2004年1月
明けましておめでとうございます。本年も漢詩に親しみましょう。年初ですので、やはり正月の詩をと思いましたが、この歳ともなるとさして目出度くもなく、「やれ、目出度い」といった詩にはあまり興味はなくなり、今年は普通の正月といった詩を挙げてみました。
厳維 「歳初喜皇甫侍御至」 (歳初、皇甫侍御の至るを喜ぶ)
唐代の詩人です。713年生まれですから、杜甫の一歳年下ということになります。
湖上新正逢故人 湖上の新正(しんしょう) 故人に逢う
情深應不笑家貧 情深くして 応に家の貧なるを笑わざるべし
明朝別後門還掩 明朝 別後 門 還(ま)た掩わば
脩竹千竿一老身 脩竹 千竿 一老身
湖の畔にも正月が訪れ、おりしも懐かしい友と会うことができた。貧しい暮らしで何のおもてなしもできぬが、心優しい君はそれを笑ったりはしないだろう。
明朝、君と別れてまた門を閉じてしまえば、すっきりと伸びた竹林とそれに囲まれた老いたこの身が残るばかり。
元稹 「歳日」
たびたび出てきた中唐の詩人。白居易の親友で、唐代の詩人には珍しく官僚としても高位に登り、宰相も務めた。この詩などは一休禅師の「門松は冥土の旅の一里塚・・・・」と相通じるところがありますね。
一日今年始 一日 今年始まる 今日ここに新しい年が始まる
一年前事空 一年 前事は空し 振り返ってみると去年一年は空しいもの
凄涼百年事 凄涼たり百年の事 人の一生は侘びしいものである
應與一年同 応に一年と同じなるべし 同じような一年のこの積み重なりなのだ。
蘇軾 「正月二十日往岐亭郡人潘古郭三人送余於女王城東禅荘院」
(正月二十日、岐亭に往く。郡人 潘、古、郭の三人 余を女王城東の禅荘院に送る)
前年、「烏台詩案」事件(2001年12月参照)で、辛うじて獄死を免れた蘇軾は黄州に流罪となります。この地で自ら荒れ地を開いて少しばかりの畑を作って、極貧の生活を送ります。この詩はその一年目の正月、土地の人々との交流の様子を詠った詩です。最後の二句はちょうど都から黄州への配流の道中の情景です。
十日春寒不出門 十日の春寒に 門を出でず
不知江柳已揺村 知らざりき 江柳の已に村に揺るるを
稍聞決決流冰谷 稍(や)や聞く 決決として冰谷の流るるを
盡放青青没焼痕 尽く青青たるを放(し)て 焼痕を没せしむ
数畝荒園留我住 数畝の荒園は我を留めて住せしめ
半瓶濁酒待君温 半瓶の濁酒は君を待ちて温む
去年今日關山道 去年の今日 關山道
細雨梅花正断魂 細雨 梅花 正に断魂
十日続いた余寒の間、外へ出なかった私は、村の柳が揺らぎはじめたとも知らずにいた。
氷に閉ざされていた谷の流水の音が聞こえると思ったのはつかの間、野焼きのあとはもうすっかり緑におおわれている。
荒れ地に開いた些かの畑が、私をこの地に住まわせてくれ、瓶に半分ほどの濁り酒は君たちのために暖まっている。
思えば去年のちょうど今頃、関所を越える道端で、そぼふる雨の中、梅の花が私の心を揺り動かしたのだった。
館柳湾 「乙未元旦 又作三絶句自戯」
この詩人については、2003年10月に一度紹介しました。
今朝七十四新正 今朝 七十四の新正
自笑老情似稚情 自ら笑う 老情の稚情に似たるを
衰癈猶誇残歯健 衰癈 猶誇る 残歯の健なるを
伴孫同嚼膠牙餳 孫を伴いて同(とも)に嚼む 膠牙の餳(あめ)
今朝は七十四歳の元旦、年寄りの情は幼心に似通うものがあると自分でもおかしくなる。
老い耄れてしまっているが、まだ何本か元気な歯が残っているのを自慢して、孫と一緒になって水飴をしゃぶっている。
参考図書
中国古典選 「三体詩」 村上哲見著 朝日文庫
唐詩新選 陳舜臣著 新潮文庫
宋詩選 小川環樹著 筑摩叢書
日本漢詩人選集「館柳湾」 鈴木瑞枝著 研文出版