノロジカを追いかけているようだ
陣雲全不動 陣雲 全て動かず 空一面に連なった雲は動かず
寒山無物香 寒山 物の香る無し 寒々とした山中に物の香はない
薜君一狐白 薜君の一狐白 孟嘗君秘蔵の狐白裘
唐侯両粛霜 唐侯の両粛霜 春秋唐の成公の二頭の雪のような白馬
寒関日欲暮 寒関 日暮れんと欲し 冬の関所 いま日は暮れようとして
披雪上河梁 雪を披きて 河梁に上る 雪をかき分けて橋へ上がってゆく
参考図書 中国の詩人4 庾信 興膳宏著 集英社