2004年6月

 四月下旬、友人と我々夫婦とで韓国を旅行しました。我々は片言の韓国語がしゃべれる友人の背中にへばりついての個人旅行でしたが、友人の韓国語が結構通じているのに感心いたしました。小生にとっては33年ぶりの韓国でしたが、韓国に入って一番の感銘は当時ほとんど禿げ山だったのが全て美しい新緑におおわれた国土の回復ぶりでした。
 慶州、安東、ソウルと回ったのですが、慶州の石仏群、安東の屏山書院、ソウルの秘苑、北漢山ハイキングなど非常に印象の強い旅となりました。
 旅行に出かける直前、書店で見かけた「春怨秋思」コリア漢詩鑑賞 瀬尾文子著 角川書店を買っていたのですが、旅行の前には読む暇がなく帰国してから読んでみると、また旅の思い出が新たとなって楽しいものでした。
 それで今月はこの本から何首か引用いたしました。

瞻星台 鄭夢周

 高麗最後の名臣(1337-1392)。李氏朝鮮建国時に暗殺される。瞻星台は前の新羅王朝の都、慶州に今も残る天文台の跡(現代人の感覚では、「兀」と表現するほど高いとは思われませんが)で、月城(半月城)も城跡として残っています。小生も夕暮れ時この辺りを散歩しました。一面の菜の花がちょうど花盛りで、幻想的な風景でした。

瞻星台兀月城中  瞻星台 兀(こつ)たり 月城の中
玉笛声含万古風  玉笛 声は含む 万古の風
文物已随羅代尽  文物 已に羅代に随って尽くるも
嗚呼山水古今同  嗚呼(ああ) 山水 古今同じなり

羅代:新羅時代


落花巌 洪春卿
 李朝の官僚(1497-1548)。今回、私どもは訪れませんでしたが、「落花巌」は百済の旧都、扶余にあり、百済滅亡の時、宮女三千人がこの上から身を投げたと伝えられています。慶州の駅に当地の書家の書いたこの詩が展示されていました。

国破山河異昔時  国破れて 山河 昔時に異なるも
独留江月幾盈虧  独り江月を留めて 幾盈虧(えいき)
落花巌畔花猶在  落花巌畔 花猶在り
風雨当年不尽吹  風雨 当年 吹きて尽きざりしに


国が亡んでしまっては、山河の眺めも往時の面影はないが、江上の月のみは昔のまま、幾たび満ち欠けを重ねたことか。
落花岩の畔には、宮女の魂のような花が今も咲いている。あの年、新羅侵攻の嵐は吹き止むことはなかったのに。


求退有感 李珥 (退を求む 感有り)
 李朝の政治家、儒学者(1536-1584)。号は栗谷。李退渓と並ぶ朝鮮朱子学の大家。

行蔵由命豈由人  行蔵は命に由る 豈 人に由らんや
素志曾非在潔身  素志 曾(なん)ぞ潔身に在らざらんや
閭闔三章辞聖主  閭闔の三章 聖主に辞し
江湖一葦載孤臣  江湖の一葦 孤臣を載す
疎才只合耕南畝  疎才 只合(ただまさ)に 南畝に耕やすべく
清夢徒然繞北辰  清夢 徒然 北辰を繞る
茅屋石田還旧業  茅屋 石田 旧業に還り
半生心事不憂貧  半生の心事 貧を憂えず

人の出処進退は天命によるもので、人為でどうなるものでもない。潔く身を処することはもともとの願いである。
閭闔三章(辞表の提出?)主君の下を辞し、江湖に浮かぶ小舟にこの身を載せる。
粗末な才能は田舎百姓に丁度似合っているが、夢の中ではいたずらに国王の側に仕えている。
茅屋と石ころ畑で昔のように農業をまた始めるが、余生の心境として貧乏を恐れることはない。

閭闔三章:何か典故があるのでしょうが、今のところ不明です。
解釈が難しく、自己流になってしまいました。間違っているかもしれません。


閑山島 李舜臣
 李朝救国の英雄(1545-1598)。壬申倭乱(文禄・慶長の役)で、何度も讒言にあいながら、水軍を率いて、豊臣軍を破るが、戦死する。

水国秋光暮  水国 秋光の暮
驚寒雁陣高  驚寒 雁陣 高し
憂心輾転夜  憂心 輾転の夜
霜月照弓刀  霜月 弓刀を照らす


参考図書
 春怨秋思 コリア漢詩鑑賞 瀬尾文子著 角川書店



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