2004年11月
漢詩を読んだり、作ったりしていると、どうも年寄りくさい感じは免れません。どうも「老人の文学」という気がします。それは、漢詩に青春を謳歌したり、恋愛を歌ったものが少なく、若々しさにかけることによると思われます。今まで何度も書きましたが、漢詩文が盛んだった時代の知識人はほとんどすべて官僚であり、漢詩文は「官僚の文学」とも言えるでしょう。従って、詩人といえどもその肩書きを無視することはできません。王勃、李賀といった一瞬の光芒を放って二十代で逝った詩人もいますが、大体はそこそこの歳まで生き、そこそこの官位に至ったひとで、従ってどうしても若書きの詩はあまり残らずにそこそこの歳で作った詩が多く残っていることになります。
そんなわけで、「老い」を題材にした詩は枚挙にいとまがありません。まずは「白髪三千丈」から。
李白 「秋浦歌」
李白が晩年流罪に遭って、赦免された後、安徽省で作られた詩と考えられている。十七首の連作のうちの第十五首目。
白髪三千丈 白髪 三千丈
縁愁似箇長 愁に縁って 箇(かく)の似(ごと)く長し
不知明鏡裏 知らず 明鏡の裏(うち)
何處得秋霜 何れの処よりか 秋霜を得し
杜甫 「登岳陽楼」
流浪の生活に五年の小康を得た四川省成都を離れて、五十四歳の杜甫は一家を挙げて故郷洛陽を目指し長江を下ります。途中、所々で滞在しながら、洞庭湖にたどり着いたのは五十七歳のとき、死の二年前です。
昔聞洞庭水 昔聞く 洞庭の水 昔から洞庭湖のことは聞いていたが
今上岳陽楼 今上る 岳陽楼 今、岳陽楼に登って湖水を眺めている
呉楚東南拆 呉楚 東南に拆(さ)け 呉と楚の国が東南に裂けて湖水が現れ
乾坤日夜浮 乾坤 日夜に浮ぶ 天地は日夜その上に浮動している
親朋無一字 親朋 一字無く 親戚朋友からは一字の便りもなく
老病有孤舟 老病 孤舟有り この老病の身には一艘の小舟があるだけ
戎馬関山北 戎馬 関山の北 要塞の連なる山々の北ではいまだに戦乱が続いていることを思えば
憑軒涕泗流 軒に憑(よ)れば 涕泗(ていし)流る 欄干に寄りかかっていると涙があふれ出てくる
袁枚 「栽樹自嘲」
袁枚については、2001年7月に紹介いたしました。
七十猶栽樹 七十 猶お樹を栽う 七十にもなった年寄りが樹を植えたりして
旁人莫笑癡 旁人 痴を笑う莫れ いつまで生きるつもりかなどと笑ってくださるな
古来雖有死 古来 死有りと雖も 古来、死を免れることはないとは言うものの
好在不先知 好在 先知せず 幸いにいつ死ぬかは誰も知らないのだから
館柳湾 「自題」
館柳湾については、2003年10月、2004年1月に紹介いたしました。
椿椿山筆の「柳湾先生八十歳小像」に自ら題した詩。
楊柳湾頭旧釣師 楊柳湾頭 旧釣師
誤辞江海走天涯 誤りて江海を辞し 天涯に走る
煙蓑雨笠空抛擲 煙蓑 雨笠 空しく抛擲し
鶴氅烏巾豈称宜 鶴氅(かくしょう) 烏巾 豈に宜しきに称(かな)わんや
半生埃塵孤榻夢 半生の埃塵 孤榻の夢
百年技倆一嚢詩 百年の技倆 一嚢の詩
閑身猶寄残風月 閑身 猶残風月に寄せ
唫臥山園養病衰 山園に唫臥(ぎんが)して病衰を養う
昔、柳の生えている湾のほとりで釣をしていた自分であるが、間違って故郷の川や海とおさらばして、遠い江戸にやってきた。
煙雨の中で着けていた蓑笠をなげうって、今では白い衣、黒い頭巾をかぶっているがどうも似つかわしくない。
半生にわたって塵埃にまみれてきたが、それも一脚の椅子の上での夢にすぎず、一生かかって磨き上げた腕前もわずかに一袋分の詩が残るのみ。
閑になったこの身の余生は風月にゆだね、田舎の庭で詩を作りながら病で衰えた身を養う。
参考図書
唐詩選 前野直彬注解 岩波文庫
中国の名詩鑑賞 10 村山吉廣編 明治書院
日本漢詩人選集 13 館柳湾 鈴木瑞枝著 研文出版