2004年4月
今年は暖かくなるのが早いようで桜も三月中に開きました。柳も既に新芽を出して青々と風に揺られています。漢詩ではヤナギは「柳」と「楊」の二つの字が使われていますが、この二つはどう違うのでしょうか。一般に「柳」は日本でもよく見られる枝垂れ柳を指し、「楊」はハコヤナギ(ポプラ)を指すと言われているようですが、「垂楊」の言葉があるように詩人はあまり区別をして使っていないようです。それよりも「柳」は仄韻、「楊」は平韻なので平仄を合わせるのに便利に使ったのではないでしょうか。いずれにせよ、中国では区別するのが重要ではない状態、すなわち二種類のヤナギが入り交じって生えていたのでしょう。
春も闌になると、どちらのヤナギも綿を吹いて空中一杯に飛び乱れます。柳絮です。先年の春、北京を訪れたときは、この柳絮を見るのを楽しみにしていたのですが、あまり沢山は飛んでいませんでした。旅行客には春の旅情をかき立てる柳絮も現地で生活している人々には迷惑なものらしく、柳絮を飛ばさない品種のヤナギに植え替えているとのことでした。それでも北京の古い街、瑠璃廠はさすがヤナギの古木が多いのか、柳絮が飛び交って、春の風情を満喫したのでした。
中国では古来旅立ちに際して、ヤナギの枝を輪にしてはなむけにする習慣があったため、ヤナギには別離のイメージがあるようです。
金陵酒肆留別 李白 (金陵の酒肆にて留別す)
留別とは、旅立ちに際して見送られる側のことです。街道沿いの姐ちゃんが呼び込みをやっているような居酒屋で南京の町で親しくした若者達と別れの酒を酌み交わしているのでしょう。
白門柳花満店香 白門の柳花 満店に香り
呉姫圧酒喚客嘗 呉姫 酒を圧して 客を喚んで嘗めしむ
金陵子弟来相送 金陵の子弟 来りて相送り
欲行不行各尽觴 行かんと欲して行かず 各々觴(さかずき)を尽す
請君問取東流水 請う君 問取せよ東流の水
別意与之誰短長 別意と之と誰(いずれ)か短長
南京の西門のあたり、柳絮が一杯に飛んで店の中まで香が漂う。呉の国の姐ちゃんが酒を搾って客を呼んで呑ませる。
南京の若者達が集まって私を送ってくれる。出発しようとするが行きかねて、めいめい杯を重ねる。
どうか諸君、東に流れる長江の水に問うてみてくれ。惜別の情と長江の流れとどちらが長く短いかと。
汴河曲 李益
李益は中唐の進士で、官は礼部尚書に至ったというから大臣級ということでしょうか。七言絶句に優れていたとのことです。
汴水東流無限春 汴水東流す 無限の春
隋家宮闕已成塵 隋家の宮闕 已に塵と成る
行人莫上長堤望 行人 長堤に上って望むこと莫れ
風起楊花愁殺人 風起って 楊花 人を愁殺せん
水は東に流れ、辺りは限りのない春景色。しかし隋の離宮の跡はもう塵となってしまった。
旅人よ、長い堤の上に登って眺めるのは止めたまえ。風が起これば、柳の綿が飛び舞って人に愁いをもたらすから。
水は隋の煬帝が作った運河(黄河と淮河を結ぶ)
楊柳枝 李U
李Uについては既に紹介しています(2000.04)。この詞、形式は絶句と同じなので、絶句として扱ってもよいのでしょうが、「楊柳枝」は唐以来流行した詞牌(メロディー)で、多くの詩人(劉禹錫、白居易など)がこの詞牌で詞を作っています。
風情漸老見春羞 風情 漸く老いて 春を見るを羞ず
到処消魂感旧遊 到る処 消魂 旧遊に感ず
多謝長條似相識 多謝す 長條 相識に似たるを
強垂煙穂払人頭 強いて煙穂を垂れて 人の頭を払う
年老いて心も枯れ果てて、春の景色を見るのが恥ずかしいと感じる。昔、遊んだ跡を訪ねると、至る所で魂の消えるような思いに駆られる。
有難いのは、柳の長い枝が昔馴染みのように、無理にも穂を伸ばして私の頭を優しく撫でてくれることだ。
参考図書
中国漢詩の旅 1、古都の詩情 田川純三著 世界文化社
漢詩歳時記 春の二 黒川洋一他編 同朋社