2004年2月

 高校の国語の授業で「閨秀」の意味が分からなくて恥をかいて以来、この言葉は嫌いである。「女流」も男流という言葉がないので少し差別の臭いがする。ということで、多分明治以降の言葉であろうが、「女性」という言葉が一番無難であろう。
 それにしても、漢詩の世界で女性詩人はまことに稀少である。私の知識では十人と名前を挙げることができないし、名前を知っていてもその詩は知らない。
 そんなことで、手元の詩集から、私自身の勉強もかねて女性詩人の詩を集めてみた。

開元宮人 「袍中詩」
 この人も日本の平安時代の女性歌人と同様、本名は伝わらない。唐の開元といえば玄宗の治世であるが、そのころの宮廷に仕えた女性である。当時、西域へ出征する軍人に下賜される着物を縫っていた宮女が、その着物にそっと詩を忍ばせた。これは大罪にあたることであるが、軍人が届け出てこれがおおやけになったとき、玄宗は自首した宮女を憐れみその軍人と娶せたと伝えられている。当時、宮廷に仕えた女性はもう普通の結婚は出来なかった。「今生 已に過たるなり」はその思い。

沙場征戍客  沙場 征戍の客
寒苦若為眠  寒苦 若為(いか)にして眠らん
戦袍経手作  戦袍 手を経て作る
知落阿誰辺  知んぬ 阿誰(たれ)の辺にか落つるを
蓄意多添線  意を蓄え多く線を添え
含情更著綿  情を含み更に綿を著す
今生已過也  今生 已に過たるなり
願結後生縁  願くば後生の縁を結ばん


魚玄機 「秋怨」
 唐代の女性詩人といえば、薛濤と魚玄機に代表されるでしょう。二人とも妓女ですが、名妓ともなると詩の素養も必要だったのでしょう。薛濤は以前一首紹介しましたので(2002.05)、今回は魚玄機にしましょう。魚玄機は妓女として役人の妾になったが、寵愛が衰え女道士となった。それからも奔放な恋愛生活が続き、最後は侍女をむち打って死亡させ、その罪で死罪となった。25歳だったという。

自嘆多情是足愁  自ら嘆く 多情は是れ足愁なりと
況當風月満庭秋  況んや風月満庭の秋に当たるや
洞房偏與更聲近  洞房 偏(ひとえ)に更声近く
夜夜燈前欲白頭  夜夜 灯前 白頭ならんとす

足愁:愁いに満ち足りる?
更声:夜の時刻を伝える太鼓か鐘の声

李清照 「聲聲慢」
 北宋から南宋にかけての戦乱に生きた人。夫、趙明誠と金石の収集・研究に熱心であったが、戦乱で全てを失った。州知事であった夫の死後、各地を流転したが、その没年は明らかでない。中国文学史上最も評価の高い女性詩人である。

尋尋覓覓 冷冷清清  尋ね尋ね 覓め覓め  冷冷と清清(わび)しく
凄凄惨惨戚戚     凄凄 惨惨 戚戚
乍暖還寒時候     乍(たちま)ち暖かく還た寒き時候
最難将息       最も将息(いこ)い難し
三杯両盞淡酒     三杯両盞の淡酒も
怎敵他晩来風急    怎(いか)で敵せん 他(か)の晩来の風の急なるに
雁過也 正傷心    雁の過ぎゆくなり 正に傷心
卻是舊時相識     卻って 是 旧時の相識

何かをさがし求めている。冷え冷えとして、清々しく、痛ましく、やるせなく、悲しい。
暖かいかと思うと急にまた寒くなるこの時候は最も気が休まらぬ。二杯や三杯の薄酒ではとてもこの夕暮れ時の急な風に耐えることは出来ない。
雁が渡ってゆく。見ると心が痛む。あれは昔故郷で見た雁ではないかと思うと。

満地黄花堆積     満地の黄花は堆積して
憔悴損        憔悴し損ず
如今有誰堪摘     如今(いま)誰の摘むに堪うるものか有らん
守著窗児       窗児(まど)を守着(まも)り
獨自怎生得黒     独自(ひとり)怎生(いか)でか黒きを得ん
梧桐更兼細雨     梧桐と更に細雨を兼ね
到黄昏 點點滴滴   黄昏に到って 点点滴滴たり
這次第        這(こ)の次第は
怎一個愁字了得    怎(いか)で一個の「愁」の字もて了し得んや

庭には一面菊の花が積み重なって、すっかり枯れてしまった。もはや摘み取るべくもない。
窓辺に寄りかかって、独りどうして暗くなってゆくのに耐えることが出来ようか。
アオギリと、それに小糠雨まで加わって、黄昏時になってしとしとと音を立てている。
この次々と移りゆくさまは、とても「愁」に一字では表し尽くせない。

江馬細香 「拈蓮子打鴛鴦

 日本で、女性詩人の第一人者というと彼女になるでしょう。江戸時代も後期となると、漢学の世界でも男に伍して堂々と活躍する女性が輩出します。大垣の富裕な医家に生まれた細香は美人才女の誉れ高く、頼山陽と相思相愛の仲となりますが、父に結婚を反対され、山陽は他の女性と結婚します。しかし、細香はその後も屡々京都へ出かけて山陽と会い、愛人として自他共に認める状態になり、山陽の死後も生涯独身で過ごします。山陽を慕いながらも、決して彼の従属物ではなくその凛とした生き様はまことに素晴らしく、山陽は幸せだったなと思わせます。細香の詩には山陽を慕う心を詠った詩が多く残されています。

雙浮雙浴緑波微  双つながら浮び双ながら浴して緑波微かなり
不解人間有別離  解せざらん 人間に別離有るを
戯取蓮子擲池上  戯れに蓮子を取りて池上に擲(なげう)つ
分飛要汝暫相思  分れ飛びて 要むらくは汝 暫く相思せよ

仲良く水中で遊んでいるつがいの鴛鴦。きっとお前達は人間の世には別離というものが有るというのを知らないだろうね。
やっかみ半分に蓮の実をとって投げつけてやる。別れ飛んで暫くの間「相思」と云うものを味わってごらん。

参考図書
唐詩新選 陳舜臣 新潮文庫
中国名詩選(下) 松枝茂夫編 岩波文庫
江戸漢詩 中村真一郎 同時代ライブラリー 岩波書店



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